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<子天狗玄太> 雨ニモ負ケズの本当の作者はだれ?  10:07
水晶クラスター
<子天狗玄太>
「あれって本物なのか?」賢治が帰ったあとで玄太に訊いた。
「うん」と彼は額に皺寄せてうなずいた。「ごめん、おいらが連れてきたみたいだ」
「えっ?」「獣道に獣の臭いが残るみたいに、天狗の通路には天狗の匂いが残る。
チョウチョが飛んだあとに残していく鱗粉みたいだとも言うんだよ。
天狗はそれを読んでどの部族がいつごろそこを通ったかを知るんだけれど、
たまにその匂いに人間の霊が引き寄せられてくる。
そのミヤザワケンジという人は、満月みたいに明るかった。
それにここに来たくて、きっかけを待っていたみたいだ。それでミヤザワケンジって有名人なの?」
「うん、とっても。100年くらい前の人だ。童話や少年向きのお話やちょっと難しい詩をたくさん残した。
彼の童話は子供たちの教科書にのっている。何種類もの絵本にもなっている。
彼は玄太やおれと同じように鉱物ファンでね。お話には鉱物の名前がいっぱい出てくる。
でもそれを理解できる人は少ない。少ないといえば賢治の思いを理解できる人はもっと少ない」
「へえ、すごいんだ」
「だけど、亡霊というのは死にきれずにいる連中だとばかり思っていた。
賢治の霊が迷ったままだなんて、信じられない」
「霊というのは亡霊だけじゃないんだよ。偉大な人とか有名な人は、みんなの心の奥の方で
その人の思い出がひとつにより合わさる。それが霊を生む下地になる。
霊は人間の思いによって育ち、やがて実在感のある霊になるんだ。
家族の誰かがなくなると、家族のみんながその人を恋しがるよね。
その思いが家族の心の奥の方で育って霊になる場合もある。
だから霊というのは迷っている人ばかりじゃない」
「そんな難しいことって、おとうに聞いたのか?」
「違うよ、お師匠に習ったんだ」玄太はてれ笑いした。
「人間たちは霊界についてごく一部を知っているだけだし、それも自分たちが見たいように脚色して、
そうだと思い込んでいるんだって」
「彼はまた来てくれるんだろうか?」「そだね。石に惹かれてまたくるよ」
「<雨ニモ負ケズ>はほんとうに彼が書いたかを訊いてみたい」ぼくはいった。6-19-1
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<子天狗玄太> 藍銅鉱を拝見したい、と宮沢賢治がいった  09:48
マグノリア
マグノリア
<子天狗玄太> 
「宮沢賢治? 亡霊なの?」ぼくが訊く、ゲンタが「うん」とうなずく。
「とにかく入ってもらおう」ぼくは電源を切ってある自動ドアを手動であけた。
「なかに入れてもらってもよろしいでしょうか?」彼は訊く。「ああ、どうぞ」ぼくはいう。
たしかに伝記の印象ほどではないが出っ歯だ。
宮沢賢治は無類の鉱物好き。彼の物語にはシロウトには見当もつかないような鉱物名がちりばめられている。
石ヤなんだから彼の詩集は読んでおかなくてはと『春と修羅』を開いた。
感銘は大きかった。結局文庫の宮沢賢治全集を全部読んだ。
「お持ちであるなら藍銅鉱を拝見したい」彼は言う。
「ランドウコウ?」ぼくは言い、「ああ、アズライトね、たくさんありますよ」
標本類がいれてある多段式のケースからアズライト、マラカイトを入れてある箱を引き出す。
両者は同じ成分、アズライトの硫化が進むと、緑色に発色してマラカイトになる。
「手にしてもよろしいですか?」「ええ、どうぞ」
鶏卵より一回り小さいアズライトを手に眼に近付けて見入る。
彼は突然に「ほっほっ、ほーっ」と叫んで、飛び上がり、空中で2回転した。
「いやいや、じ、じつに素晴らしい」彼は言った。
「霧が融けたのでした。太陽は磨きたての藍銅鉱のそらに液体のようにゆらめいてかかり、
融けのこりの霧はまぶしく蝋のように谷のあちこちに澱みます」と自作の詩をよんだ。
「<マグノリアの木>ですかね」ぼくはいう。
「ほっーほ、わたくしの作品をご存じですか」「ええ、有名です」
「そうですか、有名ですか」彼は嬉しそうに笑った。
 帰らなくてはならないのだと、彼はていねいに別れの挨拶をして、自動ドアの前に立った。
ドアは開かない。ぼくは手動でドアを開いた。彼はふかぶかとお辞儀して背中をむけた。
 4-19-3(マグノリアの花。木蓮と泰山木の違いがわからない)
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<子天狗玄太> 玄太と店にいると宮沢賢治がやってきた  10:00
エレスチャル
<子天狗玄太> 
子天狗玄太は鉱物少年だった。そんなところがうちを訪ねてくるようになった理由と思う。
訪ねてくるたびにというわけではないけれど、おりにふれて話題になりそうな鉱物標本を彼にみせた。
玄太は嬉嬉として見入り、天然自然の色彩が地下の暗闇で形づくられることを不思議がるのだった。
ときには鉱物の組成について話して聞かせることもあった。玄太の色彩や形に関する感覚は鋭く、
鉱物にかんして彼は教え甲斐のある生徒だった。
定休日を選んで彼を自分の店に連れていったこともある。
店にはふたりのスタッフがいて、通常は彼女たちが店を切り盛りし、
ぼくは週に1日か2日顔を出せばすむことにしてある。接客して利潤を追及するよりも、
山の家にいて木々を眺めていたほうがはるかに性にあっている。
店は吉祥寺の駅から井の頭通りを7、8分久我山方面に歩いて1本奥まった通りにある。
閑静な商店街の雑居ビルの1階、20畳ほどの広さ。
3方の壁をアンティーク風のブックシェルやショーケース、手作りの棚で囲って、
中央に大きめのテーブルがふたつある。そこに水晶クラスターやエレスチャル、ヒマラヤ水晶、
アメシストなどの水晶類、ガーネット、トルマリン、カルサイト、などなどが
カトマンズの露店市よろしく展示してあって、ブレスレット、ネックレス、ペンダントなど、
20〜30代の男女がちょっと気張れば買えそうなアクセサリー類が
ショーケースからあふれんばかりになっている。
鉱物好きの子供たちにとって興奮度はディズニーランドに勝る。
電車のなかの玄太は緊張していた。玄太の隣には着物姿の中年女性が座り、わずかだが香水が匂った。
それが彼を落ち着かなくさせているらしかった。
「おいら電車にのるのは初めてだ、こういうのって初めてだ」彼は小声でいった。
店に着くと彼のテンションはいっきょにあがり、「おお、ガーネットがこんなにいっぱい、
このトルマリンはとてもみごとな色合いだ、それにこの水晶ったら腹をくすぐってくる、などと、
賛嘆の声がやまない。そのうちゲンタは入り口をみて眼をすがめた。
「ねえ、ねえ、おじさん、ミヤザワケンジという人が店にはいってもいいかと訊いている」と言った。
「ミヤザワケンジ? まじで?」「そだよ、ほらっ」
自動ドアの向こうに黒いウールの重そうなコートを着て、大正時代風の黒い帽子をかぶった男が立っていた。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ・大乗仏教の始まり 10:19
仏像
★ 7/10<大乗仏教の始まり>(仏教の歴史など思わぬ展開) 
タイに旅行して川船での寺院巡りなどすると、ネパールの寺院やインドの仏教遺跡にはない奇妙さに気付く。
パゴダ(仏塔、ストゥーパに同じ)は金ピカでたくさんの仏像が並んでいる。
境内は清潔で文句無しに美しいのだが、なんだが単一な感じがして気持ちが踊らない。
仏像のことごとくは、どれもがブッダで、観音や文殊などの菩薩像、阿弥陀や大日などの如来像がない。
ああ、これは部派仏教のせいなんだと知ったのは、
バンコクに親しむようになって、20年以上も経ってからのことだった。
基礎知識として述べると、仏教はブッダ入滅後、弟子たちが集って師の教えを経典にまとめたことに始まる。
当初の教えは、ブッダがこう語ったのを私は聞いた、という訓話がほとんどだった。
ブッダは神、仏ではなく人生の師匠だったし、ブッダその人も神、仏を崇拝しはしなかった。
私たちが信仰している観音や不動明王の活躍、阿弥陀の慈悲は、原始仏教にはないもので、
紀元前後に始まる大乗仏教に依っている。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
ブッダは紀元前5、6世紀頃(前566−486、前463-383などの説がある)の人で、ブッダの教えは、
彼の遺骨(仏舎利)を祭るストゥーパ(仏塔)の普及によって全インドにひろがっていった。
紀元前3世紀ごろのマガタ国のアショーカ王の仏教保護の政策によるところが大きい。
アショーカ王は仏教に帰依してインド各地に8万4千のストゥーパを建立したという。
いかに細分化しようと、そんなにたくさんブッダの遺骨があるわけがないので、
仏舎利は半透明白色の小粒メノウで代用されたようだ。
ストゥーパへの信仰の土台には、5万年以上の昔にさかのぼる旧石器時代の骨への信仰がある。
彼らはホラアナグマなど信仰の対象だった聖獣を仕留めると、肉と皮をいただいて、
骨は母なる洞窟の女神に返した。
ストゥーパへの祈りは、土着の信仰に重なり、シャーマンたちは仏教に帰依した神々や祖霊を
霊視するようになり、ストゥーパに現世利益を願うようになった、と想像している。
こうやって仏教に帰依した神々のパンティオンが構築され、大乗仏教が形を整えていった。
紀元1世紀ごろから仏像が作られるようになると、
崇拝の具体的対象を得たことで大乗仏教はより訴求力のあるものとなった。
きっとそういうふうだったんだろう。
(日本の五重塔、三重塔もストゥーパの一種で、中心には舎利が納めてある)。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
インドでの大乗仏教の成立過程はヒンドゥー教の熟成期に重なる。
統一国家が形成されたことで、地方ごとに独立していた信仰も統一されていった。
宗教は政治形態の投影として神々の世界を構築していく。
大王の投影が天空神となり、貴族たちは神々を祖先に選ぶ。
地方の神々は中央の有力神の変化・化身とされる。
そうやってヴェーダ以来のバラモン教は土着信仰(主役がタントリズム)を吸収合併して
ヒンドゥー教(インドの宗教という程度の意味)がうまれ、
仏教は土着信仰やバラモン教の神々を一方的に仏の傘下に組みこむことで、
ブッダの教えの範疇を大幅に超えていった。
日本では役行者(えんのぎょうじゃ)が不動明王の化身のような蔵王権現を顕現させ、
最澄が三面大黒を感得したように、大乗仏教の繁盛期と、その後につづいた密教の隆盛期には、
神々はさかんに人間に憑依して、てんでな主張をくりひろげ、たくさんの経典が作られることになった。
因みに三面大黒は前面が大黒天で、左右に弁財天と毘沙門天が合体した仏をいう。
近似では毘沙門天と吉祥天が背中合せに合体した妖しい仏像もある。
兜跋毘沙門天にはじまった大乗仏教を訪ねる旅は三面大黒で終わって非常にめでたい。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/09 2019    21:30
毘沙門天
★ 7/09<過ぎてゆく日々のこと> 
伊豆の方にうちの勾玉類をお守りとして参拝者に授与してくれている神社がある。
名前は「〇〇神社」だが、修験の色彩が濃くて、ご祈祷法のひとつに毘沙門天に祈る行法がある。
その毘沙門天の名前を最勝兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)という。
毘沙門天は密教では天部の仏で、四天王の多聞天にひとしい。
どういういきさつなのか七福神の一尊に数えられている。
けれど兜跋(とばつ)というのがなんなのか、ずーっと気になっていた。
あれこれ調べると、この仏はシルクロードからきた仏で、
兜跋は現新疆ウイグル自治区にあった古代国家トルファンのことだとか、
チベット最初の統一国家吐蕃のことという。
毘沙門天はバラモン教の光明神ミトラ、ゾロアスター教のミスラが大乗仏教にとりこまれたものともいう。
兜跋毘沙門天は大地の女神(地天女)に両足を支えられて立ち、2頭の鬼をしたがえ、
宝塔を持つ姿で描かれる。ミトラはまたマイトレーヤ(弥勒菩薩)や財宝神クーベラ(金毘羅)につながる。
毘沙門天が仏教化した経緯に思いををはせていると、大乗仏教がどのようにして発生してきたかがみえてくる。
1-18-4 写真の銅製七福神には鍾馗(しょうき)との混同がある。


★ 7/09<過ぎてゆく日々のこと> 
つっかい棒を立てておかないと崩れてきそうに空が重い。
今年の梅雨はとても律義で、曇り空の日々がつづいて晴れる気配がない。
Tシャツに半袖シャツの2枚重ねでは腕が寒い。長袖に着替え、薄手のジャンバーをはおって倉庫にいった。
作業に熱意がわかず、こういう日はアナグマにでもなって、巣穴のなかで背中をまるめて
時間が過ぎて往くに任せたい、と思ったことだった。旅行にでれば生産的活動を一切せず、
無為徒食のうちに遊行三昧して過ごすのだから、一日二日、やる気が失せてもどうということはない。
巣穴に籠ったアナグマは、異国のスイーツを山もりしたテーブルに着いて、品定めする夢をみる。
ぼくはといえば、家にいて机の前にこもり(籠るはカゴと同じ漢字)、ああ、そうだと思いたって、
ストゥーパ(仏塔、パゴダ)の起源について検索ゴッコをした。
兜跋毘沙門天のつづきでいえば、シルクロードの国、ローラン(桜蘭)の近くで石窟寺院にこもって、
毘沙門天を祈りだした僧がいた。ストゥーパの前に立てば彼と同じテーブルに着ける。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/06−07 2019  19:25
飛龍
★ 7/06<過ぎてゆく日々のこと> 
奈良の橿原市や桜井市に旅行して、日本の地方の町共通の現象、
シャッターを降ろしたままの商店をたくさん目にした。
看板やシャッター、雨戸の痛み具合からして、どの店も閉店して10年ほどは経っていそうだった。
シャッター商店街の復興目指して、あの町この町でこんな取り組みをしているという記事を
ときおり新聞で見る。どうせ使い道を見つけられない空き店舗であるなら、
お金はなくても労力と熱意と企画力がある若い人とか、経験豊富な老人たちに、
無償に近い値段で貸しだせばいいと思ったりする。
そういうところで実地訓練をすれば、地方の町に有用な若者が育っていくだろう。
ひきこもりは減るだろうし、老人たちは生きがいを再発見できるだろう、
と脱社会派の自分がときには社会的なことを考える。
こういうのは視点を変えればたくさんのアイデアがわいてくる。
競争から融和へ、利潤の追及から満足度の評価へ、
そういうふに変移していく社会モデルを考えなくてはいけない。
政治家たちには望むすべもないことがらだ。
写真はサマーセール・アイテムのひとつ、日本翡翠飛龍、マイデザイン。


獣型
★ 7/07<過ぎてゆく日々のこと> 
上の記事の脱社会と反社会は似ているけれど同じではない。
日常的な社会生活を唯一の真実と信じている人々には似たようなものであろうけれど、
それでも両者はまったく違う。
反社会は既存社会に反対・反抗する。既存社会の権威に対して反旗をひるがえす。
世の中を憎んでいる人たちの意見だ。
脱社会は既存社会の価値感は自分にそぐわないと考えてそこから離れる。
自分的にはちょっとばかり世の中から外れることを脱社会とよんでいる。適応・順応はときに疎ましい。
こうした生き方は企業論理に反するので、まったくもってサラリーマン的ではない。
サラリーマン的ではないということは良い子の態度ではないということだ。
世の中に理解されにくいことでもある。しかしながら、脱社会的な視座をえると、
高速度・高品位・超清潔でひたすら便利さを追及する社会が、相当にゆがんでいるということが見えてくる。
「ローテクでもいいんじゃないの」と思うと、
自我の呪縛・拘束から自分を解放することが大事に思えてくる。
脱社会ということを勧めているわけではないが。
写真はサマーセール・アイテムのひとつ、日本翡翠獣型勾玉。これもマイデザイン。


翡翠三日月
★ 7/07<過ぎてゆく日々のこと> 
自分が向き合っている社会は厳然たる現実としてそこにある、と誰もが思っている。
けれどその社会は、自分なりに脚色して思い込みした社会像からなっている。
どのようなスタンスを社会に対してとるかが問題で、つまづけばひきこもりになったり、
負け犬風の人生を送ったりすることになりかねない。
ほんとうはすぐれた能力・才能があるのに、うまく育てられず、枯れていく場合だってあるだろう。
自分にとって居心地のいい社会像をつくるには、
世間的視座をちょっと離れた脱社会的視点から自分をチェックしてみる。
自分にとっての父親母親イメージを世の中イメージと比較してみたりすると、
新たな気付きが得られる場合もある。ヒーリングということを考えるとき、
自分にとっての社会像がどんなふうかを問うのはとても大切だ。
石ヤ風にいうなら、石を介して向こう側に触れることで多くのことがみえてくる。
写真はサマーセールの人気商品、日本翡翠三日月。もちろんこれもマイデザイン。
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<新着製品> 雨入り水晶球・クラック水晶球・ルチルクォーツ丸玉  09:55
雨入り水晶
<新着製品> 
まれに水晶球のなかに、みかけは透明無垢なのに逆光で見ると、白いもや状のものが見える場合があります。
青白い雨が降っているようであり、近年ではそれらを、雲間から差し込む光線の矢にたとえて
エンジェル・ラダーとか、天使の羽根、エンジェル・フェザーとよんだりしています。
光の矢のように見えないものもあります。 
たくさんをまとめて仕入れた水晶球のなかにあった、こうした雨入り水晶球6点を
「アウトレット天然石加工品」に掲載しました。通常であれば水晶球より高価ですが、
価格は水晶球と同じにして、アウトレット価格5割引に設定してあります。
水晶球は一部に曇りがあると、撮影した場合全体が曇って見えてしまいますが、
これらの製品は黒バックで逆光で見ないかぎり、透明無垢で傷のない製品に見えます。
透明なくせに雨入り。6-19-2


クラック入り
<新着製品> 
ルチルや雲母の内包物が入ったり、クラック面に虹が浮かぶ水晶球5点と、
ヒマラヤ産水晶原石を用いたヒマラヤ水晶球8点を「アウトレット天然石加工品」ページに
新規に掲載しました。どの製品も定価を5割引したアウトレット価格でお送りします。とてもお得です。
内包物入の水晶球はブラジル産、鶏卵と同じか、それより一回り大きなサイズです。
ヒマラヤ水晶球は、ヒマラヤ山脈の西端、ヒンドゥークシュ山脈産の原石を、
海外の特約工場でカットした特注製品。
水晶製品は一部にクラウドやクラックがあると、撮影した場合全部が曇ったり
ひびが入っているようにみえますが、これらの丸玉は8−9割方がクリヤーです。
水晶球は中身がぎゅーっと詰まっているのにからっぽに見える。
不思議さにひと触れできます。


ルチルクォ^ツ丸玉
<新着製品>
高価で得がたいブラジル産のルチルクォーツ丸玉を定価の5割引のアウトレット価格で
「アウトレット天然石加工品」に掲載しました。29-37mmの見応えのあるサイズ。
お買い得製品なので、大きく満足できます。
ルチルクォーツは針状のルチル(酸化チタン)を内包した水晶。
ルチルには金色のほか銀・白・赤褐色などの色合いがあります。
形状も一様ではないため、ルチルクォーツの原石は1点づつ異なっています。
ルチルクォーツは金運をよぶ、運気をたかめるといわれています。
風水の観点からも邪気を祓い、元気を増強するとされています。
地下深くの熱水のなかでふわふわと漂っていた針状ルチルが水晶のなかに閉じ込められていく様子は、
想像するに松葉の瓶詰ジュース凍結させた風景に似ています。


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