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日本翡翠新製品・獣型勾玉ワカクサをHPに追加しました 18:05
獣型勾玉
<日本翡翠新製品> 
日本翡翠獣型勾玉ワカクサを新発売しました。以下はそのコメントです。
……新潟県糸魚川産の翡翠原石から制作した獣型勾玉です。
同形の翡翠製品が古墳時代の遺跡から出土しています。
大昔から犬は番犬・猟犬・愛犬として人類とともにいました。
彼らが飼い主を助けてきたのと同じように、獣型勾玉は危機・災難を事前に察知し、
よこしまなものから身を守り、幸運や財運に恵まれるためのお守りの役目をしたと想像されています。
幸運を運んでくる精霊ブリンギングアニマルの日本式バージョンが獣型勾玉です。
翡翠は写真での色彩再現が難しい製品です。
PC環境やモニターを見る角度によって実物と多少色味がことなる場合があります。


<日本翡翠新着製品> 
獣型勾玉は動物型精霊のパワーの宿り。動物型精霊・パワーアニマルと親しくすると、
不運・災難を未然に回避できるようになります。
パワーアニマルは「幸運を運んでくる動物」の意味でブリンギング・アニマルともいいます。
獣型勾玉を手にしたら、枕元に置いて、森を想像し、
そこから自分を守護してくれる精霊がでてくるのを待つよう瞑想すると、
自分のパワーアニマルと出会えます。
アメリカ・インディアンの間では、ひとり荒野で苦行して
自分の守護動物と出会うという通過儀礼があって、ビジョン・クエストとよばれていました。
霊的世界・向こう側の実在とつながっているとか、それによって支えられていると実感すると、
こちら側でも力強く暮らせるようになります。


<日本翡翠新製品> 
新製品・日本翡翠獣型勾玉ワカクサ追加分12点を
HP「日本翡翠獣型勾玉(けものがたまがたま)」に掲載しました。
クロ翡翠が人気です。
原石や勾玉では通常の灰白色のものに比べて数倍の価格で売買されているようです。
宝石類の質と価格の関係は、食品などとは異なっていて、
わずかの質の違いで、価格が10倍以上開くことも珍しくありません。
当社ではお求めやすい価格での提供をめざしていて、
黒系翡翠製品はレギュラー製品の約2倍におさめるよう努めています。
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■<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/04-07 2018 11:20
ミャンマーヒスイ勾玉

1/04<過ぎてゆく日々のこと> 
嘆きの壁からの連想で「憂さ晴らしの壁」という言葉ができた。
不平不満が積もって「憂さ」になる。
憂さは心に積る塵芥、放っておくと腐敗してやがては悪臭を放つ。
悪臭は心ばかりではなく身体を汚染する。
女性であればダイエットしたり、化粧品やサプリメントで肌の手入れをするように、
心も手入れしないと美人オーラはでてこない。
上手な憂さ晴らしは心身を健康に美しく保つために必須で、
これがうまくできないと人生をふいにしてしまう。
「憂さ晴らしの壁」は神社に作って、
他人には言えないあれこれの憂さをその場で書いてお焚き上げしてもらう。
基本的なアイデアとしては悪くない
。零落した神社再興の手立てのひとつになると思ったりした。
神社やお寺はかってはそれぞれの地域のアミューズメントパークだった。
いろいろ考えれば、再度人々が集う場所になるだろう。
そうしたらうちの製品で超魅力的、強力な効き目のお守りがいっぱいできる。


1/05<過ぎてゆく日々のこと> 
凝灰岩や滑石関連の見本や珪藻土、ワイヤーブラシとか懐中電灯とか、あれこれの本、
そのうち買おうとためてあったネットショッピングのものどもを、
お正月3日4日でまとめて注文した。
まもなくうちのアパートの郵便受けは満杯になって、
ピンポンピンポンと荷物の到着を告げる部屋の呼び出し音がつづくだろう。
憂さ晴らしということを考えていて、衝動買いもなかなかすぐれた憂さ晴らしと思った次第だ。
香港のジュエリーショーにでかけて、ついでに広州へいったり、現地の業者を訪ねていた時代には、
一日ごとに数十万円のお金が財布から出ていった。
自分のためのショッピングではないのだが、
どんどんお金を使うとカルマが軽くなっていく気がしたものだった。
憂さ晴らし&ストレス軽減&カルマの浄化&天然石コレクションについては、
もう少し考えてみることにしよう。


1/05<読書記録> 
『大嘗祭』(工藤隆、中公新書、2017)を興味津々のうちに読了。
見覚えのある著者名と思って書架をみると同じ中公新書で
『古事記誕生』『古事記の起源』というのが並んでいた。
新天皇がおこなう一世一代最大の祭祀が大嘗祭(だいじょうさい・おおんめさい)、
年ごとの収穫祭が新嘗祭(にいなめさい)、「嘗める」は食べるの意味、
ということがやっと頭の中に落ち着いた。
天皇を神官の頂点におくことでヤマト王朝は出発した。
それが天武・持統天皇あたりで、最高神をアマテラスに定め、
天皇を現人神(あらひとがみ)としたことで、日本神話は理解しずらくなった。
大嘗祭は最高神への新天皇の就任報告のようなものであるらしい。
そこでの神事には、水田稲作の初期に継承されていた「女の呪術」の色合いが強く残っている
という本書の説明に大きな感銘を受けた。
神道では酒をお神酒(おみき)といって神聖視してきた。
酔うことは酒精が宿ることであり、祖霊たちの世界へと人を開いてゆく。
大嘗祭にはそうした古代からの伝統が残っているようだ。
折口信夫説では天皇霊が新天皇につくことで天皇は天皇になるという。
(勾玉は皇位継承の品のひとつ。今年は勾玉ブームが再燃するよう願っている)


1/07<過ぎてゆく日々のこと> 
ほほ笑みが真珠の小粒のような滴となって落ちる途中で木の葉に変わった。
彼はその木の葉でテーブルの上の赤い宝石を包んだ。
訪ねる人の滅多にいない廃村の廃校の体育館に彼は住んでいた。
木の葉をシャツのポケットにしまって、彼は白いフクロウに変身した。
ガラスの割れた窓を抜けて夜の中へ飛んでいった。
月が溶けて7つ8つの星に変わった。
主のいなくなった部屋に獣型の精霊が姿をあらわした。
獣が首をあげると虚空に青いクレヨンが出現し、彼はそれを口に加えて、
幾何学模様が反復されるマンダラを机の上に描いた。
遠く離れた土地でそれを夢にみていた男がいた。
男がほほ笑むと笑みが真珠の小粒に変じてこぼれた。

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水晶球占い・脳に映像を見るコツを教えてやる 10:02
水晶球
<水晶球占い> 
水晶球占いについて知りたがっていたお客さんがいて、
そのうちHPにコラムを入れますよといって、そのままになっている。
水晶球占いには、水晶球を凝視して表面や内側に浮かぶ色のにじみの位置や色彩や形で吉凶を占うのと、
ビジョンを霊視してクライアントの問題点を探るのと、おおまかにふたつの方法がある。
ビジョンを霊視するには天性の霊視者であれば、ビジョンの解読法を学ぶだけですむ。
そうでない場合はビジョンの見方から練習しなくてはならない。
脳裏や眉間の内側に図象を見るよう練習して、図象を固定できるようになったら、
それを脳の外側、白壁などに投射して見るよう練習する。
そういうことができるようになったら、浮かんでくるイメージを水晶球のなかに移せばいい。
チベット密教の瞑想法とほぼ同じやり方だ。
HPではもう少し翡翠関連製品を充実させたら、
水晶球やルチルクォーツ丸玉などのアウトレット・ページを作る予定。


<水晶球占い> 
白日夢は夢と同じで、自我がゆるむことで起きる脳のアイドリング。
哺乳類が誕生する以前からの習い性で、脳はふいの危機に即対応できるよう、
機能を停止できない仕組みになっている。
かといって覚醒しつづけていたのではエネルギーロスが多すぎる。
だからアイドリングしてエネルギー消費の低いレベルでおしゃべりしつづけている。
これに映像がともなえば白日夢や夢になる。
ビジュアライズと違うのは、後者の場合は意図によってイメージが生起する。
それを見ている自分を意識できている。
シャーマンの霊視ではトランス状態(亡我、自我の超越)状態のなかで、
宗教性の濃い、または原初的なビジョンが生起する。
これは白日夢と似ているが密度とレベルが異なる。
瞑想で狭義の三昧(ざんまい)というのがこれに近い。
日常的な意識が変性されることでトランス状態や三昧が起きるので、
日常的な意識ではこれを理解できない。


<水晶球占い> 
水晶球占いには、1に深層心理学的、2に心霊的方法と解釈の仕方が二通りあって、
練習法も違ってくる。前者に重きをおけば、霊視は心の内奥からのメッセージということになる。
内奥のどこかに霊的世界への通路があると考えることもできる。
内的自己と表層的自我との通路の風通しをよくするために瞑想や練習が必要になる。
そのひとつがイメージを想起しやすいよう、脳に映像を見るコツを教えてやること。
サイコロやロウソクの炎をありありと思い浮かべられるよう練習したり、
仏像・仏画をありありと想起できるよう訓練する。
瞑想時に映像が浮かんだらそれを留め置いて細部を観察する、というのが一般的だ。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 11:02
大船観音
12/31<過ぎてゆく日々のこと> 
石を眺め、石に触れて、石のことを考え、アパートにいても山の家にいってもそこらじゅうに石があって、
床にも石をいくつもころがした河原のようなところで暮らしている。
こんなにたくさん石があるんだから、それだけで十分な気もするが、
ひとつまたひとつと気掛かりな石があらわれてくるので、石たちの世界への興味がつきない。
目下の興味は緑色凝灰岩、滑石、蝋石といった硬度の低い石たちでどれも馴染みが薄い。
斧やヤジリなど石器を別にすれば、縄文時代の石細工は滑石によるけつ状耳飾りから始まった。
古墳時代には滑石・蝋石を用いて石製模造品というものが大量に作られた。
凝灰岩からは管玉がこれまた大量に作られ、勾玉と組み合わせてネックレスやブレスレットに使用された。
縄文のご先祖は河原や海岸から滑石を採集してきたのだが、
彼らがどうやってあまたの石のなかから目当ての石を見分けたのか不思議でならない。 


1/03<過ぎてゆく日々のこと> 
鎌倉市大船という土地にある観音さんに初詣で。
ここでは山越しの阿弥陀ならぬ階段越しの白衣観音に出迎えてもらえる。
何年も前に折口信夫(しのぶ)の『死者の書』をよんだ。
阿弥陀迎合図の小論が付いていて、口絵に迎合図が出ていた。
古い文庫の再版なのでモノクロ印刷の出来栄えはおせじにも綺麗といえない代物だった。
それでも頭のなかに、ふたつ峰がある山のうえに、
まるでまるでゴジラのように上半身をみせる豪華絢爛総天然色の阿弥陀が見えた。
如来・菩薩たちは、バガヴァッドギータで真如の姿をあらわすビシュヌのように
とほうもないほど偉大であることを知った。
それからすっかりと阿弥陀迎合図の虜になって、彼が出ている写真集や展覧会の図録を買い集めた。
五色の糸で阿弥陀と結ばれたいと願っているわけではないので、
自分が死んでも阿弥陀さんが迎えにきてくれはしないが、
『死者の書』に啓発されて以来、仏たちの巨大さがまぶたの奥のほうに焼き付いている。
だから大船観音のように階段越しに大サイズの仏さんをみると、
おう、おう、おうと嬉しくなる。


1/03<過ぎてゆく日々のこと> 
ネットの古書サイトをめくっていて、『越前一乗谷石仏』という写真集が目にとまった。
検索をつづけると、戦国武将越前朝倉氏一族の興亡に関連して、
牙城となった福井県の一乗谷というところに多量の石仏が作られたとある。
信長に滅ぼされた朝倉一族の間で地蔵信仰が栄えた結果であるという。
日本史で興味があるのはせいぜい平安時代止まりで、鎌倉時代以降のことといえば、
常識欠如はなはだしく知識の量は小中学生に劣る。
殺し合い好きな人たちをあがめる気にもなれない。
だから朝倉氏がだれであるのか関心を抱いたことがなかった。
若狭を訪ねて以来、気分は北陸を向いているしで、『越前一乗谷石仏』という写真集を買うことにした。
これが右手の話。これとは別に左手の話は凝灰岩について調べているうちに、
笏谷石(しゃくだにいし)という福井県産の凝灰岩に行き当たった。
さらには笏谷石が越前一乗谷石仏群の原料であることを知った。
右手と左手が握手して凝灰岩への興味がいっそう深まり、
またまた越(こし)のクニからよばれているような感じがしている。
そういえばサンプルに購入してある凝灰岩は福井県産だった。


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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・4  22:20
ギョロメ
<日本翡翠の基礎知識・11>(勾玉) 
中国から神という概念がもたらされるまで日本には道教・仏教的でいうような神がいなかった。
私たちを守ってくれるのは祖霊であり、木々や岩の霊だった。
胎児に魂が宿ってヒト(ヒ・霊がとどまる)となるように、
胎児の形に祖霊が宿って人を守護するよう願って勾玉は作られたと想像している。
勾玉は霊が宿る形だ。胎児成長は生命進化の縮図となっていて、形状は魚に似ている。
だから勾玉の各部分は魚に模して呼ばれる。
頭があって背と腹があり尾がある。紐を通す孔(穴)を眼といい、
頭から腹につながる口の部分を顎という。
お守り・魔除けとしての勾玉は眼で敵をにらみ、顎で威嚇して、尾で敵を打つ。
顎がしっかりしていて、尾は太くたくましいものが力強い。
勾玉はごくわずかのカットの違いで千変万化の表情をみせる、ちょっとの違いなのに、と感心してしまう。

タテガミ
<日本翡翠の基礎知識・12>(異形勾玉) 
古墳から出土する副葬品や、古くからの神社、旧家に伝わる収蔵品によって、
私たちは古代の勾玉の形状を知ることができる。
そこには伝統的なC字やコの字型の勾玉にまじって
異形勾玉とよばれる形状が異質ないくつかの勾玉がある。
―歎晋玉、
丁字頭(ちょうじかしら)勾玉、
サルダマ、などがよく知られている。
せ匯ち勾玉は祭祀の供物として滑石などで作られ、七夕の笹飾り同様に使用されたらしく、
宝飾品として作られたものはないようだ。
当社製品で人気の高いゥ織謄ミ勾玉の出土数は少ない。
通常の勾玉より数倍のパワー効果があると評判の
ζ本翡翠飛龍は当社のオリジナル製品、遺跡から出土しない。

獣型勾玉
<日本翡翠の基礎知識・13>(獣型勾玉) 
獣型をした勾玉似の翡翠製品が古墳時代の遺跡から出土していて獣型勾玉とよばれている。
大昔から犬は番犬・猟犬・愛犬として人類とともにすごしてきた。
彼らが飼い主を助けてきたのと同じように、獣型勾玉は危機・災難を事前に察知し、
よこしまなものから身を守り、幸運や財運に恵まれるためのお守りの役目をしたと想像できる。
幸運を運んでくる精霊ブリンギング・アニマルの日本式バージョンが獣型勾玉というのは、
とても楽しい話と思っている。

| 日本翡翠(糸魚川翡翠、ヒスイ) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
五色玉は年中いつでも縁起がいい ■天然石五色玉の写真 18:57
五色玉
<五色玉の話> 
五色玉(ごしきたま)の夢を見た。
五色の布を敷いた祭壇、五色玉の供物、至る所に五色があふれていた。
どうしてそういうことになったのか、
小さな信仰宗教の教祖から祭壇をデザインするように頼まれた。
五色の布があって幅をどれくらいにするかとか、継ぎ目をどうするかなど、討論した。
祭壇の上には4つを四角に並べて中央にひとつを乗せた五色玉を置いた。
五色は大乗仏教の五元素のシンボルで5方位も象徴する。
完璧にバランスが整った世界から物質世界は開きだされてくる。
この世の苦悩・苦痛・不運・不幸・災害・事故・事件・憎悪・渇愛はバランスの乱れによって起きる。
バランスを整えればネガティブ要素は浄化されて完璧さが回復され充足・幸運につながっていく。
そんなふうに仏教では考えてきた。これは古代の呪術の基本概念でもある。
五色は物質世界のもととなる五元素を象徴するがゆえに、五色玉があること、
そのことだけでバランスの回復を意味する。
五色の夢はとても縁起がいい。12/2017/3-530


<五色玉の話> 
「外出すると浮遊霊を連れてきてしまう。うっとおしくてたまらない。それを防ぐ石はないか?」
そんな電話を2年ほど前に受けたことがある。相手は若い女性のようだった。
うちではそういう相談は受けていない、と言おうと思ったが、 
「五色(ごしき)玉がいいみたいですよ」と答えていた。
彼女は15mm丸玉の五色玉セットを注文し、しばらくしてから再度の電話で、
以来霊を背負うこともなくとても調子がいいとのことだった。
五色はそれを頼りとする人の心のバランスを整える。
それによって未浄化霊など不浄な者を近付けなくする。
仏教的には死者の霊は49日を限度に転生していく。
しかし、愛情・憎悪・嫉妬・所有欲ゆえにこの世に未練がありすぎたり
、死んだことを理解できなかったり、転生の仕方がわからなかったりして、
死にきれずに霊的な迷子になる者もいる。彼らのことを未浄化霊・浮遊霊・地縛霊などという。
彼らは自分のことを救ってもらいたくて、遺族や通りがかりの人に憑く。
寂しくて仲間を求める者もいる。
霊の存在を信じないのであればそれだけのことであるけれど、
心の問題については現代科学は幼い。


<五色玉の話> 
五色は道教では木・火・土・金・水の五気を象徴し、
中央に黄・北に黒(濃紺)・東に緑(青)・南に朱・西に白を当てる。
仏教では地・水・火・風・空の五元素に対応している。
五元素を下から積めば五輪塔になり、人体に当てはめると5つのチャクラになる。
地・水・火・風・空は黄・白・赤・緑・黒(紺)で、
チャクラの色を虹の7色に重ねるのはニューエイジ風、西欧好みの解釈であって、
ヨーガの伝統から外れている
(尾骨のチャクラの活動性を高めてクンダリニーを刺激するには黄色を尾骨に置く)。
日本の寺院では五色の旗で緑のところに青がくるのは、
緑が青から語彙分化していなかった古代の表現を、そのまま受け止めていることによる。
ここでの風は青空の色ではなく、植物の繁茂をうながすパワーの色だ。
五色は魂のバランスを整える色彩配合。
身辺のパワーの「場」を整えておくのに役立つ。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 09:40
気多大社入らずの森
ネフライト

★12/22<過ぎてゆく日々のこと> 
黄昏は過去へと降りてゆく時間。インドやネパール、アメリカ南西部での日々がよみがえり、
知っているくせに知らない惑星を再訪し、ときには子供の時代に帰る。
日が暮れて足下が見にくくなるまで畑仕事にせいをだし、山道をあるいて帰る。
家では囲炉裏のまえに座って粗朶(そだ)を焚く。
そんな風景が心の奥の方からわきあがってくる。
家は山裾にあって縁側に座れば、めのまえにひろがる盆地ごしに夏雲を従えた恵那産を眺望できた。
野良着姿で囲炉裏の前にすわっているのは、母親の母、ぼくの祖母で方言まじりの言葉はやさしくて甘い。
自分の家は父と祖父との口争いがたえなかった。母親にとっては忍従の日々だったことだろう。
それに対して実家では祖母は離れでひとり暮らし、気兼ねのない時間をすごせた。
母の開放感はぼくに伝染して、祖母の離れは世界で一番たくさん幸福が貯蓄されている場所だった。
みんな少しの間だけこちら側にいて去っていく。


★12/26<過ぎてゆく日々のこと> 
用水路をまたぐ電線に鳩が一羽止まっていた。背景は真っ青な空でちぎれ雲ひとつ浮かんでいなかった。
冬の朝、ジェノバ(イタリア)では路上に鳩のむくろがいくつもころがっていた。
夜の間に凍死したもので老衰してのことなのか病んでのことか定かではない。
ふつうの鳩だって低体温症になって死んでしまうことがあるんだろう。
日本では鳥の遺骸を路上に見ることがない。
烏も鳩も雀も死期を悟ると森に入るということなんだろうか。
多摩市のどこかにも、日野市であってもかまわないが、
烏の墓場があって、死を迎える烏たちはそこに集って禅を組むのかもしれない。
人間がたまにそういう場所に遭遇すると、鳥たちの思いが伝染して数日後に死んでしまうので、
鳥たちの死の森は人々の口にのぼることがない。
そこではとても美しく「時」が停滞している。まるでラブクラフトみたいに。
(写真は能登・気多大社・入らずの森。生命が生まれて死んでいく2千年来の原生林)


★12/28<過ぎてゆく日々のこと>
毎日退屈しないよう、飽きてしまわないように、新鮮な風が頭のなかを吹いていくよう努めている。
そういう気持ちでいると楽しいことやおもしろいことを見つけられやすく、見つけたことに素直に喜べる。
自分にとって何がおもしろいことなのか、
なるべく多方面を同時に計れる試金石(タッチストーン)を頭のなかに入れておくのがいい。
試金石といえば、広州の玉器市場の奥まった一角で、
路上に石ころを並べていた男性から黒い鶏卵大の試金石を買ったことがある。
鉱石に金が含まれているかどうか条痕で見分けるための石だと、彼は言った。
ちょっとの間、ぼくは客のふりをして彼は主人のふりをして、
同類だとわかったので、彼の言い値でそれを買ってきた。
山の家の奇妙な石コレクションのなかにいまも入っているはずなので、今度撮影しておこう。


★12/29<過ぎてゆく日々のこと>
いろいろな会社が今日で今年の仕事納め。
こういう話はたいがい年末年始こそが稼ぎ時な人たちがいることを無視している。
「一年間大変お世話になりました」とお客さんたちに向かって書こうと思って、
いもづる式に何人ものお得意さんの顔を思い出す。
そうか、もう会えないんだ、と思うと、ちょっと寂しい。
人付きあいの悪さは天下一品で、20年間杉並区西荻窪に店があっても地元の人たちには無関心で、
すれ違えば挨拶する人が3、4人いた程度だった。
今のアパートにかれこれ30年ほど住んでいるけれど、近所に親しい人はひとりもいない。
それを困ったことだと思っていない。
そんなふうだからお得意さんたちが、ぼくにとっては顔なじみの大部分を占めていた。
お得意さんのひとりひとりが病を患うことなく、仕事にトラブルすることなく、
あまりお金にも困らず、これからさきもずーっと元気に暮らしていけるよう願っている。
(写真はヒスイ海岸採集の黒色ネフライト。試金石はおおむねこんなふう。
かつて鉱物学では条痕での鉱物識別が大事だった)
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