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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  5/17−19 2018 10:07
ブッダ
5/17<過ぎてゆく日々のこと> 
早春3月には梅の花に酔い、4月には桜と桃に狂い、5月も半ばをすぎると緑の濃さに忘我する。
小さな線香花火が千万とか億とかいっしょになってはじけるように陽光がきらめき樹影の濃さをひきたてる。
永遠が一瞬に凝結し、一点から無限が広がっていく。そういうイメージを脳はよろこんで引き受ける。
光線の一粒一粒がモノノケ素粒子でコズミックダンスを踊っているなら、こんなにすごいことはない。


5/17<過ぎてゆく日々のこと> 
ブッダの彫像に忍びよってブッダを着るという遊びをした。
良寛もどこかで一人遊びが得意だと書いている。


5/19<過ぎてゆく日々のこと> 
JR総武線の電車に乗っていた。7人がけシートの端に座っていた。
途中駅でたくさんの人が乗ってきた。
なかに両脇を白い服を着た男女にかかえられた女性がいてぼくの前にたった。
40代でホーキング博士のように顔面が麻痺していた。全身も麻痺しているようだった。席をゆずった。
彼女が神であることがわかった。ひざまづいておがみたい気持ちになった。
車内は込んでいてそんな余裕はない。どうしようと思っていうちに目が覚めた。夢だった。
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女神ダキニは日本にきて山の神に習合した 08:24
山の家
山の家
<天狗の話> 
おさらいをするとインドにはドラビダ系先住民とアーリア系移住者のふたつの流れがある。
北のほうではドラビダ系がインダス文明(BC2300-BC1700)を築いた。
先住民の多くは母系社会で女神信仰を主とした。後者は父系の祭祀主義でバラモン教を信奉した。
紀元前500年あたりに仏教が始まった。
紀元前後以降仏教は土着信仰をとりこんで大乗仏教を発達させていった。
シンプルだったブッダの教えに多数の如来・菩薩・神々が参加することになった。
その後仏教はさらに呪術色を強めて密教を発展させていった。
同様にバラモン教は全インドの雑多な神々を融合して、国民宗教としてのヒンドゥー教になっていった。
仏教とヒンドゥー教で神々を共有しているのはそのためだ。
ダキニ信仰はインドからチベットに伝わり。かの地でいっそう重要な女神になった。
チベット密教では女性修行者もダキニとみなされる。ダキニは男たちを神秘的世界にいざなう。
こうしたわけで高尾山の守護神・飯縄権現にはインドの神々の血が宿っている。


<天狗の話> 
天狗について考えているうちに気付いたのだが、
日本神話の女神たち、なかでも水に関連した女神たちは仏教隆盛のもと、
ことごとく弁財(才)天に習合していった。
港が津とよばれていた古い時代、津津浦浦に土地の女神がいた。
彼女たちは宗像三女神に統一されていった。
海辺に竜宮伝説があれば祀られる女神は豊玉姫と玉依姫。
川の女神はミズハノメ。うりざね顔して清楚で美麗。
峠の分水嶺は水分(ミクマリ)。おかっぱ頭の美少女。みんな弁財天に同化させられた。
これに対して山の女神にはダキニが習合したのだろう。
山の神は春先には里に降りてサクラ(桜)に宿る。「さ」は辞書に稲魂とある。
早苗は稲魂を宿す苗。「くら」は倉、宿り蓄える場所。稲妻(夫)と交歓して稲を実らせる。
山の女神は欲情する女神、孕む女神、産む女神、死(実り)と再生の女神、
武士や僧侶や儒教学者には理解が及ばない。
古い時代には山の神を興奮させるために歌垣が催された。
こんなところがインドの農民たちが信仰したダキニと似ていた。
狐は稲作の敵・ネズミを捕食するから山の神の眷属になったという。


<天狗の話> 
子天狗の玄太がランドセルの蓋を開く。手をいれて卵くらいの大きさのジャガイモをとりだす。
「ほらっ」と得意げにみせる。割れ口からふたつに分かれてジオードであることがわかる。
ひきとって眺めると、小粒で藤色をしてキラキラと輝くアメシストがびっしりと内側をおおっている。
さらによくみると片側の中央のアメシストが一部色抜けして三日月の上に点がのった形にみえる。
「ああ、すごくきれいだ。それにビンドウ入りだ」「ビンドゥって?」
「ほら、この白い点。ビンドゥは点って意味だ。宇宙の始まりを表わす特別な点だ。
下の三日月は神さまがこれを受けていることを意味している」
「価値あるね」「うん、とっても。これもおとうにもらったのか?」
「うん、おとうはこういうのを100個くらい持っている」
「そうか、すごいなあ、天狗というのはみんなが石を集めているのか?」
「そでもない、おとうの友だちには頭蓋骨のコレクターもいる」
「頭蓋骨? ほんとか?」「昆虫の頭蓋骨だよ。取りだすのが大変なんだって」
「へえ、……ところでさクダギツネというのを知ってるか?」
「知っているよ、けど、人間たちに知られるようになってあれは悪くなった。
いまでは天狗はあれを使わない。おじさんもクダギツネには近寄らないほうがいいよ」
 なんだかヤバイなあ。ますますヤバイと思った。
(5月のお山には生命の気配、モノノケがわきたつ)

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  5/15−17 2018 10:22
龍蔵神社
龍蔵神社と猫
★5/15<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家の近くの神社に愛と金運の大型勾玉を奉納にいった。
こういう奉納は相手に迷惑と思わないでもないが、
知人が宮司の神社では嬉しそうだったのでいいことにしておく。
神社に参拝をすませて境内の端にあったブロックに腰掛けて拝殿を見た。
インドやアジアの神社・寺院ではそうやって30分ほど過ごすのが習い性になっている。
そこに一匹の猫がでてきた。顔と背中に薄茶色の斑模様が入った若い猫だった。
テレビでみるライオンやピューマのような狩りの緊張感を漂わせて一歩一歩拝殿へと進んでいった。
痩せて細長い姿は伝説のクダギツネに似ていなくもない。
猫は何かを探している様子でうずくまり、伸びをし、地面に伏せたり、
石垣の間に頭を入れたりの動作を繰り返す。
そうこうするうちに前足で何かを叩き、頭を振り、身体をくねらせ、
トランポリンがあるがごとくに飛び上がり、地面に頭を擦りつけた。
その段になってカナヘビを狩っていることに気づいた。
カナヘビをくわえた猫は石段を降りて見栄をはるがごとくにスクッと立った。
神社の神さまが「ちょっとお前に余興をみせてやろう」と手配してくれたかの雰囲気だった。
大型勾玉奉納の返事であるとしたら、とてもありがたい。


★5/15<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家の最寄りの神社は龍蔵神・住吉神合祀の神社で、
正式名を石船山龍蔵神社というのだとネットにでていた。
平安時代後期の創建で岩龍姫命をお祭りしてあるという。
龍神がこの岩船山に降臨したのが発端とか。
住吉神社を合祀したのは明治5年と新しい。
龍神は水の神で海人伝説と結び付けられやすく、竜宮の女神・豊玉姫や玉依姫と同一視されやすい。
祭られている神さまが女神で、龍神系なら玉(たま)とは無縁ではなく、
勾玉を奉納してもさほど間違いではないと思った。
神社を守っているのは子供がつくった粘土細工のように稚拙で人面顔した狛犬。
神主は常に不在で、枯れ葉や枯れ枝が参道にたまり、拝殿の回廊には砂埃が積もっている。
15メートル四方ほどの土がむきだしの境内は、そこに霊的な土俵があるかのように
「気」がゆるやかに流れ渦をまいているかに感じられる。
モノノケの気配がある土地では、うすぼんやりと風景を眺めているだけで眼が喜ぶ。


★5/17<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家では本を片付けたり、鉱物標本の在庫リストを作ったり、余裕があれば掃除したり、
障子の張り替えもしたいと、しなくてはならないことがたくさんある。
でも、みんな面倒だとおもうと、空白の時間と向き合うことになり、
無為でいることの難しさに直面する。
空は晴れて緑の木々に宿る影が濃い。
初夏の空気に打たれて無防備でいると、風景が宿す気配の濃密さに呑まれてしまう。
まるでバリ島にいるみたいだと思いながら、リュックにカメラをいれて、
山の中の広場へ散歩にでかけた。
今年もまたオオデマリがぼんぼり状の白い花をめいっぱい咲かせていた。
スーパーハイビジョンとなった視覚で天狗のお山にきらめきわたる緑のかたまりを眺めていると、
翡翠が析出して岩塊となっていく現場に居合わせるような気持ちになれた。
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ウィキに出ていない飯縄権現と高尾山の天狗の履歴書  09:54
辰砂結晶
<過ぎてゆく日々のこと> 
父親との確執、憧憬など父親コンプレックのある人には修験道が向いているようだ。
ここでの父親は権威主義的で体系と論理を好む。父親は子供にとっては偉大な存在だ。
家庭と近所と学校が中心の小さな世界の中央に父親は君臨している。
エディプス・コンプレックスみたいに極端でなくとも、
父系文化では父親は権威そのもので愛と敵意、同胞と宿敵の根源をなして、
多かれ少なかれ父親像が社会像のもとになっている。
父親をのりこえるのは容易でないし、父親像に組み敷かれたまま生涯を終えていく人も少なくない。
神秘主義フリークで、こちら側が重圧でしかなかった30歳少し前のころ、
あるときふいに自分は父親より強いことに気付いた。
すっきりと完璧に父親を飛び越した自分を見た。
それから世の中に対しても自分のほうが強いことに気付いて、生きていくことがずいぶんと楽になった。
世の流れに溺れまいとふんばっていたアナーキストが、世間虚仮と聖徳太子風に悟ったわけだから、
それがたとえ天狗のようであったとしてもたいした進歩だった。


<天狗の話> 
散歩にでた絵描きさんをつかまえて訊く。
「高尾山の神さまのことですけど」「飯綱権現のことかな」
「はい、それです。どういう神さまか教えてもらえたらと思って」。
彼はガードレールに尻をあずけて杖を両手で握って身体を安定させる。
話をまとめると以下のようになる。
高尾山に飯綱権現が祭られるようになったのは南北朝時代のことで、
名前の通り長野の飯縄山の飯縄権現を勧請してきた。
飯縄権現は民間のキツネ信仰に密教のダキニ天が習合したといわれている。
それでダキニ天は霊狐・野干に乗るようになった。
修験の行者たちにさかんに信仰されるようになって、飯縄権現も行者の姿で表わされるようになった。
天狗は飯縄権現の眷属で、高尾山には千とか2千の天狗がいるという。
南北朝時代は後醍醐天皇の密教好きを好例に列島中が密教に心酔した時代だ 
(立川流というヤバイのも流行った)。
飯縄山を道場にした修行者の間では管狐(クダギツネ)という霊獣を駆使する「飯綱法」編まれて、
飯縄修験道の名を広めるのに一役買ったという。
絵描きさんの話を聞きながらぼくはやばいことになったと思った。
深夜に奇怪な動物を見掛けたことがある。あれがクダギツネだったのだ。
(辰砂は大地の女神の血、ダキニの血でもある)


鶏血石
<天狗の話> 
ダキニ天にはインドで出会った。彼女は北インドの農民たちの地母神だった。
穀物の実りは植物の死によって成就する。ダキニは生みの女神、豊穣をもたらす神であり、
同時に生命を回収する神、ときに天然痘の女神だった。
ヒンドゥー教にとりこまれてカーリー大女神の侍女になり、密教に組み込まれて死の女神になった。
もとが下層民の女神だから、彼女は信者たちの願望を内容を問わずにかなえるとされている。
地位も神々のカーストの最下位におかれたままだ。
ダキニはユング心理学風にいうならアニマとなって、いまも男たちの心の奥のほうにいて、
恋人像の元型のような役割を果たしている。
男たちが恋をするとき彼は相手の女性に自分の内なるダキニを見る。
日本列島への密教の伝来は雑密(ぞうみつ)がさきといわれている。
経典にもとづく正規の密教ではなく、呪術優先で道教と混血した密教だ。
この流れのなかで山の女神とダキニが習合した。
山の神のお使いのキツネがダキニの乗り物になった。
タタラ製鉄の女神・金屋子神も彼女の分家だ。
家父長制に緊縛された修験の男たちには女を拝むなど論外だったので
ダキニは憤怒神の内に降りて彼らのアニマになった。
飯縄権現のうちで陰陽がひとつにむすびつく。
(辰砂・丹生がロウセキに混じったものが鶏血石) HP17-1 16-2 15


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天狗の仕事は神霊界のガードマン、大切な仕事だ  10:05
高尾山 (高尾山飯縄権現堂)

<子天狗の話> 
「玄太のおとうがおれを知っているといっても、おれはおとうをしらない」
「何度か会っているといってた」「どんなふうなんだい?」
「おとうは化けるのが上手だから、同じ姿をしているとはかぎらない。
自分が見せたいと思う姿を相手にみせることができるんだ」「どうやって?」
「おいらはまだその技を習っていない。人間はいつも自分の考えに囚われているから、そこをつつくんだ」
「難しいな、それって、人間のふりをして電車に乗ったり、おれの店に来ることもあるということか?」
「そうだよ」「じゃあいつもはどんなふうなんだい?」
「天狗だよ。絵に描いたみたいな」言って子天狗はクックッと笑った。
子供にからかわれているようだった。


<子天狗の話> 
「おとうは何をしているんだ? 仕事のことだけど」
「お山を守ってる。高尾のお山は権現さまが一門を構えていて、関東の火防(ひぶせ)をしているんだ。
ここを攻略すれば日本の全部を掌中に治められる。だらかそうさせないように防衛しなくちゃならない」
子天狗が急に大人口調で言う。
「悪い奴らがいるんだ?」「そのとおりだよ」
「それって怨霊のことか?」「怨霊だけじゃくて、怨霊をそそのかすもっと悪い者たちがいる。
そいつらが出てこないように、結界を守護するのがおとうたちの仕事なんだ」
「そうか、天狗っていばっているだけじゃないんだ」「違うよ」
「ありがたいことだ、感謝しなくちゃいけない。うん、ほんとうにそう思うよ」
霊界のダークサイドはのぞいたところでどうにかなるものではない。のぞかないのが一番いい。
そうじゃないとラブクラフトみたいに洞窟に入ったまま永遠にでてこれなくなってしまう。


イオツノミスマル (マイデザインのイオツノミスマル。巫女的能力のある人を守護する力は計り知れない)

<過ぎてゆく日々のこと> 
右を向いたり左を見たり、少し寝転がっているうちに、
一日が急行バスのような顔をしてさっさかと通り過ぎていく。
「三種神器と異形勾玉の謎と神秘と超自然力!」(謎と神秘以下はおまけだけれど)の記事に使えるよう、
倉庫に行って子天狗も驚くだろう勾玉&管玉ネックレスを作った。
小道具まで製作撮影するライターはあまりいない。
そんなこんなで夕食をおえると一日の幕引になってしまう。
頭の中では山の女神と修験道の関係について考えた。
山岳信仰は神通力や霊界通信など、パワーを求める信仰で、とっても父系的。
産みの女神よりもスーパーマッチョな憤怒神の支配&恩寵を好んだ。
それでもって、あの人たちは曼陀羅に見立てた山野をかけずりアスリートした。
そうやって子天狗のお話の背景がすこしづつ彩り豊かになっていく。


<過ぎてゆく日々のこと>(修験道と地上曼陀羅について) 
曼陀羅は厳密には仏の分布図。日本では本山の絵地図や仏の眷属紹介も曼陀羅とよんだりするが、
もとは仏教経典の解説図だった。密教の時代になると教主のもとに如来菩薩神々が参集して、
教主の説法を拝聴する。その様相を修行者はありありと想像しなくてはならず、参考図録を必要とした。
「天にあるがごとく地がある」論理で曼陀羅を地上に降ろすと、
峰の姿谷の声がそのままで如来菩薩の形と声になる。
普賢岳とか地蔵峠、不動滝、賽の河原などと名付けられた地上版曼陀羅を、
行者たちは双六のように駆け巡り、最終的な上がりである権現との一体化をめざした。
役行者が感得した金峯山の蔵王権現がスーパースターで、
戸隠の九頭竜権現や飯縄権現などが有名どころだ。
山岳地帯の権現はもとは山の神だと思っていたが、それだけではなくて
行者たちの霊能力によって招きよせられた如来の眷属のあれやこれやが習合して形をなしたようだ。
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日本翡翠本勾玉と丁字頭勾玉をHPに追加掲載しました  09:49
日本翡翠本勾玉
<日本翡翠新製品>
ホームページ「日本翡翠勾玉>38mm」に8点を新規掲載しました。
タイトルで日本翡翠本勾玉・11−18になります。旧来製品で黒色異種鉱物の混入が目立つ品を
5,500円のサービス価格にしてあります。現品限りの扱いです。
38mm本勾玉は勾玉のなかでは大サイズに属していて30mm以下のものと比べると
迫力満点のパワー効果を楽しめます。
三種神器の勾玉もこのように大きな勾玉だろうと想像しています。
日本翡翠の歴史や勾玉についてのより詳しい情報は当社HP「日本翡翠情報センター」をご覧ください。


丁字頭勾玉
<日本翡翠新製品>
ホームページ「日本翡翠勾玉>丁字頭・ギョロメ」に、38mm日本翡翠丁字頭勾玉・4−7の4点と、
30mm日本翡翠丁字頭勾玉・4−8の5点を新規に掲載しました。
丁字頭勾玉はスパイスの丁字(クローブ)に似ているので名付けられたとされています。
一説にはイレズミを表現していて、勾玉のパワーアップをはかった形といわれています。
弥生・古墳時代を代表する勾玉の一種で、類似の形のものが列島各地の古墳などから出土します。
イルカが笑っているように見える勾玉で、眺めているとおなかのおくほうがくすぐったくなるように
感じます。パワーアニマルへの信仰から獣の頭を模したものであろうと想像しています。
丁字頭勾玉はきめがこまかく、滑らかで美しい石肌をしています。


日本ヒスイの本
<日本翡翠新製品> 
日本翡翠情報センターHPの「CONTENTS」下の「『日本ヒスイの本』新発売」の写真を更新しました。
手持ちの写真を差し替えただけだから、わざわざ報告するまでもないことですが。
なるべくなら近いうちに「翡翠と玉」の章を制作するつもりでいます。
当然のことながら世界にはいろいろな文化と価値観があって、
日本では古びた茶碗1個に数千万円の値段がつくように、
インドではぼだい樹の実のシワ1本のものを血眼に探している人がいるし、
アメリカ南西部では先住民のアンティークがとんでもなく高価であるように、
中華系の人たちの玉(ぎょく)狂いたるや相当のもので、
玉専門のオークション・カタログが何冊も発行されています。
そんなところを紹介できるといいと思っています。
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ヒューッと風がふいて天狗の子がやってくる  11:26
神社
<子天狗の話> 
天狗の子にコンシャアゲートをあげることにした。メノウの璧 (へき、ドーナツ)のお返しだ。
これもまた年輪模様のメノウであるし、雷さんのヘソのような形状がおもしろおかしい。
「こういうの見たことある」「なにこれ?」「コンシャゲートというんだ。
貝殻みたいなメノウという意味だよ」「このキラキラしたのは?」 
「こまかい水晶のつぶつぶだ。煎餅にかけたザラメ砂糖のようだね。ドゥルージークォーツってよんでる」
「おじさん詳しいね」「商売だからね」
少年のこぶしをひとまわり小さくした大きさ。黄土色とくすんだ茶色でゆがんだ年輪が描かれている。
彼はそれをひっくりかえして裏側をみる。「おう、なに、このぐにゃぐにゃした模様?」
「怪獣のヘソみたいだろ」「怪獣ってヘソはないよ」
「そうか、爬虫類なんだな。よかったらあげるよ、ドーナツのお返しだ」
「やったね」少年はランドセルのふたを開けてしまいこむ。そうやって席をたつ。


<子天狗の話>  
子天狗玄太との出会いが記憶にない。親戚の子供であるかのようにして彼はやってきた。
いろいろ考えて思い当たる節をさがした。
「この奥に神社があるだろ。参拝したときおれを見ていたの玄太だったのか?」
誰かに見られている気がして背中がくつろがないことがあった。
「そうだよ。ムササビを見にいったらオジサンがいた。境内のまんなかに立って神社を見ていた。
ずーっと立っていたのでどこが具合が悪いのかと思った。でも身体は光っていて元気そうだった」
「人が病気かそうじゃないか見ればわかるの?」「病気の人は光が小さい」
「ふーん、不思議だね、それにあの神社にムアサビがいるの?」
「ムササビがどうやって昼の間過ごしているのか見てこい、という宿題があったんだ。
おとうに話したら、その大人を知っているといって、その人のところへなら遊びにいってもいいって」
「おれのことか?」「人間のことを知るには人間と付き合うのが一番いいって」「へえ」
「ああ、おとうがね、子供に見えるからといって、必ずしもおいらが子供であるわけではないと、
いっておくようにいってた」


<子天狗の話> 
雲の影が新緑の山肌をはっていく。ヒューッと風がふいて山道の反対側の竹林がざわめく。
林業が利益を生まなくなったので山林の地主は林の手入れをしない。
竹がはえるようになったらもうおわりだ。
もういちど前回より強めの風がふいた。やっぱりと思う。
ランドセルを背負ったゲンタが橋の中程を走ってくる。
この橋には月見橋というしゃれた名前がついている。
「寺子屋でなにを勉強してきたの?」「きょうか?」「うん」「忍び寄り」「えっ」
「忍び寄りって相手に近付く術なんだ。向き合うんじゃくて近付くんだよ。そうお師匠がいった」
「お師匠?」「じいさん天狗のことだ。お師匠といわないとしかられる」「ふーん」
「自分を小さくして相手にちかづく。そうすると相手のことがわかる。
みんながいっしょに生きているんだよ。自分はタヌキだったり蛇や虫たったり、杉の木だったりする。
そういうことがわかるようになる術だ」「なんだかすごいね」
「息を小さく小さくして相手にちかづく」「うん」
「子天狗たちよこれが天狗の極意だ」少年はお師匠の真似をして右手で天狗の鼻を演じてみせた。
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