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精神世界的生き方をすると至福にであえる   11:23
日本翡翠(糸魚川ヒスイ)

<スピリチュアルなことども・1> 
精神世界的生き方というか、スピリチュアルなことどもというのは、何を意味するのか、
難しい質問設定だ。
たとえば自我は身体に捕縛されている。この自分を離れるなどとんでもないことだ、
そんなことをすれば自分が自分でなくなってしまう、と私たちは教えられて育つ。
これに反してスピリチュアルな生き方では自我は身体を越えていく。
身体を離れたところへと自我を拡張していくと、周囲の草木、峰の姿、川の流れ、
風の気配などとひとつになってそれらと調和している自分を見ることができる。
石たちと自分とのつながりを見れるようになる。
呼吸法や瞑想、風景の特殊な観察法は、こうした感性を助長する。
ここでは石のパワーを感じたり、チャクラを実感することは重要ではない。
自分を浄化したり癒したり、あるいは願望成就の実利を得たり、
幸福・幸運の追及が精神世界の金科玉条ではない。
こうした目先の欲望は、大河の水をバケツに汲んで自分の家庭菜園に水やりするようなもので、
もちろんそこにも価値はあるが、そういうことよりはるかに豊かな
味わいが精神世界的生き方にはある。


<スピリチュアルなことども・2> 
木や草や石や風と調和していると感じられる感性を、
トビが天空から舞い降りるように降りていくと、おおきなものが待っていることに気付ける。
大きな意識、地球意識とか宇宙意識とよぶとぴったりくる、形のない存在。
それを人格化して神や仏とよんでもいいのだが、名付けると特定の宗教にしばられることになる。
名付けようがなく形容しようがない、日常的概念を否定することでしか表現できない、
というようなことがウパニシャッドにあったようにおもう。
その大きなものが私たちの存在、この世にあるありとあらゆるものを支えていると実感できるなら、
精神宇宙の全部が巨大な羊水のカプセルとなって、
私たちはそこに浮く勾玉、スターチャイルに変じる。
古代の感性では鳥や獣や虫たちのそれぞれの美しさや不可思議な容態は
みんな向こう側の大きな意識と結びついていた。
季節の変化や朝な夕なに変わる風の味わいもまたしかり。
彼らは想像とか概念としてそう考えていたわけではなく、それらを実感としてとらえていた。
向こう側の力は母親のぬくもりや父親のたくましさなど、幼児のころの記憶と似た味わいがあった。
石はおおきな存在へと向かう扉になる。


<スピリチュアルなことども・3> 
意識は進化するのかという問いがある。脳のニューロンネットはDNAに印字されるのだろうか。
進化論の登場は宗教家や神秘主義者たちを激しくゆさぶることになった。
人類という身体や機能が進化のたまものであるなら、
次の段階として意識も進化するだろうと彼らは考えた。
人類の未来は自我の強欲さから解かれて精神世界的なものになるだろう。
ヒンドゥーや仏教的な神・仏、道教的な神仙への階梯、シャーマンの霊的飛翔は、
意識の進化をあらわしているようにみえた。
精神世界的な生き方は、信仰ひとすじの道ではなく、
現状を幼虫にたとえて、羽化登仙、仙人が霊的な身体へと脱皮するように
精神の飛躍を目指すようになった。
求道者が修行によって実現できる精神の変容を、
未来の人類は修行なして自明の原理として暮らしていくようになる。
それは火星をテラホームして人類の植民地とするほど大きくてポジティブな夢だった。
意識の拡大とか、精神世界的な生き方とはどういうことかをあらためて考える。
それらは当然のことながら世俗の生き方の見本のような政治家たちの感性とは対極にある。 
(写真の原石から制作した勾玉類を近日中に発売予定)
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息を吸って吐くだけの呼吸法の大きな楽しみ・5 10:56
圧砕翡翠

<呼吸法遊び・11> 
呼気と吸気を意識化する呼吸法は、夜中に目覚めたときに都合がいい。
眠ろうとする努力を捨てるのは心の健康にいい。
身体を弛緩させ、未明の 「気」に気持ちをゆだねる。睡眠よりもたくさん心身が休まる気がする。
老人向けの呼吸法なんだろう。世の中みんなが呼吸法を学ぶなら、
医療費は大幅に削減されるにちがいないが、こちら側の世界におぼれている人たちには、
そういうことは思いもつかない。
心の奥へ降りていくことをいけないことのように思いなしている人たちもいて、
彼らはここで書いていることと違う世界にいる。
雑念に思いがとらわれるのに気付いては戻るということをくり返していると、
意識が日常性とは比べものにならないほど精妙な状態に移行するときがやってくる。
チベットの山奥の洞窟にひとりくつろいでいる。そういう感じがする。
あるいは雑念が消えて脳裏に何もない「無」の空間がひろがるのを見る場合もある。
「やったぜ!」と思いながらそれを見る。
呼吸法も瞑想も気負いを捨てることで気楽にやれるようになる。
気負いを捨てるというのはとてもだいじなことだ。
(写真は圧砕翡翠。ここに同調・共振するとあるのは賛嘆・降参・献愛)


<呼吸法遊び・番外> 
サーンキヤの話あたり以降の呼吸法や瞑想関連の記事では、
初心者でもわかるようノウハウを展開するという単行本向きの書き方をやめている。
たとえば登山関連の特集があるとする。
装備の整え方とか疲れにくい歩き方、アウトドア・クッキングのレシピとか、
よむ側だって年中同じような記事では飽きてしまう。
山を征服するという妄想を抱かない、
自然と交合するような登山の在り方をここでは紹介したいと念じている。
心の内側へ降りてゆく。ほんとうは胸の内側や脳裏には物理的空間はないのだが、
感覚的には広大な精神世界が開けていて、意識の飛翔が可能となる。
こういうことは百冊本を読んで、山ほどの知識を蓄えても体験が伴わなければなんの価値もない。
日本翡翠原石を窓辺に置いて、「ああ、そういうことか」と思ってくれるなら、
書くことのはりあいがある。一歩先へと進んでいける人もいるだろう。
そこにはこちら側だけに執着していては知ることのできない精妙な楽しみが待っている。
もうひとつのリアリティに触れられてほんとうによかったと思えることだろうし、
意識の進化を自分の身体で体験できる。

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息を吸って吐くだけの呼吸法の大きな楽しみ・4 09:51
ドリームキャッチャー
<呼吸法遊び・8> 
ドリームキャッチャーはアメリカ・インディアンの神話、
蜘蛛の女神・スパイダーウーマンの護符。
呪詛や嫉妬・害意が家のなかに侵入できないようにしてくれる。
「息を吸って吐く」気付きの呼吸法では、呪詛・嫉妬・害意に似て、自分を不安にさせたり、
苦しめている元凶を捕らえられる。気付きのドリームキャッチャーといえなくもない。
あお向きに寝て全身の緊張をとり、息を整える。風船の空気が抜けてゆくようにゆっくりと息を吐く。
頭のなかでは妄想・雑念がはじまる。
ときには深山の湖のような美しい景色が見えることもあるが、
多くはいま現在気掛かりな事件・ことがらに関連している。
たとえば自分への陰口・非難・妬み、なにごとにつけ自分とはりあう知人、
思うように進んでいかない商談、など。それを見ることがだいじだ。たとえ見たくない、
避けていたい人物や出来事であっても、あえてそれを観察する。
なるべくなら他人事のつもりで観察する。
ここから現状をそれまでとは異なる視点でみる方法が展開していく。 
(写真のドリームキャッチャーはマイデザイン。
カーネリアン・ドーナツ&未加工のヒマラヤ水晶ポイント使用)


<呼吸法遊び・9> 
数息観など一般的な瞑想法では雑念は通常は押し流して気にとめないようにする。
このところ話題にしている「息を吸って吐く」気付きの呼吸法で、
あえて雑念に注意をむけるとそれまでにない局面がひらけてくる。
雑念に引きづられて呼吸の意識化を忘れてしまう。われにかえって再度意識化に戻る。
雑念はふだんの脳の働きなのだと気付くと、
脳は蛇口のこわれた水道のようにおしゃべりをつつけて止むことがないということが理解できる。
電車のなかの中年女性どうしの会話の垂れながしのようである。
こうやって思い込みは強化され、形を整えて、それこそが真実のような顔をするようになる。
目下の悩みの種となっていることがら、たとえばママトモや会社の同僚、
近所の住人との確執・軋轢もこのようにして形成さる。
そうであるので雑念を分析するなら、悩みごとに押しひしがれなくてすむ。


<呼吸法遊び・10> 
雑念に注意を向ける。雑念はみられたことを恥じるように逃げていきやすい。
そこをあえて吟味するよう努める。それらをいくらか他人事のように眺めることができるなら、
悩みに縛られ囚われっぱなしにならなくてすむようになる。
悩みごとの解決法もみえてくるだろう。
悩みごとが対人関係にある場合、相手を攻略し調伏する方法も見つかる。
たとえば上司Aを想像する、彼は学歴や能力の高さをひけらかし、
部下の意見に耳をかさず、オレに付いてこれないなら落伍しろといわんばかりの態度をとる。
しかし彼の生活全般に目をむけるなら、強度の父親コンプレックスで、家庭は崩壊寸前かもしれないし、
彼の性生活たるやハエに劣るかもしれない。
哀れむ点がおおければ、相手のイメージも変わっていく。
これまでのように彼の前で萎縮せずに済むようになる。
彼を敵と見なして攻略する方法も見つかるだろう。
雑念に注意を向けて自己イメージの補正を考える。
自己評価が低すぎたり、ねじれがある場合、
それらを補正すると世の中が親身になってくれるようになる。
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息を吸って吐くだけの呼吸法の大きな楽しみ・3 日本産圧砕翡翠原石の写真 19:05
圧砕翡翠
<呼吸法遊び・6> 
死の概念は宗教的感性の影響下にある。
現代の日本のように科学信仰が宗教にまさる社会では死は不治の病、
逃れようのない自己喪失と考えられている。
そうではない。籠からだされた白い鳩が大空に放たれるに似た魂の解放であるとイメージするなら、
死の意味はだいぶ変わってくる。
世の常識、世間的な考え方は、それが根付くとたちまち不変の真理のごとくにみえてくる。
だから常識を疑い、常識を破るには多大なエネルギーが必要になる。
周囲の干渉のないところに自分を置かなくてはならないし、
思考することの孤独を受け入れなくてはならない。
そうやって死について瞑想するなら、
老いて他界していくことはそれほど悪いことではないと思えてくる。
夜明けの空気へと同化していく静けさのなかで、自分が地球の一部であることを味わう。
「生きている」ということは膨大な死の小さな局面にすぎないのかもしれない。


<呼吸法遊び・7> 
息は吸って吐く。それだけのことなのに、吸って吐くを意識化しようとすると、
すぐに妄想の罠におちてしまって、息を観察することを忘れてしまう。
息を意識化することで雑念を押さえることができるなら明澄な境地に達するだろうと想像しても、
それはとても難しい。
雑念の自分と息を数え、気が腹や腕へと流れていくのを見るふたりの自分がいるかのようだ。
脳の活動にはたくさんのエネルギーを必要とする。
脳はなるべく低燃費で稼働するよう進化してきた。
緊張しっぱなしではコストもかさむし疲れてしまう。
だから常日頃はアイドリングさせておいて、瞬時に臨戦態勢に入れるよう脳を遊ばせておく、
こうやって日常的な雑念状態がかもしだされているんだと思う。
雑念によって思い込みが強化されてゆくようなので、
雑念を観察すると真実と思っていることが、
実は自分の想像または思い込みであることに気付けたりする。
「気付き」によって気持ちが軽くなることが多々ある。
(お気に入りの原石に自分を預けることを学ぶ。
そうすると神秘的ことがらについて多くのことがわかってくる。
写真は約4200g, 180mmの日本翡翠原石)

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フェイスブックのまとめ・過ぎてゆく日々のこと  22:08
山の家
★11/02<過ぎてゆく日々のこと> 
1ヶ月ほど前だったと思う、
小川の水門を越えて水があふれ流れてゆくビジョンを見たと、フェイスブックに書いた。
当時はショップの棚の処分に困っていた。
8本ある高さ180センチサイズの木製の棚を解体処分するには時間も費用もたくさんかかる。
とくに自作の棚3本は愛着もあって壊すには名残惜しい。
シンクロニシティが起きたのか、ビジョンを見た翌日に、
それら全部を引き取りたいという人が現れて、この問題は一挙に解決した。
相手はなんとか大学の某研究所の先生で、
彼自身大学から研究所へ資料を移転するのに、とても大変だったという。
「とくに残りの1割がね、ノイローゼになるほど大変でした」とのことだった。
博物館のようなところでは展示品の何倍もの収蔵品がある。
うちの店も似たようなもので、片付けても片付けても、
意外なところから鉱物標本や日本翡翠原石がでてくる。
9割方片付いたあたりでは気力も体力も衰えて、SFやミステリーを読んで心の支えとした。
そんなこんなで移転準備はおおむね終了して、あと数日でみくまり(水分嶺)にでる。
(もう少しすると山の倉庫近辺はこんなふうになる)


★11/05<過ぎてゆく日々のこと> 
骨休めという。きょうは家で休養することにして店に片付けにいかない。
そうか骨休めなんだと思う。
旅人は身体を気遣う。自分の身体が過剰に疲れてしまわないように、
ストレスに病まないように、メンテナンスに気を配る。
身体が壊れてしまったら旅することも壊れてしまう。
今回の引越し騒動で腰が凝るようになって、骨の休養が必要なんだと知ることになった。
骨休めしてアボリジニの画集などをちょい開きしてみる。アボリニジに限らず、
メキシコのウイチョール族の毛糸を貼りつけて描く絵画や、バリ島の絵画、インドのミティラの宗教画。
どれもがアートとスーベニールの境界を見定めにくい。
寝起きの半ぼけの状態、泥酔や性の恍惚、瞑想に伴う静寂、大きな意識への合一など、
意識には様々なスペクトルがある。日常的意識を離れた状態を変性意識とよんでいるが、
プリミティブアートは変性意識下の表出であることに興味の焦点がある。
これらの絵画と触れ合うことで、私たちは自分の内なる古代と出会える。
日本翡翠など天然石との出会いも同じことだ。つまり心も骨休めしたがっている。


★11/07<過ぎてゆく日々のこと> 
きょう店のカギを不動産やにかえした。
旅先の町に1週間ほど暮らして、身体になじんだホテルをあとにするのに似ていた。
箱詰めして山と積んだ荷物を前に、山の倉庫と新たに借りた倉庫代わりのアパートに、
それぞれ2トン車一回で運びきれるかどうか不安だった。
運送会社が要員を一人と車一台をおまけに付けてくれて悩みは解決した。
最後に残った不用品も軽トラック一台で運びきれるかどうか不安だった。
回収業者が、もうひとまわり大きな車でくるから心配ない、といってくれてこの悩みも解決した。
早朝にホテルをチェックアウトする。タクシーかリキシャで鉄道駅に着くと、
乗車予定の列車はすでにホームに入っている。そんなふうに引越しがおわった。
そうやって道はつづいていくんだからあしたは新しい町にいるんだろう。


★11/10<過ぎてゆく日々のこと> 
一昨日につづくきのう、そしてきょうは新しい町にいるわけではなく、
現実的には山の倉庫に行って運びこんだ荷物の片付けをした。
原石類を詰めた20数キロのボール箱をもって右往左往するのは引越し準備と変わらない。
不要になった椅子3脚を丸鋸と金槌で解体して燃やした。
デッキチェアに身体を休めて焚き火を眺めていると、
人気のない山里の静けさに100年昔に戻った気分になる。
薄汚れた墨染めの衣に鉢の子をかかえた良寛が橋を渡ってやって来そうだった。
| つれづれなるままに | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
自己イメージの「私」を点検して新境地を開く・2 17:55
日本翡翠原石(糸魚川翡翠)
<自己イメージの私・4> 
たいがいの人は気掛かりなことをたくさん持って暮らしている。
ブッダの弟子たちの告白のように、心配ごとが一切なく、
心は安定して揺らぐことがない、そういう日々を送っている人は少ない。
会社へ行って、家庭をもって、社会生活を営みながら古代の出家者のように暮らすのは不可能に近い。
いやでも心配・不安・不満・苦悩・嫌悪といった要素が生活に入り込んでくる。
これらの思いには強いリアリティがあってそれにとらわれると気分は鬱鬱としてしまう。
言葉の使い方しだいで同じことがらであってもイメージの方向性を変えられるということに気付くと、
それまで固定されたままだったネガティブ要素を異なる視点から見られる道がみえてくる。
翡翠や水晶を愛でる気持ちと呼吸法がそういうことを教えてくれる。


<自己イメージの私・5> 
ネガティブ思考の強い人は内省することが多い。
自分のように根暗な生き方は間違っていると思いがちだ。
まわりを見れば、外向的でポジティブな考え方をよしとする風潮が真夏の太陽のごとくに輝いている。
自分なりの世界の感じ方や対処の仕方は、その人その人の自己イメージによって
脚色されていることを考えるならば、
ポジティブ思考もまた絶対的に正しいわけではないことがわかってくる。
大量にモノが生産され流通し消費され、情報が洪水となって押しよせる社会では、
政府とメディアと企業が一体となって、生産性の高効率化を重要視し、
それにあう人材教育に力を入れる。
つまり外向的で従順で正直な「いい子」こそ立派な社会人ということになる。
ここでは立ち止まって思考し周囲を批判する内向的な性格は嫌われる。
それでもやっぱり従順な羊にはなりたくないというのは、まっとうな考えと思っている。
(翡翠原石との出会いをきっかけに自分の内側への旅をはじめる。広大な精神宇宙を見つけられる。
日本翡翠青系原石、6.3kg, 180mm。)
| クリスタル・ヒーリング | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
自己イメージの「私」を点検して新境地を開く 10:41
ギョロメ勾玉
<自己イメージの私・1> 
約束の時間・納期に間に合いそうもないとか、対人関係がこじれてしまった、
など状況が切迫してくるとわれを忘れやすい。
切迫した状況下でこそ「気付き」が大事とメモ書きしていて気付いた。
「気付き」は現時点での自分を少し離れたところから見ることではじまる。
吐く息と吸う息を意識化する呼吸法を練習すると、
「吸う」「吐く」と息を意識するも束の間、脳の身勝手な夢想に流されて、
息を注視することを忘れてしまう。
われにかえって「吸う」「吐く」の意識化をつづけると、
常日頃の自分は目覚めているように見えながらも、その実、脳の夢想のうちにあることに気付ける。
なにごとにせよ困った状況にあるとき、辛い思いに呑まれてしまわないで、
いくらか離れたところから困難さを他人ごとのように眺めることができるなら、
「気付き」によってそれまでとは異なる対処法がうまれる。


<自己イメージの私・2> 
ちょっとした言葉使いの違いなのに、ネガティブな表現をやめると気分も違ってくる。
人は意識しないままたくさんの思い込みに自分で自分を縛っている。
こうしなくちゃいけない、こうでなくちゃいけないみたいな。
気付くことでそれを解放すると、有象無象の浮遊霊やら地縛霊が去って、
ガンダルバやアプサラスが舞うような気分になる。たとえば2、3日前のフェイスブックに
「連日の引越し支度、荷造りしなくてはならない量の多さにめげてしまう」と書いてみた。
気持ちはネガティブさへと傾いて自己憐憫が顔をだす。
そこで「いかにたくさん箱詰めしても詰め残しがでてあきれてしまう」と書きなおすと、
ネガティブさに陥らず、かといって一昔前の青春映画風ガンバリズムでもなく、
ちょっとだけ自分を離れた地点から自分を見るという視座が得られた。
ネガティブ・スパイラルに傾きがちな自己評価を絶つことができて万々歳した。


<自己イメージの私・3> 
根が暗い、内向的で周囲になじみにくい。ものごとをつい否定的に受け止めてしまう。
自己評価も否定的になりやすい、あるいは自己評価が低い。
落ち込みやすく、落ち込んでしまうと抜け出しにくい。
内向的でネガティブな傾向がつよく、ネガティブ・スパイラルにとらわれやすい。
こういう私を変えるにはどういう天然石を選べばいいんだろう? という女性客が幾人かいた。
水晶や翡翠、その他の天然石との出会いをきっかけに自分を成長・変容させていこうとするところに
パワーストーンを生かす、道が開けてくる。
世の中は外向的で明るくふるまう人を好むので根暗な人は損をしている。
世の中から否定されてるような気持ちになりやすい。
外向的であるのも内向的であるのも、自己イメージなのだと気付けば、
無理して明るくふるまう必要もなく、根本的な対処法がみつかるのではあるまいか。
(ギョロメが気になる。目が向う側への通路であるような)5月006d

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