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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・5 10:00
ヒスイ五輪塔
<日本翡翠の基礎知識>シリーズはブログでは1月6日以降中断したままになっています。
ブレスレットや石笛など翡翠製品の解説を加えて、「別冊付録・日本翡翠早わかり」として、
「日本翡翠情報センターHP」に組み込むよう計画を進めています。
以下はそのなかからブレスレット、石笛、五輪塔の抜き書きです。
日本翡翠は日本を代表する「国の石」になりました。
けれどそれがどういう石で、どのような歴史があるのか、ほとんど知られていません。
日本翡翠の全貌を短時間でわかるようまとめたのが「別冊付録・日本翡翠早わかり」です。
翡翠ファンであっても「ああ、そうなのか」と合点がいく記事を目にできると思います。


<日本翡翠の基礎知識・14>(翡翠ブレスレット) 
日本神話に勾玉つきのネックレスやブレスレットが登場する。
遺跡から出土する勾玉つきのネックレスやブレスレットは管玉ビーズで全体をつないだものが多い。
管玉には竹や葦を模して辟邪(へきじゃ・魔除け)の力がやどる呪具と見る思いがこめられていたようだ。
拙著『日本ヒスイの本』p182(北出幸男、青弓社、2016)で紹介したように、
管玉は竹玉として奈良時代にも残ったことが万葉集から伺える。
仏教の念珠に丸玉が用いられたことから丸玉ビーズのブレスレットは縁を結ぶ縁起物、
願いをかなえるパワーグッズになった。
日本翡翠は和のパワーストーン。
他者との縁を結ぶことで、対人関係が豊かになり、願いごともかなっていく。


<日本翡翠の基礎知識・15>(翡翠石笛) 
翡翠石笛は当社製品と類似のものが縄文時代の遺跡から出土します。
現代でも神道のいくつかの流派では儀式に石笛を用いています。
そのようなことから翡翠石笛は縄文の音色とされています。
石笛の音色はけがれを祓い、災いを追いやり、不浄なことどもを清めます。
これらが整ってはじめて幸運を招きよせることができるので、
石笛は幸運を招くパワー・オブジェクトとされてきました。
翡翠石笛は持っているだけでも「魔」を退け、よこしまなことどもを浄化すると聞いています。
石笛は、穴のほとんどを下唇でふさいで、残った隙間に細く長く息を吹きこむことで
高音で澄んだ音色をだせます。上達すれば雅楽のように吹奏できます。



<日本翡翠の基礎知識・16>(翡翠五輪塔) 
仏教では物質世界は「地水火風空」5つの元素(パワー要素)から成っていると考えていて、
5元素それぞれの象徴図形を下から上に積みあげた形が五輪塔です。
宇宙の主宰者である大日如来の身体としてとうとばれています。
寺院や墓地に五輪塔を飾るのは、霊も生きている人間もひとしく大日如来のもとへ、
つまりは宇宙の根源へと戻っていけるよう願ってのことです。
五輪塔はパワーバランスが整った状態を表わす神聖図形であり、
よこしまなものや不浄なもののつけいる隙をあたえません。
仏壇に安置すればこのうえない先祖供養になります。
居間や自室に飾れば、悪い因縁を浄化して良縁が開くよう働きかけてくれます。
対人関係の悩みもおのずと解消できてゆくと思います。
(追加)五輪塔は理念のうえで大日如来の身体を表現しています。
「究極の実在は中心が無数にある完璧な球である」という神秘思想のもとに、
五輪塔のあるところに大日如来は降臨して、
そこが宇宙の中心になると考えてきました。
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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・4  22:20
ギョロメ
<日本翡翠の基礎知識・11>(勾玉) 
中国から神という概念がもたらされるまで日本には道教・仏教的でいうような神がいなかった。
私たちを守ってくれるのは祖霊であり、木々や岩の霊だった。
胎児に魂が宿ってヒト(ヒ・霊がとどまる)となるように、
胎児の形に祖霊が宿って人を守護するよう願って勾玉は作られたと想像している。
勾玉は霊が宿る形だ。胎児成長は生命進化の縮図となっていて、形状は魚に似ている。
だから勾玉の各部分は魚に模して呼ばれる。
頭があって背と腹があり尾がある。紐を通す孔(穴)を眼といい、
頭から腹につながる口の部分を顎という。
お守り・魔除けとしての勾玉は眼で敵をにらみ、顎で威嚇して、尾で敵を打つ。
顎がしっかりしていて、尾は太くたくましいものが力強い。
勾玉はごくわずかのカットの違いで千変万化の表情をみせる、ちょっとの違いなのに、と感心してしまう。

タテガミ
<日本翡翠の基礎知識・12>(異形勾玉) 
古墳から出土する副葬品や、古くからの神社、旧家に伝わる収蔵品によって、
私たちは古代の勾玉の形状を知ることができる。
そこには伝統的なC字やコの字型の勾玉にまじって
異形勾玉とよばれる形状が異質ないくつかの勾玉がある。
―歎晋玉、
丁字頭(ちょうじかしら)勾玉、
サルダマ、などがよく知られている。
せ匯ち勾玉は祭祀の供物として滑石などで作られ、七夕の笹飾り同様に使用されたらしく、
宝飾品として作られたものはないようだ。
当社製品で人気の高いゥ織謄ミ勾玉の出土数は少ない。
通常の勾玉より数倍のパワー効果があると評判の
ζ本翡翠飛龍は当社のオリジナル製品、遺跡から出土しない。

獣型勾玉
<日本翡翠の基礎知識・13>(獣型勾玉) 
獣型をした勾玉似の翡翠製品が古墳時代の遺跡から出土していて獣型勾玉とよばれている。
大昔から犬は番犬・猟犬・愛犬として人類とともにすごしてきた。
彼らが飼い主を助けてきたのと同じように、獣型勾玉は危機・災難を事前に察知し、
よこしまなものから身を守り、幸運や財運に恵まれるためのお守りの役目をしたと想像できる。
幸運を運んでくる精霊ブリンギング・アニマルの日本式バージョンが獣型勾玉というのは、
とても楽しい話と思っている。

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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・3 20:59
日本翡翠大珠
翡翠古代型勾玉

<日本翡翠の基礎知識・8>(大珠・人類最初の翡翠製品) 
日本列島に暮らす私たちは、世界で一番最初に翡翠を愛用した文化を継承している。
いまから5千年ほど前、縄文時代の中期、私たちのご先祖は翡翠の霊性に目覚めた、
翡翠に宿る神秘的パワーを 「これはとても凄いものだ!」と思った。
私たちと同じように彼らはヒスイ海岸で原石を採集してきた。
それを分割・研磨・孔開けして、長さは5から15cmほど、平らで細長い楕円形の聖具・呪具を作った。
縄文遺跡から発掘されたそれを私たちは「大珠(タイシュ)」とよんでいる。
糸魚川地方産出の日本翡翠原石から作った大珠は北海道・東北、関東、九州の縄文文化圏に運ばれた。
この文化はそれから2500年間ほどつづいて、縄文時代の終焉とともに姿を消していく。
それがどう呼ばれていたのか、どう使われていたのか、詳しいことはなにもわかっていない。
縄文時代のご先祖にとって、私たちが大粒ダイアモンドを賛嘆するのと同じように、
大珠はそれがそこにあるだけで、とほうもなく凄いものであったことだろう。


<日本翡翠の基礎知識・9>(勾玉) 
勾玉は原形が縄文時代に作られた。
縄文の勾玉は作り手たちが何をそこに見ていたのか判別しにくいものが多い。
勾玉といえばみんなが思い浮かべるあの形、定型勾玉が登場するのは弥生時代からで、
最初は翡翠で作られ、水晶・琥珀・瑪瑙(メノウ)・碧玉(ジャスパー)製品がつづいた。
勾玉の多くは管玉といっしょに結ばれて、ネックレスやブレスレットなどの装飾品になった。
日本神話には弟神・スサノウの来訪を襲撃と勘違いしたアマテラスが、
髪や胸元、手首をたくさんの勾玉で飾って対面する場面がある。
勾玉はパワーの宿りで、
マテラス所有の勾玉には女性司祭として彼女がまつる神々のパワーが凝集されていた。
弥生時代の列島の記事がのる 『三国志・魏誌倭人伝』には、
卑弥呼の後継者・壱与が青大勾玉(緑色の大勾玉)2枚と真珠5千孔を朝貢したとの記事がある。


<日本翡翠の基礎知識・10>(勾玉) 
紀元3世紀に奈良県・三輪山の山麓に箸墓古墳とよばれることになる巨大高塚式墳墓が
建造されて古墳時代がはじまる。古墳時代にはたくさんのC字型勾玉が作られた。
翡翠勾玉の多くは交易品として朝鮮半島に運ばれた。勾玉は豪族たちの墓に副葬された。
身分の高低なく愛用されていたようでもある。
継体天皇というそれまでの王朝の系譜とはやや異質な大王の時代に宗教的な変革があったとされている。
それにともなって勾玉の流行にかげりが生じ、やがて仏教が伝来し、
服装革命があったこともあって、勾玉は忘れられていく。
勾玉が再度注目されるようになったのは江戸時代のおわり、国学がさかんになってからで、
翡翠勾玉の再制作は、日本翡翠の原産地が再発見され、
1955年に産地の一区画が国の天然記念物の指定をうけて以降のことになる。
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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・2  10:25
圧砕翡翠

<日本翡翠の基礎知識・4>(翡翠の誕生) 
翡翠は5億年ほど前に南洋の陸塊のプレート境界、地下数十キロのところで誕生したといわれている。
大陸移動に付随してユーラシア大陸の東端に位置するようになり、
日本列島が分離したことで現在の糸魚川地方で産出するようになった。
5億年という長さのうちには、プレート境界での付加体の生成、パンゲア超大陸の出現と分離、
マントル物質の変成による蛇紋岩の誕生、日本列島の形成など、たくさんの物語がある。
5億年前には陸上に棲息する動物はいなかった。
地下深くでできた翡翠原石が蛇紋岩に包まれて浮上してくる途中で、
圧力のひずみなどで砕かれることがある。
破損したすきまを濃緑色や濃紺色の角閃石が埋めると圧砕翡翠が誕生する。
地下深くでの石たちの営みは人間の想像力を超えていて、
圧砕翡翠を眺めているととほうもなく大きな世界へと意識が運ばれていく。


<日本翡翠の基礎知識・5>(翡翠の透明度) 
翡翠には透明度の高いものとあまり光を通さないものとがある。
原石を構成する鉱物粒子の大きさの違いで、粒子が粗いと石の中へ入ってくる光線が拡散されてしまい、
透過性が低くなる。粒子が小さければ光線はより内部へと入っていきやすく透明度がたかくなる。
翡翠の場合はひとつの原石でも場所によって透明度が異なる。
一概には断言できないが透明度が高いもののほうが金銭的価値も高い。
国産ではミャンマー産アイスジェードのような透明度高くガラスに近い感触のものはみかけたことがない。
翡翠にはたくさんの色合い、質感の異なるさまざまな状態のものがある。
濃緑色や黒色が入り乱れたものは透明度がなくても貴重で、
パワーが四方へと放散するダイナミックな味わいがある。


<日本翡翠の基礎知識・6>(翡翠の分子構造) 
鉱物学的にはヒスイ輝石はナトリウム+アルミニウム+ケイ酸の分子で、
アルバイト(曹長石)が変成されて誕生するといわれている。
この分子構造を一軒の家と仮想すると、ナトリウムの部屋にカルシウムが入り、
アルミニウムの部屋にマグネシウムや鉄が入り、
分子構造が(ナトリウム・カルシウム)+(アルミニウム・マグネシウム・鉄)
となったものがオンファサイト、アルミニウムがクロムに置換され、
ナトリウム+クロム+ケイ酸に変わるとコスモクロアが誕生する。
青色翡翠はヒスイ輝石+オンファサイト+チタンという構造、
ラベンダージェードではアルミニウムの部屋にチタンが混入し、
ナトリウム+(アルミニウム・チタン)+ケイ酸という構造になる。
黒翡翠はヒスイ輝石+オンファサイト+石墨(カーボン)という
鉱物を分子構造で眺めると、物質宇宙が大きなまとまりのうちにあることがわかってくる。


<日本翡翠の基礎知識・7> (翡翠とネフライト)
翡翠は極微の鉱物結晶が凝縮してできた岩石なので、1個の原石でも場所によって成分が異なる。
ヒスイ輝石が濃密な場所もあれば、オンファサイトなどが量的に多い部分もある。
糸魚川産のアルビタイトに分類される原石には
ヒスイ輝石の目視できるほど大粒の結晶がまじっているものがある。
シロウト考えでは、アルビタイト(曹長石)からジェダイト(ヒスイ輝石)が変成される
環境(成分・温度・圧力、など)では、
蛇紋岩を舞台にアクチノライト(緑閃石・ネフライト)などの角閃石類も生成されやすいようで、
翡翠原石の外皮の部分に角閃石が付属しているものをしばしば見かける。
アクチノライトは鉱物学的分類の難しい鉱物でトレモライト(透閃石)の緑色をいう。
少し以前の鉱物関係の本には緑閃石の和訳もあった。
中国では漢方の秘薬扱いされて和名を陽起石(陽は男性器)とよんでいた。
アクチノライトの極微の結晶が集合して岩石化したものがネフライト(軟玉翡翠)。
ネフライトには白・緑・黒とさまざまな色合いがあり、
古来中国では最高の玉(ぎょく・宝石)とされてきた。
良質の鉱物標本となるネフライトやアクチノライトは糸魚川地方のヒスイ海岸で採集できる。


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もう一度チェックしたい日本翡翠の基礎知識・1(糸魚川ヒスイ) 17:54
糸魚川産黒色翡翠
<日本翡翠の基礎知識・1>(名称について) 
基礎知識のようなことがらは何をいまさらと思う人もいようが、
ときおり繰り返したほうが新たな気付きを喚起するだろうし、
これを役立てられる新しいお客さんもいる。
そんなわけで<日本翡翠の基礎知識>の最初は「日本翡翠」という呼称について。
結論をいえば日本翡翠と糸魚川翡翠は同じ石。
日本産の翡翠は主要産地の地名をとって「糸魚川翡翠」などとよばれることもあった。
けれどこの呼び方は外国人ディーラーと話をするのに具合が悪い。
イチゴや米みたいで個人的意見としては好みにあわない。
それに翡翠採集地として有名な越中宮崎のヒスイ海岸は糸魚川市ではなくて富山県にある。
国産翡翠は世界に誇れる日本の宝石であるとの思いから、
うちではジャパン・ジェード(日本翡翠)とよんできた。
翡翠が国の石に選定されたいまは、ミャンマー産やロシア産と区分けする意味もかねて、
やっぱり国産翡翠は日本翡翠の愛称が似つかわしいと思っている。
めくじら立てるほどのことではないが。


<日本翡翠の基礎知識・2>(色合いについて) 
翡翠は緑の宝石と思っている人が多い。宝飾品としてもてはやされ高額で売買される翡翠は
濃緑色半透明でトロリとした質感のものが多いので、そのような「常識」が広まることになったが、
翡翠の緑色はむしろ例外。しかも翡翠は鉱物ではなく岩石の部類に属する。
ヒスイ輝石という輝石類の白色の鉱物を中心にいろいろな異種鉱物が集って翡翠という岩石が誕生する。
だから翡翠は白色が基本色ということになる。緑色はオンファサイトという異種鉱物によるもので、
ヒスイ本来の色ではない。
日本産翡翠では明るい灰色をベースに緑や青味を帯びたものの産出が一番多い。
たくさんの日本翡翠と親しむと、ごくわずかの色や質感の違いが大きな違いに感じられて、
翡翠の色合いの無限のひろがりに驚嘆できるようになる。


<日本翡翠の基礎知識・3>(色合いについて) 
日本翡翠の原産地・糸魚川地方ではおもには色合いで翡翠原石を区分けしている。
純白に近いものは白翡翠で気高く品のいいものが多い。
原石の青味が強いものは青色翡翠。全体に青味があるものと脈状に濃紺色がはいったものとがある。
後者のものを産地ではコバルトヒスイとよんできたが、コバルト元素が含まれているわけではない。
藤色がかっっているのがラベンダージェードで、
日本産では藤色があでやかなミャンマー産ラベンダージェードのようなものはみかけない。
原石全体が緑色でとろ味のあるロウカン質の原石もきわめて少ない。
ちかごろでは黒色系のものが人気が高い。これには全体が真っ黒なもの、
ねずみ色と黒色がまだら状になったものなどいろいろな状態のものがある。
(写真は会社資料の糸魚川産黒色翡翠。約4kg, 165mm)

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古代にかえる、あるいは大珠にまつわる幾つかの物語・3 13:55
日本翡翠大珠
<古代にかえる・7> 
かつてこの村から大珠の呪術を学ぶためにモグラの村に遊学にきていた男がいた。
名前をタカといった。モグラは人見知りするたちだったがタカとは親友になった。
ひとりで交易にでたのもタカに会いたかったからだが、村にタカの姿はなかった。
タカはひと月半ほど前に事故死した。
遺族は慟哭して別れを告げ死者の記憶を浄化した。
彼らにとっては、黄泉の村へと死者を送ったあと、死者への未練を切ることが大事だった。
執着すると死者はこの世に戻ってきて悪霊になった。
モグラはタカの未亡人の家の食客になった。
ふたりの幼児がいて隣家には未亡人の両親が暮らすにぎやかな家だった。
モグラには村人のことばを習ったり、
クマの毛皮の鞣(なめ)し方を学んだりとやるべきことがたくさんあった。


<古代にかえる・8> 
五日目の夜、モグラの寝床にタカの未亡人ワカクサが忍んできた。
彼女は素裸で洗いたての髪は若草の匂いがした。
モグラの手にワカクサの肌は柔らかくなめらかで甘かった。
「あんたにはあの人の匂いがする」女が言った。
「あいつがおれのなかにいる」男が言った。
「ああ、とてもさみしかった」女が言って吐息をもらした。
男が女を開くのと同じように女が男を開いた。
ワカクサの精気に染められてモグラは大珠に宿る精霊の力を知った。
翡翠の大珠には再生のパワーが宿っていることが身にしみた。
情事は一夜にして村中に知れ渡ったようだった。
あんたはこれで村の一員だと言いにくる者もいた。
モグラは大珠の作り手としては有能だったが、
大珠の呪術については呪文を暗記できている程度だった。
村の老いた呪術師の助手となることで、彼は呪術の道を歩むようになった。
(写真の翡翠大珠は142g,97mm,¥53,000 在庫未確認)



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古代にかえる、あるいは大珠にまつわる幾つかの物語・2 10:58
獣型勾玉

<古代にかえる・4> 
アカネ以降、翡翠大珠は細長い楕円形をして中央よりの部分に穴を開けるのが主流になった。
この形状はアカネの創意工夫によるものではない。精霊たちが彼女にその形を与えた。
病いを癒し幸運を運んでくる「吉祥の形・瑞祥」だった。
彼女は心の深奥からそれをくみ出してきたともいえる。
心理学的にみれば全体の形は男性象徴で石棒につうじるものがある。
穴をあけたことで女性象徴に変じる。
男性性と女性性がひとつところに交わる陰陽合一の形だ。
穴は精霊のクニ・異界への通路であり、異界を見る目にもなる。
陰陽合体は精霊たちのクニ・向こう側から物質世界が開きだされてくる以前の、
調和がとれてけがれのないパワーを表象している。
このパワーを用いれば不運は幸運に転換できる。
豊漁・豊作・伴侶の獲得・出産など願望成就の力になる。災いは未然に防止できる。
縄文のシャーマンは産道を逆向きにたどって向こう側へ旅した。
向こう側への旅は交易路を巡る旅でもあった。
そうやってモグラもまたはるか北方の集落を訪ねた。


<古代にかえる・5> 
モグラには村にいたくない理由があった。
兄は結婚して徒歩30分ほどはなれた隣村に暮らしている。
兄嫁は美しく豊満で、モグラは彼女を見るたびにせつない気持ちになった。
会わなければいいようなものだが、見掛けないでいるとやるせなさがました。
大珠を擦っていても思い浮かぶのは兄嫁の笑顔ばかりで、
なにかの拍子に兄の身体の下で脚を開く彼女の姿を思い浮かべると、苦悩はいやました。
結局彼は交易を口実に村を離れることにした。
彼は何泊か丸き舟をこいで北に向かい、見覚えのある場所から内陸に入った。
川伝いに遡っていけば目的の村に着けるはずだった。なのに道に迷った。
食料をさがしているうちに舟の場所に戻れなくなった。
岩やをみつけて一夜の宿りとしたが、ひもじく寂しく不安の大きな夜だった。
未明に獣の気配を感じて目覚めた。跳ね起きて戦いの態勢をとった。
モグラが目にしたのは一頭の犬で、体毛が逆光をあびたススキの穂のように光っていた。


<古代にかえる・6> 
モグラが対峙した和犬は人馴れしていた。その犬とははなから気心が知れている感触があった。
犬に先導されて2時間ほど歩いて目的地についた。
後世三内丸山遺跡とよばれることになる大きな集落だった。
いろいろな人に抱き締められ、身体が塩揉みになるほどだった。
首からさげた小袋に入れてきた3本の翡翠大珠のうち2本を村長(むらおさ)に捧げた。
長老たちは感謝して歓迎した。彼らは口々にモグラの故郷や旅の様子を尋ねた。
モグラを先導した犬について村人たちは心当たりがないといった。
村の呪術師はモグラにむかって「お前は生涯の友となる精霊を得たのだ」といった。
アメリカ・インディアンの間ではこうした動物型精霊はパワーアニマルとよばれている。
日本列島では古墳時代の遺跡から動物型の勾玉が出土している。
彼らは幸運を狩る猟犬でもあって、
古代中国ではヒキュウのような財産を運んでくる動物型精霊がとうとばれた。

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■古代にかえる、あるいは大珠にまつわる物語・1 21:27
日本翡翠大珠
日本翡翠大珠
<古代にかえる・1> 
朝食にオムレツを作る。熱したフライパンに雑に切った玉葱、オリーブオイル、
卵1個を割り入れ、かきまぜる。
きょうのバージョンは上にサクラエビをふりかけ、板状チェダーチーズを乗せる。
フライパンに蓋をして1−2分で出来上がり。問題はオムレツにあるわけではない。
全粒粉のトーストにママレードをぬって食べている最中に、
縄文時代の翡翠大珠は女が作ったかもしれないと思い立った。
江戸時代以降玉作りの職人は男だった。
縄文時代テーマのイラストや、博物館の勾玉関連のジオラマでは玉を磨くのは男と決まっている。
三内丸山遺跡の巨木の櫓(やぐら)が現代人の想像の産物であるかもしれないように、
大珠制作は男だけに限った労働ではなかったかもしれない。
そうであるなら大珠の意味だって変わってくるだろう。


<古代にかえる・2> 
いまから5千年ほど前。いまでいう新潟県糸魚川市の海岸近くの集落にアカネという女がいた。
彼女は20歳になったばかり。夫は半月ほどの予定で交易にでている。
3ケほど前、父は磯釣りにでかけてかえらぬ人となった。
彼は玉作りの砥石の上に造りかけの大珠を残していった。
海岸で採集した翡翠はアカネの手指ほどの大きさで指2本分の太さがあった。
ほぼ中央に竹管でうがった穴があけてあった。
アカネは父を真似て翡翠を擦ってみた。大珠を作る歌をうたって精霊たちのクニに入っていった。
4日5日をそうやって過ごした。
出来上がった大珠はそれまで父や伯父が作ってきたものと形が違っていて、
左右に均整がとれて美しい楕円形をしていた。
アカネは晴れがましい気持ちでそれを村長(むらおさ)にみせた。
村長は「ホーゥ!」と言って両手で受けた。
村人をよび集めて披露した。みんなが「ホーゥ!」と言った。


<古代にかえる・3> 
村には年老いた女の治療師がいた。
彼女はアカネから大珠を借り受けると難産で苦しむ女のヒョウタンの実のように膨らんだ腹に置いた。
よこしまな霊を祓う呪文をとなえ、樹木の精霊に安産を願った。赤子は逆子(さかご)だった。
治療師は妊婦の手に大珠を握らせた。黒曜石のナイフで会陰を切って産道を開いた。
赤子はするりと生まれでた。治療師の腕もよかったが母子ともに無事な出産はそれだけではなかった。
その数日後アカネの夫は村人たちと丸木舟で漁にでかけた。
夫の首にはアカネの作った大珠があった。
滅多にないことだったが、男たちは数頭のイルカを村の入り江に追いこんだ。
その日からアカネが精霊たちのクニから持ち帰った「形」が大珠の定版になった。
アカネは40歳近くになって風邪をこじらせ肺炎を併発して死んだ。
あれから5000年経っている。彼女のミトコンドリアは拡散しつづけた。
いまではたくさんの女たちが彼女のDNAを受け継いでいて、
列島各地でたくましく生きている。

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翡翠原石を求めてヒスイ海岸をいったりきたり ■日本翡翠(糸魚川翡翠)原石の写真 08:37
国産黒翡翠原石
★ まとめて仕入れた翡翠原石のなかにときおり翡翠ではないと思える石が混じっていて困惑する。
比較的最近まで国産翡翠は目視で識別され、アルビタイトやロジン岩も翡翠扱いされていたという。
それがいまでは、翡翠と翡翠以外の石との鑑別が厳密になり、
うちでも翡翠以外の石が紛れこむことに神経質になっている。
商品価値を離れたところでは、石はどれもが美しくて、ヒスイ海岸を訪ねたおりなどには、
水に濡れた白や黒や緑の石たちにほれぼれとしてしまう。
好みの蛇紋岩は地下数十キロの深みから翡翠を抱いて地表へと昇ってくる、
その地質学的な時間を思いやって、蛇紋岩は翡翠よりすごいと思ったりする。
昆虫のチョウは白いのも黄色いのも黒いのもみんな美しい。
人間だって日本人だけが特別ではない。
アメリカ人もイタリア人も中国人もインド人も、みんなそれぞれに特別だ。
それぞれの石にそれぞれの価値があることがわかると、
地球に生まれたことをプラウドできるようになる。


★ ヒスイ海岸でヒスイを拾って現地の加工業者に勾玉に加工してもらう、
という番組を作りたいので協力してほしい、
というメールがテレビの番組制作関係者から届いた。
そんなに簡単にヒスイが拾えるなら、ヒスイ海岸近辺の住人たちは
いまごろみんなヒスイ長者になっているだろうにと、首をかしげたことだった。
同じ発想でヒスイ海岸を訪ねて、ヒスイを拾えなかったという人たちの来店があとを絶たない。
キノコを知らないでキノコ狩りにいく人はいない。
ヒスイ原石がどのようなものかを知らず、思い込みに呑まれて
ジェード・ハンターの真似事をしたって、ヒスイを見つけられない。
たくさんのヒスイに実際に手で触れて、
せめて石灰岩とヒスイくらいは識別できるよう眼を養っておけば、
ヒスイは向こうからやってくる。ヒスイ海岸で砂利を踏むその足もとに、
高価な圧砕ヒスイが顔をのぞかせているのを発見できたりする。


★ 越中宮崎のヒスイ海岸へは3回行ったか4回行ったかその程度。
根気の欠如でヒスイ捜しはすぐ飽きてしまう。
始めてのとき2時間ほど海岸を散策して、地元の人から採れたての原石を頂戴したりした。
自分では1個も拾えず、あきらめて帰ろうと海に背をむけたとたん、
足もとに大粒の梅干し大のヒスイ原石が、いま目覚めたという顔つきで転がっていた。
栄華の極みにあるソロモンだってああいうきれいな石は知りはしなかった。
うちの店がなくなると、東京近辺で日本ヒスイ原石に触れて、
ジェード・ハンティングのイロハを学ぶ場所がなくなる。
ちょっと寂しい気持ちにならないでもない。
(地元の人たちはクロヒスイについて詳しくないようだ。
だからヒスイ海岸でクロヒスイに出会える可能性は高い。
写真の黒ヒスイ原石は重量約4kg、165mm)

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根気に根気を重ねて日本翡翠原石を磨く 09:55
日本翡翠原石
サンドペーパー

<翡翠原石を磨く・1>  
たいがいの日本翡翠の原石は白っぽく乾いていて、
見慣れないと可愛くもないし面白くもない、
そこらの河原にころがっていそうな変哲のない石ころに見えます。
勾玉などのようにピカピカに磨かれていなくて、
「玉磨かざれば光なし」の状態にあるからです。
白っぽく見える原因は表面がザラザラしていて光線が乱反射されるためです。
乱反射をカットして翡翠原石そのものの色をみるには水に濡らすのが一番簡単です。
ごく少量の鉱物油(ベビーオイル)を表面に塗布しても乱反射を押さえられます。
画材店にある艶消しのラッカースプレーをかけても同様の効果を得られます。
購入したばかりの原石は最初に水に濡らして本来の色合いを楽しんだら、
あとは気長に撫で擦って色が濃くなるのを待つのが、もっとも優美な翡翠との付き合い方と思います。手で研磨されたり手指の脂肪分が移ったりして、原石本来の色味が出てくるようになると、
石が育つことで自分も育っていくのがわかりるようになります。


<翡翠原石を磨く・2> 
勾玉や大珠など製品化された翡翠製品のように原石を磨いてピカピカにするためには、
趣味の範囲でならサンドペーパーで原石を磨きます。
根気のいる仕事ですが、自分を忘れていられる貴重な時間という人もいます。
サンドペーパーは目が細かいほど番数が大きくなります。
たとえば最初に400番(1インチ四方に400個の研磨剤の粒)
くらいで表面が均質になるよう磨いたら、次に600番、800番というふうに
より細かい目のものに変えていき、1000番くらいで仕上げ磨きします。
そのあとアオボウという研磨剤を使って艶出しします。
サンドペーパーの使用は、これをテーブルの上などに置いて石を前後させる場合と、
石を手に持ってサンドペーパーでこする場合のふたとおりがあります。
写真は100円ショップにあった「メッシュ両面ヤスリ」という新製品。
「両面使えてサンドペーパーより3倍長持ち」と書いてあります。3枚入りで100円。


<翡翠原石を磨く・3> 
自分には翡翠原石をサンドペーパーで磨く根気はないので、
聞いた話を書いているだけです。
アオボウはホームセンターや100円ショップに売っています。
印鑑ケースほどの大きさの直方体で緑色をしています。
油性なのでぼろ切れに灯油を染み込ませてアオボウをこすりつけて使用します。
リューターや電動ドリルがあればバフを使用します。
試したことがないので要領がわからないのですが、
理屈ではリューターにダイアモンドドリルを付ければ翡翠の小片に穴を開けることもできます。
いずれにしろ専用の機械がないのであれば、
辛抱強く我慢強くトライしなければならない作業と思います。
電動ドリルに軸付砥石を装着するとあら磨きできます。
| 日本翡翠(糸魚川翡翠、ヒスイ) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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