| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
山の家へ石たちの写真を撮りにいった ■日本翡翠彫像・ヌナカワヒメの写真 11:16
日本翡翠彫像ヌナカワヒメ、糸魚川ヒスイ


★その1・山の家へ原石や製品の写真を撮りにいってきた。
1個で20キロとか30キロの水晶原石はウレタンシートやエアキャップに巻いて、
ハードボードを布貼りした箱におさめられている。
それらを箱からだして包みをほどくのが一仕事。なにせ向こうの国の人たちときたら、
なんでもかんでもぐるぐると粘着テープをミイラ巻きするのが習慣なんだから。
撮影に適していそうな場所を探して、ヨタヨタと原石を運ぶのも一仕事。
さらにもとあったように箱に詰め直すのも一仕事。
そんなのを3回も繰り返すと、
コップ3杯の水をたてつづきに呑んで横にならずにはいられないほど疲れてしまう。
面倒なことや大変なこと、努力しなくてはならないことは全部厭いたいと思っているのに
現実は全然そうじゃない。 


それから渓流に入って、杉並区在住Gさんから借りてきた
日本翡翠製姫神の彫像<ヌナカワ姫>を撮影した。
日本では勾玉を作るだけで「匠(たくみ)」といわれる。
これだけの作品を作る腕があるなら作家の看板をあげられる。
でも中国にはこの程度の職人は山ほどいる。
聞いた話では日本で美大の彫刻科を卒業しても仕事はない。
けれど中国でなら就職口は引く手あまたなんだそうな。
ていねいに磨かれた<ヌナカワ姫>の彫像はのっぺりとした髪形や衣服のゆえに
ピントを見定めにくい。くわえてローアングルだとさらに確認しずらい。
しゃがんだ姿勢でお尻を水につけないよう緊張しながらモニターを見るのは楽じゃない。
足首を水につけて、あっちの岩やこっちの岩に彫像を置いたりしていると、
渓流の音やカエルの鳴き声に耳を洗われることもあって、気分は日常性を離れていく。
眺めるほどに<ヌナカワ姫>の笑顔はあでやかにあり、ついには破顔一笑したりする。
なんて可愛らしいと思ったことだった。


★その2・デイレクターチェアを庭に出して淹れたてのコーヒー片手に山を見る。
マラカイトの緑といっても一色ではないように、
山の斜面は濃いのやもっと濃いのやさらに濃いのなど、いろいろな緑が乱雑な模様を描いている。
山の上には空がある。空と地面の間に自分がいて、周囲の景色に自分が包まれていると感じる。
その感じ方を好ましく思っている。
宮沢賢治は空を見るのが好きな人だった。
あんなに熱心に雲を眺めた人はいないといえるほど雲を見た。
朝も昼も夜も雲を見た。暁(あかつき)の空と黄昏(たそがれ)の空がことのほか好きだった。
賢治にとって空はターコイスやアズライトやラピスラズリ、ときおりはアマゾナイトで、
雲はおおかたオパールで、アラゴナイトや大理石の場合もあった。
朝にはシトリンやトパーズの陽射がきらめき、
夕方には辺り一面がアンバー(琥珀)に包まれた。
 

アンバーには大昔の昆虫を閉じ込めているのがある。
そういうものは世界中で1、2個しかないんだろうけれど、トカゲを閉じ込めたアンバーもある。
アンバーが空一面に拡大されると、トカゲは恐竜になった。
そうやって賢治はダイノサウルスが群れなして渡っていく空を見た。
バリ島の人が描いた風景画を見ると、遠近感がないことに気付く。
この遠近感のなさは、意識が変性して向こう側へと行ってしまった特徴のひとつだ。
同じように呪術師の意識空間へと入った宮沢賢治の視覚では、
鉱物の色をした空や雲は比喩ではなく、実際にそのように見えていた。
彼は空を眺めるだけで向こう側へと行ってしまうことができた。
(額の奥をのぞき込むつもりで風景を見ると遠近感はすぐさま失われる。
そこでなら向こう側を受け入れられる。)
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
『宮沢賢治と天然石』が再入荷しました 10:30
宮沢賢治
賢治と天然石
7月28日まで「サマーセール」を開催中。
神居古潭・前代未聞の輝緑ブレスレットやピンクヒスイ飛龍や新芽勾玉など新着製品も
2割引のスペシャルセールです。たくさんのご注文をお待ちしています。

7月28日は、地元商店街お祭りのため、午後6時で閉店します。



単行本『宮沢賢治と天然石』(北出幸男、青弓社、¥2,100)が再入荷しました。
思い入れのある自著なので店頭販売分を再度注文できたことをありがたく思っています。
 
いわずもがなのことですが、宮沢賢治は少年小説「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」や、
詩集『春と修羅』の著者として知られています。
鉱物や地質学の専門教育を受けた民間の科学者で、
短い期間、農村指導者として過ごしたこともあります。
 
熱心な鉱物ファンで、彼の作品には、琥珀・オパール・水晶などいろいろな鉱物が登場します。
こんなにも多くの鉱物たちに作中で触れたのは、
近代以降たくさんの小説家や詩人がいるなかで、彼ひとりしかいません。
 
宮沢賢治は著名であるけれど、
教科書以外には、作品を読まれることの少ない珍しい作家です。
河合隼雄や梅原猛などの先達が評しているように、
彼はいまだきちっと評価されていません。

あまりに有名な詩「「雨ニモ負ケズ」が戦時中にプロバガンダに利用されたために、
現在もなお尾を引いていて、賢治といえば無私無欲の賢者といったラベルが
貼られたままになっている始末です。

彼は古代の神秘家たちのように、
意識が身体を超えて神秘の領域へと拡大していく様相に魅入られた人でした。
「銀河鉄道の夜」は死後の旅立ちを描いた賢治版「死者の書」であり、
『春と修羅』に納められた「小岩井農場」が霊視体験の実況中継であるなどとは、
教条主義的賢治ファンには想像もつかないことのようです。 
賢治の作品のうちではもっとも奇妙な作品のひとつ「チュウリップの幻術」を思い浮かべると、
100年ほど前にこういう人がいたことがとても嬉しくなります。
 

ショツプからのお知らせですが、
ショッピングページ「春翠さんの自作勾玉」は7月31日以降、当分の間掲載を中断します。
ショッピングページへの商品の掲載は、撮影してコメントを書いて、
HPにアップできるよう資料を揃えるなど、手間のかかる仕事です。
無理をすればたくさんの仕事を消化できた年齢ではなくなっているのが問題で、
こちらのほうまで手が回らなくなっています。
そのような次第で、「春翠さんの自作勾玉」を楽しみにしてくださっていた
皆様にはご迷惑をおかけしますが、よろしくご了承ください。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
身体がふたつの土地に存在する奇妙さ 16:18
「賢治と天然石」展

きょうは一日家にいる。ひさしぶりのことだ。
ストーンズのオカミサン(この呼び方をとても気に入っている)がいないので、
洗濯したり、会社関係の銀行業務を処理したり、トイレの排水の不具合を不動産屋に電話したり、
机の上に放置してあったメモを整理したりと、そんなふう。
 
窓の外ではもみじした丘陵が陽射を浴びて鎮まっている。
旅人の身体には幾つもの記憶が刻みこまれていて、似たような景色を見ると、
かつて異国で同じようにして景色を眺めた、そのときの身体感覚がそっくりとよみがえってくる。
その感覚はとても精妙で短なひととき身体が遠い過去に帰っていく。
 
たとえばぼくは、いま、ここにいるのだが、まったく同時に
デカン高原のオーランガバートという町の郊外の高台にいて、
石窟寺院の遺跡を背に荒野の一角に集う町並みを見下ろしている。
 
写真は《ザ・ストーンズ・バザール》の店内。『宮沢賢治と天然石』展示会の風景。
鉱物にはひとつひとつコメントを付けて、上のパネルと連動するよう展示したかったのだけれど、
使える時間が少なくて手が回りきらなかった。
 
将来は、この壁面と鉱物標本ケースの上の棚を使って、
ネパールのヤントラ絵画&仏像展や、絵画・書道・写真展を開いていけたらおもしろかろうと思っている。

(ご希望の方にはスペースを無料でお貸しします。メールでお問合せください)。
 
拙著『宮沢賢治と天然石』(青弓社、¥2,100)では、
世にたくさんある宮沢賢治の研究本や関連本のように、
賢治はこういう人だったとか、作品についての解説に終わらない本作りをめざした。
賢治の人物像や感性をまずは知ること、次にそれを自分にフィードバックして、
賢治が見たように景色を見る、賢治が感じたように石たちに触れる。
そんなふうにすれば、自分の感性をもっと大きな領域へと拡大できる、
そういうところを視野においた。
 
本物の自分とか新しい自分、自分らしい自分といった、いわゆる自分探しや、
ひところ流行したハイヤーセルフとの出会いは、
ニューエイジの潮流のなかで、20年来同じことがいわれつづけてきた。
それでも「これが本当の私なんだ」といえるような自分に出会えた人の数は少ないらしくて、
こうした言葉自体が実りを迎える前に落葉しかけている。

『宮沢賢治と天然石』で話題にした変性意識はなじみのない概念なのでわかりにくいかもしれない。
自分が知らない果物は、それが目の前にあっても気持ちを止めることがないのに似ている。
けれどここでの果物の味覚は、ひとかじりすれば、
私が求めていたほんものの味わいそのものであり、
本物の自分を発見できる妙薬であることがわかる。

『宮沢賢治と天然石』で述べた日常性から変性意識への意識の変化、
アナログからデジタル・ハイビジョンへの視覚の変化は、
30分をめどに瞑想すればだれでも体験できる。
あるいは、「気」がわかる人からいっきょにたくさんの「気」を注入してもらうことでも、
ああ、これがそういうことなんだ、というふうにわかる。
ここには人類の意識の進化・霊的進化のカギがあるよう思える。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by YK
トカゲ入り琥珀から適応障害への飛躍 13:27
トカゲ入り琥珀のイラスト

新著『宮沢賢治と天然石』180ページに掲載した「トカゲ入り琥珀」のイラストは
『新宝石学』(久米武夫、風間書房、昭和38年)から。
この本は昭和38年の発行なのに、旧カナ使い、外国の国名は漢字標記と古めかしい。
長い間疑問に思っていたが、同じ著者による昭和28年発行の『宝石学』の再版だとわかった。
 
日本は昭和6年の満州事変以降、軍国主義国家に変じて太平洋戦争(第二次世界大戦)
に敗戦するまで、戦争がなにより大事という時代を過ごした。
大正ロマン、大正デモクラシーと謳われた文化の隆盛はたちまちについえた。
宝石への関心も犠牲となり、人々の目が再度宝石に向き始めたのが
昭和28年頃ということらしい。
 
ここに転載した「トカゲ入り琥珀」のイラストは、戦前の外国の書物からの引用のように見える。
学ぶことに熱心だった宮沢賢治は、このイラストをどこかで見たのだろうと想像している。
 
夕暮れが琥珀色に染まるとき、賢治はそれを「琥珀色の空」と比喩するのにとどまらなかった。
彼は意識を変性させて天空いっぱいに大きな琥珀イメージのなかに入っていった。
そこでは恐竜に似た雲は、虫入り琥珀ならぬトカゲ入り琥珀となり、
さらに拡大されて恐竜入りの琥珀になった。
この恐竜は賢治の世界では如来に等しい聖性を備えていて、彼の作品ではしばしば混同されている。
 


新聞を読んだりテレビでニュースを見ると、そこから派生してヒーリングにからんで、
気掛かりであったり、胸を痛めたりすることがらが幾つかある。

[1]孤独について。孤独に強くなる、または孤独を受容できる人格作り。
[2]自分との付き合い方。自己の受容、または自分を好きになるということ。
[3]絶対に損したくない・1円でも得したい、という風潮。
(こういう思いに縛られた人と話していると心底疲れてしまう。)

[4]生まれつき霊感がある人の社会への適応問題。
[5]アスペルガー症候群などの適応障害。
[6]子供たちの精神世界。たとえばメール呪縛あるいはケータイ依存症。
[7]老人問題に関して。いかにしたら元気に老いていけるか。
 
こんなところがそうした問題点だ。

『宮沢賢治と天然石』で話題にしたような「変性意識」について、
みんなが目を開くなら、これらの問題について明るい解決法が開くように見える。
日常的な意識だけに縛られている自分をいっとき解放してやる。
そこで開けてくる世界に目を見張る。
単純なことがらであるように思えるのに、難しい問題であるようだ。

天然石や勾玉に気持ちを惹かれたり、宗教や呪術、古代史、オカルト的
な話題に興味を感じるというのは、心の内側はすでに向こう側に
開かれている証しのように見える。あとはただ気付くだけでいい。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by YK
宮沢賢治は人工宝石を売る石ヤになりたがった■人工宝石の写真 22:08
人工宝石

いろいろな人工宝石。
近々ショップで開催予定の「宮沢賢治と天然石・展示会」では、
いろいろな人工宝石も展示即売の予定。
しかし現状は、近くの工務店に内装の見積もりを依頼したら想像を超える高額予算。
自分でやることにしたのだけれど、壁紙やそのた資材がどこで買えるのか、
壁紙はどうやって貼るのか、わからないことだらけで困惑中。



山の家の倉庫にはいろいろな石が置いてある。リーマンショックが始まる前、
どこかの画廊を借りて珍しい石の展示会をしてはどうだろうかと集めた石たちが
眠ったままになっている。倉庫にはそれ以前からの硫黄原石もあって、
この夏の暑さで変質したのではと心配になり、必要な資料を取りがてら見にいった。
 
荒れたままの花壇にはワレモコウが花穂をつけていた。
伸びやかに分かれた細い枝先の桑の実にも似た花穂はわずかの風に揺れる。
そこに腹が黄と黒、まだらのアシナガバチがやってくる。アキアカネが止まる。
 
縄文時代以来変わらぬ風景。
人間だけがなぜこんなにもいそがしくなってしまったんだろう。
草や虫たちを眺めているとそんなふうに思う。
たくさんの物質に恵まれて便利に暮らせるようになれば、
世界全体みんなが幸せになれるはずだった。けれど全然そうではなかったというのが問題だ。
 
さてと、宮沢賢治は鉱物や地質学の専門教育を受けた人だった。
盛岡高等農林学校という3年制の学校を卒業して、2年間研究生として学校にとどまった。
稗貫郡の地質調査が行われることになって委託されたからだった。
このころ彼は家督を継ぐ問題に悩みに悩んで、
自分としては東京で石ヤになりたい、などと父親に告げた。
彼は当時、宝石業界で脚光を浴びつつあった人工宝石に魅せられて、
大粒の人工ルビーを作ることを夢見た。

『宮沢賢治と天然石』(北出幸男、青弓社、¥2100)では、
古い専門書から見つけてきた人工宝石製造法の記事を紹介したかった。以下はその省略分。
原文は旧カナ使いで外国の地名は古めかしい漢字標記という本なので、この
ような文章に賢治は自分でも出来ると夢をふくらませていったのだろう。

◆『新宝石学』からヴェルヌイ法による人工宝石
 
古来鋼玉石(コランダム)の製造研究に預つて力のあった多數の人々の中に、
佛人ガウダンは一八三七年に、又フレミー及びフエーユは一八七七年に
何れも其の成功の曙光を認め、爾来益々研究の歩を進めて遂に一九〇四年に至って、
會つてフレミーに師事したヴヱルヌイが全くルビーの人工製造に成功したのであつた。
同氏は其の後尚も進んでサフアイヤの研究を続けたのであつたが、
一九〇九年に至って更にこの寶石をも完成するに至つたのである。
 
ヴエルヌイの製法は、先づ一定分量の元素を採り、これを酸水素爐の高温中で熔融するにある。
例へばルビーは百分中九八の純礬土(アルミナ)と二酸化クロームから成り立つているから、
この二種の原料物質を粉末状態となし、これをヴエルヌイ式酸水素爐の上部に設けたる
篩付き受け器に収容する。斯くて小槌が篩を自動的に輕打する時は其の都度細粉は適度に落下して、
酸素と共に下部の灼熱爐に達する時は、此に酸素は水素と合して摂氏一九〇〇度の灼熱を
起こして細粉は熔融せらるゝに至る。斯くて其の熔體は最初は内部の受け室上に小球状
となって付着するが、漸次膨大して第二十三圖の様な梨形を形成しつゝ適度の大きさに
達すると瓦斯を止めて冷却し、此に一個の合成石を得るのである。
近時水素は經済上の点から普通の瓦斯によつて代用せられている。
これが製造は極めて簡単で一人の婦人職工が一時に十數個の爐を受け持つ事が出来
又十カラツト内外の琢磨寶石を切裁し得る原料を一時間位で製造し得ると謂ふ。
(『新宝石学』<久米武夫、風間書房、昭和38年>p73)
 
関連するイラストは『賢治と天然石』の22ページにある。
原文は昭和38年発行の本なのにやたらと古めかしい。これについては別の機会に触れる
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
『宮澤賢治と天然石』はみだし分・1■恐竜の骨化石の写真 12:38
恐竜の骨化石

手前は恐竜のピンバッジ。後ろはアリゾナ州あたりで採れたほんものの恐竜の骨化石。
賢治のイメージ世界では巨大さという点において恐竜と菩薩・如来が同一視されることがある。
恐竜もしくは絶滅した巨大哺乳類を幻視するうちに白い素足の如来に変じていったりする。


今週の金曜・土曜、9月17−18日は店を営業します。
開店時間は午後1時ー8時まで。
いくらか過ごしやすい季節になりました。
散歩がてらにご来店ください。



今日のブログはメルマガ9月号の採録。ここに記録しておくのが個人的にはいちばん便利。
当社メルマガは読者プレゼントあり、メルマガだけのお買い得セールありで、なにかとお得です。
 

賢治は彼が働かなくても困らない裕福な家に生れて育った。
あえて貧乏人のふりをする時期があったにしても心底お金に困ったことは一度もない。
彼に対して清貧の農村詩人というイメージを抱く人がいるとしたら、
それは後世に作られたものである。
賢治の純粋無垢さは生涯ピーターパンでいられたことによるようにみえる。
 
以下は『宮沢賢治と天然石』のはみだし分。原稿の量が増えてしまって割愛した。
ブログに掲載するにはかなり長い。
 
この章のタイトルは「あまりに特異な賢治の金銭感覚」
 
後世に語られるようになった賢治神話では、彼は「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて」
清貧な日々を送ったかのように表現されている。
年譜やエピソードを追うと正反対といってもいいほどの賢治の姿が見えてくる。
 
賢治にはいい家柄のお坊ちゃん然としたところがあって、
金銭感覚は庶民の暮らしとは大きなズレがあった。
 
東京に家出しての一人暮らしでも父が送ってくる為替を拒否したのは最初のうちだけで、
関徳弥への手紙で、毎月のように十五円、二十円と実家から援助を受けたと告白している。 

教師を止めたあとの羅須地人協会時代には、母親の差しいれも拒んで果敢に貧乏暮らしに挑戦するが、
なんだかんだの借金は結局実家に穴埋めしてもらった。
 
自費出版した『春と修羅』の経費は父親が負担したし、
童話集『注文の多い料理店』が売れず同情心から、自著を出版社から買い取る際にも
実家のお金をあてにした。父親は息子の職業選びに厳しかったが、
金銭面だけみれば息子を溺愛していた。
               *
『文芸読本宮沢賢治』(河出書房新社、1977)に森荘已池は
賢治との出会いのいきさつを「店頭」と題して寄稿している。
『春と修羅』を読んだ若き日の森は、同人誌への寄稿依頼の手紙を賢治に送る。
賢治が教師になって四年目のことだった。賢治は雪の降る日に盛岡にあった森の実家の八百屋を訪ねる。
賢治は森は自分と同年輩と思っていたのに、彼の生徒と違わない若さなのに驚く。
近くの店に行こうということになって、西洋料理店に行って個室に席をとる。
森にとってはナイフとフォークを使う始めての西洋料理だった。
賢治は相手を楽しませようとする気配りの人なので、ベートーベンや法華経、
非ユークリッド幾何学などの話を洪水のごとくに繰りだし、直立して歌も披露した。

「『さあ帰りましょう。ご迷惑をお掛けしました。』というと、その人はポケットから
ハトロン封筒をとり出した。それは、ふくらんで、ずっしりと重い銭でも入っているようであった。
草花の種か、穀物でも出すように、ざらざらと、テーブルの上に小さな山をつくった。
全部が十銭銀貨であった。『これで、少しはよけいにあると思います。』といって、
女給も出て来ないのに、その西洋料理店大洋軒を出た。牡丹雪は、まだ降っていた。
人の通らなくなった道に、雪はもう一尺近くつもり、私はまた番傘をさした。」
                  *
盛岡高等農林学校研究生だったころ、稗貫郡の土性調査にあたった賢治の態度についての
郡長・葛博の回想記から。
「賢治君の困った事はかく山野を跋渉して難儀して土性の調査に従事しながら旅費も弁当料も
絶対に受取らず、暇で覚えたことで郡のために働くことは当然だというて相変らず丸飯持参で
働いてくれるのには余り気の毒で困り抜き候。勿論手当てなどは受取らずに終り申し候」
(『宮沢賢治・詩と修羅』毎日グラフ別冊、1991)
               *
賢治のもと生徒であり、演劇『ポランの広場』で山猫博士を演じた晴山亮一が語った、
賢治の樺太旅行でのエピソード。
「……先生は、この旅行で、生まれてはじめて、あとにも、さきにもないことに、
出会ったんです。友人が料亭に先生を招待して、芸者を呼んで、さかんな宴会をしたんですね。
大騒ぎで飲めや唄えとやったのでしょう。ところが先生は、そういう方面の芸は、ゼロといった
情けない方です。そこで懐中にあった金を全部お祝儀に芸者にやってしまったのですね。
汽車賃もなくなったので、青森までの切符は買ってもらい、青森では、何か身の回りのものを
売ったりして盛岡まで汽車で帰り、盛岡からは花巻まで徒歩旅行というわけです。
ほんとうに、行きはよいよい帰りは辛いで、大名旅行が、乞食旅行になってしまいました。」
(『賢治の肖像』)
               *
とし子の介護をしていた細川キヨが森に語った賢治ととし子の会話の断片。
「いつか汽車のなかで、困る人をみて、五十円も金をやりたかったけれど、
二十円しかなかったので二十円くれてやったと賢さんが話したことがありました。
としさんはその話をきいたとき、『賢さんに、おらほのいえのあとをつがれれば、
おらほの家は、かまどかえすごった。』といいました(注・賢さんが、私の家のあとつぎになったら、
私の家は破産してしまうだろう)。人にばかりつくしていて、そのほかのことは
考えないのだからといっていました。」(『賢治の肖像』)
               *
賢治の通夜の席での父・政次郎の話。
「あれにとっては、三円も三十円も三千円も、金というものはみなおなじで、
自分の持っているだけ、人にやってしまうという性質(たち)でした」(『賢治の肖像』)
               *
賢治の金銭感覚が常人離れしたものであることを語る逸話がたくさん残されている。
学校で演劇をやれば費用は全部自分で持った。農民のための講習会や肥料設計には
一銭の謝礼も受け取らなかった。石灰岩のセールスマン時代には赤字がでると
自分で補填することもあった、などなど。
 
まるで人間社会に紛れこんだ異星人であるかのようにお金勘定できない人がいる。
頭では計算できていても、いざとなると違う目的に使ってしまったり、
後先見ずに高額な買い物をしたり、とそんなふう。現代的には困った人たちだ。
けれど、人類が貨幣経済を編みだしたのは時代的に新しい。
心が先祖返りした人のなかには、お金という概念に不慣れな人がいるということかもしれない。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
鶯谷駅下車、坂を下ると賢治がいる?■宮沢賢治の写真 13:40
宮沢賢治
鶯谷駅付近

あまりに有名なコート姿の賢治の写真は、大正15年初めころ、
そろそろ農学校の教師を辞めるという時期に撮影されたという。
ベートーベンが大好きだった彼は、
レコードの意匠のベートーベンの姿を模倣したといわれている。

下の写真はJR山手線・鶯谷駅の坂をくだったところ。
画面ほぼ中央、日の当たった部分あたりに国柱会館があった。


宮沢賢治に興味を抱いてからずいぶんとたくさん彼の資料を集めた。
書名を書き写すのが面倒で、『宮沢賢治と天然石』では巻末に参考資料を列記しなかった。
 
リスの時代から持ち越されてきたコレクター癖があるので資料集めは楽しい。
それにライターだった時代に培った資料集めの能力への自負のようなものがある。
この能力はときに超能力に似たところがある。

(リスとライターだった時代の間には1億年くらいの時間の開きがある)。
 
集めた資料の多くはパラパラとめくった程度のものが多い。
なかには必要箇所を抜書きして丁寧なメモを作ったものもある。
そんななかに『毎日グラフ別冊・宮沢賢治・春と修羅』(毎日新聞社、1991)というのがあって、
東京での賢治を特集したページに見覚えのある写真があって、ギョッとした。
 
それはJR山手線の鶯谷駅を降りて坂を下ったあたりの写真だった。
キャプションには国柱会会館跡とあった。
知り合いの会社が移転して、ちょうど賢治に興味を持ったころから、
3、4ヶ月に一度は通るようになった場所だった。
近くのドトールでサンドィッチを食べたり、
パキスタン人のレストランでカレーを食べたこともある。
 
だからあそこで賢治がそっとぼくの左肩にのったんだと思うと、
妙に腑に落ちるものがある。
 
宮沢賢治の青春は親の思惑に呑まれまいとする思い一色だった。
彼は世界ぜんたいの幸せを念じて無私無欲な人生を理想とした。
そんななかで父親に対してだけでは断固として恭順せず、滅私奉公したり、
自己犠牲することを拒んだ。
 
親との諍いがあまりに激しくなって、ストレスのあまりに不気味な幻覚をみる始末。
ついに彼は東京の国柱会という新興宗教団体を頼って家出する。
家出しておきながら、父親にこまかに状況を報告する奇妙な家出ではあったが。

(この親子には時代背景を加味しても理解しにくい親密さがある。
ぼくが肉親に薄情なだけかもしれないが、それでも彼らの関係を追想すると、
骨を同じくした古代中国の男たちが思い出される。)
 
国柱会は日蓮宗を主軸とした団体だったが、かなり右翼的なところもあった。
たぶんそのせいだったんだろう、左翼思想に共鳴するところが大きかった賢治は、
ここでは友だちにであった気配がない。
 
午前中はパートタイマー、午後には国柱会での奉仕活動や、国立上野図書館で勉強、
夜は下宿にこもって童話を書くという孤独な8ヶ月間を、彼は送った。
 
いまとなっては大正モダニズムの面影を探すことはできないが、
鶯谷駅を降りて坂を下ったり、駅から反対方向に折れて国立博物館へ行く道は、
賢治には通いなれた道だった。 

世の中には奇妙な偶然というのが多々ある。友人が会社を移転しなかったら、
ぼくは鶯谷駅で下車することなど決してなく、
ひょっとしたら宮沢賢治についての資料を集めることもなく、
盛岡や花巻へ行くこともなかったかもしれないと思うと、
とても奇妙な感じがする。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
青空に「く」の字の光の虫が舞う■『宮沢賢治と天然石』の表紙 23:06
「宮沢賢治と天然石」表紙
写真は新著『宮沢賢治と天然石』(青弓社刊、税込2100円)。
2、3日の間にHPに内容紹介のページを設けます。
きょう思いついたフレーズは「賢治の世界はみんなの心のうちの前世の風景」。
イーハトーブは盛岡や花巻にあるわけではなく、それぞれの人が思い描く「田舎」にある。
こんなところも、TVコマーシャルの「縁側のある風景」に似て、
賢治人気を不変たらしめている要素のひとつなんだだろう。
山の家では少し近所を歩くだけであちらやこちらでイーハトーブに出会える。


次の金曜・土曜日、9月3−4日はショップを開業します。
営業時間は午後1時から8時まで。
『宮沢賢治と天然石』を山積みにして皆さまのご来店をお待ちしています。


「きれいだなあ。おい。」という言葉にすっかりと魅了されている。

「(ああ、もう明るくなってきた。空が明るくなってきた。きれいだなあ。おい。)
深い鋼青から柔らかな桔梗、それからうるわしい天の瑠璃。それからけむりに目をつむるとな、
やはり鋼(はがね)の空が目の前一面にこめてそのなかに瑠璃色のくの字が
沢山沢山光って動いているよ。くの字が光ってうご……」
 
というように、「きれいだなあ。おい。」は[初期短編綴・柳沢]にある。
(拙著『宮沢賢治と天然石』では218ページ)。

「きれいだなあ。おい。」というと自分のなかの賢治がパッチリと目を開くような気がする。
 
この感じは若かったころに本気で額田王に惚れていた短い一時期があったのに似ている。
そこでは彼女のことを思うたびに胸がドキドキした。
切ないおもいに胸が絞られる感じがした。
彼女に会いたい、会って触れていたい、なのに彼女は遠くにいて、
あこがれるだけの存在だった。
生きていれば千数百歳という年齢なので、会えないほうが幸せだった出来事だった。
 
宮沢賢治は本を一冊書けばそれで卒業、ぼくは次のステージに行けると考えていた。
ところがどうもそうはならないらしい。

新刊の『宮沢賢治と天然石』と天然石は、
これまでの本作りに比べるなら2倍ほどの時間がかかっている。
不況ということもあるが、本作りに専念しなければ書けそうにない本でもあった。
そんなわけでひとまずショップを閉めて書いた。
紙数の制限があって、保留にした部分もたくさんある。
これからポツリポツリとそんな原稿を掘り起こしていこうかと思っている。
 
菩薩というのは悪くいえば、仏教的に人類を救済したい、
困っている人たちの霊性を引き上げたい、その願いいちずなあまりに、
死んでも死にきれない霊をいう。

なかには千手千眼、つまりは500体に分霊(わけみたま)して日夜を問わず、
人類の幸福を願う慈悲の権化のような菩薩もいる。
 
賢治は菩薩行の人といわれている。ひょっとしたら彼も菩薩の一団に加わったのかもしれない。
そうではないと断言できないのが、向こう側の世界のわけのわからないところだ。 
賢治は世界ぜんたいの幸せを願ってやまなかった。
そうした姿勢をもっともっと知ってもらいたいと賢治が思っているのなら、
その役目はぼくではないと断っておきたい。
 
賢治が終わったら稼業の日本翡翠に戻らなければならないし、
個人的趣味ではいよいよ「老子と変性意識」もおもしろそうと思っている。

「きれいだなあ。おい。」に再度戻る。
「瑠璃色のくの字が沢山沢山光って動いているよ」というのは、
ぼくが光りの虫と呼んでいる奴らのことらしい。
青空を眺めると空気のなかに「く」の字っぽくて、
くるくる動く光の虫がたくさんあらわれる。
青空を眺めてから目をつむると瞼の裏側にも現われる。
若かったころに聞いた話によると、
こういう光の虫を眺められることをシャーマンの入門試験の第一歩だとした
土地柄もあるという。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by YK
「きれいだなあ。おい。」と賢治が言った■ハーキマーダイアモンドの写真 21:57
ハーキマーダイアモンド
「銀河鉄道の夜」の白鳥座駅の河原の小石など、賢治の物語では、
両端のとがった水晶がしばしば登場する。
その形はハーキマー・ダイアモンドに似ている。
近年ではパキスタンや中国からも供給されるようになっているが、
「ハーキマー・ダイアモンド」と商品名で呼ぶ水晶は
ニューヨーク州ハーキマー産出の透明度が高いダブル・ポイント水晶に限られている。
けれど他のダブル・ポイント(ダブルターミネイト、略してDTとも)が
ニセモノというわけではない。


8月27−28日、金曜・土曜はショップを営業します。
午後1時から8時まで。
出版社からのメールでは新著『宮沢賢治と天然石』(青弓社、税込み¥2100)
は12−14時着の予定。
天然石以外について原稿を書いたのは20年ぶりなので、ちょっと待ち遠しい。


若かったころのタイ。バンコックからバスで近郊のパタヤビーチに行く。
当時はさほどにぎやかではない海浜リゾートだった。
予約なしでホテルを訪ねると、あんたのことを覚えている、
といってくれるフロントのお姉さんがいた。
 
海岸にでて、身体がホットドッグだと感じるほど暑い2、3時間を過ごして、
気付いてみたら、真夏のタイで東京で着ていたのと同じ長袖のトレーナー姿。
どうりで暑いはずだと発見! したことがあった。

(思い返せば、若いということは愚かなことと同義語で、
自分がいかに愚かであったかは人には話さない。)
 
関東平野では残暑がつづいている。
いっかな涼しくならないので腹立たしい思いさえする。
けれど、猛然と暑かったインドやタイのことを思い出すと、
この残暑はさほどでもなくて、鷹揚な気分でいられるようになる。
 
何日か前に、現代文明は人間性にマッチしなくなっていると書いた。
このギャップは宮沢賢治を考えるキーワードのひとつでもある。
 
たとえば賢治の時代になって始めてサラリーマンという言葉が生れた。
第一次世界大戦による好景気のもとで大工場が続々と建設され、
大都市に人口が集中するようになり、核家族が登場した。
都市住民による農村の蔑視が強化され、田舎の人たちの劣等感が醸成されていった。
老人たちの居心地が悪くなったのもこのあたりからのことだ。
 
農民や漁師であれば老いてからでも仕事はある。
商家のご隠居の頭にはたくさんのデータが詰まっている。
いざというときには老人の人脈がものをいった。
けれど定年退職したサラリーマンには社会的意義はあまり残されていない。
退職した途端に彼らの人生は、会社や社会に必要のない「余生」になってしまう。
 
現代文明と、ひと昔前までの人々の暮らしぶりとのギャップは老人問題に深刻で、
ここには世の中全部の人の孤独があぶりだしになっている。
 
社会的に孤立し、隔絶され、忘れられていく老人の孤独について語るのではなく、
そうなったときに大丈夫であるように自分を整えていくことを考えなくてはならない。
 
いま50歳の人が70歳になる20年後には、社会はいまよりも殺伐としているだろう。
弱者は福祉の名のもとに死なない程度に援助されるかもしれない。
援助によって「健全な社会」から隔離されていく。
社会参加する能力に劣る者は捨て置いたままにされる。
社会や経済の効率を求めるというのはそういうことだ。

(人生は無駄が実りなので、人生そのものに効率を求めるとつまづくもとになる。
文明だって膨大な無駄を投じるとき文化が育ち、ほんとうにすごい芸術作品が生れる。)
 
老人の孤独はますます大きくなる。
老人問題だけではなく、一人暮らししている人や夫婦関係にトラブルがある人たちの
孤独感・孤絶感もさらに大きくなる。
 
どうやって助け合うかではなく、自分が孤独にどう立ち向かうかを考える。
市民運動やNPOの活動は大事であっても根本的な解決になりにくい。
心の問題は政治には期待できない。医者は処方箋を知らない。
結局はひとりひとりが心の成長を心掛けるしかない。
 
それには、それぞれの人がその人なりのライフワークを持つというのも
ひとつの手段のようにみえる。
賢治のように、風の気配や月の明るさ、草花のけなげさ、など
日々の小さなことに驚ける感性をいまのうちに養うことが、
孤独に対処する最良の薬であるかのように思える。

「センス・オブ・ワンダー」な気持ちに目覚める、
あるいは養うと脳の機能のなにかが変わる。
それが人間の元気よさのかなめになる、自分の孤独を受容する契機になる、そんな感じがする。
 
退職まじかになって余生を楽しく過ごすための趣味を探そうとしたって遅すぎる。
もう、そのときには、生きがいを見つけられるようには脳は反応しなくなっている。
 
いまのうちに賢治にならって、「きれいだなあ。おい。」と、
みんながいえるようになるといい。
そうすればそこから人間の古くて新しい可能性が開けていく。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(2) | trackbacks(0) | posted by YK
もう缶コーヒーの一気飲みはしない■風景のあるメノウの写真 23:01
風景画の入ったメノウ

以前にも紹介したこの写真が新著「宮沢賢治と天然石」の裏表紙に使われています。
題して「ビンに封じられた北極海の氷山とタイタニック号もしくは幽霊船」。
賢治の代表作「銀河鉄道の夜」には、タイタニック号の遭難事件で犠牲になった
若者と彼に連れられた姉弟が登場します。
他者を救うために自分を犠牲にするこの事件に賢治はいたく感動したようです。
「見立て」といのは、ふとそのように見立てると、
つぎには見れば見るほど、まさしくそのように見えるというのが、
なんとも不思議です。


次の金曜・土曜、8月27−28日はショップを営業します。
開店時間は午後1時ー8時まで。
27日には新著「宮沢賢治と天然石」が店に送られてくる予定に
なっています。
この本は一時は出版の可否を危ぶんでいたので、
口先だけで終わらなくて良かったと、思っています。



山の家では秋の虫が鳴いていた。
渓流の水の騒ぎにまじってコオロギがすだく。
名前を知らない虫たちが雌をよぶ。

風呂上がりに庭に出て、椅子にすわって月を眺めていたら、
向かいの道路を狸が一匹左から右へトコトコと歩いていった。
狸ではなくてハクビシンだったかもしれないが、
映画館のスクリーンの下に流れる字幕のようでおもしろかった。
 
部屋に戻ってコップいっぱいの水をゆっくりと飲んだ。
季節が変わったのだから、きょうはもう、缶コーヒーの一気飲みをしない。
 
7−8月の2か月間、毎週金・土曜とショップを開けるようになって、
ぼくは律義にもレジ前に座って店番をしている。
週に2日間限りといえども、こんなことはかってなかった。
自分は接客をしないことを必須条件に開いてきた店なので、
接客には奇妙なまでの不慣れさがある。
 
店を運営していくには最低2人スタッフがいる。
運良く見つかるとして、彼女たちに任せられるようになるには3ヶ月間かかる。
その間、毎日出勤しなければならないと考えると、想像するだけでめげてしまう。
 
いくらか流通事情に明るい人であれば、
いまはどこもかしこも小売店は厳しい情勢下にあることを知っている。
無理してスタッフを雇っても売り上げが伸びる見込みがない。
まあ、しばらくは現状を維持して、
まずはセール・カタログの製作を優先させなくてはと考えている。
 
うちのお客さんにはネットをみない人がかなりいるので、
彼らのことを長い間ほってもおけないという心配が大きい。
新著がでれば真っ先に知らせたいという思いもある。
 
そんなわけで9月もまた店を開けるのは金曜日と土曜日だけ。
なにかとご不便をおかけしていますが、ご容赦ください。
 
ついでに書いておけば、山の家近辺では深夜にイノシシが出没するという。
彼らは裏山の崖を下り、渓流を渡って畑を荒らす。
ヤマユリの球根が好物で、苗木を育てる隣家の畑では、
自生したヤマユリの球根が根こそぎ掘られてしまったという。
まるでアジアの辺境の地を行く特番のように、闇夜に眼を光らせ、
水しぶきをたてて谷を渡るイノシシの群れを見てみたいものだと思うのだが、
深夜というのが何時くらいなのか見当がつかない。

狭い谷を群れて渡る100頭のイノシシ、
空を見上げれば月に向かって翔ぶ1000匹のセミ、
なんて事件が起きるとしたら超シュールで腰を抜かしてしまう。
| 宮沢賢治と鉱物(天然石)変性意識 | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
| 1/4 | >>