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『ミネラ』という雑誌の神居古潭特集を読む  22:27
『ミネラ』
『ミネラ 15号』

『ミネラ』という鉱物関係の専門誌がある。
「地球の不思議発見! ジェムストーン・鉱物・化石のミネラル情報誌」
とタイトルの上にでている。
 
この雑誌は現在16号まで発行されていて、2011年8月12日発売の15号には、
「神居古潭石と北海道産ヒスイ」という記事がある。
筆者は後藤治秀さんで、ぼくの石ヤ友だちのひとり。
 
彼は目下のところ、御徒町の宝石問屋街にたくさんあるビーズ専門店のひとつに勤めている。
所用があって御徒町に行ってついでに彼を訪ねた。そのとき彼が言った。
「ミネラという雑誌に神居古潭石について書いたので見てくださいよ」。
 
神居古潭石は北海道旭川市郊外の神居古潭という渓谷(?)で採集される、
おもには輝石を主体とした変成岩の一種。
神居古潭はアイヌ語でカムイ・コタン、神々の村という意味がある。
神々が住まう聖地であり、この土地の色が黒や濃緑色をした硬い石は
神々のパワーが宿る銘石とされる。
 
神居古潭石はかつて水石(すいせき)界の貴公子といわれ、
水石関係の本にはたいがい一番目立つ位置に一番たくさんページを割いて紹介されてきた。
 
水石は古代中国の唐あたりに起源がある姿形の秀でた自然石を孤島や断崖、
山並みなどに見立てて幽玄の世界に遊ぶ天然石の観賞法のひとつで、
「水をかけて観賞するから水石という」というのはおお間違い、
もとは山水石と呼ばれたらしい。
 
日本には室町時代あたりに禅文化といっしょに入ってきて、
織田信長は銘石の1個を手に入れるために、自分の城ひとつとの交換を申し出たという。
 
最近では高度成長時代にブームになって、価格も高騰し、権威主義で
幽玄さとは縁のないオッサンたちが石の金額を観賞するようになって廃れていった。
 
この神居古潭原石を比較的低額で仕入れることに成功して、
うちではビーズや勾玉、ミニ大珠などを作っている。
幸いなことに日本翡翠と同じほどの人気商品となっている。
 
だから後藤さんが神居古潭について記事を書いたというのは、
水石を知らない鉱物ファンが神居古潭について知る機会を得られたということと、
後藤さんという新しいライターが誕生したということの、ぼくにとっては二重の喜びとなった。

『ミネラ』の神居古潭特集には、これまで見たことがなかったたくさんの現地の写真があった。
おお、ここが神居古潭渓谷なのかと眼を見張ることしきり。
 
じつは日本では糸魚川地方のほかにも7、8か所、翡翠がとれる場所があるといわれていて、
神居古潭渓谷もそのひとつ。記事にはしっかりと神居古潭産翡翠原石の写真も掲載されていた。

『ミネラ』15号はしばらくショップに置いておきます。
興味のある方は来店時にリクエストしてください。すぐさまお見せします。
| 神居古潭(カムイコタン)、水石 | comments(4) | trackbacks(0) | posted by YK
続・神居古潭ナス紺シンクロニシティの不思議■神居古潭ミニ大珠の写真 21:09
カムイコタンのミニ大珠

6月27日の「神居古潭ナス紺シンクロニシティの不思議」にはつづきがある。
7月に入って草々に震災前に注文した新製品が届いた。
神居古潭製品は10ミリ玉や8ミリ玉ビーズといっしょにミニ大珠が注文してあった。
そのなかに偶然、紺色の光を放つものが含まれていたのである。
 
室内の明かりではミニ大珠は黒っぽく、多彩な色彩が埋もれているようには見えない。
ギラギラの陽射しのもとに置くと、それはふいに濃紺色のきらめきを帯びる。
濃紺色に見えるというよりも、目にフィルターがかけられたかのように突然紺色に見え始める。
そうやって見る間に紺色が浮き上がってくる。
 
これまで神居古潭は水石ファンの宝物だった。
渋さが取り柄でピッカピカに磨かれたことがなかった。
明るい陽射しの下で、黒っぽい楕円形をした物言わぬ物体が、
ふいに濃紺色や濃緑色を浮かび上がらせ、太古の物語を語り始めるのを見るのは、
久々に胸踊る体験となった。

(平穏な日々というのは嬉しいことや楽しいことがさほど多くない。
ゴールデンキャットさんも、シルバーウルフさんも、みんなうちのショップにやってきて、
ぜひとも、ギラギラの陽光のもとで神居古潭から色が浮き出てくる様相をご覧になってください)。

(濃紺色の神居古潭ミニ大珠は明日、「今月の新製品」に5点ほど掲載予定でいます)。 


医者の意見では今回のぼくの胸の病はもっとも理想的な形で治癒していったという。
いっときは肺ガンに違いないなどと診断されて、店の休業や廃業を妄想したが、
そうならずに済んでよかった。
 
医者は毎日ガン患者と向き合っている。
今回のぼくのように不調を感じて病院を訪ね、そのまま入院という人も多数いるだろう。
クジ運がよかったということのようだ。
多数の石たちといっしょにいるので守られているのかもしれないし、
翡翠の勾玉の霊力のおかげかもしれない。

(「肺ガンの手術をします。ショップは休業します」。
などと急にブログに書くわけにもいかないなと思い、症状を小出しにして報告してきたのですが、
今回の体調不良事件はこれで終了。皆様にはご心配をおかけしました)。

(今回のぼくの事件とは無関係であるにしても、
日本翡翠の勾玉の霊力は考えれば考えるほどすごいものがあるようです)。
 
夜じゅう咳がでて止まらなくなったのが6月の始めで、かかりつけのクリニックに行くと、
総合病院での即刻の検査を勧められた。CTや血液検査などを受けると、
左肺に4センチ大のドーナツ状の影がある、白血球の数値も異様に大きい。
どうやらその状況が医者には肺ガンと合併した肺炎そっくりにうつったらしい。
 
本来なら即刻入院というところだが、元気そうに見えるので、抗生物質の投与で様子を見て、
次に肺の患部に検査用管を下ろして標本を採取する検査入院にしようということになった。

そうこうするちに咳もおさまり、肺の影は通院ごとに姿を変え、
まるで星雲の写真をみるように、ドーナツの内側へと崩壊しはじめ、薄れていった。
胃潰瘍なみの潰瘍が肺に起きて治癒していったというのが医者の見立てでて、
ぼくは命拾いをしたということであるらしい。
 
どうせいつか人は死ぬんだし、とくにこの世に未練はないし、
何時死んでもいいようなものだが、
何事によらず痛いのと苦しいのと辛いのだけは嫌だと思っていた。

死ぬときには自分が死んでいく過程をなるべくなら覚めた目で眺めていたいひそかな願いもある。
 
ひょっとしたらそれは、若かったころに見た夢のように、
黄色い光が次から次へとわき出るなかをスーパーマン並みの超高速で
飛んでいくような体験かもしれない。
 
空海は生まれる過程も死ぬ過程も昏(くら)いというようなことをいっているが全然違う。
少なくてもぼくの体験では生まれる過程は、目が眩んでしまうほどに明るかった。
 
瞑想による臨死体験では、身体が黄金の光によってまっぷたつに裂かれるほど美しく明るかった。
 
死への恐怖自体が実のところ現代文明の妄想であるようだ。
死をくっきりと見据えないと、生きている意味も見えないだろう、
というようなことをメキシコ・インディアンの呪術師が言っている。
生きていることの意味は結局のところ自分で作っていくものであって、
何のために生きているかを、時々は眺めたほうがいいようではある。

そのためには日本翡翠や神居古潭など、
天然石の愛玩が大いに役立つというのが石ヤの意見である。
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神居古潭(カムイコタン)の「玄」としたくらさにひたる ■水石界の貴公子写真 21:29
勾玉・カムイコタン

水石・カムイコタン

布団のなかは暖かい。目が覚めてもすぐには起きる気になれなくて、
冬眠中の熊にも似たまどろみのうちにいた。
神居古潭の絵葉書が脳裏に浮かんで、そうとは意識せずに眺めていた。

するとふいに風景のなかに狐が一匹現れて、
水辺に降りて川の水を飲んだ。彼はぼくだった。
狐であるぼくは暖かな陽射のなか岸辺をとことこと歩いた。
 
神居古潭(かむいこたん)は北海道旭川に近い土地の
アイヌ語に由来する地名であり、
同時にそこで採集される石の名前でもある。
神々の棲家である古くからの淵というような意味で、
石であれば神々の宿りということになる。
 
1月14日のブログに掲載した絵葉書は
モノクロ写真に彩色したものを製版してカラー印刷してある。
水石関連の書籍を見ると近くに鉄道駅があるので、
いまの神居古潭にこの時代の面影はないと思う。
 
絵葉書に宮沢賢治が夢想した土地、
イーハトーブを重ねるならそのように見えてきたりもする。
この土地では狐や狸、山猫だけではない、ダリアやヒナゲシの花、
はては鼠取りや鳥籠だって話しをする。
人が狐に変化したってなんの不思議もない。
 
水石(すいせき)の貴公子・神居古潭で勾玉を作った。
水石は一昔前に流行した自然石を眺める趣味の世界で、
関連本を読むと、盆栽に大樹や老木を見立てるように
1個の石に山水を見立てるのが、そのうち「山」の字が取れて
水石とよぶようになったのだという。 
神居古潭の勾玉は「玄」とした手触りがとてもいい。
 
漢字の「玄」は黒、昏さを意味する。
ブラック・トルマリンやオニックスのような色彩は
「黒」であって「玄」ではない。
「玄」は見定められない状態、知性をふりしぼっても
実態を把握できないことがら。
そこには人知を越えたパワーが潜んでいる。
 
風水四神の玄武にも同じ意味がある。
思うに最初は黒い亀の姿だった。
北は物質世界が開きだされてくる方位。
物質世界は見て触れて味わえるが、
それを産むもととなる世界は人間の感覚や知性では掌握できない。
それゆえの「玄」。
 
古代中国の陰陽思想は、陰陽の合一に病的なまでにこだわった。
神聖なもの、不可思議なものはすべからく
陰陽和合の状態にあると夢想し、鳳凰・きりん・豼貅・
翡翠(かわせみ)など、多くの幻想的動物は雌雄合わせて名つけられた。
 
ここでは玄武の「玄」は雄の蛇、武は雌の亀を指すことになったが、
「玄」が蛇の姿になったもとには古代インドの宇宙観の影響があるという。
 
神居古潭の勾玉の「玄」とした手触りに、
人知を超えているがゆえに姿の定かではない神々の宿りを「見立てる」。
そのように想像して、想像したものを観察する。
そうすることで神秘がいっきょに身近になる。
 
石に興味のない人たちや「気(パワー)」の世界に
うとい人たちが見るなら、
神居古潭は河原に落ちている黒っぽい石と同じに見える。
けれど「見立てる」に足るものをかくあると見立てるなら、
それがそのままスピリチュアルな世界の入り口になる。

「玄」は夕暮れと夜の境目、何かがあることが
おぼろにわかるが見定めがつかない濃い暗さ。
「玄」は古代の心情があらわになる時でもある。

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