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見えない世界で潜在意識が波立つ、縁が起動する  11:08
獣型勾玉
<縁について> 
池に雨滴が落ちる。それぞれの雨滴から波紋がひろがり、隣りあった波紋との間で干渉縞が生じる。
雨滴が多くなれば干渉によって生じる模様は読み取れなくなる。
「縁」というのもそういうようなものだろう。
潜在意識の海原で他者のカルマと自分のカルマとが干渉しあう。
それが物質世界に形となって現われる。「縁」が開かれてシンクロニシティが起きる。
こういうふうにイメージしたからといって何がわかるわけではないが、
そういうものかという気分にはなれる。
「縁」によって出会いがある。何かが始まるからといって、
それを受容しなくてはならないということはない。
無視したり拒絶したほうがいい縁もあれば、
千歳一隅のチャンスだったのに気付かずに逃してしまう縁もある。
そうやってよくも悪くも今日から明日へと縁が織りなす綴れ織がつづいていく。
(獣型勾玉は動物型精霊。彼らが良縁をかぎつけ、良縁へと導いてくれる)。


<たわいのない話> 
何年か前、小学生の男の子をふたりつれて、しばしば店を訪ねてくれる若い夫婦がいた。
不思議なことに下の男の子と自分との間に因縁の深い結び付きのようなものを感じた。
自分の息子に感じるいとおしさとは全然違って、
よく知っている人の感じがしたし、なつかしい人に会っている感じだった。
相手は小学校の低学年だから、話をするといっても世間話などできるはずもない。
冷蔵庫からソフトドリンクをだすと、彼は嬉しそうに受け取った。
空海が中国で師匠と別れるさいに、
「今生では私があなたの師匠だった。来世はあなたが私の師匠となってあいまみえよう」
と師匠は言ったという。そういう出会いがあるのかもしれない。
たわいのない話だが今昔物語にでていそうな話でもある。


<過ぎてゆく日々のこと>
彼はいつも悲しげな顔つきをしていた。顔の筋肉がよってたかって
悲しい顔を作るのに精を出しているかのようだった。
元紅衛兵が両親を告発して親友を売った。
それからチベットに下放して僧たちを辱め自殺するよう仕向けた。
そんな過去を生涯かけて償いたいと思っているかのように悲しげだった。
「人が生きていくのは哀しいね。ずーっと競争しつづけなくてはならないからだろうか」
あるときぼくは彼に言った。
「いや、存在の基底に悲しさがあるんだ」彼は言った。
心のおくには闇がある。原罪を信じる気になれないが、存在そのものが哀しいのは人間だけだろう。
「知性化されたがゆえのカルマなんだろう。仕方がないね」そんなふうな応答をした。
あんたは仕方がないと言って問題を乗り越えていく。ぼくは闇につぶされないよう足踏みする。
あんたのような知り合いがいて助かっている。彼はそう言った。
それから長い年月が経って、哲学風会話をすることもなくなっている。
(もうすぐ春だね)
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精神世界に触れる次世代について考えている ■神居古潭原石の写真 10:45
神居古潭原石
<気掛かりなこと> 
これまでは同年代の仲間に話すつもりで原稿を書いていた。
でもフェイスブックに「いいね!」してくれる人たちのことを思うと、多くは息子と同年代。
いまさらながらのジェネレーション・ギャップを自覚して、
かつての自分と同じ危うさを彼らのなかにみる。
そこに小石が落ちている、つまづくと危ないよ、と見ていると案の定、彼はそこでつまづく。
ああ、やっぱりな、と思わなくていいように、精神世界関連の記事は、
初心者に丁寧に書いたほうがいいように感じる。
気掛かりな人たちがつまづいても、飛んでいって助けるというふうではなく、
仕方がないな、と思うだけのことであるけれど。
なにはともあれ、親心としては彼らがトラブル少なく、苦悩も少なく、
元気で暮らしていけるよう願っている。


<過ぎてゆく日々のこと> 
能力開発や幸運獲得(ラッキーチャンスとの出会い)といったテーマでは、ふれる機会は少ないが、
じつのところ精神世界というのはこちら側で成功することにさほどの重きをおかない。
現世利益は信者の褒美のようなものであって、ほんとうに大事なのは精神的成熟ないし発酵にある。
宗教団体が大きな建造物を誇るのは、世俗な人たちのための宗教であって、意識の開花と同じではない。
浮き世の雑事にわずらわされなければ、この世は本気で天国だ、
そいうふうに自分を高め、向こう側へと自分を開いていくのは難しい。
どうやら人は今の状況がどのようであろうと、自己保身の本能ゆえに、
心の奥の方では自分を変容させていくことを恐れているようだ。
スピリチュルな甘露はいま、ここにあるのに、そこへと手をのばす人は少ない。
ドン・ファン/カスタネダの物語やチベットの聖者伝説のように、
人を精神世界へと目覚めさせるには日常性を超えた刺激が必要なんだろうけれど、
原稿を書くだけではそこまで案内できない。
石たちを眺めることでわかる人たちもでてくるだろう。


<過ぎてゆく日々のこと> 
天然石を使った瞑想法や能力開発の方法などの実用記事を最近はあまり書いていない。
時代は移り変わっていく。そういう要請がなければ記事を書く機会は減っていくし、
単行本に記事をまとめると、自分ではそれで終わったように感じる。
自己啓発教室のようなものを主催しているわけではないので、
同じような繰り返しのなかへ戻っていくことも少ない。
けれど気付いてみればお客さんは移り変わっていく。古くからの顧客はいずれ去っていくし、
何かの縁で新規に天然石ファンになる人もいる。
20年前にチャクラの開発法について書いたからといって、
今年30歳の人には10歳のときの出来事で記事の内容など知るよしもない。
「気」に関するもろもろの話、チャクラとクンダリニーや、クリスタル・ヒーリングなどについて、
すこしづつ解説していけば役立てられる人もいるだろう。
(写真は窓辺に飾る神居古潭石原石。コタン・アイテムを復活させなくてはと思っている)
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パワーストーンの意味について考えた ■ネフライト原石の写真  10:03
ビルマ産ネフライト

<パワーストーンの意味> 
ユーディアライトという鉱物が気になってネットで検索すると、
トップに「天然石・パワーストーン意味辞典」というのがあって、以下のようにでていた。
「ユーディアライトは女性性の深い部分に影響する石で、
自分が女性であることに対して抑圧的な思いを持っている人に対して、
自分が女性である意味を教えてくれる石です。
優しい癒しの力を持つ石でもあり、身体のエネルギーを活性させます」。
たまたま目についたから引用しているだけで、内容について揶揄したり非難するつもりはない。
これをひとつの意見として、興味はどうすればこういうことを実感できるのかという点にある。
ユーディアライトという鉱物をきっかけに、どうすると「女性である意味」がわかるのだろう? 
どうすると「身体のエネルギーが活性化されて」それを自覚できるのだろう? 
鉱物を買うだけでいいのだろうか? 
ペンダントやブレスレットなどの加工されたものを身に付けているだけでわかるようになるのだろうか? 
それとも漢方薬みたいに煎じればいいのだろうか? 考えなくてはいけない。
(写真はミャンマー産ネフライト原石。7.7kg, 250mm,
ネフライトは仙術では煎じて飲用する秘薬だった。
煎じる量や時間、火加減は秘密の知識に属していた)


<パワーストーンの意味> 
パワーストーンについて検索すると、
コーディアライトの例のように「意味」を解説したページがいっぱいでてくる。
何を言っているだか、本人もわかっていないだろうと思えるような記事もある。
コピー&ペースト一丁上がりとか、拙い翻訳満載とかもある。
自分のところも同じようにおよそ30年間、パワーストーンの意味ということを言ってきた。
自分では意味よりも「どうすれば天然石のパワーを自分のものにできるのか?」 
そのノウハウのほうがだいじと思ってきた。
そうやって7、8冊本を書いたけれど、もともとマイナーな分野であるし、
パワーを理解するためのノウハウが世の中に浸透することはなかった。
天然石のパワーは読めばわかるというようなものではなく、
長い期間かけて自分を調律することでみえてくることがらに属している、
そういうことを人はしたがらない。だから効能だけが流布されているんだろうけれど、
スピリチュアルなことどもはなにごとにつけ、「意味」は自分で体験しなくてはわからない。


<パワーストーンの意味・3> 
このところ占いづいている。山の家では片付けの一環として、
昔のネガフィルムやリバーサルフィルムを捨てる作業をすすめている。
そのなかから西洋占星術や錬金術関連の図柄をコピーしたフィルムがでてきた。
アパートでは人工宝石の成分一覧表というのを探していたら、
「惑星エナジーと関連宝石」というコピー資料がでてきた。
7つの惑星にシンボライズされた7柱の神が宇宙を治めるという考え方は
エジプトだかインドで起きたのだろうか。
星占いの12星座も星座には指標としての価値しかなくて、
生まれながらの性向や運勢を決めているのは7惑星=7柱の神々による。
小宇宙である人体にも12星座・7惑星は割り振られて、
惑星パワーの操作による病気の治療法が編まれた。
惑星パワーは色彩に象徴されたので、カラーヒーリングに宝石が使われることになった。
そのテキストみたいなのが「惑星エナジーと関連宝石」で、なかなか興味深い。
捨てることにした占星術の古い図柄にはこのあたりの解説もあったので、
拾いなおしておいたほうがよさそうだ。

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水晶球占い・脳に映像を見るコツを教えてやる 10:02
水晶球
<水晶球占い> 
水晶球占いについて知りたがっていたお客さんがいて、
そのうちHPにコラムを入れますよといって、そのままになっている。
水晶球占いには、水晶球を凝視して表面や内側に浮かぶ色のにじみの位置や色彩や形で吉凶を占うのと、
ビジョンを霊視してクライアントの問題点を探るのと、おおまかにふたつの方法がある。
ビジョンを霊視するには天性の霊視者であれば、ビジョンの解読法を学ぶだけですむ。
そうでない場合はビジョンの見方から練習しなくてはならない。
脳裏や眉間の内側に図象を見るよう練習して、図象を固定できるようになったら、
それを脳の外側、白壁などに投射して見るよう練習する。
そういうことができるようになったら、浮かんでくるイメージを水晶球のなかに移せばいい。
チベット密教の瞑想法とほぼ同じやり方だ。
HPではもう少し翡翠関連製品を充実させたら、
水晶球やルチルクォーツ丸玉などのアウトレット・ページを作る予定。


<水晶球占い> 
白日夢は夢と同じで、自我がゆるむことで起きる脳のアイドリング。
哺乳類が誕生する以前からの習い性で、脳はふいの危機に即対応できるよう、
機能を停止できない仕組みになっている。
かといって覚醒しつづけていたのではエネルギーロスが多すぎる。
だからアイドリングしてエネルギー消費の低いレベルでおしゃべりしつづけている。
これに映像がともなえば白日夢や夢になる。
ビジュアライズと違うのは、後者の場合は意図によってイメージが生起する。
それを見ている自分を意識できている。
シャーマンの霊視ではトランス状態(亡我、自我の超越)状態のなかで、
宗教性の濃い、または原初的なビジョンが生起する。
これは白日夢と似ているが密度とレベルが異なる。
瞑想で狭義の三昧(ざんまい)というのがこれに近い。
日常的な意識が変性されることでトランス状態や三昧が起きるので、
日常的な意識ではこれを理解できない。


<水晶球占い> 
水晶球占いには、1に深層心理学的、2に心霊的方法と解釈の仕方が二通りあって、
練習法も違ってくる。前者に重きをおけば、霊視は心の内奥からのメッセージということになる。
内奥のどこかに霊的世界への通路があると考えることもできる。
内的自己と表層的自我との通路の風通しをよくするために瞑想や練習が必要になる。
そのひとつがイメージを想起しやすいよう、脳に映像を見るコツを教えてやること。
サイコロやロウソクの炎をありありと思い浮かべられるよう練習したり、
仏像・仏画をありありと想起できるよう訓練する。
瞑想時に映像が浮かんだらそれを留め置いて細部を観察する、というのが一般的だ。
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五色玉は年中いつでも縁起がいい ■天然石五色玉の写真 18:57
五色玉
<五色玉の話> 
五色玉(ごしきたま)の夢を見た。
五色の布を敷いた祭壇、五色玉の供物、至る所に五色があふれていた。
どうしてそういうことになったのか、
小さな信仰宗教の教祖から祭壇をデザインするように頼まれた。
五色の布があって幅をどれくらいにするかとか、継ぎ目をどうするかなど、討論した。
祭壇の上には4つを四角に並べて中央にひとつを乗せた五色玉を置いた。
五色は大乗仏教の五元素のシンボルで5方位も象徴する。
完璧にバランスが整った世界から物質世界は開きだされてくる。
この世の苦悩・苦痛・不運・不幸・災害・事故・事件・憎悪・渇愛はバランスの乱れによって起きる。
バランスを整えればネガティブ要素は浄化されて完璧さが回復され充足・幸運につながっていく。
そんなふうに仏教では考えてきた。これは古代の呪術の基本概念でもある。
五色は物質世界のもととなる五元素を象徴するがゆえに、五色玉があること、
そのことだけでバランスの回復を意味する。
五色の夢はとても縁起がいい。12/2017/3-530


<五色玉の話> 
「外出すると浮遊霊を連れてきてしまう。うっとおしくてたまらない。それを防ぐ石はないか?」
そんな電話を2年ほど前に受けたことがある。相手は若い女性のようだった。
うちではそういう相談は受けていない、と言おうと思ったが、 
「五色(ごしき)玉がいいみたいですよ」と答えていた。
彼女は15mm丸玉の五色玉セットを注文し、しばらくしてから再度の電話で、
以来霊を背負うこともなくとても調子がいいとのことだった。
五色はそれを頼りとする人の心のバランスを整える。
それによって未浄化霊など不浄な者を近付けなくする。
仏教的には死者の霊は49日を限度に転生していく。
しかし、愛情・憎悪・嫉妬・所有欲ゆえにこの世に未練がありすぎたり
、死んだことを理解できなかったり、転生の仕方がわからなかったりして、
死にきれずに霊的な迷子になる者もいる。彼らのことを未浄化霊・浮遊霊・地縛霊などという。
彼らは自分のことを救ってもらいたくて、遺族や通りがかりの人に憑く。
寂しくて仲間を求める者もいる。
霊の存在を信じないのであればそれだけのことであるけれど、
心の問題については現代科学は幼い。


<五色玉の話> 
五色は道教では木・火・土・金・水の五気を象徴し、
中央に黄・北に黒(濃紺)・東に緑(青)・南に朱・西に白を当てる。
仏教では地・水・火・風・空の五元素に対応している。
五元素を下から積めば五輪塔になり、人体に当てはめると5つのチャクラになる。
地・水・火・風・空は黄・白・赤・緑・黒(紺)で、
チャクラの色を虹の7色に重ねるのはニューエイジ風、西欧好みの解釈であって、
ヨーガの伝統から外れている
(尾骨のチャクラの活動性を高めてクンダリニーを刺激するには黄色を尾骨に置く)。
日本の寺院では五色の旗で緑のところに青がくるのは、
緑が青から語彙分化していなかった古代の表現を、そのまま受け止めていることによる。
ここでの風は青空の色ではなく、植物の繁茂をうながすパワーの色だ。
五色は魂のバランスを整える色彩配合。
身辺のパワーの「場」を整えておくのに役立つ。

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若狭で不老長生探索者たちの足跡をみる・4 ■辰砂(シナバー)の写真 11:58
若狭不老長正
辰砂(シナバー)

<若狭と不老長生術> 
若狭を不老長生の視点からみると、遠敷(おにゅう・小丹生)の錬丹薬としての辰砂、八百比丘尼伝説、
神宮寺から東大寺へのお水送り(若水)、若狭姫・彦伝説と新羅、朱漆、
少し離れて気比神宮の長命水や富山の薬学、気多大社の鵜の神事、などなどがひとつながりになる。
当時の都からみて玄武(北)のほう、越(エツ)の国は先端技術だけではなく玄術も渡来する先進国だった。
これは大変だ、こんなにおもしろいことはあまりない、某編集者に知らせようか、
けれど「それでは記事を作ってください」といわれたら、いまはそんな余裕はない、
とそんなふうに思っていたら、某編集者当人からメールがきて、
勾玉について6ページほど原稿を書いてほしい、とあった。
「シンクロニシティだ」などと感じいって思い出したのは、
勾玉の本場と思われている出雲では、平安時代以降勾玉制作が途絶えたということだった。
江戸時代末期に再開されるのだが、主役となったのは若狭・小浜市から招かれたメノウ職人だった。
若狭メノウをネットでみると、小浜市にメノウ細工を伝えたのは海民族の鰐族と伝承されているとあった。
鰐族は竜宮の住人、玉依姫の一族で、山幸彦とともに若狭姫・彦神社の祭神となっている。
シンクロニシティが巡っていく。
(若狭の不老長生伝説を中心にマッピングしてみた。解説なしではわかりにくいと思う)


<若狭と不老長生術>  
不老長生術はいまふうにアンチエイジング・プロジェクトといいかえると見栄えがよくなり、
耳聞こえもよくなる。奈良時代前後の時代、
「越・こし」のクニはアンチエイジング・プロジェクトのメッカだった。
友人からメールがきて、生家は石川県にあり、金沢の医王山に近いとあった。
そうか医王山を忘れていた。あっちのほうには東大寺の荘園もあった。そのことも思い出した。
医王山の地名は各種薬草の産地であることによるという。
新羅(しらぎ)直伝の薬草採集、栽培が医王山近辺で繁盛したのだろう。
養生術関連の薬草では高麗人参、霊芝、冬虫夏草などが思い浮かぶ。
淫羊カク(いんようかく、羊が欲情する)という強壮に効く薬草もある。
アンチエイジング・プロジェクトでは不老長生薬膳というのもありそうだ。
奈良時代近辺から平安時代にかけての王族貴族にとって養生術は医術より重要だった。
それに関連して正倉院の宝物や中国長沙の馬王堆漢墓の軟体ミイラが思い浮かぶし、
秦の始皇帝は不老不死薬にとりつかれて、徐福を海外に派遣した。
石ヤ以前のころ、新興宗教の女性教祖&霊能力者&病院院長という知人がいて、
彼女は医王山でとれる岩石の薬石効果を評価して、医王石として販売していた。
そんなことも思いだしたりした。
写真は不老長生術に秘薬とされてきた丹生 (にゅう・辰砂)、中国産の結晶。


<若狭と不老長生術> 
上のイラストは「マインドマップ」という整理術を応用している。
たいがいのことが頭の中にグチャグチャに突めこんだままになっている。
そんななかから企画をまとめていくには脳内の整理整頓が大事で、
マインドマップは情報宇宙の地図を作るのに便利だ。
自分にとってはフローチャートより使いやすい気分でいる。
小見出しごとに情報カードを作るならもっと有意義だろうが、
そういうことをするとそれだけで浦島太郎になってしまう。
浦島太郎といえばこの人も不老長生に関連していて、
竜宮での1日は人間世界の1年に相当するというタイムラグを知らずにいた。
人魚たちは長命族で、人魚の肉を食べたことで長命は八百比丘尼に感染した。
90歳くらいまでは人間稼業も楽しいだろうが、
ハイランダ−(知っている人は偉い!)になって300歳も生きると、
骨董屋をやっていても飽きてしまうことだろう。
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古代にかえる、あるいは大珠にまつわる幾つかの物語・4 12:25
クンツサンポ
翡翠大珠

<古代にかえる・9> 
村人の数人が焚き火を囲んでいた。生乾きの草を焚き火に重ねるともうもうと煙がたった。
太鼓叩きが太鼓を叩いた。ワカクサが翡翠の石笛を吹いた。
モグラは大地を踏んで踊った。そうやって風の梯子が天から降りてくるのを待った。
やがてモグラは自分が踊っている姿を頭上から見下ろした。
風の梯子をのぼって天空の裏側に着くと銀色の毛並みをした獣が待っていてモグラを先導した。
あたりは薄墨色に沈んでいて白樺の林の間を霧がながれていた。
一人の村人が病んで意識不明になった。
身体を離れた霊魂をさがしてモグラはさまよえる霊たちの世界にきた。
魑魅魍魎がばっこする世界でもあった。
どぶ臭い匂いのする池のほとりに目当ての霊が座っていた。
モグラはもとの身体にもどるよう話聞かせて、霊の頭頂や首筋、背中を翡翠の大珠でなでた。
霊を従えて村に戻るのと符丁を合わせたかのように病人は意識を回復した。
25歳を過ぎて一人前の呪術師となったモグラはワカクサとの間にもうけた一児の父親でもあって、
子供はモグラを縮小したかのような容姿だったので村人から小モグラとよばれた。


<古代にかえる・10> 
小モグラは生まれながらの呪術師だった。
7歳になってまもなく彼は大珠で撫でるだけで骨折を癒せるようになった。
眼病は彼の吐息で消えた。
不妊に悩む女たちは彼が腹の上で振る翡翠大珠の呪術で妊娠した。
「ふるえふるえゆらゆらふるえ」彼はそうとなえて、
いまでいう不定愁訴・自律神経失調症・鬱病・統合失調症などを癒した。
呪いが現実的効力をもつ世界では人は精神を病みやすかった。
小モグラは長じて不世出の呪術師となった。
彼が磨いた翡翠大珠はくらがりでも内側から光り輝いた。
彼が両腕をあげると1万の蝶が集った。森にはいれば猿がノブドウを捧げにきた。
少女の身体に降りた森の姐さまは岩の精霊の再生とほめたたえた。
小モグラは交易によって得たとびっきりの翡翠原石から
栗のイガほどに大きな緒締めを作って村の護りとした。
「必ずや再び戻ってくる」と彼は言って天から下ろした風の梯子を上っていった。

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生きてゆかなくてはならない日々は辛く重い、ンッ? 08:55
日本翡翠特大勾玉
★11/20<過ぎてゆく日々のこと> 
新聞には哀しい記事が多い。連日紙面をにぎわせている連続殺人事件のような話は、
見出しとリードを読むだけで十分で、記事の全体に眼を通す気持ちになれない。
この世界はさほどおもしろいものではなく、個々の生命だってさほど意味があるものではない、
そんな思いに囚われてしまうと、敗者ないし落伍者になるか、悪い奴の餌食になるかになってしまう。
生きていく意味や価値は求めるものではなく、誰かに教えてもらうものでもなく、
ひとりひとりが自分で発見したり、創造するよう努めていく必要がある。
世俗の生き方では願望は年がら年中七転八倒したり七転び八起きしつづける。
そんななかでペシミズムをオプチミズムに変換できるよう尽力するのが知恵というものなんだろう。
石たちを眺めてサーンキヤを学ぶとこの発見はたやすい。


★11/21<過ぎてゆく日々のこと> 
日本ではあまり問われることはないが、仏の教えは世界を諸悪の顕現とみて、絶望から出発する。
今日の栄華は明日につづかず、友は裏切り、恋人は他の男に走るかもしれない。
医者の診断書一枚で地獄がはじまる場合もある。
未来には確約された希望は一切ない。
そんなふうにこの世をみて絶望するよう仏教は勧める。
西欧の価値観からみればあまりに悲観論的で、救いのない厭世観(えんせいかん)にみえる。
阿弥陀の浄土はキリスト教の天国と通じるものがあって(もとはひとつなので)、
このあたりが西欧人が仏教を理解できる限界かと思う。
社会の価値観に属さない絶対的な真実を求めるために、
ブッダは世の中に背を向けて修行者・求道者になった。
仏教とヒンドゥー教では「悟り体験」を置くことでペシミズムはいっきょにオプチミズムに変じる。
糞と泥に汚れた卵殻のなかにさんぜんと輝く白身と黄身が埋もれているように、
人の本質は歓喜と光輝にみちている。
生きている感覚が希薄で、人間関係に嫌悪する部分が多いようであれば、
仏教的にはとてもまともな感性のうちにあって、悟りの近くにいるということだ。
世の中がおもしろくないときはそんなふうに考えてみる。
生きているのが楽しくなる。


★11/23<過ぎてゆく日々のこと>
生きがいを感じられない。毎日が生気のないままに過ぎていく。
さらには生きているのが辛く重く感じられようになって、生きていても仕方がなく思えてくる。
こういうのは数学的に考えると、積もっていく鬱憤の量と比例している。
雪国に降る雪のように鬱憤が積もり重なると生きているのも重くなる。
鬱憤を上手に晴らさないと、いかにたくさんの浄化アイテムを持とうと、
パワースポット巡りをして、瞑想などに執心しようと、自分を浄化できていかない。
たとえば年金をパチンコにつぎこむ年寄りがいる、仕事が辛くて女狂いする中年男がいる、
やけ食いしたり衝動買いしたりが生きがいの人もいる。
こういうのは全部、あまり上手ではない鬱憤ばらしの手段で度がすぎると破滅していく。
それぞれの人がその人なりにこの問題に取りくまないと、
大量消費社会の餌食になったり、淘汰されていったりする。
(勾玉に恥じないように暮らしたい)復活002b
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精神世界的生き方をすると至福にであえる   11:23
日本翡翠(糸魚川ヒスイ)

<スピリチュアルなことども・1> 
精神世界的生き方というか、スピリチュアルなことどもというのは、何を意味するのか、
難しい質問設定だ。
たとえば自我は身体に捕縛されている。この自分を離れるなどとんでもないことだ、
そんなことをすれば自分が自分でなくなってしまう、と私たちは教えられて育つ。
これに反してスピリチュアルな生き方では自我は身体を越えていく。
身体を離れたところへと自我を拡張していくと、周囲の草木、峰の姿、川の流れ、
風の気配などとひとつになってそれらと調和している自分を見ることができる。
石たちと自分とのつながりを見れるようになる。
呼吸法や瞑想、風景の特殊な観察法は、こうした感性を助長する。
ここでは石のパワーを感じたり、チャクラを実感することは重要ではない。
自分を浄化したり癒したり、あるいは願望成就の実利を得たり、
幸福・幸運の追及が精神世界の金科玉条ではない。
こうした目先の欲望は、大河の水をバケツに汲んで自分の家庭菜園に水やりするようなもので、
もちろんそこにも価値はあるが、そういうことよりはるかに豊かな
味わいが精神世界的生き方にはある。


<スピリチュアルなことども・2> 
木や草や石や風と調和していると感じられる感性を、
トビが天空から舞い降りるように降りていくと、おおきなものが待っていることに気付ける。
大きな意識、地球意識とか宇宙意識とよぶとぴったりくる、形のない存在。
それを人格化して神や仏とよんでもいいのだが、名付けると特定の宗教にしばられることになる。
名付けようがなく形容しようがない、日常的概念を否定することでしか表現できない、
というようなことがウパニシャッドにあったようにおもう。
その大きなものが私たちの存在、この世にあるありとあらゆるものを支えていると実感できるなら、
精神宇宙の全部が巨大な羊水のカプセルとなって、
私たちはそこに浮く勾玉、スターチャイルに変じる。
古代の感性では鳥や獣や虫たちのそれぞれの美しさや不可思議な容態は
みんな向こう側の大きな意識と結びついていた。
季節の変化や朝な夕なに変わる風の味わいもまたしかり。
彼らは想像とか概念としてそう考えていたわけではなく、それらを実感としてとらえていた。
向こう側の力は母親のぬくもりや父親のたくましさなど、幼児のころの記憶と似た味わいがあった。
石はおおきな存在へと向かう扉になる。


<スピリチュアルなことども・3> 
意識は進化するのかという問いがある。脳のニューロンネットはDNAに印字されるのだろうか。
進化論の登場は宗教家や神秘主義者たちを激しくゆさぶることになった。
人類という身体や機能が進化のたまものであるなら、
次の段階として意識も進化するだろうと彼らは考えた。
人類の未来は自我の強欲さから解かれて精神世界的なものになるだろう。
ヒンドゥーや仏教的な神・仏、道教的な神仙への階梯、シャーマンの霊的飛翔は、
意識の進化をあらわしているようにみえた。
精神世界的な生き方は、信仰ひとすじの道ではなく、
現状を幼虫にたとえて、羽化登仙、仙人が霊的な身体へと脱皮するように
精神の飛躍を目指すようになった。
求道者が修行によって実現できる精神の変容を、
未来の人類は修行なして自明の原理として暮らしていくようになる。
それは火星をテラホームして人類の植民地とするほど大きくてポジティブな夢だった。
意識の拡大とか、精神世界的な生き方とはどういうことかをあらためて考える。
それらは当然のことながら世俗の生き方の見本のような政治家たちの感性とは対極にある。 
(写真の原石から制作した勾玉類を近日中に発売予定)
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息を吸って吐くだけの呼吸法の大きな楽しみ・5 10:56
圧砕翡翠

<呼吸法遊び・11> 
呼気と吸気を意識化する呼吸法は、夜中に目覚めたときに都合がいい。
眠ろうとする努力を捨てるのは心の健康にいい。
身体を弛緩させ、未明の 「気」に気持ちをゆだねる。睡眠よりもたくさん心身が休まる気がする。
老人向けの呼吸法なんだろう。世の中みんなが呼吸法を学ぶなら、
医療費は大幅に削減されるにちがいないが、こちら側の世界におぼれている人たちには、
そういうことは思いもつかない。
心の奥へ降りていくことをいけないことのように思いなしている人たちもいて、
彼らはここで書いていることと違う世界にいる。
雑念に思いがとらわれるのに気付いては戻るということをくり返していると、
意識が日常性とは比べものにならないほど精妙な状態に移行するときがやってくる。
チベットの山奥の洞窟にひとりくつろいでいる。そういう感じがする。
あるいは雑念が消えて脳裏に何もない「無」の空間がひろがるのを見る場合もある。
「やったぜ!」と思いながらそれを見る。
呼吸法も瞑想も気負いを捨てることで気楽にやれるようになる。
気負いを捨てるというのはとてもだいじなことだ。
(写真は圧砕翡翠。ここに同調・共振するとあるのは賛嘆・降参・献愛)


<呼吸法遊び・番外> 
サーンキヤの話あたり以降の呼吸法や瞑想関連の記事では、
初心者でもわかるようノウハウを展開するという単行本向きの書き方をやめている。
たとえば登山関連の特集があるとする。
装備の整え方とか疲れにくい歩き方、アウトドア・クッキングのレシピとか、
よむ側だって年中同じような記事では飽きてしまう。
山を征服するという妄想を抱かない、
自然と交合するような登山の在り方をここでは紹介したいと念じている。
心の内側へ降りてゆく。ほんとうは胸の内側や脳裏には物理的空間はないのだが、
感覚的には広大な精神世界が開けていて、意識の飛翔が可能となる。
こういうことは百冊本を読んで、山ほどの知識を蓄えても体験が伴わなければなんの価値もない。
日本翡翠原石を窓辺に置いて、「ああ、そういうことか」と思ってくれるなら、
書くことのはりあいがある。一歩先へと進んでいける人もいるだろう。
そこにはこちら側だけに執着していては知ることのできない精妙な楽しみが待っている。
もうひとつのリアリティに触れられてほんとうによかったと思えることだろうし、
意識の進化を自分の身体で体験できる。

| クリスタル・ヒーリング | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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