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翡翠原石に見入ると山中他界が開けてくる  10:35
翡翠原石
<石と触れ合う> 
天然石と触れあう気持ちのうちに精神世界を見る。
30年ほど前に石ヤになって以来今日まで、ずーっとこのスタンスでやってきた。
天然石のパワーをどうやって感じるか、パワー効果をどう生かすか、
石たちを見ることとスピリチュアルな世界を歩むことをどうつなげていくか、そうした問いと、
西洋占星術の星座・惑星と天然石の関係、世界各地の神話に語られる天然石のパワー効果、
インドと西欧の錬金術、アジア各地の医薬品としての石薬、チャクラとクンダリニー、
古代中国の気の論理と養生術、サーンキヤとタントリズム、唯識、などへの関心は、同じことだ。
同じスタンスで修験道に興味を抱いて、修験の行者たちのことをあれこれ考えている。
興味を抱いても、霊山を訪ねるわけではなく、近所の寺ひとつ見物にいくわけではないが、
猛暑の日々、修験のお山のことを思うと、頭の中は涼やかでいられる。


<石と触れ合う> 
日本翡翠の原石への偏愛は、わが子だけがどこまでも可愛くて、
他人の子にはとんと関心がないのに似ている。
ましてやfb使用の写真となると、愛児の顔写真入り年賀状に似ていなくもない。
それでも親ばかならぬ翡翠マニアには、自分の翡翠がことのほか立派で美しく見える。
まあ、なにごとによらずマニアとはそういうものなんだろう。
そんなふうなので真夏のガンガン照りのなかを石より重い翡翠原石を手に
水辺に降りる石の階段を上り下りして、撮影場所さがしに止むことのない汗をかいだ。
今夜あたり禿頭で白髭を蓄えた翡翠の精が訪ねてくるかもしれない。  7-18-3
(翡翠は並みの岩石より比重が重い)


<石と触れ合う> 
山中他界の霊山に精神宇宙の地図を見る。
こちらの巨岩に山の主(ぬし)の宿りを見る
、巨木には龍の降臨を霊視して、滝には不動明王の霊気を読む。
先達が悟りを得たり入定、寂滅した聖地があるし、なんらかの記念碑もある。
そうやって凡俗には意味のない山の中が精神宇宙のマンダラに変わっていく。
修験道の世界観と同じ構造がアボリジニのドリームタイムにもある。
そこでは荒野の道が宇宙創世を物語る巡礼の道に変わる。
同じことが弥生時代にあったし、縄文時代にもあったことだろう。
磐座 (いわくら)に祖霊が降りる。樹齢数百年の巨木に神々の意識を読む。
同じ眼で翡翠に向かうと、翡翠には宇宙の精力が宿っていることがわかる。
5千年のご先祖はそれを知っていた。
天地が交合する力、世界が生み出されていく甘美さ、
そういうものを桃の芳香をかぐようにして翡翠に感じると、
やっぱりこの石は特別だと思う。
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石に魅入ると世界の全部が断然新しくなる  10:23
圧砕翡翠
<石に魅入る・1> 
ひょっとしたら30年間くらい、ずーっと同じことを書いてる。
つまりは「石を見る」ということについて。
「見て見入って魅入ること」について。
鉱物のコクションに目覚めて、鉱物標本を入手する。天然のままの色と形の完璧さに感激する。
いくらか興味が深まると、鉱物学や地質学、あるいは宝石学へと関心が広がる。
鉱物への知識が深まれば、鉱物標本はますます興味深いものになる。
人によってはニューエイジ風精神世界への関心から石たちのパワー効果に関心が向いて、
パワーストーンのパワー効果についての情報収集に熱心になる人もいる。
「石を見る」というテーマからみるなら、これらすべてをひっくるめて、
こうした鉱物とのかかわり方は、楼門に得心して本殿に詣でないで帰るにひとしい。
神社に参拝して、手を合わせ、何事かのお願いをする。
それなのに祭神について、何も感じないで帰るのにひとしい。
レストランでのサラダバーに欲をだしてメインディシュを食べられなくなる人に似ている。


<石に魅入る・2> 
「楼門を拝んで本殿に参らずに帰る」は記憶のもとをたどると『徒然草(つれづれくさ)』にあった。
ウィキで追跡すると、「京都・仁和寺のある老僧がひとりで石清水八幡宮に参拝した。
山麓の有名社寺を拝んで、これが石清水八幡宮のすべてと思って、本殿に参らずに帰ってしまった。
そういうアホな僧がいた、と嫌みなオッサンが書いている。
ぼくたちだって一人合点(ひとりがってん)は大の得意で、
自分が思っていることに水をさされると、ムカツク。
それでもやっぱり鉱物マニアや、俗世間のパワーストーン・ファンが石を見るのと、
「石に魅入ること」を知っている人が石を見るのとは全然違うと、書いておく。
『草木国土悉皆仏性(そうもくこくどしつかいぶっしょう)という。
ありとあらゆるものに仏性(ブッダ・スピリット)が内在している。
ないし、ありとあらゆるもののがことごとく仏になる可能性を秘めている。
さらに、ありとあらゆるもののがそのままで仏性を顕現させている。
そんなふうな見方で鉱物に向かうなら、彼と我れの境界が薄れて、
石たちはそれまで見せていたのとは違う「相」をあらわにする。
昨日までのあなたが知らなかったとても美しい世界に、今日、出会えるということだ。


<石に魅入る・3> 
鉱物について組成・分子構造や結晶形に詳しくなる。
鉱物を産出する地質学的構造に詳しくなる。産地名・鉱山名をおろそかにしない。
こういうのは鉱物コレクターやファンの道だ。彼らは精神世界的な意味では石を見ない。
パワーストーンの効能に興味を抱いて、生れ星座別パワースートンとか、チャクラに効く天然石とか、
運を強める石や霊性を高める石をコレクションする人たちもいる。
パワーストーン効果の虜になってしまうと、効能のばかり目がいって石を見なくなる。
自分の生活にパワーを生かしていく方法も知らないままだ。
石に魅入るというのは両者とは違う石との付きあい方があるということだ。
それを禅とか剣道、茶道などと同じ「道」のひとつと考えてみる。
「道は知に属していない。無知に属していない。知は盲覚、無知はこれ無記」と、そういうことだ。
石ともともに歩む道は、知識に属していない。無知のままがいいということでもない。
知識に溺れる者はアホだし、無知なのは話にならん。
石に魅入ることがわかるなら、世界はとほうもなく豊かで意義深いものに変わる、
そのくせそれは、たたそこにある。
(写真は糸魚川産圧砕翡翠原石、3.50kg,190mm¥52,500) 3-176
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パワーは気配を見立てることで実体化する■日本翡翠(糸魚川翡翠)勾玉の写真 10:02
日本翡翠ギョロメ
<勾玉と見立て1> 
仏像は人の似姿に彫像される。
文化的な合意のもとにそこに仏の宿りを見立てることで仏像として実体化する。
仏教に縁のない人が見るなら、それは人物像であるにすぎず、
悪魔崇拝と決め付けることもできないではない。
空ゆく雲や木々の樹影に龍を見る。たまたま現われた形象に龍を認めるのは無意識的な見立てで、
龍と知ったとたんにそこに宿り放射される龍のパワーを実感する。
こんなふうに考えると、パワーは見立てることで宿る気配のようなものと、
人の心・潜在意識とが干渉することで実体化してくるといえそうだ。
別の表現では、気配に触発されてパワーが開かれてくるというふうにも言える。
「見立てと気配とパワーの実体化」という考え方は、もう少し熟成させることが必要だ。


<勾玉と見立て2> 
見立ての心理作用によって古代の人たちは、そこに内在しているパワーをある種の実体として感知できた。
翡翠に五徳を見たり、天然石の形状や性質にパワーを見る「見立て」のやり方は、
勾玉に関しても用いられてきた。
奈良から平安時代にかけて、出雲では国造が新任するごとに、たくさんの供物を用意し、
多勢で上京して、朝廷に新任報告をし、出雲神賀詞という祝詞を奉納した。
献上品には水晶・赤瑪瑙・碧玉の勾玉約70個が含まれていた。
神賀詞では‥傾弔糧韻白玉のように白髪になるまで長寿を保つように、
顔色が赤玉のようにすぐれて強壮でるように、
2呂諒イ諒剖未凌Г鬚靴真緻漫覆澆覆癲砲里茲Δ謀傾弔療治が平穏につづくようにと、歌われている。
古代の感性ではこれらは比喩ではなくて、こうしたパワーが実体化して気配を整え、
実現していくよう思いやった。


<勾玉と見立て3> 
『日本書紀』では地方の豪族が天皇に恭順する証しとして、
統治権の象徴だった勾玉・鏡・剣を榊の枝にかざり、
大幣(おおみてぐら)を作って献上する様子が描かれている。
想像するにそれは七夕の笹飾りに近似したものだっただろう。
勾玉は宗教=先祖崇拝、剣は武力による統治、鏡は政治の象徴で、
三権を差し出すことで地方豪族はヤマト王朝に組み込まれた。
仲哀紀では、筑紫のイトテという豪族は、恭順するにあたって、
勾玉が曲がっているよう巧みに民を納め、白銅鏡がモノを写すように正しく世の中を見て、
剣の威力で天下を平定するよう願って、これらを捧げると奏上した。
これらもまた相手をパワーアップする表現だった。
「元気に御過ごしください・ご健勝をお祈りします」など、言葉のあやとは違って、
言葉によるパワーの添加があったと考えられる。
見立てることで「気」は実体化し、認知できるものとなった。

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天然石のパワーを自分に付着させる 08:52
ネフライト
日本翡翠
<翡翠・玉と五徳> 
市販のネフライトはたいがい濃い緑色をしていて軟玉翡翠ともいう。
「気」をさげる色合いなので、気持ちが高ぶりやすい人や気が動転しやすい人が、
心を落ち着けるのに効力が高い。ちょっとのことでドキドキしてしまう、
我を忘れてしまうのは「気」が上がっているから。「気」が上がると呼吸は浅くなりやすく、
浅い呼吸では「気」はますます上がってしまう。
ネフライトは「気」を落ち着ける。何度も書いているように、中華5千年の歴史をつうじて、
ネフライトは最高の玉(ぎょく)とされてきた。
仁・義・勇・正・智の五徳が備わる宝石とされ、ネフライトを愛用すると他者の信頼を得たり、
金銭運が向上するなど幸運にめぐまれた日々を送れると伝えられてきた。
これらはみんな「気」が安定してこそのことだ。
五徳とは何なのか? 玉(ぎょく・翡翠)を持つと五徳が自分のものになる、
その仕組みはどうなっているのかについて考えている。


<翡翠・玉と五徳> 
玉(ぎょく)には五徳が宿る。
この五徳は儒教社会で求められた5つの美徳で仁・義・智・勇・潔を指した。
玉(ぎょく)特有の性質にこれらのパワーを見立てて、それを自分に付着させれば、
石のパワーは仁徳として自分のものにできた。
 嵜痢廚篭漫覆ょく)のしっとりとしたぬくもりに、他者を慈しむおもいやりを見立てた。
◆峙繊廚任蓮∪杳琢磨されることで原石の中味があらわになることに、道理に従う心、
義務を果たす意思を見立てた。
「智」は、玉を叩くと澄んだ音が遠方に届くことに、打てば響く智慧の働き、
善悪や道理を知る心を見立てた。ぁ嵳Α廚蓮玉の曲げられない一本気な性質に、勝敗の結果におびえない勇気、不退転の胆力を見立てた。
ァ峽蕁廚蓮鋭利でありながらも滑らかで他を傷つけない様相に、
けがれなく他をけがさない清らかさや純粋さを見立てた。
たとえば丸めた布を団子に見立てる。形状だけではなく味覚を想像して口中に広げるなら、
想像のなかで団子を味わえる。
それに似て古代の感性では、見立てることで実体化してくるパワーを着ることができた。


<翡翠・玉と五徳>(まとめ) 
上品質の翡翠にはうるおいがある。人肌にも似たなめらかなぬめりがある。
無機質でありながら生命を含んでいるようであり、内側から光というか、
甘露のようなものがにじみだしているのを感じられる。
そこには気配が生じる。「気」があからさまになる。
それを自分に付着させる、衣服を着るように着るつもりになる。
あるいは自分の内側に飲みくだすつもりになる。
そうすれば翡翠のパワーを自分のものにできる。自分をパワーアップできる。
石のパワーを得るにはひとつには腹で感じとるというのがある。
次には手で触れててのひらからパワーを得る方法がある。
みっつめには眺めて目からパワーを取り入れる方法。
どの方法でもパワーを丹田に降ろしてそこに蓄え、練ることで、自分のパワーに同化させていく。
これによって石のパワーを感じるだけの段階から、パワー的にも霊的にもだいぶ前進できる。
(写真上はネフライト8mm玉ビーズ。下は日本翡翠勾玉。
日本翡翠には5つの徳に加えて、「和」「愛」というもっと大きな徳もある) 017-2
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意識が向こう側へと滑りこんでいく出来事 09:19
管玉ネックレス
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<向こう側への扉> 
三種神器を思い浮かべ、勾玉付きネックレス「五百津之美須麻流珠(いおつのみすまるのたま)」を追想する。
そこには管玉がある。たとえば太さ4mm、長さ14mmの管玉ビーズに孔を通すのは容易ではない。
機械文明の現代にあってすら失敗が多く、作るに困難なビーズ作りに
弥生・古墳時代の人たちはなぜこだわったのだろう。
鉄錐(きり)があり、粒子の細かな研磨剤があったにしろ、
大根やトマトを切るようにはいかなかっただろう。
翡翠大珠のスパッとあけられた孔もそうであるし、
ジービーズ(西蔵天珠)の石の内部にまで浸透して消えることのない模様もそうであるが、
こうしたものは古代の人たちにとっては、それがここにあるだけで、
とてもありがたいものに思えたことだろう。


<向こう側への扉> 
常識では理解できないもの、想像を越えるもの。不可思議なものに出会うと、
脳は驚嘆してしまって、一時的に日常的機能がオーバーヒートする。
すると神秘の雰囲気がたちあらわれてきて、
とてもありがたい(この世にあってはならないほど貴重なものとの出会い)気持ちになる。
高い塔をそなえたキリスト教教会内部の絢爛豪華な装飾などはその典型で、
古代の人たちにはジービーズ(西蔵天珠)の石の内部にまで浸透した模様や翡翠大珠の孔、
管玉の精巧さなども同じように作用しただろうと思っている。
たとえばSFを読むように法華経を読む。
そこでは「世尊(ブッダ)の眉間の光明は万8千の国土を金色に照らす」とか「
諸仏はそれぞれ、過去の世において百千万億の仏のもとで道を修した」などなど、
途方もない数字に次から次へと出会って驚く。
やがては脳がめくらましされてしまって、茫然自失、恍惚の境地にいざなわれていく。
神秘に驚嘆できた古代の感性を回復するとパワーの世界が身近になる。


<向こう側への扉> 
常識では理解できないもの、想像を越えるもの。不可思議なもの、
あるいはとても官能的なものに出会うと、
脳は驚嘆してしまって、一時的に日常的機能がオーバーヒートする。
そこでは向こう側への扉が開く。
神秘で甘美な世界が始まる。意識が日常性から離れる、
この感触をわかる人とわからない人がいる。
神秘を受容する気持ちのある人と、はなから拒否してしまう人との違いなのだろう。
石好きな人たちは向こう側の感触を知っている人が多いと思ってきたが、
世の風潮でそうでない人もふえているようだ。
あんたとぼくとの間にはとても大きな溝があると、同業者と話していても感じることがある。
『火星年代記』の地球人と火星人の邂逅みたいなもので、地球人は理解したがたいと思ったりする。

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「パワーに目で触れる」世界の見方というものがある  10:46
タットワカード
<タットワカード> 
西欧の魔術に関心がないとタットワと出会う機会は少ない。
タットワについて始めて知ったのは古い時代の『ムー・MU』という月刊誌の特集記事でだった。
〇△□などのシンプルな図形が赤青黄に彩色されていて、
同様に〇△□の小さな図形がそれぞれ入れ子になっていた。
広告屋にみせるなら訴求力の強さに目を剥くであろうデザインだった。
とはいっても西欧魔術にはさほど関心がないので、『ムー』の特集記事は切り取って、
多段式ファイルケースのヤントラやマントラ図形のコレクションに加えてそのままになった。
それから20数年経って、書庫にダキニオラクルというタロットカード風珍品をみつけて
タットワを思い出した。それにはやっぱり、これはなかなかのものだと思えるパワーがあった。


<タットワカード> 
タットワは25枚一組の瞑想用カードで19世紀後半のイギリスのゴールデンドーンという名の
魔術団体で発案された。自分が探求したいテーマに沿って1枚のカードを選ぶ。
凝視することで補色残像が閃く。それを向こう側へのゲートに見立ててトルップしていく、
というような方法で神秘的ビジョンが得られるとした。
カードのデザインはインド思想がもとになっていて5元素を援用しているが、
象徴図形と色彩はやや異なる。
当時の西欧人にはインドの神秘思想が正しく理解できていなかったためと思っている。
とはいってもタットワが無用ということではなく、色彩をパワーの目に見える表現ととらえたところに
大きな価値がある。タットワ凝視法を体験すると、
日常的な視覚とは異なる変性意識下での視覚が開けてくる。
水晶や翡翠、鉱物たちを見るとき、
「パワーに目で触れるような」もうひとつの見方があることをここから学べる。
見て見入って魅入ることだ。


<タットワカード> 
興味深く関心はあってもそこまでは手を広げられないことが多々ある。
マヤ文明などがそのひとつで厚い本を何冊も積んであるが、ゆっくりと開く時間をもてないでいる。
同じようにタットワも心のおくのほうで灰をかぶせた埋もれ火のように長くくすぶったままになっていた。
再度タットワに向かうと、その派手派手しい色彩配色と図形の単純さに新鮮な衝撃を受けた。
タットワはタロットカードのように市販されていないようだ。知っている範囲でいえば、
40年ほど前に出版された平凡社の「イメージの博物誌」というシリーズものの
『魔術・もう一つのヨーロッパ精神史』に25枚一揃いのカードが印刷されている。
アマゾンなどでこれを購入、コピー、切り貼りしてカードを自作する。
そこからめくるめく色彩たちの旅にでかけられる。4-18-1


ヒランヤガルヴァ
<タットワカード> 
タットワの瞑想法は、古代インドのヤントラ瞑想法と同じだ。
図形を窓とか扉に見立てて、向こう側に入っていく。つまり開けてくるビジョンを旅していく。
吐息の長い呼吸法、焦点をずらした凝視法などがコツだ。
ユングが好んだという能動的瞑想法と余り変わらない。
こうした行法に馴れると、モノを眺めることと見ることは同じではないことに気付ける。
昨日までの自分はそこらの人たちと同じように石を眺めていただけで、
見てはいなかったといえるようになる。
写真は本家ヒンドゥー・タントリズムの瞑想用ヤントラ「ヒランヤガルバ(コズミックエッグ、宇宙卵)」
とよばれている。すべての始まり。
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呼吸法がパワー中枢を活性化する、元気で賢くなれる  21:09
四川省水晶
<呼吸法と瞑想> 
呼吸法でのゆっくりとした呼吸は深呼吸とおなじではない。
深呼吸はたくさんの酸素を体内に取り込むことで血液中の酸素濃度をたかめる。
1分間に5、6回程度のゆっくりとした呼吸は意図的な酸素不足となり、血液中の炭酸ガス濃度を高める。
山岳宗教の高地での荒行は人気のない場所を選んでのことではない。
気圧が低く、酸素の少ない高地では意識は変性しやすく、神秘的体験は誘発されやすい。
古い時代の資料を捨てるべく整理していたら、酸素不足が脳の機能を高めるという記事をみつけた。
脳の血液の循環は首の後ろにある頸動脈弁によって調整される。
頸動脈弁は血液中の二酸化炭素の含有量が一時的に増えると広く開き、より多くの血液を脳におくりこむ。
かくして酸素不足によって脳の機能は昂進するという。脳のエマジェンシー対策のひとつなんだろう。
ゆっくりとした呼吸、静止した身体の持続、雑念の排除、
これらは脳の思考回路にとっては大きなストレスになる。
ランニングハイと同じような状況のもとでドーパミンの分泌量がふえていく。
意識が変性すると石たちが脱皮したかのごとくに美しくみえる。石のパワーが実感できる。


<気になる話> 
胡座(あぐら)をくんで腰骨を立てる。吐息とともに気を降ろす。
いくらか練習すれば降りた〈気〉が凝集する場所がわかるようになる。
上半身の重心がそこにあって〈気〉の用語では丹田(たんでん)という。
丹は狭義では辰砂をさすが広義では凝集したパワーをさす。
パワーをため、練り耕す田のような場所だ。
古代中国では臍の奥の臍下(せいか)丹田のほかに、眉間と心臓の位置にも丹田があるとして、
それぞれ上丹田、中丹田とよんできた。ヨーガでいうチャクラ(パワー中枢)と同じで、
日本の古武術ではこれらを上から鏡・勾玉・剣のクラと名付けている流派もある。
胸の中枢には真珠の粒ほどの光が宿る。額の中枢ではアーモンド型の第三の目が開く。
比喩ではなくていくらか練習すればだれもがそれを実感できる。
臍下丹田に気が凝集するのがわかるようになると気が落ち着く。
翡翠との付き合いを深めると気の巡りがよくなって、身体を巡る〈気〉がわかりやすくなる。
タットワなど図象を用いる瞑想法では額のチャクラがいちじるしく開発される。


<過ぎてゆく日々のこと> 
夢の中で東南アジアのどこかの都市の大道りをダッフルバッグを荷台にくくりつけた自転車で走っていた。
一軒の家の玄関先に、坊主頭の老人が椅子の上にあぐらを組んで座っていた。
目があって老人が手招きした。自転車を降りて挨拶すると、老人はお茶を飲んでいけと言った。
日本の湯飲みをひとまわり小さくした湯飲みにお茶をいれてもらった。香りのいい中国茶だった。
彼は何か言ったかもしれない、何も言わなかったかもしれない。しじゅうニコニコしていた。
いまになって彼はお師匠だったかもしれないと思う。3-18-4 673
(四川省美姑産水晶。この土地の水晶は柱面のないアメシスト・タイプが多い。
多くはエピドートが随伴している。445g, 125mm)
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気について気掛かりなことのまとめ・その6  08:57
白翡翠
<気になる話・16>
『不完全百科事典〈気〉』には以下のようにある。
「(前略)古代において既知のものが、現代になって謎の存在になった。
近年になって欧米の研究家は、それを自分が発明したものであるかのようにいろいろな名をつけた。
曰く、オルゴン、イネイト、オド、N線、動物磁気、バイオプラズマ、サイコロトニック・エネルギー、
生体エネルギー、マインドパワー、ハンドパワー、など。……彼らがどのように呼ぼうと、
私たちは古来からそれを〈気〉と呼んで自明のものとしてきた。それは中国でも同じように呼ばれ、
インドではプラーナ、ポリネシアではマナ、オーストラリア先住民・アボリジニはカルンバ、
アメリカ先住民のいくつかの種族はオレンダ、と呼んできた。
ヒポクラテスは自然の魔力と呼び、ピタゴラスはニューマと名付けたという。p118。


<気になる話・17> 
は〈気〉についての話。昔書いた原稿には以下のようにある。
社会評論家の赤塚行雄氏は『気の構造』(講談社現代新書)という著書のなかで、
近松門左衛門の作品には366種類の〈気〉がでてくると書いている。
「気遣い、機嫌、気色、悋気、狂気、気の毒、病気、気に入る、気を付ける、気味、
勘気、辛気、短気、健気、気合、気掛かり、気違……」。
元禄時代同様、私たちも日常的に〈気〉の言葉を使う。
しかし今日では、元の意味を考えて〈気〉の言葉を使う人はいない。
〈気〉について考え、〈気〉に敏感になると、これらの言葉が息を吹きかえす。
世界がにわかにひろがるのを見ることができる。p118 


<気になる話・18> 
水が流れることでエネルギーを生むように〈気〉を任意の方向に働くよう仕向けると
以下に列記するような力になる。
これが能力開発とか自己啓発、ヒーリングの基本で、
触媒となるよう天然石の質感・色・形を用いる方法がクリスタル・ヒーリング。
ここでのクリスタルは水晶に限定せず、広義の「結晶」の意味。
まずはパワーを分類してみる。「行動力・熟考力・判断力・直感力・洞察力・集中力・抑制力・創造力・
想像力・統率力・魅力・支配力・精力・持続力・意思力・実行力・決断力・掌握力・適応力・表現力・
理解力・再生力・念力・予知能力・自己治癒力・抵抗力・運動能力・処理能力・包容力・吸引力・
管理能力・情報収集力・他者治癒力・超能力・応用力、など」。
かつてのうちの店のショップカードの裏側にはセルフチェックできるよう「力」の分類表が印刷してあった。
写真は糸魚川産白翡翠原石、2.4kg, 130mm 翡翠原石のイメージを下腹におくと「気」がわかりやすくなる。
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気について気掛かりなことのまとめ・その5 21:31
グリーンジャスパー
<気になる話・13> 
気の世界観では色彩を眼にみえる形でのパワーの表れと見る。
そう考えるというのではなくそのように実感できる体験があるということだ。
「色・しき」は色彩であり物質である。古来シャーマンたちは弟子にこのことを教えるのに
多大な時間を費やしてきた。こちら側を離れることで色彩をパワーの表れとみる経験世界が開けるのだが、
こちら側の価値観で頭をいっぱいにして、向こう側のことがらもこちら側の論理で
推し量ろうとする新弟子を、向こう側へといざなうのは容易ではない。
彼らはこちら側から離れなければならないところで、
まるで中有(バルド)にいて死んだことを認めたがらない亡者のように、こちら側にしがみつく。
気をゆるめる。自身の思いに呪縛されている自分を解く。
世界がしんしんと鎮まっていく様相のなかで、色彩がパワーの自己表現であることがわかる。
(写真は出雲石・グリーンジャスパー。日本人の心根をさぐるうえでとても重要な鉱物。
出雲の花仙山が有名産地だったので出雲石という) 2-18-2 294


<気になる話・14> 
「あらゆる欲望の成就されるところ、そこにわれを不死ならしめよ」三千年の昔、
リグベーダを編んだ男たちは、ソーマという向精神性植物に酔って苦悩のない世界を夢みた。
なのに生きていくことの辛さ、苦しさ、哀しみはいっこうになくならないで、
2500年ほど昔、ブッダはこちら側に執着のあるかぎり、一切のものごとはすべてむなしいと説いた。
同時に彼はこちら側の「苦」の仕組みをチャートに描いて、苦しみから抜け出す方法を教えた。
同じ頃、世界各地のシャーマンたちは幸や不幸の相対的評価を乗り越えて向こう側へと
歩いて行く道の開発に懸命になった。そうやって彼らが得たものはブッダの教えとさほど異ならず、
真如の世界はこちら側を超えたところにあるということだった。
向こう側をおし広げて、こちら側を包摂できたとき、なにか永遠のようなものに出会えて、
「いま、ここが最高だ!」といえる体験が開ける。でも、そういうことを知っている人は少ないし、
知らないままでもいいことのようにも思える。


<気になる話・15> 
気は凝固して物質になる。この過程から数字や色があらわれてくる。
数字では奇数は「陽」で男の数字、偶数は「陰」で女の数字。
「9」は10までのうち最大、陽が極まっているので最強の数字とされる。
陽が極まれば陰へ、陰が極まれば陽に転嫁されていく。
「8」は女の数字では最大。八重垣・八重雲・八岐大蛇(やまたのおろち)など、
出雲中心に日本海側で栄えた聖数「8」の信仰は母系社会だったからだろうかと、思ってみたりする。
インド神話では闇の女神カーリーの下女・眷属は8体で天然痘など疫病の女神だった。
8体が二乗されると64体になる。これらの下級女神はたくさんの母系先住民部族の神話が
家父長的なアーリア人の神話に統合された結果だ。
8を股とみて9の頭があらわれてくるのも面白い。
出雲と同じ日本海側の福井県には九頭竜川(くずりゅうがわ)というのがあって、
香港の九竜半島と親戚している。8の魔方陣から卦ができて宇宙は64に細分化される。
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気について気掛かりなことのまとめ・その4 09:50
太湖石
<気になる話・10> 
パワーが物質化するという概念のもとに、現代インドの宗教指導者サティヤ・サイババは
てのひらからビブーティという聖灰をだした。
それが奇術であろうと本物の奇跡であろうとたいした問題ではない。
聖灰を介して彼が向こう側につながっているとアピールすることが重要だった。
サティヤのサイババはシルディのサイババの生まれ変わりで、後者は灰を信者に与えて病を癒した。
サティヤ・サイババは古代人風顔立ちとアフロヘアのゆえに奇人扱いする人が多かった。
しかし著作を読むと彼はものすごく真っ当なウパニシャッドの継承者であることがわかる。
ある日のこと、ガヤトリー・マントラという光明を招くマントラがもうれつに気になって、
サイババのCDを買い、店で繰り返し聞いて暗記したことがある。


<気になる話・11> 
「パワー(気)が物質化する」と聞いて、木内石亭を思い起こす人もいるだろう。
彼は江戸時代の奇石趣味の好事家。鉱物標本はもとより奇妙奇天烈な岩石を収集しまくり、
分類整理して『雲根志』という石の百科事典を書いた。
山に湧く雲は岩からたちのぼる霊気との考えがあって、岩をしゃれて雲根とよんだ。
今日ではこれを真にうける人はいないが、当時は山の霊気を読んで金・銀・朱の
鉱脈をさぐる鉱山開発技術もあった。
いかにも山師の考えそうなことと一笑されるのがおちだが、長く石ヤをやってきたいまとなっては、
不可解な話にも多く遭遇して、まんざら嘘ではないと思っている。


<気になる話・12> 
西荻窪の店にはメインテーブルの奥深く木箱に入れてご神体水晶が埋めてあった。
これを知っているのはごく少数の人だけだった。
直径15センチ以上の無傷の丸玉が作れそうなほど大きく透明度の高い水晶ポイントで、
長さは40センチ近く、重量で20キログラムを超える大きさだった。
ある日のこと、みかけはごく平凡な中年の女性がその前を何度も行ったり来りした。
そのあげく彼女は言った。「ここに来ると足がスースーする。風があるのかと思ってもそうではない」。
他に来客がなかったので、木箱の前や上に展示してあった原石類をどかし、蓋をあけてご神体を見せた。
こういう人を訓練して鉱物探査を依頼すれば水晶はもとより金・銀・朱の鉱脈をさぐるのに
便利だろうと思ったことだった。
気は実体化して物質になるし、どういうわけか気を感じるのに特別すぐれた能力がある人たちがいる。
この能力は心霊能力と関係していそうだがそうでもないようなところもある。
(写真は太湖石。カルサイト系の岩石で、水に浸食され、
陰が陽になり陽が陰になる陰陽の風景を繰り返す。)2-18-1
| クリスタル・ヒーリング | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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