| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
ネフライトはヒスイ類似の宝石鉱物の筆頭 ■ネフライト・ギョロメ勾玉の写真 10:00
ネフライト・ギョロメ勾玉
「日本翡翠情報センター」HPの「第4章・翡翠の鉱物学/翡翠とよく似た鉱物の図鑑」
掲載予定のネフライトの原稿が予定より先にできてしまったので、ひとまず掲載します。
写真は糸魚川産ネフライト原石から制作したギョロメ勾玉。


ネフライト製品を見るにはここをクリック
 
ネフライトは日本翡翠を愛用するうえで知っておきたい宝石鉱物のひとつです。
ネフライトはアクチノライトやトレモライトなど
角閃石の極微の結晶が凝集したものをいいます。
だからネフライトは鉱物名というよりおおむね単一の鉱物微結晶が
集合・凝集した岩石名といったほうが正しいといえます。
トレモライトは基本色が白色で和名は透閃石。
これに鉄分がまざると深緑色に発色してアクチノライトになります。
和名は透緑閃石で、陽起石という漢方薬的和名もあります。
古代中国では陽起石は仙薬の一種とされ、
これを煎じたり、微粉末を飲用すれば精力絶倫になるとの考えに由来します。
漢方やインド医学では薬物に植物薬・動物薬・鉱物薬の3種を数え、
鉱物薬を最上位にランク付けしています。
アクチノライトは針状、柱状結晶の集合体として産出する場合が多く、
グリーンルチルとよばれる水晶のなかには、
針状のアクチノライトが内包されたものがあります。


「翡翠(ひすい)」という場合、少し前の時代までは、
硬玉翡翠としてのジェダイトと軟玉翡翠としてのネフライトの2種類があるとされてきました。
この区分けはいまもなお翡翠初心者にとってやっかいなことがらとなっています。
濃緑色半透明でリングやペンダントなどに使用されるのは硬玉翡翠であり、
ネフライト(軟玉翡翠)はそれに比べれば安価である、
との常識はたくさんの製品を実際に見て納得できるまでは理解できません。
またネフライト製品には色合い、質感ともに翡翠とそっくりで見分けが困難なものもあります。
ジェダイト(硬玉翡翠)の基本色は白であり、
異種鉱物が混ざることで緑・青・黒・藤色などに発色するということを知っていないと、
他の岩石と翡翠を区分けすることもできません。
富山新潟の県境地方のヒスイ海岸で翡翠原石を探すジェードハンターにとっては、
ネフライトと翡翠(ジェダイト)の違いは説明するまでもないことですが、
ときには黒いネフライトと思って捨てた石が高価な黒いジェダイトである場合もあります。
黒い翡翠と秘蔵したのが価値のない岩石だったりもします。
 

翡翠はローマ帝国の建国以来およそ2000年の歴史を通じて、
西欧では価値が認められてこなかった宝石で、
欧米の鉱物学者には重きをおく必要もなく、
中国からの玉製品と中米から運ばれてきた翡翠を同じ石とみなして
ジェードと呼びならわしてきました。
のちになって組成が異なることが発見され、
ジェードはジェダイト(Jade+iteでジェード石の意味、硬玉翡翠)と
ネフライト(腎臓の石の意味、軟玉翡翠)のふたつに区分けされるようになりました。
鉱物学的にはジェダイトは輝石の仲間であり、ネフライトは角閃石の仲間に分類されています。
輝石と角閃石は鉱物のグループ名です。
とても大ざっぱに、鉱物組成としては輝石に水酸基OHをつけると角閃石になります。
 

明治になって鉱物学や地質学など西欧の学問体系が日本に入ってきて、
日本ではジェードを翡翠と翻訳しました。
このとき「玉(ぎょく)」の英語がジェードだったので
「玉」をも翡翠と訳してしまったのが間違いのもとで、
以後日本人にとっては玉と翡翠が区別できなくなってしまいました。
玉は中国語で宝石を意味します。古代中国人にとって宝石は、
ダイアモンドやルビー、エメラルド、など透明硬質なものより、
人肌に似たぬくもりがあり半透明な石を好んだので、
ネフライトはもっとも貴重な宝石とされ、
なかでも白色半透明なものを最高の玉としてとうとんできました。
中国人がミャンマー産の翡翠を知ったのは清朝の乾隆帝(1711-1799)以降と新しく、
それまでは先史時代から明に至るまで、
最高の玉は真玉(しんぎょく)とよばれネフライトを指していました。
日本翡翠に対する審美眼を養うには、
小さくてもいいのでホンモノの原石標本をコレクションして、
機会があるごとにたくさんの翡翠やネフライトを見比べると、両者の違いがわかってきます。
| 玉(ぎょく)・軟玉翡翠・ネフライト | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
カワセミは瑞兆の霊鳥、翡翠は吉祥の宝石■日本翡翠ギョロメ勾玉の写真 23:57
ギョロメ勾玉
8月12(金)・13(土)・14(日)はショップの夏休みです。
期間中休業しますのでよろしくお願いします。

 
目下大のお気に入りの日本翡翠ギョロメ勾玉は予定通りであれば明日、
製品の幾つかを「今月の新製品」に掲載します。

10年ほど前に発行された中国の玉器オークションのカタログを眺めていると、
たくさんの白玉(はくぎょく)製品に混じって、
幾つかの翡翠製品が掲載されているのに眼が止まる。

長さ57cm、目視で10−6ミリの丸玉をつらねた翡翠ネックレスの落札価格が
中国元で55万元(1元13円で715万円)、などというのを見つけると、
ぼくらの生活感覚とは別世界の出来事であることがわかる。
白玉製品もまた日本円で100万円を超えるものは珍しくない。
 
念のために書いておけば、中国では玉製品をまとめて翡翠などとよぶことは決してなくて、
玉のなかでもっとも価値の高いネフライトを軟玉翡翠とよびもしない。
玉(ぎょく)は玉であり翡翠は翡翠であって、4千年の歴史の玉に比べて
新しく登場した翡翠を新玉とよぶこともある。
 
日本翡翠というように、なぜこの石は翡翠と呼ばれるようになったのだろう、
などという疑問が浮かんで、あちこちの本を開いて、
結局はかつて自分が書いた本に答えを見つけた。

「中国大陸でジェダイトが〈玉〉の仲間入りをしたのは比較的新しい。
ビルマ北部のカチン高原で採掘されたジェダイトが愛好されはじめたのは
おもに清朝の乾隆帝(1711-1799)以降のことで、
西太后(1835-1908)がこの宝石に執心して高価な新玉としての地位を得た。
緑色した美しい玉をカワセミ(昔の中国ではこの鳥を翡翠とよんだ)にあやかって 
「ヒスイ玉」とよんだのは宋の時代にはじまり、
新玉としてのジェダイトもヒスイとよばれるようになったのだという。」p099 
と、『宝石の力・幸運は形に宿る』(北出幸男、青弓社、¥1680)には書いてあった。
 
昔の中国では、霊獣たちを雌雄つがいの名をあてはめて呼ぶ傾向にあった。
たとえば鳳凰は、雄がホウ(鳳)で雌がオウ(凰)だった。
麒麟(キリン)や貔貅(ヒキュウ)も、キとリン、ヒとキュウというように
つがいを揃えた命名となっている。
これらは陰陽の合体を聖なる状態ととらえた往古の感性に起因している。
翡翠と書くカワセミも翡色(朱)の雌と、翠色(緑)の雄とのつがいとなるよう名付けられたが、
これは概念であって、現実のカワセミの雌雄を反映していない。
虎が現実世界にいながら霊獣とみなされたようにカワセミは瑞兆の霊鳥と考えられていたようだ。

「翡翠は赤と緑を意味していて、カワセミは雌が翡であり、雄が翠である。
ここから赤や緑色がある宝石を翡翠と呼ぶようになった」などという解説を以前に読んで、
ずいぶんと長い間、機会があるごとに赤い色をした雌のカワセミの写真を探したが、
ついぞ眼にすることが出来なかった。カワセミは雌雄同色であるようだ。
 
英語名でジェダイトという天然石を翡翠(カワセミ)とよぶようになったのは、
宝石の半透明な深緑色がカワセミの背の鮮やかで霊的な青緑を連想させたからなんだろう。
翡翠は登場したときからすでに吉祥の宝石だったともいえる。

 日本の古語でのカワセミは「そにどり」と言ったと辞書にはあって、
「青」にかかる枕詞(まくらことば)だった。
一説では「そにどり」がなまって「みどり」に転化したともいう。

「そにどり」の「に」がパワーを意味する「丹」であれば「そ」は何を
意味したのだろうと考える。ひょっとしたら弥生・古墳時代の人々は
翡翠を青いパワーの意味で「そに」とよんでいたのかもしれない。
やがてはそれが青丹(あおに)になり、あおによし奈良の都というように、
奈良の枕詞になったと、さして根拠もなく想像している。
 
宝石としての翡翠は日清戦争(1894〜95年・明治27〜28年)に勝利したことで日本に入ってきた。
大正ロマンの時代に流行して、中国の玉文化に理解のなかった日本では本末転倒だが、
玉をも翡翠と呼ぶようになり、硬玉翡翠に対する軟玉翡翠なる呼称が造語された。 
多くの石好きな人たちと同様、ジェダイト(ヒスイ輝石)を硬玉とよび、
ネフライトを軟玉とよぶ、これまでの習慣に、ぼく自身もさほど疑問をもたずに従ってきたが、
ネフライトを翡翠の亜流みたいに扱う考え方を改めなければならないと思っている。
| 玉(ぎょく)・軟玉翡翠・ネフライト | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
裏の林ではウグイスが一日中鳴いている■ネフライトの写真 22:46
nihonn
日本翡翠

↑ 上は目を凝らせばウグイスが見えるかもしれない裏山。
下はロシア産ネフライト。地球は大地の下も上も緑でいっぱい。
植物たちは鉱物の余剰として地上に誕生した。
動物や人間たちは植物の気前よさの恩恵にあずかって、ここで生きられている。


アパートの裏の林ではウグイスが一日中鳴いている。
彼らにとってはつがいの相手が欲しくてたまらず、居ても立ってもいられない気持ちなんだろう。
けれどウグイスの生殖活動などとんと無関係なぼくら人間は、
彼らの鳴き声を聞くと里山の春爛漫といった気持ちになれる。 

でもひょっとしたら、人間の若い女性たちのファッションが
ひたすら同性間のポジショニングにあるように、
ウグイスだって技巧を凝らしての鳴き声は雄同士の縄張り誇示のためかもしれないし、
鳴いているうちに自己陶酔して止められなくなっているだけのことかもしれない。
 
耳を傾けているうちにだんだんと、
林のなかのカラオケボックスでマイクを握りしめてホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョーッ……、
と喉を震わせるウグイスの姿が見える気になってくる。
 
苔色に墨を幾らか混ぜたようなウグイスの色を思うと、
鶯色(うぐいす色)した日本翡翠が浮かんでくる。ネフライトにも近いものがある。
さらにはサーペンチン(蛇紋岩)やオリビン(かんらん石)などが思いだされる。
かんらん岩がどういうものかくっきりと知っているわけではないが、
かんらん石(オリビン・オリーブ色の石)の宝石質のものがエピドートなので、
おもだったかんらん岩は黒く濁ったエピドート色をしているのだろう。 
エピドートはイブニング・エメラルドなどとよばれ、
素肌の美しさを引き立てる宝石として知られているが
(エピドートは美人度を増大させる!)、
このところ興味は個々の鉱物から鉱物の集合体である岩石に傾きがちで、
エピドートと聞くより、かんらん岩と聞いたほうが、はるかに耳がそばだってしまう。
 
かんらん岩はスカルン地帯でも生成されるが、たくさんは地下深く、
地殻の底のマントルにあって主要構成物質となっているという。
たとえばプレートの継ぎ目などで大量の海水によってかんらん岩が水和されると蛇紋岩に変じる。
 
どういうことかというと、マントルや地殻の蛇紋岩地帯では
地下世界も新緑の里山同様に緑色をしているというだ。
こいつはとんでもないことだと、見えない世界へと想像の翼を広げて驚く。
 
隕石のなかにもかんらん石を含んだものがある。
隕石はおもに‥基╂弌↓鉄とかんらん岩などの複合体、4篝仄舛裡骸鑪爐吠類されるが、
それぞれが地球の核、マントル、地殻におおむね対応していて、
原初の太陽系宇宙で地球と同様にして誕生した。

地殻も宇宙も黒一色の闇のように見えても、
その実、さまざまな色調の緑がみち満ちているなんて、なんて凄いことなんだろう。
| 玉(ぎょく)・軟玉翡翠・ネフライト | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
ものぐさ探検隊の次なる目的地・紅山文化?■玉龍と丁字頭勾玉の写真 18:01
翡翠勾玉
玉製品
玉製品
↑写真上は出土品とされる日本翡翠の獣頭勾玉
(考古学的には丁字頭勾玉という。奇妙なことに日本の考古学者は呪術が嫌いらしい)。
中が紅山文化出土の「猪龍」。下が「玉龍」。3点とも旧来の当社研究資料。


ある日忽然にひとつのことが気になりはじめる。
それまでそのことについて知らなかったわけではない。関心がなかったわけではない。
なのにそれが些細な出来事をきっかけに重大事となり、興味が燃えあがる。
 
その様相は梅の花の満開に気付くのに似ている。
あるいはポツリポツリと落ちる清水を受けて岩のくぼみに溜まった水が
一滴を契機にあふれるのにも似ている。
恋の始まりに似ていなくもない。そういう関心事のはじまりを不思議に思う。
 
今回のそれは夏・殷・周とつづく古代中国王朝文明よりも古い時代に
中国大陸の北方に栄えた「紅山文化」というのにある。

「豚龍」とか「猪龍」とよばれて龍の元祖ともくされている
玉(ぎょく)製品がここの遺跡から出土している。
このあたりでアジア初のアクセサリーである玦状耳飾が作られ、
シベリア経由で日本列島の縄文文化に伝わったという説がある。
 
香港の翡翠市場と広州の玉器市場で「猪龍」のレプリカを10個ほど購入した。
なぜこれが「龍」とよばれるのか、いまひとつ得心しがたいものがあるが、
勾玉の頭にギョロ眼の怪獣の顔をつけたものや怪獣の頭をした鳥、など形状は様々だ。
 
日本列島からは勾玉の頭に切れ込みをいれた丁字頭勾玉というのが多数出土している。
これは獣形勾玉をE字形勾玉とか櫛形勾玉とよぶ考古学用語で、
見れば見るほどイルカの笑い顔に似ている。
丁字頭勾玉は獣頭勾玉だろうと勝手に解釈して、
これをうちの日本翡翠コレクションに加えようと、
38ミリと30ミリ・サイズ合わせて200個ほど発注したばかりだったので、
「猪龍」との出会いは元祖勾玉と出会ったような親しみを覚えた。
 
紅山文化の人たちが、北陸や山陰地方へと移民してきたとの仮説がとたんに重要なものに思えてきた。
頭の中では紅山文化の文字が皆既日食さながらの神秘な輝きを放って、
他の興味あることどもを放逐せん勢いとなっている。

『季刊考古学 第89号・縄文時代の玉文化』という雑誌には
「中国東北部の新石器時代玉文化」(松浦宥一郎)という記事があって、
以下のように書かれている。

「黄河流域、すなわち華北黄土地帯の玉文化は、細かくは上流地区の馬家窯文化(前3500−2000年、斉家文化(前2000−1000年)、中流地区の仰韶文化(前5000−3000年)、下流地区の竜山文化(前3000−1500年)、海岱地区の大もん口文化(前4300−2400年)において形成された。

また、長江流域の玉文化は、中流域・三峡・江漢地区の大渓文化(前5000−3500年)とそれにつづく屈家嶺文化(前3500−2800年)、石家河文化(前2800−2400年)、馬家浜文化・松澤文化(前4000−3200年)、良渚文化(前3200−2000年)において形成された。
 
華南においては、広東省の石峡文化(前3700−2000年)の多数の玉器の出土がみられる。 

近年これらに加えて中国東北部においても玉文化が形成され、しかも玉器の起源に関わることが明らかとなってきた。東北部の玉文化は、遼寧省、内蒙古自治区の遼河流域、さらには北方の吉林省・黒龍江省にまで広がっている。とくに遼河流域地域における紅山文化(前5000−3000年)に独特の玉文化が形成されている」p92
 
これらのうちの良渚文化(前3200−2000年)は
江南から日本列島への水田稲作の伝搬経路として有力視されている。

紅山文化(前5000−3000年)からの列島への移民ないし入植を考慮するなら、
勾玉を愛玩した民の血筋・骨筋は大陸へとかえっていくことになる。

(あなたやぼくのルーツの一端が、
縄文時代後期や弥生時代前期に江南や大陸北部から渡ってきた
民にあるという仮説はとってもエキサイティングだ)。
 
1年後とか2年後にはわれらものぐさ探検隊は、
何が何でも紅山文化の土地に立ちたいとの思いに駆られて
内蒙古自治区を訪ねることになりそうだ。
| 玉(ぎょく)・軟玉翡翠・ネフライト | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
玉器市場で夢の土地・ホータンの玉商人と歓談する? 14:03
ホータン玉
ホータン玉
ホータン玉
↑興味のない人には河原の石にしか見えない。
新疆ウィグル自治区産の玉(ぎょく・軟玉翡翠・ネフライト)の原石。
眺めていると博物館や市場で見た玉彫刻が重なる。
中華文明圏で5千年の長きにわたって熱愛されつづけてきた「ジェード(翡翠)がこれで、
最近ではオリンピックのメダルにも採用された。


3年ぶりだか4年ぶりに訪ねた広州の玉器市場。
圧巻はやはり、正月に有名社寺の境内を埋める屋台を1万個ほど並べたかのような市場にある。
それらの9割5分までがビルマ翡翠を扱う店であることが凄い。
 
最初は車2台がどうにか擦れ違える道幅の両側に間口の狭い商店が軒を連ねていたのだろう。
店の入り口脇や壁際に店子(たなこ)が小さなテーブルを置くようになり、
いまでは小学生の机程度の大きさのテーブルを並べた売り子がずらりと道路の両側を埋め、
その奥に店らしい店があるという二重構造になっていて、
通路は怒鳴り散らし人を押し分け掻き分けしながら、荷車がどうにか通れるほどの道幅しなかない。
 
そういうのがメーズそのまま、
おおまかに横500メートル、奥行き300メートルほどの土地をおおっていて、
路地の多さは数知れない。
 
ここではぼくを外国人と認めて英語で話しかけてくれる人はいない。
ぼくも、すみません、日本人なんで広東語を話せません、などといわない。
気掛かりな製品があれば手にして相手の電卓を指さす。または電卓を打つジェスチャーをする。
すると相手は始めてこいつは異邦人だとか、または言葉が不自由なことに気付く。
そうやって互いに自国語で話しながら電卓コミニュケーションがなされる。
 
人体の血管に潜り込んだミクロの探検隊さながら玉器市場を歩いて旧知の店を探すのは、容易ではない。
で、別の店で目的地の名刺を見せたら案内人を付けてくれた。
 
今日の話はここから始まる。旧知の店を出て角の左手に眼をやると、
見たことはなくてもよく知っている光景が目に飛び込んできた。
 
道路の片側に黄色や茶色や白っぽい色をして脂で磨かれた大小の転石がずらりと並べられ、
男たちが石の上にかがみ込んだり、並べ直して客引きをしていた。
 
なんてこったい! ホータンの玉(ぎょく)じゃないか! ぼくは思う。
それから男たちの人相に気付く。
そこにいるのは中国人ではない。幾分かアフガン風で、
アレキサンダーの遠征の形見であるといっても不思議ではない、
荒野の匂いがする新疆の男たちだった。 

インドの北のほうでみかける男たちに似た風貌に、
まるで同郷の仲間に出会ったかのようで、ぼくはすっかりと嬉しくなる。
舞い上がると言ってもいいほどだ。
 
新疆ウィグル自治区ホータン(和田)
(ちなみに冗談のようであるけれど、ぼくが住んでいるアパートの字名も和田という)
の玉の原石市場が、そっくりと広州に引っ越してきた景観は
千歳一隅・欣喜雀躍という以外に言いようがない。

「ハウ・アー・ユウ?」と一応は英語で言う。
彼らは中国語で話しかけてくる。一言も理解できない。
それでも、まあ、同じ石ヤじゃないか。めざとく良い石を見つけてグッドじゃないかという。
相手も破顔する。
それから電卓を指差す。商談はたちまちのうちに成立して、
(このあたりのことはガイドブックのようでないことは確かだ)
夢のように美しい濃緑色をしたホータンの2キロあまりあるネフライトがぼくのバッグに入る。
 
いまのような状況でなかったら、30キロ、50キロと買い込むのだが、
ひたすらに自制あるのみで残念至極。
時間が許すなら明日にでも広州の玉器市場に戻りたい気持ちでいる。
| 玉(ぎょく)・軟玉翡翠・ネフライト | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
| 1/1 |