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日本翡翠情報センターHP「玉と翡翠」のページを更新  10:33
白玉
<日本翡翠情報センター>HP「玉と翡翠」のページを更新しました。
長く放置したままで気になっていたのですが、
このたびやっと、写真15点と原稿を加えて、ページを埋めることができました。
日本の神話伝説には正体や素材がはっきりしないたくさんの「玉(たま)」がでてきます。
それと同じで中華4千年(殷あたりから数えて)の歴史をつうじて宝物として扱われてきた玉(ぎょく)も、
日本人には理解しがたいままになっています。玉(ぎょく)は宝石という意味で、
透明宝石をありがたがった西欧に対して、中国では半透明で人肌に似た繊細緻密な鉱物が好まれてきました。
至高の玉とされてきたのが白玉(はくぎょく)で鉱物的には白色のネフライトをさします。
ミャンマー産翡翠を中国人が知ったのは18世紀以降のことで、翡翠も玉の仲間入りをして、
白玉と同じ地位をしめるようになりました。日本ではなかなか白玉に親しむ機会がありません。


<日本翡翠情報センター>HP「玉と翡翠」の更新に関連して、
ネフライト系の玉(ぎょく)について、もう少し話を進めたいが日本では、
白玉(はくぎょく)や古来からの玉彫刻に関心を持つ人はまれだ。
けれど中華文化圏では復古趣味もあって玉製品に注がれる視線がさめることはない。
鎌倉から江戸時代にかけて玉(ぎょく)を輸入する機会はいくらでもあっただろうに、
知識人たちは山水画や書に夢中になっても石製品に眼がいくことはなかった。
彼らは石を見ることを知らなかった。その影響が今日にもつづいている。
中国では白玉専門のオークション・カタログが発行されている。
香港ではササビーズやクリスティーズといった大手オークション会社が玉専門のカタログを発行している。
ぼく自身は香港の博物館で2度3度と白玉製品を見るうちに白い魔力を知った。
羊の脂味といわれる白くて半透明の色合いはながめるほどに官能的で、
向こう側へと運ばれていく感触がある。5-18-2


★6/03<日本翡翠情報センター>(玉・ネフライトと翡翠・ジェダイト)
鉱物学はわからないことだらけであるけれど、熱水の温度の関係で、
水晶の結晶が顕微鏡サイズに極微となって集積するとメノウとなるように、
ネフライト(軟玉翡翠)はトレモライト(透閃石)やアクチノライト(透緑閃石、緑閃石)の
極微の結晶からなっている。鉱物として産出するアクチノライトの多くは針状、
またはシャープペンシルの芯のような極細の棒状結晶が多数集って塊状となっている。
日本翡翠の原産地糸魚川地方でも採集できる。
ミネラルショーなどで長い間探してきたけれどトレモライトの純白針状ないし
極細棒状の結晶は見つけられないでいる。
液体のなかから固体である結晶ができてくることを析出という。
温度や圧力など、それぞれの鉱物の析出の条件があるのだけれど、
専門的に勉強しないと知ることができない。
それに角閃石は分類があまりに多彩でシロウトには全貌を理解できない。
それでも大きな神秘と驚異がネフライトやジェダイトにはある。

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大きな翡翠原石から強力パワーがにじみでる ■日本翡翠原石(糸魚川翡翠)の写真 08:43
日本翡翠原石
<大きな翡翠原石> 
34キロの日本翡翠原石を撮影した。
宅配便のドライバーは50キロほどをひょいひょいと運んでいくけれど、
錆びた身体ではそうもいかない。
えんやこらどっこいしょと原石に取り組み、ついにはふたりがかりで撮影台に運んだ。
撮影ということになると、品定めするのとは異なる視点からに石に向かうことになる。
ポートレートを撮るように、右を見たり左を見たり、
斜め上とか下のほうから被写体を眺めて、きれいな顔を探す、
そうこうしているうちにそれまで気付けなかった石の顔と対面する。
ある瞬間、石たちのなかに埋もれていたパワーがスパッとあらわになることもある。
この34キロの翡翠原石のなかには、
雑木が茂った古墳ほどの大きさの丘陵ひとつ分ほどの意志が埋もれていた。
34.4kg,350x320x140mm,切ると相当に質の高い製品が作れるもよう。


<大きな翡翠原石> 
うちで扱っている日本翡翠原石は新潟県と富山県の県境地帯、糸魚川地方で採集された。
だから糸魚川翡翠というようにコシヒカリやトチオトメみたいなブランド名でよばれたりしている。
マニアになると、収集地の地名や河川の支流名にこだわり、
入りコン沢、ヨシオ、金山谷(きんざんだに)、横川、大所川、青海川と産地の特定に熱意をそそぐ。
ぼくの場合はなにごとによらずマニアになりきれないでいる。
あまりこちら側のことに執心できないので、しかたがないことと思っている。
産地へのこだわりもさほどないのだが、この原石は購入時にヨシオのラベンダーときかされた。
ヨシオ滝は小滝川の天然記念物指定地域よりさらに上流にあって、
現在は翡翠原石の採集はもとより入山も禁止になっている。
かつて原石の盗難騒ぎがあったせいという。
この34キロで濃紺色のくっきりとした斑模様が入った原石は、
いまとなっては博物館クラスのおおもので、とても貴重だ。
刻んでしまうのがもったいないことではある。


<大きな翡翠原石>  
34キロの翡翠原石があまりに立派だったので調子づいて他の大きな原石も撮影してみた。
どれもが加工用に保管してあるものだ。
うちで扱っている日本翡翠原石(糸魚川翡翠)は、糸魚川市内の業者から仕入れたものと、
プロ級のジェードハンターから買い入れたものとに大別出来る。
前者のなかには30年以上前に最終されて業者や収集家の間を巡ってきたものがある。
後者のなかには購入した時点で、姫川支流の河原で採集されたばかりのものもある。
河原や渓谷での採集は禁止地帯を除けば、重機を用いず、
手で運べるものであれば一応は黙認ということになっている。
それでも、河原で探石しているのを地元の見回りに見咎められてトラブったという話も聞いている。
地元の人たちにとって県外から雑多な人たちがきて、
縄張りを荒らされるのは当然楽しいことではない。
おまけに町から田舎へ行く人たちは、田舎ではなにをやっても許されると思っているふしがある。
うちの倉庫近辺でも同じことだが、町からくる人たちは好き勝手な場所に車をとめ、
垣根がないことを幸いに他人の庭に入り込んで野草を抜いていく。
彼らに好意など持ちようがない。
ジェードハンター初心者は河原に近付かないほうが無難だ。
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ニギハヤヒの十種神宝と死者を蘇生させる超絶の玉・3 22:35
十種の神宝図
紅白の勾玉
写真上は子之神社(神奈川県足柄下郡湯河原町)に伝わる十種の神宝図(部分)、
下は赤メノウとオパーライトの紅白の勾玉。
紅白の勾玉は筆者の想像で上の図象と直接の関係はない。



<十種の神宝・7> 
以前にある修験の修行者のところで、
霊媒に役行者の霊が降りるのを見せてもらったことがある。
霊媒は30代の小太りの女性だった。彼女が身体を左右に小刻みにゆすった。
正座した膝が床を離れるほど激しく震えて、忽然と居住まいを正した。
武士の気配が満ちた。そうやって彼女は男の声で話しはじめた。
映画の一場面を見ているようだった。
ニギハヤヒの「ひふみ祝詞」のことを考えていて、こういうことを思い出した。
あとになって神懸かった人たちをバリ島やインドでも見たが、初体験の印象は強烈だった。
「ふるえ、ふるえ、ゆらゆらふるえ」は一には玉(勾玉)を振る、
二には魂をふる(魂振り)、三には身体を振ることともとれる。
身体を振るのはゆすったり回転したり舞ったりする所作を含む。
身体を開くことで向こう側のパワーを受ける身体環境が整っていく。


<十種の神宝・8> 
「ふるえ、ふるえ、ゆらゆらふるえ」と繰り返すと。
恐山のイタコが死霊をよぶようなおそろしさがわいてくる。
ふるえふるえる波動のうちに神霊・祖霊が降りてきて形をなす。
気のゆるみをついて邪霊もやってくるので、
祈祷には「場」の浄化と我が身我が心の潔斎が欠かせない。
意識が変性して向こう側へと調律された状態では
あらゆるものが振動のうちにあることがわかる。
十分に気持ちを落ち着けてから、焦点を合わせないように風景を見ても、
世界がこまやかに振動している様を見てとれる。
波動はものごとに内在するパワーであり、「質」の良否を決める。
近代合理主義的な論理に洗脳された頭ではこうしたことを理解しづらいが、
100年ほど前までは、世の中の人たちみんなが、
この世は波動の縦糸横糸に織りなされた「模様」であることを知っていた。
世界がしんしんとふるえふるえているなかで玉を振る。
魂(たま)は共振して、
革袋にいれた酒が振られることで美酒となるように元気に成長していく。
美しい勾玉と親しむとそういうことがわかるようになる。


<十種の神宝・9> 
ニギハヤヒの十種の神宝の図象が以外なところに埋もれていた。
隣の家を訪ねたら探していた掛け軸がかかっていた、というような出来事だった。
インターネットのなかに「子之神社(古神道本宮奥の院、関東最古・子授け子育ての神)」
のホームページがある。神奈川県足柄下郡湯河原町に鎮座する古くからの神社で、
幾分かお付き合いさせてもらっている。
HPの「祈祷・祈願案内」に移行して、「霊宝・十種の神寶の図」を見つけた。
足玉には上父、道反玉は母下との添え書きがある。
古い時代には男の精液の一滴を母の血で養うことで胎児は成長すると考えられていた。
精液は脊髄で作られる生命の種子だった。
だから古代中国やインドでは精液の浪費は骨髄の枯渇、
老衰を促進すると考えられるようになった。
またここから男は白、女は赤の色彩象徴が編まれた。
ニギハヤヒの時代を想定するなら足玉は白、道反玉は赤の勾玉ということになる。
子之神社第72世宮司の穂積天佑氏におうかがいすると、
「十種神宝の祈願」はいまでも効力の強い祈祷法とのことだった。
紅白の勾玉と十種の神宝との結びつきはは筆者の想像によるものだが、
縁起のよさ極上。新しい年の大願成就につながりそうだ。

子之(ねの)神社のHPを見るにはここをクリック
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ニギハヤヒの十種神宝と死者を蘇生させる超絶の玉・2  21:52
日本翡翠飛龍
<十種の神宝・4> 
\原漫覆いたま)は病気治癒のための癒しにもちいる。
∋猗振漫覆靴えしたま)は長寿を願う祈祷にもちいられたと推察できます。
B玉(たるたま)は財産の確保に、
て使振漫覆舛えしたま)は文字から推理すると呪いの防御・呪い返しにもちいられたようです。
目的に応じてこれらの呪具を手に、
「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここの・とう」と数えて、
「ふるえ・ゆらゆらとふるえ」ととなえて、揺り動かすなら、
死者をも蘇生させられると伝えられています。
これらは「布瑠の言(ふるのこと)」、「ひふみ祝詞」とか「ひふみ神言」
といわれていますが、勾玉に関連した古代呪術の片鱗に触れられる思いがします。
数をかぞえること、揺らすこと、振動を与えることは
パワーの世界を招く人類共通の感性のようです。この類いの発想では、
病人の写真の上でペンジュラムの要領で勾玉を振ると遠隔治療もできることになります。


<十種の神宝・5> 
ニギハヤヒの4種の宝玉は時代から想定するなら日本翡翠の勾玉です。
『先代旧事本紀』が編まれた平安時代初期の人たちのことを考えると、
彼らは勾玉も翡翠も知らなかった人たちで、もとの神話では勾玉であっても、
宝玉は不老不死の霊薬同様、
形の定かでない神話的な存在になっていたということになります。
振るというのは単純に考えてペンダントかネックレス状のものを振ったのでしょう
(両手に包んで回したのかも)。
大祓にもちいるような人型に切った紙にクライアントの氏名を墨書して、
その上に宝珠をかざして、ペンジュラム占いするように
宝珠が円を描いて振れるにまかせると、神道の呪術っぽくなります。
さ庭に酒や管玉、麻の布を供え、勾玉を振って、願うところのことを、
恐れおおいことと畏怖しながら畏みかしこみ申し上げる。
そうやって祖霊の力は勾玉を介して向こう側からこちら側へ降ろされたように思えます。


<十種の神宝・6> 
くわしくは拙著『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』
(北出幸男、青弓社、2016)の176ページにありますが、
玉が若返りの霊薬であったと信仰されていた様子が万葉集にみてとれます。
「沼名川の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも 
あたらしき君の 老ゆらくおしも」。
「ヌナカワの底にあるという玉はお金で買えるものだろうか、
探しにいけば拾えるものだろうか、
このうえなく立派なわが君が老いていくのが惜しくてならない」。
ヌナカワを現在の糸魚川市の姫川に同定して玉を翡翠とする意見がありますが、
万葉の歌人たちにとっては翡翠勾玉は忘れられていました。
古代中国の神仙術では玉(ぎょく、ネフライト)は仙人になる霊薬として煎じたり、
粉末にして服用したりしていました。
翡翠勾玉のおぼろな伝承と中国の玉伝説が混同されてこの歌ができています。
翡翠勾玉は古墳時代までは単なるアクセサリーではないのは勿論のこと、
護符を超えてより呪術的な使用法があったことだろうと考えるこのごろです。
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ニギハヤヒの十種神宝と死者を蘇生させる超絶の玉・1 10:38
翡翠勾玉

<十種の神宝・1> 
日本神話には、意のままに津波を起こしたり引かせたりする魔法の玉とは別に、
もっと強力で、自然の摂理をくつがえす呪力のある玉も登場します。
これも時代から想定するなら日本翡翠勾玉ですが、
語り手は奈良時代以降の翡翠も勾玉も知らない時代の人たちであるらしく、
「玉(たま)」としか表現されていません。
このことは金剛をダイアモンドの訳語と知らなかったために、
神話的な超金属だと想像してしまった昔の仏教学者に似ています。
この魔法の宝玉の持ち主はニギハヤヒといい、物部氏や穂積氏の遠祖とされています。
ニギハヤヒは『記・紀』でも語られていますが、
彼が所有していた十種の神宝については『先代旧事本紀』という、
物部(もののべ)一族ゆかりの者によって、
平安時代初期に編纂されたとする歴史書に記載されています。


<十種の神宝・2> 
天武天皇までの日本の古代史は、
専制君主国家の成立にむかって有力豪族が順次凋落していく過程を示しています。
物部(もののべ)氏は仏教伝来に際して反崇仏派であったために
蘇我氏に討たれて没落していきました。
けれど物部氏は各地に勢力を広げていた一族であることや、
武力と呪術にすぐれていて反権力的なロマンのある氏族であるためか、
今日なお人気があります。
記紀神話ではニギハヤヒは、
ヤマト王朝が始まる前の大和一帯の(おそらくは祭祀的な)統治者として登場します。
彼の出自も高天が原にあります。
ヤマト王朝の創設者カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は、
南九州から大和へと無目的に遠征してきたわけではなく、
ニギハヤヒの名を聞いて同族の天津神に会うために東征してきました。
紆余曲折あってニギハヤヒから十種の神宝を見せられて同族であると納得する次第です。


<十種の神宝・3> 
ニギハヤヒは呪術師であり彼の呪術や神祭りの修法は物部一族に伝承された模様です。
物部氏は神道呪術の主宰者・継承者なので仏教伝来に反対したのは当然の成りゆきです。
十種の神宝(とくさのかんだから)はニギハヤヒが高天が原から降臨するのに際して、
天津神であることの証拠の印しとしてアマテラスから贈られました。
それらは以下のとおりです。
玉として\原漫覆いたま)、∋猗振漫覆靴えしたま)、B玉(たるたま)、
て使振漫覆舛えしたま)、鏡はゲ津鏡とκ嫩填澄
ショール(薄い布)としてЪ愴耄蕁覆ろちのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、
品物之比礼(くさぎさのもののひれ)、加えて八握剣(やつかのつるぎ)の十種です。
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ショッピングページの日本翡翠原石は3つの区分■日本翡翠原石の写真 12:14
日本翡翠原石
★HPショッピングページの日本翡翠原石は、
_聴Δて本翡翠原石、▲機璽咼紘福↓F蛋品、の3段階に別れています。
日本翡翠は国の石にも選ばれて人気急上昇中、
自分もひとつ手に入れてみようという、日本翡翠初心者の方には
「_聴Δて本翡翠原石」がお勧め。
手に握る感触を楽しみ、親指でこすりこすりしているうちに石がなじんできます。
表面の乱反射もとれて色味も変ってきます。
最初は無愛想で地味であっても、順次可愛く見えてきます。
日本翡翠や神居古潭石のような原石は「石を育てる」ことで持ち主も育っていきます。


★日本翡翠原石のとくにお勧めはM1とかM5と
品番にM(中サイズの略です)がつく原石たち。
3万円とか5万円の価格になってしまうので気安く購入できないと思われがちですが、
終生の友としてさらには孫子の代まで残せるよう、
個性があってパワーが満ちみちる原石を集めてきました。
ヒスイと向かうというのはちょっと大袈裟にいえば日本の古代史に向き合うことであり、
古代から連なる魂の癒しになることを理解できるようになります。


★バーゲンアイテムの日本翡翠原石は2つ3つとコレクションを
増やしていきたい方を想定してのバーゲン品です。
初心者の方が手にするといくらか地味に感じられるかもしれません。
石と仲良くする、石と気持ちを通じあわせる、
そうした心構えがないと、白っぽくてこれといった特徴のない翡翠原石は
味わい深さに欠けると思います。
なるべくゆっくりとした呼吸、丹田に気持ちを降ろす思い、
そうして両手に翡翠原石を握って、揉んだり撫でたり握ったりしているうちに、
翡翠原石はそれまで内側に秘めていたパワーをあらわにしてくれます。
心落ち着けて天然石に向かう、
そうしたことをマスターするのは学びがいがあります。
石たちと仲良くすると世の中も自分に対して好意的になります。


★翡翠の基本色は白で、これら白っぽい日本翡翠の色の再現が
とても難しくて困惑しつづけています。
ホワイトバランスをマニュアルにしたり、色温度を変えてみたりしても、
半絞り程度露出を変えるだけ、コントラストを少しいじるだけで
もう再現される色が変ってしまいます。
おまけにモニターを変えると発色も変ってしまうし、
ノートパソコンの場合はモニターの角度を変えるだけで明暗に変化が生じます。
また人は自分の無意識的な思い込みにしたがって、
しいていうなら自分が見たいようにものごとを見る傾向もあるので、
メールオーダーの場合、送られてきた原石を見て、
PC画面で見たものとは違うという感想が生じることもあるようです。
翡翠原石は見た目は地味でも、手になじむにしたがって味わい深さが増してきます。
気長に愛用していただければと思います。


★日本翡翠の原産地は新潟・富山の県境地帯。ここがいま原石の枯渇に悩んでいます。
往年のヒスイハンターたちが、このところ原石を拾えなくなったと
口をそろえるほど事態は深刻なようです。
主な原因は姫川と近隣海岸の護岸工事が進んで、
翡翠原石が海岸に打ち上げられなくなったことにあるといいます。
所轄の違いゆえのことと思いますが、
昔ながらの土木建築概念で河川の洪水や海岸の浸食を押えたい行政と、
翡翠を観光資源にしたい関係市町村の思惑には大きなずれがあって、
「翡翠が拾える!」という宣伝文句につられて出かけたけれど、
ヒスイ海岸に翡翠はなかったというケースが増えていると聞いています。
いまでは小さなものでも翡翠原石は貴重です。
ヒスイ・ハンティングに出かけるには、
翡翠原石とはどういうものかを十分に知ってからにしないと、
海岸で原石と出会える機会はいっそう少なくなります。
ヒスイ海岸が糸魚川市や朝日町の観光地チラシのなかだけの存在とならないよう願っています。
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続・日本神話・山幸彦の魔法の玉は勾玉だったようだ■日本翡翠勾玉の写真 10:24
日本翡翠大型飛龍
極東の地中海

<日向三代の神話・3> 
構造的にみて、日向三代にはオオクニヌシの国譲りとヤマト王朝建国との
隙間を埋めるためにあとから挿入された物語のような雰囲気があります。
それもあって古代史的には創作された神話とされています。
学問的には初期ヤマト王朝の出自は謎のままです。
この時代、日本列島には勾玉を先祖祭りの聖具とする文化が栄えていました。
弥生時代の終盤、卑弥呼は古代中国三国誌の魏に後ろ盾を願った。
邪馬台国と対立していた南九州の豪族のなかには呉の援助を求めるものがいた。
そうした時代の記憶が日向三代に影をおとしていると想像すると、
極東の地中海で活躍した海人たち・倭人が身近になります。
異国の神話伝説を眺めるように自国の古代史をみると、
教科書とはだいぶ違う古代の姿が浮かびあがってきます。


<日向三代の神話・4> 
海幸彦と山幸彦の物語には、
意のままに津波を起こしたり引かせたりする魔法の玉が登場します。
ここでは兄の海幸彦が悪者です。
竜宮城に滞在するうちホームシックになった山幸彦が海神ワタツミに帰郷を願いでます。
ワタツミは海幸彦の横暴さをこらしめるためと称して、
津波をよぶ「潮満珠(しおみつたま)」と潮をひかせる「潮干珠(しおふるたま)」を
山幸彦に与えます。
ふたつの宝珠は時代背景を考えるなら日本翡翠の勾玉になるのですが、
形状も材質も定かではありません。
理由を考えるに、奈良時代の『記・紀』の編集者たちは
帰化人が多かったらしいこともあって勾玉を知らなかったこと。
「玉(ぎょく・ユウ)」はほぼ中国王朝の占有物で、中華以外の土地には伝わらず、
玉は正体不明の魔法の品であったことなどが考えられます。
(ショップでは山盛りした日本翡翠製品を手にとって選べます。
年末セール期間中はどれも2割引)。
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日本神話・山幸彦の魔法の玉は勾玉だったようだ ■日本翡翠勾玉の写真 19:19
日本翡翠勾玉
勾玉の由来を探ると日本神話に無関心ではいられなくなります。
なぜこういうものが作られてお守りにしたのか、思い入れが神話にたくされています。
フェイスブックでは水晶ポイント陰刻人魚像を紹介したおりに、
日本神話にも人魚がいたという話になって、
ここから海幸彦山幸彦と魔法の玉についての物語を解説しました。 
人魚は海人一族の王女で、トヨタマヒメ、タマヨリヒメという
翡翠や真珠にちなんだ名前で登場します。
山幸彦(神武天皇の祖父)の子供を妊娠したトヨタマヒメ(豊玉姫)は
夫のそばで出産したいと、竜宮から山幸彦を訪ねてきます。
出産に際して覗くなといわれた山幸彦はやっぱり覗いてしまうと、
産屋では大きなワニザメ・人魚が難産に苦しんでいました。
姫は怒り、赤子を置いて竜宮に帰ってしまいます。
でも息子を放置したわけではなくて、妹を乳母として地上に送り、
やがて乳母と息子は結婚します。
この神話には日本列島にやってきた天孫族が陸や海の先住民と結び付くことで
地歩を固めていった歴史が託されています。


<日向三代の神話・1> 
日向三代の神話はアマテラスの孫のヒコホノニニギが高天が原から地上へと、
空飛ぶ岩舟で降りてくる天孫降臨から始まります。以下はこの神話の粗筋です。
ニニギは山の神の娘コノハナサクヤヒメを娶ります。
サクヤヒメは不貞の疑いを晴らすためウケヒして火をつけた産屋で出産します。
長男がホデリ(火照命・通称海幸彦)。次男がホスセリ(火須勢理命)。
三男・ヒコホホデミ(日子穂穂手見命、通称山幸彦)です。
山幸彦は竜宮詣でして
海神ワタツミ(綿津見神)の娘トヨタマヒメ(豊玉姫)とまぐわいます。
生まれた王子が三代目のウガヤフキアエズ(鵜葺草不合命)で、
彼はトヨタマヒメの妹であり
自分にとっては叔母で乳母のタマヨリヒメ(玉依姫)と結婚して
もうけた王子のひとりがワカミケヌノ(若御毛沼命)。
彼は東征してヤマト王朝の始祖になり、
カムヤマトイワレヒコ(神倭伊波礼毘古命)と名乗ります。
後に神武天皇とよばれるようになりました。
豊玉姫と玉依姫は豊魂姫・魂依姫で、祖霊を身体に降ろして託宣する巫女の名前です。


<日向三代の神話・2>
日向三代の神話は、一にアマテラスとスサノウとの和合、
つまり天と海との交合によって生まれた王子の息子が地上におりて陸の王の娘と結婚する、
つぎにその息子が海の王の娘と結婚する。
さらに次の息子は新しい土地を求めて東征して、在地の豪族の娘を娶る、
というふうになっています。つまりは天地の承認をえて降臨する。
陸と海の祭祀権を得たうえで征服地に地歩を築いていき、ついには列島の覇者になる。
こうした天孫族の王朝確立の歴史を、
母系社会に婿入り婚によって入りこんだ父系文化の一族の物語ととらえると、
古代史はいっそう興味深くなります。
しかもこのパターンは応神天皇を経て継体天皇の時代になるまでつづいていきます。
こうした神話が誕生した背景には、『記・紀』の編集者たちにとって、
国の統治は天地のパワーの加護と、
陸や海など土地の霊を鎮めることができて可能になるとの、
呪術的な思いいれがあったと思えます。
(写真は日本翡翠38ミリ勾玉。大サイズに属していて、
日本の職人が作るにはちょっと難儀な大きさなので、あまり作られていない。)
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続・日本ヒスイは国のたからもの。ヒスイが国石になりました 13:50
『日本ヒスイの本』
★「ヒスイが日本の国の石に選らばれた」というニュースを受けて、
何人かの人たちが「あれっ、水晶じゃなかったの?」と思ったようです。
国石は法律で決めるというようなものではなく、任意の団体が発表して、
世の同意が得られればまかりとおっていくということがらに属しています。
日本の国石が水晶の噂は『宝石と鉱物の文化誌』
(ジョージ・フレデリック・クンツ、鏡リュウジ監訳、原書房、2011)に
由来しているんだそうです。
甲府の水晶研磨関連の団体が「ヒスイだけじゃなく、水晶も加えてください」といえば、
国の石はヒスイと水晶ということになって、水晶球のように丸くおさまったことでしょう。


★ヒスイが国の石に選ばれた理由について、
2016年09月25日付けの朝日新聞の記事では以下の3点に要約してありました。
.劵好い脇本でも採れる宝石である。
国石とするにふさわしい気品と多色性。
F本列島には世界最古のヒスイ文明が栄えていた。順次概観します。
.劵好い魯瀬ぅ▲皀鵐鼻Ε襯咫次Ε┘瓮薀襯鼻Ε汽侫.ぅ◆Εャッツアイの
5大宝石と肩を並べる貴重な宝石で、日本列島で産出する数少ない宝石のひとつです。
国産ヒスイは糸魚川翡翠と商品名でよばれることもあって、
ヒスイのまがいもののように思われたりもしますが、
世界各地で産出する水晶が同一成分であるように、
ミャンマー・ヒスイと日本ヒスイは同じ成分の宝石です。
ヒスイ海岸を散策するだけでヒスイ原石を採集できるというのは、
世界のどこにも例のない格別に凄いことです。


★ヒスイが国の石に選ばれた3つの理由の第二は、多色性と高貴な気品にあります。
高品質のヒスイ原石には幾らか透光性があって、
小さくカットしてルースやビーズにすると半透明でとろ味のある製品になります。
こうした製品ではヒスイの優美で高潔な気高さがいっそう際立ちます。
ヒスイは緑色の宝石と思われがちですが、
基本色は「白」で、異種鉱物との混合によって、
緑をはじめ藤色や青・黒・赤などに発色します。
ヒスイは眺めているだけで気持ちが華やぐ宝石です。
日本人との親和性が高いのも国石に似つかわしい特長です。


★ヒスイが国の石に選ばれた3つの理由の3番目は、
日本列島の民とヒスイとの付き合いの長さです。
縄文時代には世界最古のヒスイ文明が栄えていました。
大珠(たいしゅ)というヒスイ製呪具で最古のものは約5千年前に作られました。
縄文時代前期(約5530−6750年前)に属する富山市の小竹貝塚遺跡からは
さらに古いヒスイ小片が発掘されています。
縄文・弥生・古墳時代とつづく国産ヒスイと日本人の付き合いを眺めると、
日本人の精神性はヒスイによって育てられてきたといってもいいほどです。
拙著『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、2016)では
古代の日本人の精神性とヒスイとの関連について、おもに呪術の視点から詳説していて、
これまでにないヒスイの歴史の本になっています。
ヒスイと日本人をテーマに『日本ヒスイの本』と「ヒスイが国石になった」ことの間には
ちょっとしたシンクロニシティがあります。
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日本ヒスイは国のたからもの。ヒスイが国石になりました 12:42
日本ヒスイ・ブレスレット
ショップ<ザ・ストーンズ・バザール>店頭配布用のチラシ「THESTONES EXPRESS」の
最新号を製作しました。タイトルは「ヒスイが日本の国石に選定されました」。
全文は下記のとおりです。ほぼ同じ内容の記事は
「日本翡翠情報センター」HPの「BOOK関連書籍」ページにも掲載してあります。

日本ヒスイは国のたからもの。ヒスイが国石になりました

★翡翠(ひすい)が日本の石(国石)になりました
。日本鉱物科学会で日本の石(国石・こくせき)を選定することにして
「ひすい」が選ばれたのです。


★国石は国の花や鳥のように各国が独自に選んでいるもので、アメリカはサファイア、
イギリスはダイアモンド、イタリアは珊瑚、などとなっています。


★サファイアはキリスト教の創造主の崇高さを象徴する宝石で、
アメリカは建国以来、紙幣に明記されているとおりのキリスト教国です。
英国王室には世界の有名ダイアモンドが多数コレクションされていて、
イタリアはかつては珊瑚の有名産地、江戸時代に流行した胡渡りの珊瑚はイタリア産でした。
ニュージーランドの国石がネフライトで、オーストラリアはオパールなのはいわずもがなです。
中国は北京オリンピックのメダルにも使用された玉(ぎょく)が国石です。
玉は日本では翡翠と翻訳されますが、ネフライトと翡翠の両者を指します。


★「ひすいが国石にふさわしい条件として、学会は‘本でも採れる宝石として有名、
⇒名な緑に加えてラベンダー色などの多様性と半透明の風合い、
世界で最古のひすい文化[約7千年前]となったこと、などを挙げている」
(朝日新聞、2016年09月25日)


★かつて日本は世界に誇るべきヒスイ文明が栄えた土地でした。
縄文時代の日本列島には産地の富山・新潟県境地方を中心に
北海道から九州までヒスイ製品を運ぶ交易路・ジェードロードが開かれていました。
縄文・弥生・古墳時代を通じて日本ヒスイは最高のパワーストーンでありつづけてきました。


★こうしたヒスイの歴史や鉱物学的特性について、近著の
『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、2016、税抜¥1600)
で詳しく解説しています。完成半ばですが、同様の記事は当社の
HP「日本翡翠情報センター」にも掲載中です。
日本ヒスイは国のたからもの、みんながもっとこの宝石に注目して、
たいせつに扱うようにしなくてはならないと思います。
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