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■<勾玉物語・5> ニュージェード、ホワイトカルセドニー  12/09 2018 11:12
ニュージェード
<勾玉物語・ニュージェード> 
ネットで鉱物について調べようとすると、否応なくパワーストーン・サイトがでてくる。
目にする天然石のパワー効果事典みたいなのに飽きてしまっていて、
違う表現がないものかと模索している。
パワーについて書かれた文章のみに囚われてパワーを感じようとしない人たちがいるし、
天然石のパワー効果を子供時代の教科書のように暗記しなくてはと思っている人たちもいる。
けれど本当はこうした意味の追及は後回しでいい。
ルースでも結晶でも美しい石たちはおいしそうに見える。その美味しさを味わうつもりになる。
お菓子を口に入れるように、勾玉の愛らしさを食べるつもりで気持ちのなかに入れる。
オパーライトやニュージェード、ローズクォーツの勾玉とそうやって触れあうと、
とっても気持ちよくなれる。11-18-2 224


ニュージェード
<勾玉物語・ニュージェード> 
天然石にはなんとかヒスイと俗称されるいろいろな石がある。
たいがいは緑色系の天然石で、グリーンアベンチュリンはインドヒスイ、
クリソプレースはオーストラリアヒスイ、ネフライトはタイワンヒスイなどと、
主要産地の地名を付けて呼ぶ。
ニュージェードも同じ部類で名前はジェード(玉・ぎょく)だがヒスイではない。
鉱物的にはサーペンチン(蛇紋石)に属していて、
中国では産地の名前をとって岫玉(しゅうぎょく)とよばれてきた。
主要産地は遼寧省岫岩県。古い時代から玉(ぎょく)の一種としてとうとばれてきた。
現代になって多種多様の天然石でビーズや加工品が作られるようになって、
ニュージェードとよばれることになった。
計測技術の進歩によって鉱物の分類に拍車がかけられ、トルマリンやエピドートのように
鉱物は仲間ごとひとまとめにされるようになった。
ものの本には蛇紋石も16種類にわけられ、
岫玉はアンチゴライトやリザーダイトの宝石質のものをいうと書いてある。
天然石を楽しむには第一に色味と質感、それに見入ることができるなら、細かな鉱物名も産地も、
パワー効果もさほど大事ではない。
ニュージェードのとろ味には意識をかきむしる魅力がある。0197

ホワイトカルセドニー
<勾玉物語・ホワイトカルセドニー> 
メノウ類で縞模様のないものをカルセドニー(玉髄)とよぶ、
という分類法はいまではさほど意味をなさなくなっている。
ホワイトカルセドニーはミルキークォーツと区別しにくい。クォーツアイトとの区分けは目視では難しい。
こうした石英系で白色の鉱物は白石英(ホワイトクォーツ)と思っておくことにしている。
石たちと親しむのは詩を読み絵画を観賞するのと同じで、
世の中的分類法よりも自分の感性のほうが大事だ。
鉱物は地中に埋もれている。なのに土や泥に汚されない純粋な色彩のきらめきを見せる。
石たちの美しさは古代の人々にとって、
泥田に咲く蓮の花がけがれを知らないのと同じほど不思議だった。
ことに純白な石たちは純粋無垢の象徴となり、もともとは彼岸にあるはずのものが、
なにかの理由でこちら側に移行してきたものの代表になった。
純白の勾玉を手にしていると、そういう向こう側の力に心が洗われていく気分を味わえる。
その奥のほうで蓮の蕾が開くようにブッダの笑みが広がる。0189

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■<勾玉物語・4> オパーライト、サーペンチン 11:25
オパーライト
<勾玉物語・オパーライト> 
夢と目覚めの中間地帯、乳白色の「時」が過ぎてゆく。珊瑚礁の海で寄せ波引き波に洗われる海草のように
意識がただよう。オパールの時間のなかへオパーライトの色艶に導かれて入っていく。
気持ちが大きな平安に溶けていく。だからオパーライト勾玉をとても好んでいる。
オパーライトは光の加減によって水色にみえたり黄色味をおびてみえたりする。
その見え方は海中から海面を仰ぎ見るのに似ている。
オパーライトは人工宝石でガラスの一種だが、パワーがないわけではない。
ガラスが天然石と同じほど重視された時代があった。
透明でキラキラしく輝くものに神秘の力を感じた弥生・古墳時代の人々にとって、
ガラスは碧玉などの天然石より魅惑的で抗しがたい呪力を発散させていた。
「おまえって、ほんとうにきれいで美しいね」とオパーライトの勾玉を手にして思う。
みんなもそんなふうに思ってくれるといいのだが。


オパーライト
<勾玉物語・オパーライト> 
個人的好みでいうなら鉱物たちとガラス製品を同じほど好んでいる。
約40x27x6cmのボール箱がうちのストックボックスだが、
選りすぐりのウルグアイ・アメシストを集めた箱の下に、
トレードビーズとよばれるアンティークのトンボ玉が2箱余り積んであるほどだ。
天然石がパワフルであるのと同じほどガラス製品にも魅力(魔術的なパワー)がある。
世の中一般的には、天然石ファンは天然無垢の原石や加工品を好んで、
染色したり樹脂処理した天然石やガラス製品を嫌う傾向にある。
たとえばモルダバイトやオブシディアンは天然ガラスであるし、
オパールも構造がやや異なるもののガラスの一種だが、
天然石ファンはそういうふうには考えないようだ。
オパーライトの美しさに胸がさわぐ思いをしても、それが人工宝石でガラスの一種と聞くだけで
引いてしまう人がいる。せっかくパワーを感知する感受性にスイッチが入って、
神秘の世界が開こうとしているのに、入り口で背を向けてしまうのはもったいない。536


サーペンチン
<勾玉物語・貴蛇紋石> 
石たちは地質学的な時間のうちにある。とほうもなく長い時の流れだ。
たとえば日本産翡翠は5億年前に地殻の底のほう、マントルの上層部で出来たといわれている。
翡翠は鉱脈を作らず岩塊となる。それは蛇紋岩に包まれて地表へと昇ってくる。
マントルの主成分はかんらん岩で、プレートの境界で沈み込んでいく海洋プレートに伴う大量の海水
によって、かんらん岩が変成されて蛇紋岩が誕生する。
だから日本翡翠の産地、糸魚川市近辺の蛇紋岩は、5億年頃かそれより古いことになる。
貴蛇紋石勾玉はここの原石の高品質のものを選んで作っている。
勾玉を手にして地質学的な時の流れの悠久さを夢想すると、大地の営みの壮大さに打たれる。
蛇紋岩がいまここにあるということが非常にありがたいものに思われ、石たちを敬いたい気持ちになる。
石たちに敬意をだくと、地球との親密感が深まって自分がこの星に生まれてきたことを嬉しく思える。

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「玉TAMAー古代を彩る至宝ー展」というのに行った  10:44
石針
とほうもなく久しぶりにJR総武線両国駅で降りて江戸東京博物館というところへ、 
「玉TAMAー古代を彩る至宝ー展」というのを見にいった。地方都市の博物館のように空いていてよかった。
この展覧会は古代歴史文化協議会というところが主催していて、14の県が連携していると
パンフレットに書いてある。石川・福井・奈良・島根などの名があって、
新潟・富山・北海道が加盟していない。不可解な構成ではあるけれど、
小型勾玉や各種管玉が多数展示されていて興味深かった。

管玉に関心を抱く人はあまりいない、
管玉の主要原料である緑色凝灰岩に興味を持つ人はもっと少ないだろうけれど、
あこがれの緑色凝灰岩(グリーンタフ)を間近でみられて嬉しかった。
管玉も極細のをたくさん見られて驚きあきれるばかりだった。
管玉に使われる、おもに北陸産の緑色凝灰岩は、
原日本列島が大陸から分離したあとにできた原日本海での、海底火山の噴火によって、
火山灰が海底に積もってできた。成分の一部が変成されて緑泥石になり、
濃緑色から淡い灰緑色のものまで様々な段階の緑色に色付いている。

緑色に生命の宿りをみる古代の感性では、石が緑色をしているということは
そこに「産み」の力が凝集されていることを意味した。
その力は乾電池から電気を取り出すようにして、呪術的なパワーとして使うことができた。
緑色の石は地母神の恵みだった。
緑色の石への信仰は、日本列島では滑石を用いてのケツ状耳飾りに始まり、
蛇紋石の磨製石器、翡翠の大珠へとひきつがれ、
弥生・古墳時代になって緑色凝灰岩で管玉や腕輪が、
翡翠や碧玉(ジャスパー)からは勾玉が作られるようになり、
滑石・蝋石での石製模造品制作へとつながっていく。
こうした天然石加工の歴史のなかで一際強い輝きを放つのがヒスイやジャスパーの勾玉であり、
幾何学的に美しい管玉で、とくにパスタより細い円筒状のビーズは、
そういうものを作ることができた技能に驚きあきれ、オーパーツとよんでもいいほどだと思う。
 
「玉TAMAー古代を彩る至宝ー展」ではたくさんの勾玉を見た。
ジャスパー製勾玉ではうちの製品とそっくりなのがあった。
これを模倣して制作したわけではないが、イメージの勾玉をイラストにすると、
展示品と同じ形に落ち着いていくということで、昔の工人と手を取りあう思いだった。
うちには香港のジュエリーショーで闇雲に買い集めてきたたくさんの管玉がある。
なかでもモスアゲートの管玉は島根県出雲の碧玉と新潟県佐渡の赤石をひとつに混ぜたようで、
古代の人たちのスピリットをそこに見ることができる。凄いなあと思ってそれと遊んでいる。
(写真は玉TAMA展でみた石針。こんなので細身管玉に孔をあけた)
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<勾玉物語・3>アベンチュリン、ユナカイト、ローズクォーツ 08:52
アベンチュリン勾玉<勾玉物語・アベンチュリン> 
グリーン・アベンチュリンは内包物によってキラキラと輝く「アベンチュリン効果」のある
水晶類の商品名。鉱物としてはクォーツアイト(珪岩)に属している。
クォーツアイトは砂粒状の石英が熱変成されることでできる岩石で、
内部に緑色の雲母細片を多数含んだものがグリーン・クォーツアイト、
つまりグリーン・アベンチュリン・クォーツ。
他のクォーツアイト製品では白色系を赤や黄、紫に染めたものが安価でカラフルなビーズとして
販売されている。グリーン・アベンチュリンはグリーン・クォーツと呼んだりもするが、
緑泥石(クローライト)を含んだ水晶や、ネット上では出自がよくわからない緑色透明の
水晶風製品もグリーン・クォーツとよばれていて紛らわしくなっている。
本品のグリーン・アベンチュリン勾玉は従来の同名製品に比べて、
異種と思えるほどに緑色雲母の細片が大きくキラキラしさに迫力がある。11-18-2346


ユナカイト勾玉
<勾玉物語・ユナカイト> 
ユナカイトとルビー・ゾイサイトのゾイサイトは似ているところがあって、翡翠ファンであれば、
新潟県糸魚川市近辺のヒスイ海岸へとジェード・ハンティングに行って出会う
翡翠類似石ロジン岩とも近しい関係にある。
ロジン岩はクリノゾイサイトやダイオプサイド(透輝石)が主体となっている岩石で、
クリノゾイサイトはエピドートいう鉱物グループに属していて、
「鉄分子を10%以上含有すればエピドートで、10%以下であればクリノゾイサイトであり、
鉄分子を含有しなければゾイサイトである」という。
ゾイサイトにマンガンが混ざってピンク色に発色した鉱物がチューライト(桃簾石)で、
糸魚川地方では石肌の感触が翡翠に似ているのでピンクヒスイの愛称で親しまれている。
カタカナばかりで混乱してしまうが、ユナカイトの黄緑色部分とピンクヒスイは兄と妹のような
関係にあって、ブラジルやパキスタン産の濃緑色のエピドートの結晶、
中国産のエピドートのスダレ状の結晶や、四川省の水晶に随伴する小粒のエピドートを加えるなら、
机の上でエピドートファミリーが集うことになる。
毛色は違うが青色宝石のタンザナイトもエピドートファミリーの一員だ。11-18-2282


ローズクォーツ勾玉
<勾玉物語・ローズクォーツ> 
イメージとして結晶は分子・原子の電子が手をつなぎあって格子状に成長していく。
水晶では結晶格子の一部に鉄、チタン、マンガンなどが入り込むとピンク色に発色して
ローズクォーツになるとされている。これらの原子によって結晶の成長がはばまれるためなのか、
ローズクォーツは水晶のように柱状の結晶になりにくい。
結晶形が見られるものでも小粒の集合体となりやすく、産出量がきわめて少ないので、
鉱物標本は入手しがたい。原石はブラジル産が主だったが、近年ではマダガスカル島産や
アフリカ産の原石も流通している。
とくにマダガスカル島産のものではクラックが少なく透明度が高いものが名高い。
マダガスカル島はアフリカに近いくせに、最初に移住したのはボルネオからの航海民だった。
彼らは8千キロ以上の遠方からカヌーに乗ってやってきた。
大航海時代、ある海賊がこの島に理想的国家を築こうとしたが、背後から先住民に教われて壊滅した。
ヒッピーのコミューンの先駆けみたいだった。
海賊の資料を漁りながら彼のことを夢想していた時期があった。11-18-2358
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<勾玉物語2>ユナカイト、ソーダライト、ローズクォーツ  10:21
ユナカイト勾玉
<勾玉物語・ユナカイト> 
焚き火に手をかざすと温さが伝わってくる。天然石との付き合いもそれに似て、色彩や質感を楽しむうちに、
そこから立ちのぼってくるパワーの波動のようなものを感じられるようになる。
原石が塊状でないと勾玉や小動物などの加工品が作れない。
塊状で産出する石は有名宝石に比べて産出量が多く安価な傾向にある。
ユナカイトもこうした仲間のひとつで、色合いからは想像しにくいが花こう岩の一種。
何冊かの資料を読むと名称は主要産地のアメリカ、ノースカロライナ州のユナカ山地にちなむとあって、
和名はない。花こう岩を組成する長石が黄緑色のエピドート(緑簾石)に変質することでできる。
ピンク色部分は長石で、白色が石英、濃緑色部分は緑泥石が混ざりこんでいる。
眺めているとおしゃべり好きな石という感じがしてくる。
けっこう可愛くてつい笑えてしまうところもある。
よい石だから可愛がってやってください。280 11/18


ソーダライト勾玉
<勾玉物語・ソーダライト> 
メノウやローズクォーツと同じほどに入手しやすく、見栄えのある色をしていて、
40mm程度の加工品を作れる天然石を探すと、種類が限られてくる。
青・紺色系の代表がソーダライトで、この石はラピスラズリに似て、総じて青黒い。
ソーダライトの名称はナトリウム(ソーダ、曹達)の含有量が高いことによる
(ソーダ水は炭酸ナトリウムを含んだ水で炭酸の泡がたつ)。
ソーダライトはラピスラズリを構成する4種の鉱物のひとつに数えられている。主要産地はカナダ。
色彩心理学では紺色は意識の沈静作用が高い色。気持ちが散漫になりがちで一点に集中しにくかったり、
判断に困るとき、紺色に気持ちを託すとクールダウンしやすくなり、判断力や決断力、集中力を正常化できる。
眉間に意識を集めて第三の眼でソーダライトを眺める気持ちになると、意識の鋭敏化の訓練になる。
雨の日も曇りの日も台風の日だって雲の上はソーダライトの青空がいっぱい。
心の本質も晴れ渡っているということなんだろう。26711/18-2
(自分の本質は青空なのだと強く思う。毎日毎日思いつづける。
嵐や雪の日にも天気に呑まれてしまわないように)


ローズクォーツ勾玉
<勾玉物語・ローズクォーツ> 
天然石ブームが起きたころ聞いた話では、ブラジルのローズクォーツ鉱山では、
毎日ダンプカーで運びだしても、百年は持ちそうなほど埋蔵量があるとのことだった。
たくさんあるから価格も安い。価格が安いから貴重品扱いされない。注目度も低い。
商品価値のネガティブスパイラルが起きて、つまらなくみえてしまう。
ローズクォーツはおおむねこのような扱いを受けている。
けれど世界の果ての渚で、朝夕探してもひとつふたつしか見つけられないのであれば、
この石は恋の願いをかなえ、愛の痛手を癒し、男女の愛を再燃させる宝石ととうとばれることだろう。
ローズクォーツの薄桃色は、西欧であれば愛の女神ビーナスの上気した肌の色、
東洋であれば西王母の庭に実る不老不死の果実の色。
男たちの乾いた心を癒し、女たちには気品と華やぎを何倍も上乗せしてくれる。
巷の価値観を離れて石に見入ると、ローズクォーツはとんでもないほど美しい石であることがわかってくる。
(背景はマウシッシ原石)41111/18/2

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勾玉は祖霊の宿り。パワーフィールドを増幅させます  13:03
レッドアゲート勾玉
<勾玉物語> 
ホームページのカテゴリーの真ん中あたりやや下のほうに、「天然石勾玉」というのがあります。
開くと仝玉38mm(バーゲン)、勾玉30mm、8玉その他サイズ、ぅ潺礇鵐沺次ロシアヒスイ、
ジ玉ブレスレット、と5つのページ。
仝玉38mm(バーゲン)にはローズクォーツやニュージェード、ユナカイトなど、
比較的安価な原石から作った勾玉を展示してあります。
38mmは天然石加工品では大サイズに属していて、原石が塊状で産出し、
クラックの少ないものでないとまとめて制作できません。
ムーンストーンやターコイスの大サイズ勾玉がないのはそのためです。
大きな勾玉はポーチに入れて持ち運んだり、身近に置いておいて、
心配事あったり不安な気分のとき、親指の腹でしばらく撫でるようにすると、
気分を一心できます。 11-18-2382


<勾玉物語> 
勾玉は祖霊の宿り、とはいっても「祖霊」がなんであるのか、
イメージをつかむのは、難しいかもしれない
。弥生時代以降の先祖崇拝の名残で、私たちは情緒的に、死者はどこか遠くにある死者のクニにいて、
子孫を見守っていると思っています。
父親や祖父は亡くなったとしても記憶に新しい
。曾祖父より4代5代の先祖となると人格や風貌は定かではなくなる。
そうなるとみんなまとめてひとつの祖霊になります。
怨霊は別として、霊は年月を経るごとに浄化されてゆくので、
2百年3百年と経ってしまえば、祖霊は神話時代の氏神に習合していきます。
子孫が滅びることなく繁栄してほしいという祖霊や氏神の気持ちは、
「念」というか精神的なパワーの波動として、いまここに生きている私たちと共にあります。
勾玉はそういうご先祖たちの思いが宿る「形」とされてきました。
だから勾玉と親しむようになると、おのずと気持ちが安定してきます。


<勾玉物語>  
学研発行の月刊誌『ムー』(2018年10月号)の記事「天皇の神璽八尺瓊勾玉の謎」で紹介したように、
皇位継承の品「三種の神器」は、もとは豪族たちが\治、軍事、宗教(呪術)の
3つの決定権を大王(天皇)に委任する証拠の品でした。
『日本書紀』からは、ヤマト王朝だけではなく各地の豪族も、
クニの王(または首長)の証しとなる三種の神器を所持していたことがうかがえます。
なかでも勾玉は祖霊の宿り、祭祀権を象徴する聖具として重要な品でした。
祭祀権があるから氏神の加護を受け、霊系を保持し、
民を守護してクニに繁栄をもたらすことができました。
現代という時代は寄る辺のない河のようで、
私たちは時代の移ろいに押し流されてゆくしかないような日々を送っています。
みんなの家に1個づつ勾玉があって、勾玉をよすがに、2000年来つづいている血筋を思うなら、
大地に足を降ろすという感触もわかるようになると思います。
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弥生の呪術に勾玉文化の背景を読む(9) 22-24  12:26
水晶クラスター
<勾玉と弥生時代・22> 
日本最古の文献、『古事記』と『日本書紀』は成立過程がどのようであれ、
奈良時代の官僚たち(多くは帰化人と子孫だった)によって描かれた昔々の物語で、
たとえそのような出来事があったにしろ、奈良時代の感性で脚色されているし、
諸々の出来事も誠実に年代に合わせてあるとは限らない。
ここでは勾玉が何であったか忘れられている。銅鐸にいたっては一言の言及もない。
それでも弥生時代を想像するにはこれしか頼りに出来る文献はない。
鹿の肩甲骨を焼いて占う太占(ふとまに)は、アマテラスの岩戸隠れに登場するが、
何を占ったのか、どの神にお伺いをたてたのか記されていない。
卜骨は東北アジアから朝鮮半島を経由して伝わった。


<勾玉と弥生時代・23> 
弥生時代からつづく信仰で、いまも私たちの心の深層にどっしりと根を下ろしているものに
骨への信仰がある。宗教を信じないという人でも、身内が亡くなれば葬式をだす。
高温で焼却した遺骨に霊や魂など宿りようがないのに(重視すべきは骨髄だから)、
大切に扱って墓におさめる。墓参りしてあたかも死者がそこに眠っているかのように語りかける。
こうした感性は、旧石器時代に形成されたもので、
弥生人はそれを水田稲作とともに大陸から運んできた。
大陸では魂(たましい)を魂魄(こんぱく)の2種類にわけた。
死後には魂(こん)は昇天したり常世に去る。魄(はく)は骨に宿って地上にとどまる。
子孫の願いは魄を介して魂に届けられる、そんなふうに考えられるようになった。
弥生時代以降、墓に祭られたのは酋長や族長、首長や武人、呪術師など
パワーの強い人たちだけではなかっただろうか。
彼らは祖霊となって子孫を保護するよう期待されたし、
ちょっとしたことで怒って子孫にたたらないよう恐れられた。
骨に精が宿るという信仰は道教やヨーガの禁欲主義を助けた。
骨髄から精液が作られるという考えがあって、
射精を抑制するならパワーのもとである骨髄の浪費を防げるとしたし、
骨髄の純化は霊的身体の純化を意味した。


<勾玉と弥生時代・24> 
日本人はいつ「神」と遭遇したかを考えている。
キリスト教の創造主を明治の学者が「神」と訳して以来私たちの神概念は混乱したままだが、
一神教の創造主と多神教やシャーマニズムの神は似てもに似つかない。
シャーマニズム的な感性では人は死後に霊となる。
霊は3代4代と子孫が移ると純化されて祖霊になる。祖霊がさらに純化されると「神」になる。
神はシャーマニズムが整備され多神教になる途上で編みだされた。
『封神演義』という古代中国の殷・周を舞台にした超おもしろい物語を参考に考えると、
神になったのは祖霊だけではなかった。
現世で人並み外れた能力を発揮した為政者・英雄は死ぬとただちに神になった。
年を経た巌(巨岩)や樹木の精霊や、「気」が満ちた土地に暮らして老いもせずに
数百歳の年齢を経た狐・狸・猿・猪の類いも神になって、神界が形成されていった。
神々は人間思いで慈悲深い存在ではなかった。
仏教が母の愛を数万倍したよりも甘い「仏の慈愛」という概念を広める前までは、
神々はすぐに怒ったし祟りの鉄鎚をくだした。怒りをなだめるために多大の貢を要求した。
そういう神を弥生人は水田稲作とともに運んできた。
(水晶は弥生人にとっても霊石だった)
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弥生の呪術に勾玉文化の背景を読む(8)  09:54
翡翠飛龍
<勾玉と弥生時代・19> 
自分のような都市の流浪民には「氏(うじ)」への帰属意識が希薄だ。氏神の名前を考えたことがない。
縄文弥生のご先祖たちには氏族への帰属意識はアイデンティティのよりどころであり
、村はいくつかの氏族が集って形成された。田中さん・佐藤さん・山中さんというふうに氏族が集って、
氏族ごとに祭事・織物・野菜栽培などなど、得意分野があった。
そうやってそれぞれの村や地域、ひいては種族の文化は継承されていった。
ここでの問題は、伝統文化が継続していくためには、
それぞれの地域に最低どれくらいの人口が必要かにある。
大きな環状集落を築いた縄文時代中期の社会は、寒冷化に適応できずに霧散していった。
縄文時代晩期の人口の少なさを思うと、彼らが積極的に農耕を受け入れたとか、
弥生人の迫害から逃れて山の民になったと思えなくなる。
山に逃れて自然消滅した人たちがいただろうし、
弥生人の間で奴隷のような扱いをうけながら混血させられていった人たちもいただろう。
そうやってぼくらのなかに縄文のDNAが残っている。


<勾玉と弥生時代・20> 
弥生時代の母系社会は古墳時代には男社会の圧力をうけて、
奈良・平安時代の両系社会につながっていった。
初期ヤマト王朝は母系の土着文化に割りこんだ父系の家柄で、婿入りしながらも嫁を王宮に住まわせた。
それでも母系の色彩が濃かったので、嫁の父親(外戚)、なかでも藤原家は
現代からみれば理解しがたいまでに権力をかさに着れた。
平安時代の貴族にとってはどこに婿入りするかが出世の良否を決めた。
同じ時代の下位貴族たちは娘を上位貴族の2番目3番目の嫁に差し出すことが出世の糸口になった。
鎌倉時代以降、母系的メンタリティは伏流する。時代を経てキリストの2千年も終わり、
ヒッピームーブメント、フラワーチルドレン、ドラッグカルチャー、フリーセックスが
サイケデリックに噴火して、母系的センスが復権する。世の流れは日本にも伝わってきた。
現代の政治家たちは失われてゆく父系の利権をとりもどそうと必死だ。
だから彼らには優美さが欠けている。


<勾玉と弥生時代・21> 
歴史の黎明期にはことあるごとに祖霊、つまり死者が、じっさいに聞こえる声で語りかけた、
という仮説が『神々の沈黙』という本で述べられている。インパクトのある仮説だった。
社会が発達するにつれ、祖霊は話し相手に特定の人間を選ぶようになる。
そうやって祖霊に選ばれるためのシャーマンの技法が発達していった。
やがて人間と祖霊の溝が深まり、霊たちは語らなくなり、
人間は霊たちのたたりと呪いをひたすら恐れて暮らすようになった。
そうして占いが発達していった。
縄文中期の集落で墓を村の中心に置いたのは、死者とともに人が暮らした時代の証しのようだ。
弥生時代になると重要人物しか墓が作られなくなったようだ。
占いのもっとも権威あるとされたのが太占(ふとまに)で、多くは鹿の肩甲骨を焼いて、
生じたひび割れの形で吉凶を読んだ。日本列島では後に亀の腹甲(腹側の甲羅)も使用された。
占いには読み手の都合がいいように読める。いくらでも忖度(そんたく)できるという、
権力者にとって都合のいい側面があった。権力者・為政者たちの間で自我が肥大し、
我欲が醸成されていった。

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弥生時代の呪術に勾玉文化の背景をよむ(6)  08:41
アニマル
<勾玉と弥生時代の呪術・12> 
呪術と書くといかがわしくて、祈祷というと高尚な感じがする。
近代合理主義のせいでそのように思い込むよう誘導されているだけのことで、両者に隔たりはない。
呪術も祈祷も向こう側の霊的存在、仏や神々、精霊、霊獣に頼んで、
自分の願いをかなえてもらおうとする技術で、
呪文・真言と神具呪具とイメージ想起力がセットになっている。
世俗の通念のように、呪術は呪術師が念力を飛ばして、依頼人の敵を倒したり、
恋の成就を助けるわけではない。向こう側の精霊なり神なりを揺り動かして、
願いをかなえるよう働いてもらう、そうしたロビー活動みたいな能力が呪力であり
法力、修験の験力だった。密教ではこれを身・口・意という。
印を組むという身体動作、口でとなえる呪文、意識的な神仏のイメージ想起をセットにして
仏や神を自分の身体に招く。呪具神具はイメージ想起の手助けとして有用だった。
こうした呪法の基礎は弥生時代のシャーマンによって構築されたと思っている。 17-2


<勾玉と弥生時代の呪術・13> 
弥生時代、母系社会の男たちを思うと、バリ島やインドの田舎の町の若い男たちが浮かんでくる。
全員がそうというわけではないだろうが、気立てがやさしく覇気に欠けていた男たち。
安ホテルのスタッフには失敗しても悪びれない若者がいた。
彼らをヒントに弥生時代の暮らしぶりを追うと、
そこには「自己責任」という概念がなかったと思えてくる。
現代の日本では、小中高の受験から自己責任にさらされている。
職業の選択とその後の競争が重圧となっている。
結婚相手の選定もフルストレスでハイリスクな問題だ。
政治家たちは企業やメディアと結託して「自己責任」を美化する。
こういうことが弥生時代にはいっさいなかった。
「自己責任」という言葉が重みをますようになったのは君主の登場以降のことと疑っている。
そこでは、君主が家臣を断罪・処分する名目につかわれた。
そのくせ君主は自己責任から免罪されていた
。弥生時代以前の社会では、決断恐怖症といっていいほどに、
だれもが責任をとらなくて済むよう工夫されていたとも思える。
現代人に比べるなら彼らは明日を思い煩うことなく、その日暮らしできたようだ。 17-3


<勾玉と弥生時代の呪術・14>
母系社会を夢想すると、自己責任が育ちにくい構造であることがわかる。
娘たちは自己責任のもとに結婚相手を決める必要がなかった。
婚前交渉の相手を取り替えても非難されなかった。
母子家庭が滅多なことでは生まれない仕組みだった。
夫不在という意味では母系の大家族は母子家庭によって構成されていたともいえる。
職種が細分化されていなかったので男女ともに職業の選択に悩むこともなかった。
呪術は様式と手順をとうとび変化を嫌うので、同じような状況が数百年つづいても、
人々はそれを不便に思わなかった。生産性や効率、時間の有効活用などもさほど考慮されなかった。
大切なのは向こう側の意図に従うことなので、酋長も呪術師も、判断を誤っても、
今の社会のように糾弾されなかっただろう。
決断と責任という重しのない社会では、人々は現代人より気楽に生きられただろうし
、頼りげなく覇気に欠けているのが普通だった。
彼らは現代人より早死にしたが、時間はたっぷりあった。
現代人は心を育てる余裕がない、
彼らの心は小さい、と、いくらかは縄文時代に似た辺境の民の女呪術師が言っている。

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弥生時代の呪術に勾玉文化の背景をよむ(5) 10:49
法身普賢
<勾玉と弥生時代の呪術・10> 
おそらく弥生時代は母系社会だった。
父系社会が父親の権威を増殖させ、競争社会を育てたのと違って、
母系社会ではエディプス・コンプレックスは発展せず、
息子が父親をしのぐよう切磋琢磨するなどということはなかった。
家系は母から娘に継がれ、家財や土地も同じだった。男は入り婿した。
通い婚である場合もあれば、妻の家に暮らす場合もあった。
具体的に弥生時代の人たちがどうであったかは、とぼしい知識をもとに想像するだけだが、
女たちは貞淑な妻を演じるよう求められなかった。
男の権威は実家での姉妹の兄弟(伯父)という立場にあった。
彼らは実家の用心棒、アドバイザーであり、妻の家では居候だった。
男たちが集って戦争するようになって男たちの権威が確立されていった。
結婚適齢期になると、男たちは見初めた女のもとによばいした、
「よばい」を「夜這い」と書くのは男社会の発想で、互いの名を「呼び合う」ことで
霊的結び付きを深めたという解釈のほうが母系的だ。
ここで呼び合う名前は世間的な愛称ではなく、呪術的で霊的な「本名」だった。
父系社会が確立され、儒教や仏教が誕生する前の話だから、セックスに関連した倫理は、
現代人の感性とは相当に違っていた。女たちは自分の部屋に男を迎えたんだから、
男を選ぶことができた。女たちは「社会」と戦わなくてすんだ。


<勾玉と弥生時代の呪術・11> 
現代社会では男は女を品定めする。衣服を脱がせたらどんなふうか、ベッドではどんなふうかを夢想する。
そういう視線はときに女にとってわいせつで堪え難い。でもそれは男社会ゆえのことで、
社会的な慣習に男も女も染まっているゆえのことなんだろう。
父系社会では通常、家系は父から息子に継がれる。それにともなって土地や家財も息子に譲られる。
霊系は男だけが重視される。こういう社会では論理を省略すると、性行為は蔑視され、女は商品化される。
女の性的自由は強く戒められて非道徳的行為となる。
男が女をセックスの対象として眺めるのは許されても、その逆は許されない。
しかし、弥生時代のような母系的色彩の濃い社会ではそうではなかった。
女たちは男を値踏みしセックスがどんなふうかを想像しただろう。
そんなふうな視線で女たちから見られたことがある。
30代のころ、ムンバイ(ボンベイ)の南のほうで、現地で知り合った男性の日本人旅行者といっしょに、
2日に1本のローカル線に乗った。
ひとつのコンパートメントにぼくと同年代の現地人女性が3人乗りあわせた。
言葉によるコミュニーケーションに難儀した。でも彼女たちの視線や態度は、父系社会の男たちが、
女を値踏みして口説こうとするのと同じだった。
彼女たちはカースト的にあまり上位ではないサリーを来て、まあまあ美人揃い、
捕って食われるような視線を注がれるというのは、自分が女になったようで、
次元の違う世界に滑り込んだかのようだった。
そんなわけで弥生時代の女や男たちは現代人と同じ感性で暮らしていなかったと思っている。

(写真はチベット密教の原初仏・法身普賢。知恵と方便の合一=大楽・覚醒という図式は、
母系的概念を知らないと理解できない)
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