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冬虫夏草フィーバーで知恵熱がでそうな日々  10/07-09 2018 22:48
トウチュウカソウ
★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
『冬虫夏草を探しに行こう』(盛口満、日経サイエンス社、1996)という本を新たに買って、
半分読んで近所の土手にトウチュウカソウ探しに行った。
トウチュウカソウはトンボやセミ、カメムシやそれらの幼虫を宿主にするものなどいろいろあって、
世界中で400種、日本からは300種あまりが見つかっているという。
漢方で用いるのはシネンシスという種類で、コウモリガという蛾の幼虫にとりつくもので、
ネパールや四川省の高山地帯に産する。武蔵野の林や土手で採集できるものは、
オムレツにしたりショーチュウに漬けたりしないようだ。
トウチュウカソウを探すといったって、おいそれと見つかるものではなく、
翡翠海岸でヒスイ原石を探すようなものだろうと思って、近所の土手が林に連なっている場所を、
積もった枯れ葉を枯れ枝でかきわけたりしながら散策した。
粟や黍ほどに小さな蚊の集団に攻撃された。彼らは羽音も立てずにやってきて、
黙って人の皮膚に針を立てる。
30分ほどでめげて、近所のスーパーでアイスクリームを買って帰った。


★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
トウチュウカソウは昆虫の幼虫や成体に菌が寄生し、宿主を食いながら殻の内側に菌糸を張り巡らせ、
ついいは宿主を殺して、自分は子実体を育て、胞子を撒いて命を次世代に渡していく。
時間をかけて宿主の身体をのっとり、じわじわと食っていくところが怖い。
これと同じように怖いのにクロアナバチというのがいて、
地面に掘りあけた巣穴にイモムシやバッタをひきづりこんで、卵を産みつけ幼虫の餌とする。
餌となる虫は気絶状態に置かれて、幼虫がそれを食い尽くすまで死ぬことはない。
夏の日の乾いた地面の上を真っ黒で胴がくびれたハチが、
緑色のイモムシをくわえて巣穴に引きづり込む様子を、
子供のころ、ながく観察してすごした記憶がある。
そこでは死がなにかしらエロチックな感覚とともにあった。


★10/09<読書記録> 
『冬虫夏草を探しに行こう』(盛口満、日経サイエンス、1996)につづけて、
『冬虫夏草の謎』(盛口満、どうぶつ社、2006)を読んだ。
同じテーマを2冊つづけて読むと、理解が深まる気分になる。
イラストの出来がよくて芸は身を助ける標本のようだ。
最初の本では著者は埼玉県飯能市で教員をしている。
近所の里山でのトウチュウカソウ探しが話の骨格になっている。
ビーパル調語り口が読みやすい。
後者では著者は沖縄に住んでいて、屋久島でのトウチュウカソウ調査が中心になっている。
カラーページが16ページあって、トウチュウカソウのカラーイラスト図鑑みたいになっている。
イラストだから可愛く見えるが、本物は相当にグロいんだろうなあと思っている。
ネットを見ると、トウチュウカソウはガン治療に効くと噂の健康食品で、
人工培養もされているという。

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過ぎてゆく日々をいとおしむ  9/28-10/07 2018 10:11
みょうが
★9/28<過ぎてゆく日々のこと> 
ミネラルショーに行って、ネパール人のディーラーから冬虫夏草(とうちゅうかそう)を買ってきた。
法外な値段と思ったが、欲しいものは欲しいんだから仕方がない。
一昔前に中国四川省の成都という町に行って、道端でチベット人が冬虫夏草を売っているのをみた。
そのとき買いそびれた品をやっと手に入れた次第だ。
冬虫夏草は漢方で有名な強精剤だが、買ったからといってどうこうするわけではなく、
せいぜいのところガラスの小瓶に入れて、鉱物コレクションの一隅に飾る程度のことだが、
やっぱり欲しいものは欲しい。
冬虫夏草はキノコの一種。冬は虫で夏には草(茸)に化ける。
昆虫やその幼虫に寄生して菌糸を張り巡らせて宿主を殺し、自分を養うという
映画の「ボディスナッチャー」みたいで、ちょっと怖いキノコだ。
高尾山にも自生しているというから、うちの近所にもあるんだろうが、
探す機会を逸している。実物の写真は不気味がる人もいるだろうから掲載しない。


★10/06<過ぎてゆく日々のこと> 
夏が終わりかけていたころ、ベランダのプランターで朝顔が勝手に芽吹いた。
秋が迫っているし、この曇天つづきじゃあ、あんたの人生(?)花が咲かずにおわってしまう、
と思っていた。花開くことなく枯れてゆくのではあまりに可哀相だ。
虫けらのように蹴散らされ踏みつぶされる虫にだって、
その虫にとってはかけがえのない人生(?)がある。それとおんなじだ。
けれど今朝ベランダを見たら、4、5枚葉を付けた先端に大きな一輪の花が開いていた。
信号の赤色に似てもっと鮮やかな色をしていた。やっぱり、花を咲かせてこそ朝顔ってもんだ。


★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
庭の外れのヒバの木の根元の暗く湿った場所にミョウガが自生している。
蜘蛛の巣を払い、ムカデに会わないよう願って、地面に膝をついてミョウガの茎の間を探すと、
5つ6つのミョウガの花穂がとれる。けれどたいがいは花が咲いて美味の時期を逸している。
地面から突き出した花穂は鎧を着た化石魚に似てとげとげしい。
その先端にクリーム色してランの花にも似た花がある。
死者たちがあの世へと向かう隧道に設置された街路灯さながらの隠微な様子をみると、
むしょうに寂しく哀しくなって、花と自分との距離を忘れてしまう。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 9/23-28 2018 08:52
土偶
★9/23<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家のプレハブ倉庫の前には設置当初から、プラスチック製遮光器土偶を見張り役に置いてある。
頑丈な作りで、夏の日差しにも、冬の雪にも、秋の長雨にもへこたれない。
遮光器土偶は潜水服だか宇宙服姿のような顔をしているのに、男ではなく女を模したものであるという。
こういう猛々しい神像というのは、古代中国の良渚文明や紅山文明につながるように思う。
両者ともに神が魔物顔していて前者からは超凶暴なトウテツが発展していったとされている。
遮光器土偶が東北の民の雪目防止の遮光器に由来するというのは発想の間違いで、
いまは、トランス状態に入って眼を細めて霊視する女シャーマンに由来するのではないかと疑っている。
南インドの女神ミナクシは魚の眼をした女神といわれているが、
彼女の眼は向こう側にいってしまったことの表現だ。
うちの遮光器土偶にネックレスを捧げたいと思って、たまたまあったブレスレットを首にかけてみた。


★9/27<過ぎてゆく日々のこと> 
はじめて訪ねた頃のバリ島では、田舎道に入ると、太った中年女性が、腰巻き1枚で玄関先に座り、
大きな乳房をゆさゆささせながら米に混じったゴミだか虫だかをとりのけていた。
彼女たちの笑顔は、天界の住人アプサラスが地上に降りてきたのだと思えるほどで、
天真爛漫そのままに美しかった。
二度目にバリ島を訪ねたときには、そういう笑顔に再会することはなかった。
先日夕食後のテレビで四国や山奥の過疎の村に暮らす老人たちの生活ぶりをみた。
彼らもみんないい顔をしていた。
ぼくらはみんなあまりにも自分のことで忙しい、流行に遅れてはならじと必死になり、
心からのくつろぎを忘れている。満身の笑みは浮かべようがない。
政府と企業とメディアは三位一体で、便利さの追及こそが至上の課題といいつのる。
健康幻想を呑みこませようとする演出もある。そういうのはみんなウソなんだと、
四国の過疎の村の老人たちの笑顔をみて思った。
心を養うというテーマは自分を離れる時間を持つことからはじまるんだろう。


★9/28<過ぎてゆく日々のこと>
 靴下をはかないと足の甲が冷える季節になった。ネルシャツをだしてきてTシャツの上に着ている。
アサガオの花の数がめっきり減って、日々草の花も小さくなっている。
アパートからバス停に向かう道筋では、キンモクセイが南のクニの発酵した果物のような
匂いを漂わせているし、農家の庭の一角ではマンジュジャゲが真紅の花を咲かせている。
ついこの間まで夏の熱気を楽しんでいたのに、いまはすっかりと秋の気配に順応している。
テレビでは近年にない勢いの台風が沖縄に近付き、九州へと上陸する予測とかますざましい。
窓の外の丘陵は額に入れられた写真のように停止して、ひと枝たりとも風にそよいでいない。
そういう景色を眺めていると、なんだかとても長くこの星で暮らしてきたような気分になる。
南のクニの植民地で人生をおえていったデラシネたちも、
そんな気持ちで椰子の木を眺めたことだろう。
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弥生時代の呪術に勾玉文化の背景をよむ(7) 10:06
古代米
古代米
粟黍稗
<勾玉と弥生時代・16>
「(埴原和郎の仮説による)弥生時代初期から奈良時代初期までの千年間に150万人程度の渡来があり、
大きさ地方差はあるものの、奈良時代初期の人口は血統からみて、北アジア系渡来系が8割
あるいはそれ以上、もっと古い時代に日本列島にやってきて土着化していた縄文系(原日本人)が
2割またはそれ以下の比率で混血した可能性が高いという」p73。『人口から読む日本の歴史』
(鬼頭宏、講談社学術文庫、2000)から。ずーっと縄文時代の推定人口の少なさに戸惑っている。
縄文時代は1万〜1万5千年つづいたんだから、発掘される遺跡の数は多く、
遺跡関連の記事を読むと、縄文人はそこらじゅうにいたかに思ってしまう。
でも全然そうじゃなかった。同書には2900年前、縄文晩期の推定人口として
南関東(千葉・埼玉・東京・神奈川)に3800人、畿内(京都・大阪・奈良)に800人、
などの数字がある。縄文時代は東海から東北にかけての東日本で人口密度が高く、
西日本は極度に引くかった。原因は東日本ではコナラ、クリなど暖温帯落葉樹林の木の実に依存出来、
西日本は照葉常緑樹林に覆われて、カシやシイの実あたりしか食用にできなかったためとされている。


<勾玉と弥生時代・17> 
弥生時代の水田稲作の民は、勤勉に働いてたくさんの米を収穫して飢えることなく暮らした。
縄文人たちは彼らに学んで農耕民族へと転嫁していった。原初のヒッピーたちは定職を得た。
こういう図式には為政者たちが意図した差別意識があるし、演出された文明像がある。
実情はぜんぜんそうではなかったらしい。現代の私たちのように、
欲しいだけ米を手に入れられて、余ったら捨てても平気というふうではなかった。
水田稲作と平行して彼らは畑作もしており、狩猟採集にも頼っていた。
米はハレの食べ物、ご馳走で、ふだんは雑穀類や芋などが中心の食生活だった。
というようなことが『日本の古代4 縄文・弥生の生活』(森浩一編、中央公論社、昭和61)に書いてある。
その米も白米中心ではなく写真のような赤米黒米といわれるもので、粒揃いではなかったらしい。


<勾玉と弥生時代・18> 
たまたま知人から日本翡翠原石(糸魚川翡翠)を譲り受けて、他の天然石といっしょに勾玉を制作したら、
意外なほどの人気だった。それから日本の古代史について学びはじめた。
栽培植物がいつ始まったのか、水田稲作の前には焼き畑があったというが、
それがどの地域でどれほどの規模だったのか、いまだに詳しくを知らないままでいる。
石ヤには石ヤの仕事があって、神秘主義ファンには神秘主義の知識を深めたい欲求もある。
それでついつい古代史探求は後回しになる。
それでも文献のなかに粟(アワ)・稗(ひえ)・黍(きび)という単語がでてくるたびに、
それがどういうものか知りたいと思った。いずれも縄文と弥生の境界あたりで列島に持ち込まれた穀物だ。
現物を手に入れてみると、粒の小ささに泡を食った。
農耕生活は大変な大仕事で、狩猟採集民の気楽さをうらやんだ。
彼らとて決して気楽ではなかっただろうけれど。(写真は左からアワ・キビ・ヒエ)

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  9/18−20 2018 08:40
ワレモコウ
もも
★9/18<過ぎてゆく日々のこと>  
花壇の半分はそこらの野原と変わらない。生け垣の根が土の下を占拠していて耕せない。
成り行きまかせで夏草が茂っている。
そこにワレモコウが咲いて、キンモクセイが香るようになると秋も本番になる。
日が暮れるのが早くなって夕暮れには空がサルバドール・ダリする。


★9/18<過ぎてゆく日々のこと>  
知り合いのフェイスブックにちょっとセクシーで大きな桃のイラストがでていた。
子之神社でいただいてきた大きな桃の土鈴お守りを庭に持ち出して、真似っ子してみた。


★9/20<過ぎてゆく日々のこと> 
日本翡翠情報センターのブログの管理者ページでは、
前日のアクセス数など、いろいろなデータを見られるようになっていて、
そこに「ブログをはじめた日 2009/01/09( 9年と256日)」とあり、
「いままでに書いた記事 987件」とある。
もうすぐ1000件ということで、ここには自分の60代の足跡が残っている。
レンタルの契約を解消すると、その途端に全部が消えてしまうというのがエキサイティングだ。
アーカイブで去年の9月をみると、11日に杉並区西荻窪にあった実店舗は閉店したとあって、
その後はサーンキヤ関連の記事がつづいている。
撤退してから以降一度も西荻窪や吉祥寺に行っていない。
毎日なにかしらをやって過ごしてきたわけで、丸1日を捨ててしまうようなことは一度もなかった。
それなのに時の移ろいは早く、日々がビュンビュンと過ぎてゆく。


★9/21<過ぎてゆく日々のこと> 
夏が終わり秋の長雨の日々がつづいている。
「サバンナに雨期がきました」とテレビの野生番組に告げられているようなもので、
やがてそれも終わり、青空も秋の色になる。
その日が来るのが待ち遠しいともいいきれない。きょうはきょうのままでいいようにも思う。
ホームページに掲載する製品を選んだり撮影したりコメントを書いたりする合間合間に、
<子天狗>の話のつづきを考えている。
小天狗は天狗カーストの下位にあって、サイズが小さく、カラス顔している。
大天狗は鳶(トビ)の顔だったり、鼻が高々と長い。
子天狗は大天狗の子供で、小天狗ではない。
龍蔵神社の女神が目覚めて子天狗に話しかける。
女神は乙姫さまなんだけれど、か弱いキャラは嫌だなあと思っていた。
フェイスブックのバーチャルなお友だちリストに、
ポニーテール風の可愛いイラストのアイコンを見つけて、けっこう勝ち気なキャラが生まれた。
おまけに彼女は敵をあやつる魔法の勾玉を持っている。
おもしろくなりそうだ。5-18-2
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『ある世捨て人の物語』と隠遁について  08:37
ピクチャーストーン
<読書記録> 
『ある世捨て人の物語』(マイケル・フィンケル、宇丹貴代実訳、河出書房新社、2018)という本を読んだ。
サブタイトルに「誰にも知られず森で27年間暮らした男」とある。
舞台は現代のアメリカ、ニューヨークの北のほう、メイン州のオーガスタ近く、
ノースポンドという湖に接した別荘地、森にひとりで隠れ住んで、必要なものはみんな、
食べ物も衣服も電池も、石鹸やトイレットペーパーも、空き巣狙いでまかなって、
人とは一切交流しないで、まったき孤独のうちに、27年間すごした男のドキュメント。
よほど常軌を逸していて、社会に適応できない人物でないとこういうことはできない。
著者はこの男と何度か面会して、周辺の人たちを丹念に取材して、このドキュメントを書いたのだけれど、
男の肖像は隠者と変人の間をいったりきたり。これまでの隠遁者は、脱社会を名乗りながらも、
寒山拾得のように岩に詩を書いて自己主張したり、世間に戻って本を書いたりと、
説教好きな人が多かった。でも、この本の男は世間向けのメッセージを持っていない。
ただ世の人々と交わりたくない一心で森に隠れてきた。泥棒の現行犯で逮捕されて、半年ほど勾留されて、
その後世間に戻ったが、50歳近くになって社会人となった姿は少しも幸せそうではない。
孤独と社会への適応ということについて考えている。


<過ぎてゆく日々のこと> 
『ある世捨て人の物語』で出会う隠者という存在は、こちら側の物質文明に背を向けることで
可能になる(と彼らが信じている)意識の豊穣さを求める人たちをいう。
隠者となるには社会に適応しにくい性向であることが重要で、
日常的世界に適応できているのであれば、わざわざ隠遁しようなどと考えない。
隠者と適応障害の関連は精神世界に関心を抱く人々には興味深いテーマである。
周囲に適応することに困難を感じている人たちにとっては、適応障害を問うのは切実なテーマでもある。
ペンジュラムテーブルの5段階評価を思い出して、VERYGOOD・上手に適応できている、
GOOD・まあまあうまくやっている、OK・とくに問題ない、BAD・よくトラブル、
VERYBAD・全然適応できない、に分けて自己評価してみる。
精神世界の極北には神秘主義的思想があって、ブッダや老子に代表されるように、
こちら側の日常的世界には適応しなければならないほどの価値はないとみて、
これを超えていく道を示唆してきた。
こちら側の世界に無理して適応しなくてもいいんだと思うと、気持ちが楽になる。


<過ぎてゆく日々のこと> 
ある世捨て人のこと。人間関係にわずらわされるのが嫌で町中を離れた。
浮き世と隔絶した山の中の湖のほとりに隠れて何年もたつ。
孤独が身を切るようにつらいときがある、
それでも孤独に耐えやすい性格なのか、なんとかやりすごしてきた。
夏の夜、衣服を脱いで湖に入り、あお向けに水面に浮く。
見上げれば満天の星。身体が水とひとつになり、やがて天空とひとつになる。
宇宙は喜悦に満ちている。
どくどくとあふれる歓喜が宇宙の本質であり自分の本質でもあると思う。
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竜宮乙姫が八王子の山奥の神社で目覚めたという話  08:46
龍蔵神社
<子天狗> 
「龍蔵神社の女神さんと話をした」と玄太がいった。「どこで?」 
「龍蔵神社だよ。入り口に大きな杉の木があるだろ」「うん」
「あの木の枝に座っていたら急に眠くなった。わけがわかんない。けれど眠ってしまった。
眠っていて斎庭(ゆにわ)を見下ろすと、裾の長い着物をきて、
髪の長い女の人が拝殿の扉をあけて出てきた。それで庭に立つと腕を広げてゆっくりと回って踊った。
おいらはその人と向かい合って立っていた」
「それでね、その人が長くまどろんでいた気がするっていったんだ」「うん、すごいね、女神さまだ」
「そうそう、長く眠っていた、目が覚めると私ひとりで眷属がいない。
ここがどこかをまず思い出さなくてはならない。そう思っていたところへ可愛い小僧がきた。
可愛い小僧っておいらのことだよ」「うん」
「だからね、ここは飯縄権現さんの土地だって教えた。女神さまは自分がなぜここにいるのか、
わからないふうだった」


<子天狗> 
「そうか、竜宮の乙姫さまか」龍蔵神社の女神と会ったという玄太の話を聞いてぼくはいった。
「乙姫って?」と玄太が訊く。「竜宮のお姫さまを乙姫っていうんだ」「そうなんだ」
「きれいだった?」「うん、すごくきれい。目がパッチリしていて、卵のような顔立ちだった。
でも、どうしてこんな山の中に竜宮の女神さまが祭られているの?」
「その昔、高尾山の行者に熊野修験の人たちがいたんだろうね。
熊野の行者たちは海の向こうに観音さまの浄土があると信じていて、補陀落というんだけれど、
死んだら補陀落に生まれ変われるよう願っていた。補陀落は竜宮といっしょにされて、
竜宮も信仰されるようになった。だから高尾山の行者に乙姫さまを霊視した人がいて、
ここにお祭りするようになったんだと思うよ」
「そうか、でもあんなにきれいな女の人はみたことがないよ。とってもきれいだったんだから」
「よかったね。でも、ちょっと待って。そうか、ちょっとやばいかも」「なにが?」
「目覚めたばかりの神さまは人間たちに狙われやすいんだ」「どうして?」
「霊能力者といって、昔の呪術師みたいなことをしている人たちがいる。彼らのなかには
神さまを操ったり縛ったりして、自分たちの都合のいいように働かせようとするやつらがいる」
「どうすればいい?」「悪い奴らが近寄れないよう、結界を張るなどして乙姫さまを守るのがいいのかな。
でも、オレにはどうにもできない。おとうに訊いてみたらどうだろう」 
玄太の声がふるえて「おとうに頼んでみる」といった。 17-3
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  9/09-19 2018 08:52
キンモクセイ
★9/09<過ぎてゆく日々のこと> 
昨日は一日の大半を布団にあお向けに寝て、アマゾン先住民をテーマにした本を一冊読みおえた。
きょうも大半を寝転んですごしている。
こうやっていると、自分がほんとうに病人のような気持ちになって、汗も病人っぽい匂いになってくる。
たぶん2、3日病人っぽくしていることが必要なんだろう。
それでもってきょうは、アメリカの東海岸の北のほうメイン州の森に27年間、
ひとりぼっちで隠れすんで、近隣住民との接触を一切断ち、空き巣狙いで食いつないだ男の
ドキュメントを読んでいる。「孤独」について考えさせられるし、社会への適応性という問題において、
適応しやすい人としにくい人との間の、さまざまなレベルに思いを馳せている。
過剰適応して社会的自分をほんとうの自分と見誤る人が大部分の世の中では、
適応しにくい人には生きづらいことが多々あるが、
思想や哲学、生きることの豊穣な味わいは後者に属している。 


★9/14<過ぎてゆく日々のこと>  
電車に乗る。席が3つ4つ空いている。
そのひとつに座る。右隣の男性は定年間近、ローンの返済に困窮している。
左隣の女性はみためは健康そうなのに人工透析で通院している。
向かい側の40代の男性は浮気ゆえの離婚騒動の最中、その右隣に二人連れの女性がいて、
ひとりは自宅で痴ほう症の老母を介護している、他のひとりはひきこもりの息子がいる、
彼女も息子もともに年を重ねていくばかりだ。
次の駅に着いたらとなりの車両に移ろうかと思うが、そうしたところで、
今度はパートの仕事しかなくて低所得に苦しめられている母子家庭の女性とか、
持病に悩む30代の男性とか、いじめにあっている女子高生とかをみなくてはならない。
(自分だけ例外というわけではない。それでもってみんなが天然石を窓辺に飾れば、
世の中はだいぶ明るくなる)


★9/15<過ぎてゆく日々のこと>  
ヒマラヤ水晶の丸磨きを撮影した日、布団にはいって目を閉じると、大きな丸磨き水晶がまぶたに浮かんだ。
ゆっくりと息を吸って腹にためる。ゆっくりゆっくりと息を吐く。
息は腕から指先に流れて出ていく。腰から足へと流れていく息もある。
再度、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりゆっくりと吐く。自分が丸磨き水晶になったような気分になれる。
何年も前のこと、肺炎を患って、肺に500円硬貨ほどの白い影が残った。
その部分は血液が流れていない、死んだ部分で、この影は生涯消えないとお医者が言った。
それから半年だか3ヶ月だかして、再度CTスキャンした。
影はすっかりと消えてピッカピカの肺に戻っていた。
命拾いしましたね、とお医者が言ったが、ゆっくりゆっくりの呼吸法の成果だと自分では思っている。


★9/16<過ぎてゆく日々のこと>  
ゆっくりと息を吸って、ゆっくりゆっくりと吐く呼吸法は精神的にノット・ソウ・グッドだったり、
ツー・バッドなときにも気分を転換する効力が高い。あるときそういうことを発見した。
肺炎になって咳がゲホゲホと出つづけた。とても喫煙できる状態ではなかったので禁煙せざるをえなかった。
タバコをやめてしばらくはニコチンガムを噛んでいた。ニコチン依存症も薄れてから、
気分がナーバスになったり脳に気合いを入れたいとき、ニコチンガムを噛むと
一発で気分爽快・元気溌剌となることに気付いた。
元気だったり憂鬱だったりは「気分」によるが、気分は脳内ホルモンの分布状況に左右される、
そういうことだった。ニコチンガムによって脳が励起される感触を覚えておく。
ゆっくりゆっくりの呼吸法は脳を同じように調律する。
気が滅入って愚痴ってばかりの状況は脳内ホルモンのせいなんだから、
呼吸法によってニコチンと同じように脳に刺激すれば、曇り空が拭いさられて晴れ間がのぞくようになる。
ゆっくりゆっくりの呼吸法は「ウツ」を離れる妙薬であり、ノーテンキなポジティブ思考からも離れられる。


★9/19<過ぎてゆく日々のこと> 
郊外の里山ではキンモクセイの蕾がふくらんで、秋がはじまっていた。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  9/04-08 2018 10:33
トマト
★9/04<過ぎてゆく日々のこと> 
朝は起きがけにお湯をわかしてコーヒーを淹れる。
なん歳のときにはじめたのか覚えていない習慣で、
4カップ用のポットのコーヒーを午後早いうちにのんでしまう。
サーバーからコップにそそぎ、クリームを加える習慣も同じように古い。
今朝ははその焦げ茶色した溶液に線をひきながら畳み込まれていくクリームが、
一瞬エンタープライズ号にみえた。目を見張るうちにそれはミヅチに変わった。
気象衛星から撮影した台風の渦巻きのように白い線が流れてカギ爪をかざした龍があらわれ、
みるまに両側から翼がはえて鳳凰になった。
さらにそれは狐のような獣の姿になって混沌のうちへと帰っていった。
こういう日には裏山の木々にひそむ怪獣やら仙人を見たりもする。
余談だがいただきものの栽培キットのトマトにハート型の赤い実がなり、
台風の風がビュンビュンと吹くなかで収穫した。7-18-7


曲がり水晶
★9/07<過ぎてゆく日々のこと> 
ギフトショーという業者向け雑貨の見本市があって、
出展していたなじみの石ヤから「腰曲がり」を買ってきた。
こんなにくっきりとした曲がり水晶は珍しい。
住まいに帰ったら、どうしたことか腰の調子がおかしくて、
ぎっくり腰だが筋違いだか、腰が痛くて曲がらない。
いままで腰に不具合を感じたことは一度もない。
腰曲がりを見つけた日に自分の腰が曲がらなくなったなんて、漫画のようだ。
170mm,192g 8-18-4


ムー
★9/08<過ぎてゆく日々のこと> 
学研発行のスーパー・ミステリー・マガジン『ムー』に久し振りに原稿を書きました。
気付けばいつごろからか、誌名は『MU』から『ムー』に変わり、
発行もとも株式会社学研プラスに社名変更されている。
今回の自分の記事のタイトルは
「天皇の神璽八尺瓊勾玉の謎・三種の神器に宿る神々の霊力とはなにか」とあって、
見出しを見るだけで中身がわかってしまう。
天皇や皇帝専用の印鑑は玉璽(ぎょくじ)、椅子は玉座、と玉(ぎょく)が付いていて、
天皇のお身体を玉体(ぎょくたい)という。
天皇の皇位継承の品、三種神器は神鏡・宝剣・神璽(しんじ、勾玉)からなっていて、
玉体守護のパワーオブジェクトだったというのが記事の粗筋です。
当社ホームページや日本翡翠情報センターHPでおなじみのたくさんの日本翡翠勾玉が掲載されています。

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夏の夕暮れ天狗たちが谷の上空を飛んでいった  10:04
やま
<天狗の話>
 誰かに呼ばれた気がして外に出た。夕暮れの庭には人影がなかった。
裏山の稜線に目をやると、ヘリコプターのように編隊を組んで5体の白いものが稜線の上空に浮かんでいた。
鳶や烏よりも大きく、ヘリコプターよりは小さい、
いくらか躊躇しながらだったが行者装束の天狗であることがわかった。
裏山の峰から谷を挟んで反対側の杉山の上空へと、ぼくの真上を翼を真横に開いて天狗たちは翔んでいく。
後尾の2体は玄太と同じような子天狗なのか、互いに翼を寄せ合ったり離れたり、
ぶつかって急降下したり、じゃれているようだった。
1億本の光ケーブルで山向こうに沈んだ夕日を集めてきたといわんばかりにあたりが急に明るくなった。
渓流の音とヒグラシの声が突然に消えて、谷に静けさが積もった。
残照を浴びて天狗たちの翼は黄色や朱、薄桃色に輝き、なにかの拍子に純白の翡翠に戻った。
大人天狗たちの飛行は引き波に運ばれる枯木のように滑らかで、
滑るように谷を渡って杉山の尾根の彼方に消えていった。


<子天狗> 
家の前の道路を挟んで反対側に山の中へ入っていく小道がある。
1軒の民家を過ぎれば、あとは鉄塔と送電線の管理にしか使われないような小道で、
ほんの5、60メートル坂をのぼると、町中の建て売り住宅なら4軒ほど建ちそうな空き地にでる。
そこからだと家の裏山が麓から山頂まで一望できる。玄太とそこまで散歩にきた。
空き地のはずれのごろた石にカラスが止まった。嘴が大きく図太そうなカラスだった。
「カラスを呼んでみようか」げんたがいった。
「そんなことができるの?」「みてて」彼はいって顎をあげてカラスの鳴きまねをした。
たちまちに10羽ほどのカラスがつどって先にいたカラスの近くに舞い降りた。
「おいらたちはカラスをミサキとよぶんだ。神様の前にいるお使い。
だけどね、カラスのなかには死んだ人の霊が宿っているやつもいる」
「ああ、聞いたことがある」
「うん、うまく死にきれないと、こっちとあっちの境で迷ってカラスに乗って
向こう側への道を探すんだって」「へえ、怪談みたいだ」
「ほら、右から3番目のやつが妖しい」玄太は目をほそめて睫の間からカラスたちをみて、指差す。
ぼくにはみんな同じに見える。
「ほんものカラスは輪郭が銀色に光っている。だけどにせものは切り絵みたいに黒い」
「難しいな、見分けられないよ」
「まあ、いいか」彼は言って、パチンと両手を叩く。
カラスたちはワサワサと羽音をてて空中に戻っていった。2017-2
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