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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/18-25 2019   10:05
ローズクォーツ
★1/18<ヒーリング> 「心の乾きを癒す」「魂のヒーリング」というのと、
インターネットの記事に多い、対人関係やら性格改善、願望実現のためのパワーストーンの活用法
というのとを比べてみる。パワーストーンのパワー効果をテーマにした
『宝石伝説』(北出幸男、青弓社、1989)という本を書いてから30年ほど経つ。
30年間も同じことをやっていると、いくらかは賢くなって、
「魂のヒーリング」ということに比べるなら、世間的なパワーストーンの効用はさほど重要ではない
こともわかってくる。心の奥深いところにある「乾き」(敏感な人と鈍い人たとがいる)が癒さなければ、
ありとあらゆるヒーリング・ノウハウは頭痛に鎮痛剤を飲むような対症療法にすぎないこともわかってくる。
窓辺に水晶を飾る、瞑想する、木々や草花に自分を開く、音楽に耽溺する、
そういう日々を重ねていくと、自分のまわりの木や草や石や風、川の流れと、
自分とが美しく調和していると感じられる「時」が持てるようになる。
そうしたらその感じを注意深く観察する。
存在の根底にはあふれんばかりの「愛」があることがわかる。
この実感なくしてほんとうのヒーリングはない。
わかってしまえば力説するほどのことではないのだが。


★1/22<過ぎてゆく日々のこと>  今年初めての山の家はほぼ1ヶ月半ぶり。
人が住んでいない家は氷室のようで底冷えがする。
ベッドの上に放置したままだったジーンズは繊維の一本一本が冷えていて、
はいた途端に脚が凍傷しそうだった。居間と2階の自室に灯油ストーブをつけて、
エアコンの暖房をフル稼働させても、家を暖めるには時間がかかる。
身体は萎縮して外での作業などもってのほか、家のなかの片付けもしたがらない。
理由をつけてはベッドに横になり、本をよみはじめては眠ってしまう。来世はアナグマでもいたしかたない。
読書と居眠りの間にDVDをみた。今回見たのは映画版『ガンスリンガー』で、
ヒーローは若き日のクリント・イーストウッドかと思っていたのに、黒人俳優だったのでびっくりした。
空いた時間の有効活用と、子天狗玄太のエピソードを考えもした。
1泊2日の工程ではほどよく家があたたまったところで帰宅することになって、
理不尽さをぬぐえない。


★ 1/25<過ぎてゆく日々のこと> 昨日はほぼ一日を子天狗玄太のメモを整理して過ごした。
日々の思い付きがノートに散らしたままになっていた。
それを「姫神の頭痛」「行者の調査」「絵描きの話」などと小見出しを作って該当箇所に移していく。
2つ3つのメモを結ぶと、おもいがけない展開があって、
自分が原稿を書くというより、読者であるかのような気分になる。
姫神は果てしれずに美しく、彼女が笑うと近隣一帯のカラスが一斉に放心してしまう。
天狗の父には天狗界になじめず、アウトサイダーにならざるをえなかった過去がある。
語り手のぼくは当然このぼくではない。
彼には幼いころの事件がもとで修羅の片鱗がDNAに接合されている。
天狗は遺伝要素として日本の神々に近く、国津神や天津神、海神などと混血できる、
などということが見えてくる。
よわい900歳の狸が出演したがっているが、あまりにできすぎと思っている。
(写真は撮影しなおしたローズクォーツ結晶。ローズクォーツは中高年女性には若返りの石。
パワー効果がホルモンの分泌を盛んにし、新陳代謝のバランスを整える)
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/13-18 2019  11:33
スモーキークォーツ
★1/13<過ぎてゆく日々のこと> 
世界は美しい調和のうちにある。根底にはとほうもないほどの量の「存在への愛」がある。
クリシュナムルティは宇宙的な愛について熱意をこめて語る。
けれど彼の本の質疑応答を読むと、お門違いの人たちがいる。
ハレクリシュナでチャンティングしていた連中のほうがよほど宇宙的愛を理解できていた。
バクティヨーガでは「愛」はクリシュナそのものであり、
クリシュナを恋人のように熱愛することで 「愛」を味わえると説く。
『マハーバーラタ』の最後ではアルジュナ兄弟は飲まず食わず、炎天下を歩いて身体を捨てる
(捨身はこちら概念では自殺だが)。彼らは「愛」に溶けこみ、クリシュナ(ビシュヌ)へと帰っていく。
存在の基底にあるあふれんばかりの愛、観音の慈悲、クリシュナへの献愛は同じことで、
これを知ったあとでなら、「われはブラフマンなり」と言えるのだが、なかなかに難しい。
人はだれもが自分が読みたいように講演を聞き、
文を読み、知りたいと思った箇所にのみ意識をとめて知ったつもりになる。
(水晶の中へ入っていくと大きな愛に出会える)


★1/14<過ぎてゆく日々のこと> 
西欧ではダーウィンの進化論と合理主義とが造物主を格下げした。
「大きな愛」は見失われ、男と女の「小さな愛」で代用するしかなくなった。
小さな愛でも他者との融合感覚を味わえる、癒しがおきる。
それゆえになんだろう、小説・映画など娯楽分野では、昇華された恋愛が大成功をおさめている。
恋愛はとてもまばゆい行為になった。
背景には騎士道物語の騎士たちの領主の妃へのロマンチックな献愛があるように思う。
過程がよくわからないのだが、ヨーロッパではおもにフランスで、
男女の性愛の彼方にタントラ的な自我の開放を見た。
聖母信仰と重なって男女の愛が神の愛に置き換えられたようだ。
恋愛は熱情から覚めるとみじめな現実とむきあわざるをえなくなる。
でも存在の根底にあるあふれんばかりの愛は、いつでも、いま、ここにある。


★1/18<過ぎてゆく日々のこと> 
朝の目覚め、枕を高くして、四肢の緊張を抜き、ゆっくと息して、朝の気配を追う。
「今日はいい日だ」と思う。
現実は昨日と同じ今日があるだけで、特別いい日であるわけがない。
荷をほどいて在庫を確認したり、商品撮影したり、コメントを書いたりして、たいがいの日は過ぎてゆく。
それでも今日はいい日だと思ったほうがいい日になるだろうし、身体に元気が充填される。
家族や、知人たちや、うちの客や、fbに「いいね」してくれる人たちや、
そういうみんなにもいい日であるといいと願う。
布団からでてカーテンをあける。
結露した窓の向こうには、陽射をあびた景色がある。
いまのこの時期、北陸に暮らす人たちには気の毒なほどに関東では晴れの日がつづく。
今日は一日を暮らしていくのにいい日になるといい。


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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/11-12 2019   10:20
水晶ポイント
★1/11<過ぎてゆく日々のこと> 
ご神体水晶は木箱に入れてずーっと店に埋めてあった。
木箱にはフタをして、その上に原石を並べていたので気付いた人はいなかった。
あるときひとりの中年女性が木箱が埋めてあるテーブルの前を行ったりきたりして、
「ここに来ると膝の下のほうからスースーと風が吹いてくる」と言った。
彼女には水晶の「気」がわかったのだろう。
神秘術的な金鉱脈の探査法があると聞いたことがある。
満月のもとで山並みを見て霊気を読むというような話だった。
こういう女性を訓練すれば鉱脈を探したり、トレジャー・ハンティングに有用なんだろうと思ったが、
その女性はあまりにも平凡そうで、パワーの話などできそうになかった。
いまもどこかのお家にそういうことを記した巻き物が埋もれているんだろう。
その時代、神秘的探鉱法は高額で売買されていたそうな。
(水晶は極太も極小も同じ形状をしている。ご神体水晶は長さ50cmほど)


六字観音
★1/12<過ぎてゆく日々のこと> 
観自在菩薩(観音さま)の真言を陰刻したビーズを中央に入れたブレスレットを作った。
この真言はサンスクリット文字で書くと、オーム・マ・ニ・パ・ドメ・フームの6字になる。
(チベット文字ではオーム・マ・ニ・ペ・メ・フームの6字)。
「蓮の花のなかの宝石のごとき観音に帰依します」と表向きはそんなような意味
(神秘的には別の読み方がある)。
あまりに強いパワーを持つ真言なので神格化されて六字観音という。
いくらか瞑想になれると、この世のありとあらゆるものが美しく調和している
と感じられる意識の状態を体験できるようになる。そこをさらに降りてゆく。
とほうもなく大きな愛に出会える。
世界の美しい調和はその巨大な愛によって見守られている。それこそが 「慈悲」だ。
そこではなにもかもが愛に満ちている。
晴れた日の陽射が辺り一面を明るく照らすように、愛がゆきわたって甘美な芳香をはなっている。
大乗仏教はこの状態に魅了されて如来の慈悲という概念を特化させた。
それが、観音さまの慈愛ということで六字真言に象徴されている。


ポカラ
★1/12<過ぎてゆく日々のこと> 
ネパールの首都カトマンズを訪ねたついでにポカラに小旅行したことがある。
小型バスで7、8時間だったと思う。マニ車を持った婆さんの隣にすわった。
彼女の耳朶(みみたぶ)は長年のピアスの使用で穴が裂けて長く細く垂れ下がっていた。
後になって縄文時代のケツ状耳飾りを知ったとき、思いだしたのがこの婆さんの耳だった。
バスは断崖絶壁の中腹をうがった細い道を走った。谷を除くと落ちた車が何台も底のほうに寝ていた。
婆さんはずーっとずーっとマニ車をまわして観音の真言「オン・マニ・ペメ・フーム」を唱えていた。
ときおりぼくは横合いから真言の合いの手を入れた。婆さんは笑ってうん、うんとうなづき、
オン・マニ・ペメ・フーム、オン・マニ・ペメ・フームと唱えるのだった。
あれから何十年経っていることか、婆さんはとっくに鬼籍に入り、
観音壌土補陀落(フダラク・ポタラ)に生まれ変わっているか、
あるいはネパールに再誕して商店のおかみさんとかになっているのだろう。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 12/30-1/09 2019 09:42
水晶
★12/30<セルフヒーリング> 
12月も30日をすぎると世間の慌ただしさに感染して心穏やかでいられなくなる。
今年はいかように努力しようと商売が伸び悩んでしんどい1年だったと思う。
あるいは、家族みんなが大病を患うことなく健やかに暮らせてよかったと思う。
世界は分裂へと拍車がかかって互いが互いを憎み合っている。
国の内側での経済格差は広がるばかりで日本も例外ではない。
移民難民問題が先進国の深刻な悩みとなっていて解決の糸口がつかめないでいる。
自然災害は容赦がなく家族や家や仕事を失った人がたくさんいる。
そういうなかで明日の生活費を心配することなく暮らせたのはありがたいことだとも思う。
自己評価はどこでどういう視点にたって、なにをどう評価するかでよくもなれば悪くもなる。
それぞれの人のそれぞれの思い込みが人生を明るくもすれば暗くもする。
自己評価のネガティブ・スパイラルに落ちると、価値変換するのが難しくなる。
ヒーリングが必要なのはこういう点なのだと思っている。 11-18-2


★ 1/02<過ぎてゆく日々のこと> 
1月1日の夜に見る夢が初夢。12月31日の夜の夢は見納めの夢とでもいうんだろうか。
これが初夢だと書いておきたい夢はみなかった。
見納めの夢では、魂がどこかへ飛んでいって美しいものや気持ちのいい人たちと触れ合った。
そこでは海岸端のフォトジェニックな風景のなかを何時間も歩いた。
交差点で折れたり、よその家の庭先を通ったりするごとに風景が変わって、楽しげに働く人たちを見た。
小さな花柄の木綿のワンピースを着て頭にスカーフをまいたり、
チノパンにTシャツを着たような人たちだった。
海岸通りにはレストランや花屋、布きれや籠細工の専門店が軒を並べていた。
古い時代のカリフォルニアに似ていたが外国ではなかった。
パステルカラーに気持ち墨色を加えて、そこここに光をにじませた色合いは
ブローティガンの「西瓜糖の町」にいるようだった。
今度くるときにはカメラを持ってきて、この色合いを記録しておこうと思っていた。


★1/09<過ぎてゆく日々のこと> 
長く石ヤをやってきたので、鉱物の解説のようなこともしているが、精神世界こそ本領と思っている。
それもパワーストーンのパワー効果とか、ヒーリングノウハウといった、
こちら側の世界で徳をしたり役立つ知識ではなく、
向こう側へ飛翔して出会うリアイティの味わいへの関心が自分の土台をなしている。
このテーマは話し合える人がいないので、孤島に暮らすイヌイットのようだ。
鉱物学や地球物理学的知識や、ヒーリング関連のことがらは、
宇宙開発技術からフライパンのテフロン加工がうまれたのと同じスピンオフのようなものなので、
自分の記事をきっかけに鉱物学や地質学、色彩心理学などに関心を抱くようになるなら、
ここにとどまらず、これを踏み台にしてもらえればと願っている。
なにはともあれこんなにきれいなものといっしょにいられる機会はあまりない。
写真はうちのご神体。高さ50cmほど、重さ20数キロある。
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子天狗の父は5匹の餓鬼を荒縄でしばっていた  10:04
水晶クラスター
<子天狗玄太> 
「拙宅を訪ねていらっしゃったんですか。それは失礼しました。メールしてくださればよかったものを」
天狗の父が笑った。「ネットがあるんですか?」 
「冗談ですよ。確実にというわけではないんですが、ご用があるときは、呼んでください。お招きします」
彼は銀狐を呼ぶ真言を教えてくれた。
訪ねたわけではないのに、天狗の家の庭のテーブルについてコーヒーをご馳走になっていた。
間伐材の丸太を組んだ頑丈な造りのテーブルで、自分が淹れるのよりもおいしいコーヒーだった。
深炒りローストが好みなんだけれど、絶妙の苦みだった。
彼はきょうもダークスーツを着ていた。足もとには水銀で彫像したかのごとき銀色の毛並みの狐が控えていた。
庭の片隅、紫陽花の茂みの前で動くものがあった。
見たとたんに吐き気を催すほどの醜い生き物が5匹いた。
大きさも形も幼児に似ていたがそのように醜悪なものが人間であるはずがなかった。
栄養失調の幼児さながらに骨と皮ばかりにやせて腹がふくれあがっていた。
計りがたいほどに老いていた。まばらな髪が頭皮や顔にはりついていた。
2匹は雌で干からびた乳房が胸にはりついていた。
腰をおおうぼろぎれ以外はなにも身につけておらず、皮膚は垢と泥のまだら模様になっていた。
彼らは腰を荒縄でしばられてひとつながりにされていた。


<子天狗玄太>
 彼らの1匹と目が合った。目やにがついた目は涙でうるおっていた。
助けてほしいと目が語りかけてきた。それを哀れむ気持ちにわれを忘れた。
白いマグカップにに注がれたミルクのような同情心に心がおぼれた。
駆け寄って縄をほどいてやりたい思いに駆られて腰を浮かせた。
とつぜんに天狗がぼくの頬をひっぱたいた。よろけたはずみにコーヒーカップが地面に落ちて割れた。
驚きあきれカッとなって天狗の父を睨んだ。
彼はぼくを見据え、唇を噛んだ。そうしてうなずいた。
正気にもどって不気味な生き物を見た。
見開いた眼はギラギラとして悪意にみちていた。下卑た笑顔を見せた。
銀狐がうなりごえをあげた。醜い生き物たちはいっせいに震えて身を寄せ合った。
「餓鬼ですよ。お山を掃除して、ときおりつかまえてくるのです」天狗の父がいった。
「餓鬼ですか?」気が動転していた。天地が逆になった思いがした。
「彼らは人を操る術にたけています。餓鬼たちは虚を突いて相手を操り、
自分が生存していくための力をそこから得るのです」 
「餓鬼ですか、輪廻転生にいう?」
「そうです。高尾山のように修験が集うお山は餓鬼も集まってきやすいのです。
信仰にことよせて自分の欲望に忙しい人間たちは餓鬼にとって具合のいい獲物です」
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■子天狗の家は在ったはずの場所になかった  10:11
雲南水晶ポイント
<子天狗玄太> 
子天狗玄太が木の葉の化石が浮きでた鶏卵大で平たい石を置いていった。
河原で拾って岩の上で磨いたという。親指の腹で化石を撫でる。
SLが曳く列車が田舎の駅に停まる。そんな風景が見えた。
列車から30代とおぼしい女性が降りてくる。幼児の手をひき、別の手に大きな包みをさげている。
背中には乳飲み子を背負っている。
暗くならないうちにばあちゃんのところに行こうね。彼女は幼児に話しかけ実家への道を急ぐ。
歩くにつれて彼女の記憶があいまいになる。見知ったはずの景色が見知らぬ土地に変る。
それでも彼女はそれを怪しまない。やがて自分がどこにいるのかわからなくなるが、かまわずに彼女は歩く。
手をひく幼児のことを忘れ、背中の赤子を忘れる。
病院のベッドの上で彼女の息がとまる。老いた心臓が脈うつことをやめ、
老化した脳に血液がとどかなくなる。
世界が暗転して遠くに車のヘッドライトが光る。光は潮となって押し寄せ彼女を包む。
あふれんばかりの光のなかを、彼女はきっちりと前を見て歩いていく。


<子天狗>  
岩船神社を過ぎると谷はいよいよ深くなる。
渓流沿いの曲がりくねった田舎道をしばらく進むと渓流をまたぐ木造の橋がある。
橋の奥には、谷底まぎわまで植林された杉の森を背景に、
4、5軒の家と家庭菜園程度の畑が点在している。
玄太の家は一番奥まったところにあって、石垣を組んで地ならしした上に、
黒い瓦屋根の寄棟造2階建て、ガラス戸のはまった長い廊下のある北陸の農家ほどに大きな家だった。
玄太の父にあって岩船神社の姫神の警護を頼みたかった。
天狗は電話もメールもないんだろうから訪ねていくより仕方がない。
自転車を橋のたもとに止めて家を訪ねた。あったはずの場所に家はなかった。
見覚えのある石垣は半分ほどが苔におおわれていた。
石垣の上の空き地には雑草がはびこって2、3の灌木がはえていた。
天狗には色身(しきしん)がないのです。彼はそういった。
幽体だか霊体だかが本体で、こちらに姿をあらわすときには幻力だかを使う。
そういうことであれば、家も衣服もかくあるように見えているだけということになる。
人間たちの現実だって、みんながかくあると思い込んでいるのでかくあるように思えているだけなんだろう。
天狗視覚に入っていければいいのにと思ってしばらくそこに立っていた。
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■<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 12/23-28 2018 09:37
梅の花
ネフライト

 新年あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお付きあいください。
<過ぎてゆく日々のこと>はフェイスブック掲載分を2−3回づつまとめています。

★12/23<クリシュナムルティ> 
インドのファンでないとクリシュナ神とクリシュナムルティ、ラーマクリシュナ、
ハレクリシュナがどう違うか理解が及ばない。同じようにトランスヒマラヤ密教と仏教の密教との違いとか、
宗教団体の神智学協会がいうヒマラヤ聖者とヒマラヤの山奥で修行するヨーガ行者の違いとなると、
神智学風神秘主義の中へわけいっていかないと、分かってこない。
若かったころの一時期、『ヒマラヤ聖者の生活探求』という本を熱心に読んで、
それを本当のことと思っていた。トランスヒマラヤ密教は
/醒匈惷┣颪料論濕團屮薀丱奪イが吹聴した諸説と、
▲▲螢后Ε戰ぅ蝓爾琉賚△涼作を合わせたものをいい
、ベアード・スポールディングの『ヒマラヤ聖者の生活探求』、
ぃ諭Ε鼻璽螢襪離轡礇鵐丱蕕筌茵璽関連著書、
ゥ縫灰薀ぁΕ譟璽螢奪劼肇悒譽壁弸覆痢悒皀螢笋猟蹐量擇陵奸淵▲哀縫茱叢書)』
などを加えてもいいだろう。共通項目に大師とよぶ超人間からのチャネリングを
教えの中核にしていることをあげられる。これらは伝統的なインド思想と同じではない。
いわばインド思想風新種宗教の所産だ。シャンバラ、チャネリング、霊的進化、
ムー&レムリア大陸はこのあたりから出発している、
西欧から入ってくるパワーストーン関連の諸説もまたしかり。


★12/26<過ぎてゆく日々のこと> 
結露して窓の外が見えない。曇っているのか雨なのか晴れているのかもわからない。
もう一度ふとんに戻ってぬくぬくとした愉悦に帰ろうと思う。
いっそのこと老いた狸のように春までそうしていられたらいい。
寒い寒いと思っていると身体が萎縮して気力が萎えますます寒くなる。
それに気付いて肩を降ろし首を伸ばす。背筋を立てると気が下腹におりてゆく。
山にいれば冷たい風にむかって顎をあげると冬の美しさがわかる。
けれど町なかではそういうふうな気力の調節が難しい。
心機一転して残り一枚となったカレンダーの下に来年用のルナカレンダーを重ね付けした。
(みんなの来年が気持ちよく過ごせる年になるといい)


★12/28<過ぎてゆく日々のこと> 
年末の展示会で7−8キロの重さの糸魚川産ネフライト原石を買った。
5キロ以上の石を測れる秤が手元にないので正確な重量がわからない。
展示会の会場から郵便局まで約10分を抱きかかえていってゆうパックで自宅宛送った。
この原石は珍しい色合いをしていて気品がある。石は店頭や展示会の会場ではなく、
手に取って何分かの間いっしょにいるとより多くが見えてくる。
自分が石の中へはいっていく。石が自分のなかへ入ってくる。
そうやって石に触れているとたくさんのことがみえる。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ   12/10-21 2018  10:07
バッファロー
★12/10<過ぎてゆく日々のこと>  
標本箱の天然石動物園荷は、いつどこで買ったのか思い出せない動物たちがたくさんいる。
廃村の一軒に無断であがりこんで整理棚を開けたらたくさんの動物彫刻があった、とそんな風情。
それらのなかに威勢のいい銀細工のバッファローのを見つけて目を剥く。
背中の丸みや足の踏ん張り具合からバッファローのパワーが伝わってくる。
頭の中でけむくじゃらの野獣が重たげに瞼をあげて睨んでくる。
とても古い時代から人類はそれぞれの動物に固有のパワーを感じていて、
似姿をつくれば、パワーが宿ることを知っていた。
いまでも幼児たちはそういうことを知っているが、いつまでもそんなことをいうのは赤ん坊みたいだと、
親や友だちがけなすのでパワーの味わいを忘れて大人になっていく。
バッファローの彫像を見つけて、アメリカの先住民居留地タオスプエブロの農場で飼われていた
バッファローの写真を探した。


山の家
★12/19<過ぎてゆく日々のこと> 
2階の北側の部屋の山に向かう窓は畳1枚ほどの大きさ。
日の光を浴びた山肌が屏風絵となって広がっている。
木々は風にそよがす静まっている。なのに一か所だけ、濃いエメラルド色した茂みが揺らいでいる。
猿のようだと思ってみていると、2頭の猿が姿をあらわにして黒々とした枝を伝っていった。
双眼鏡をだして姿を追う。このまがくれに4頭の猿が確認できた。
南インドの動物保護区で野生のゾウをみているようなものだった。
昨日の夕方から喉がいがらっぽくなって、きょうは身体がいくらかだるい。
ミネラルショーのひとごみは病原菌の海でおよいでいるようなものだから、
きっとそこで肺いっぱいに風邪のウィルスを吸い込んできたのだろう。
同じ環境にいながら風邪をひく人とひかない人がいるのはとても不思議だ。


めのう
★12/21<過ぎてゆく日々のこと> 
この2日間、一日15時間くらいづつ寝た。風邪をひいて作業をつづけるのが辛くて横になる、
そのまま寝てしまうことの繰り返しで、起きるごとに症状が変わるやっかいさだった。
病気になった動物が隠れ家に籠って何日も動かずに回復を待つ。そういうのに似ていた。
意識はあたまのなかで熟れていた。
近所の倉庫に客注の品を取りに行って用水路沿いの遊歩道にでて、
旅の途中で病気になったことを思い出した。
ホテルで一日の大半を過ごし、わずかの食べ物を求めて町にでる。
寄る辺のない土地に果てがないほどひとりだった。
どこにもだれにも頼れるものがいないことを寂しいとか辛いと思ったわけではなく、
体力が消えて日常性との連続が切れた世界を、糸の切れた風船さながらに漂っている自分というものを、
不可解に感じた。現実は硬い一枚岩のようなもので万人にとって不変だと多くの人が信じている。
社会的合意によってそのように見えているだけのことで、おそらく社会的合意がバーチャルなんだろう。
きょうも夕方までに3度昼寝して目覚めたらいつもの自分の戻っていた。

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クリシュナムルティ関連の本を読んだ、久し振りだった  09:49
翡翠丸玉
<読書記録> 
『回想のクリシュナムルティ第一部』(イーブリン・ブロー、大野純一訳、コスモス・ライブラリー、2009)。
何年かに一度、クリシュナムルティ(1895-1986)に戻ってくる。
数年おきに好みの神社仏閣に詣でるようなものだ。
遠い昔から現代にいたるまで救世主信仰が途絶えたことがない。
宗教家たちにとってはとっておきのレシピのようなものなんだろう。
クリシュナムルティは、宗教団体神智学協会が世界教師を宿す霊媒となるよう育てたインド人で、
1929年、34歳のとき脱世界教師宣言をして、神智学協会と袂をわかった。
彼は宗教的な世界教師を止めて精神世界の世界教師になった。
トランス・ヒマラヤの大師と霊的に合体していたらしいところに興味が尽きない。
クリシュナムルティについては多数の翻訳本が出版されていて、日本にもたくさんのファンがいる。
天然石ファンにとっては神智学は馴染みが深い。翻訳ものの天然石関連本はそうと明記されていなくても、
ほとんどが神智学の影響のもとにある。オーラソーマも同様だ。
神智学に関心を抱き、ついでインド古来の思想に興味をもつと、
天然石のパワー効果で使われる用語はヨーガのものであっても、
だいぶ古代の叡智から離れていることがわかってくる。


<読書記録> 
『回想のクリシュナムルティ第2部』(第一部に同じ)
神智学協会を離れて以降他界するまでのクリシュナムルティについて、
たくさんの関係者のインタビューやエッエイで構成されている。
こうした趣旨の本は、主役のエピソードにふれるには貴重な資料になるが、
新興宗教の教祖をみんなでたたえる本みたいでもある。
クリシュナムルティはさまざまに条件付けられた自分像(自分で思い描く)の数々を脱ぐことで
魂の自由を得られると説いた。そのため彼は権威主義を嫌った。
権威に従属するかぎり真の自由はないとした。その延長線において、あらゆる宗教の権威を認めなかった。
自分が教祖のように思われて、追随者たちからあがめられることは不本意なことだった。
それなのに権威への従属をよしとするたくさんのファンからあがめられた。
クリシュナムルティのほかにも、ラーマクリシュナ、シルディ・サイババ、ラーマナマハリシ、
など近代になってもインドは不世出の聖者を育ててきた。そういうインドの風土の特異性を不可思議に思う。
彼らを人類が霊的に進化した未来のさきどりとする見方に魅力を感じるとともに戸惑っている。


<クリシュナムルティ> 
宗教団体神智学協会がいう「世界教師」は救世主マイトレーヤの来訪にさいして霊媒となる人物のことで、
世界教師の教育にはチベットのシガツエに住むインド人やチベット人で大師とよばれる聖者があたった。
大師たちは生身の身体を持ちながらクリシュナムルティのもとへテレポーテーションしてきたり、
チャネリングしてコンタクトした。脱世界教師宣言をして、神智学協会と袂をわかったあとも、
ヒマラヤの大師の要請があったのだろう。クリシュナムルティは世界各地での講演をつづけた。
講演会場に着くまで頭は白紙のままだが、演壇にたつと言葉がつぎつぎとわいてくるというようなことを、
どこかで書いている。内なる力は向こう側からやってきた。
彼の教えの核心はインドの伝統的な思想にあって、事物への執着から離れることで
平穏や清澄さが得られると説く。彼の著作を読むと心が洗われてゆく気持ちになれる。
けれどこちら側の社会は競争社会で、商売をするのであれば在庫を気にしなくてはならず、
会社員であれば仕事のほかに対人関係など山ほどの難題と対処しなくてはならない。
心静かに満ち足りた時を持続するのは難しい。
そうやってときおりはクリシュナムルティの著作を開いて世界の豊穣さと日常性の貧困さを思いやる。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 11/26-12/10 2018  13:53
ナマズ
11/26<過ぎてゆく日々のこと>  
真夏の盛り、背中の汗がとまらずカエルになった日々には、
こんなに暑くてはもう冬は来ないだろうと思っていた。
それでも寒い季節が巡ってきて心の奥の方にすむ縄文のシャーマンが安心している。
古い時代にはご先祖たちは季節の移ろいや、日差しの衰微に敏感だった。
暑さがつづけばこのままでは田畑が燃えてしまうと心配したし、
冬になれば太陽は老衰して春は巡らないだろうと気掛かりでならなかった。
やがてシャーマンたちは、人間の祈りが天然自然の季節の運行を助けていると思うようになった。
太陽をまつる儀式は自分たちが生命をつないでゆくのに欠かせないものになった。
「オーム。シャムイ、シャムイ、シャムイ」と寒さをたたえるマントラをとなえながら、
窓の向こうの木々たちの色が変わっていくのを眺めている。


12/06<過ぎてゆく日々のこと> 
ふとした思い付きを反芻しているうちにいかにもそれらしく思えてくる。
ついにはそうに違いないと「確信」したりする。
妄想の始まりなのか、新たな仮説のはじまりなのか、はたまた真理との遭遇なのか、
判別しかねるところだ。人間関係も端緒はちょっとした思い込みにある。
他者を好感する、恋の始まりや商品開発、ビジネスチャンスの養育はそこから出発する。
具合の悪いことに猜疑心・嫉妬・嫌悪・憎悪・殺意もそこから起きてくる。
後悔も失意も悔恨も右に同じ。悲観することが好きな人も傲慢な人も正義をふりまわす人も
自己卑下する人も、ポジティブ指向の人たちだってみんな思い込みに溺れている。
細身管玉は稲かチガヤの茎を模したと気付いて、それがあんまり本当らしく思えたので、
どうやって「思い込み」が発生してくるかを考えたりした。
呪術では「見立て」の精神作用が重要で、それによってパワーがたち現れてくる。017-2


12/10<過ぎてゆく日々のこと> 
熱心なコレクターではないが、天然石で作ったたくさんの動物彫刻があって、
多段式書類ケースがめいっぱいの動物園となっている。これまでに幾度が整理しようと試みてきた。
それでも新規のコレクションが増えるにつれてカオス化していくのはやむをえない。
だからそこはワニの隣に同じ大きさのハトがいるといった具合のシャガールの夢のような動物園だ。
ひとつひとつを撮影したら個人的にご満悦の写真集になると思った、
気紛れだし、それなりに忙しいから長続きしないことはわかっている。
ひきだしごと抜き出して庭に運び、最初に手にしたのが銀のナマズだった、
以前シルバーリングや18Kペンダントを制作してもらっていた会社が、新築祝い用に開発した製品。
ナマズは地を鎮める霊獣。大事にお祭りすると地震の被害が小さくてすむかもしれない。
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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