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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 6/02-13 2019 10:44
四川省水晶
★ 6/02<四川省美姑産水晶> 
倉庫には「水晶クラスター」の張紙のあるプラスチックケースが7つ8つ積んだままになっている。
衣装箱ほどの大きさで、西荻の店の閉店時に詰めた水晶クラスターが入っている。
これらを売っていかないと未来永劫倉庫の家賃を払いつづけなければならない。
バッドカルマだぜ、まったく、とひとつを開ける。四川省美姑の水晶が出て感嘆する。
柱面が短く、さまざまなインクルージョンがあり、しかもエピドートが伴晶する水晶は他に見たことがない。
未来永劫ついでにいえば、この産地の水晶は未来永劫地球の宝だ。
ひっくり返して裏側をみると、平面状のアメシスト模様がつやつやと光って
アリババと40人の盗賊気分になれた。
(山の神様は女で、この女神を敬愛して姐様とよんだ。美姑という地名を見ていると、
そんなことが思い出される)6-19-1


二十面体
★ 6/11<過ぎてゆく日々のこと> 
パワーストーンという言葉が市民権を得てだいぶ経つ。
いまではパワーは迷信だと頭ごなしに否定していた鉱物商だって、
そんなことはいっていられなくなって、パワーのあるなしを話題にしている。
でも天然石のパワー効果は現世利益の追及にかたより過ぎていると思う。
願望実現、対人関係の向上、自己変革(欠点のカバーとか)、自己啓発などは、
少し離れてみると、どれもが自分に執着し、自我を厚着し、
自我の強欲さで自分を縛っていく行為であることがわかる。
自我を解く、自我をゆるめることでより大きな世界と触れ合う、
あるいはより大きな自己を発見していくという精神世界元来の世界観からみるなら、
これらはまったくもって精神世界ではない。
ここには巣鴨の刺抜き地蔵に自分の病を押しつけて平気でいる善男善女と、
ヒマラヤの山奥で解脱めざして修行するサドウと同じほどのひらきがある。
自我を解くことが霊的浄化につながり、魂の飛翔をうながすという精神世界の構図からみるなら、
自分への執着は輪廻転生でいう餓鬼や未浄化霊(亡霊)への道につながる。
石はパワーの乾電池ではないんだから、敬意を抱いて接することも大事だと思ったりしている。5-19-3 037


雨入り水晶
★ 6/13<過ぎてゆく日々のこと>
 10年もほっておいていまさらあなたのことが好きです、というのはちょっと気恥ずかしい。
身勝手であるかもしれない。でも告白する機会を逸していただけでずーっと好きだった。
日本翡翠以降、エレスチャルや各種丸玉、ピクチャーストーンを褒めたたえる機会を逸している。
嫌いになったわけではない。水晶球もそのひとつで、なかでも見掛けは透明無傷なのに、
逆光のもとでは白い小さなインクルージョンが浮かぶものを偏愛してきた。
欧米ではエンジェルラダーとかエンジェルフェザーとよんでいる。
雲の間から差しこむ数本の矢のような陽光が天使の梯子(はしご)。
自分流には雨入り水晶とよんでいた。雨は生命(いのち)をはぐくみ、実りをもたらす。
豊穣の雨は縁起がいい。
たくさんの水晶球が届くとなかに幾つか雨入り水晶が混ざっている。
天然水晶から作られた製品の証しのようで安心できる。6-19-2

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 6/04−05 2019 09:52
四川省水晶
★ 6/04<過ぎてゆく日々のこと> 
社会規範は世の中的に何が正しいのかを決める鋳型。
父親が家長として権力をふるう家父長制は、遊牧民のライフスタイルが下敷きになっている。
ここではかつての日本がそうであったように目上の者に逆らえない。娘は婚前性交渉を許されない。
前者は社会の規律を保つ必須項目であり、後者は娘は家の財産だったから。
中産階級、または疑似武家社会では、娘を社会的地位の高い家系へ嫁入りさせることで
自家の地位を高められた。経済の高度成長期に家長の権威は失墜した。
以後フリーセックスなどあれやこれやの変化があって、それまでの社会規範は崩壊してしまった。
だからいまの社会では親は子供を叱れない。子供にどういう生き方が正しいのか提示できない。
子供の自由を過大に評価する社会では、(おそらく)子供たちは何をどう学んだらいいか
わからなくて混乱している。母系社会は女(母親)が家族を支配していたわけではない。
父系社会のようなヒエラルキー(権力のピラミッド)を構築しない社会だった。
母系社会の構造を学ぶことで、現代人は心安らぐ暮らしぶりに目を向けられるようになると思っている。
5-19-3(美姑産水晶 884g/190mm)


四川省水晶
★ 6/05<スーチョワン・クォーツ> 
純白の水晶クラスターの撮影にてこずっている。
スーチョワン・クォーツ(四川省産水晶)のなかには石英の母岩が薄く、またはないに等しく、
長さ3〜5センチ程度の細いポイントがてんでの方向に密集しているものがある。
全体の色合いは、食べきりサイズのヨーグルトだってここまでは白くなれないほどに白く、
個々のポイントはまったき透明で、小さいながらもくっきりとペンシル型をしている。
ブラジル産やアーカンソー産ではあまりみない形状なので、スーチョワン・クォーツの個性美なんだろう。
原石サイズがてのひらを越えると大きさに比例してポイントはいっそう小さく見える。
通常気分で撮影すると全部白くとんでしまう。片光線を選んでポイントに陰影がつくよう努めても、
思いとおりにはいかない。フラッドライトでの照明をあきらめて、日当たりやら日陰やら、
ついには日陰+レフ板と努力重ね着していると、
夏の陽射のもと精力はひからびて身体がアリに変わっていった。6-19-1


モリアオガエル
★ 6/05<過ぎてゆく日々のこと> 
夜半にホトトギスが鳴いた。初夏になると夜も昼も聞く鳴き声なので当初はカエルかと思っていた。
良寛を知るようになってネットで検索して、あれがホトトギスの鳴き声であることを知った。
昔は今よりもっと静かだった。深夜ともなれば風にゆらぐ木々の葉ずれの音が部屋にひびいた。
ホトトギスは初夏の夜の官能のしじま、一斉に生命がわきたつ火柱のような静けさを破ったことだろう。
朝になって庭のはずれの水道の汚水溜めを見た。やっぱり今年もモリアオガエルがやってきて、
ソフトボールを一回り大きくした泡のかたまりが産みつけていった。
モリアオガエルというのは日本アルプスの深山幽谷の絶滅危惧種と思いこんでいたので、
自分の家の庭先で泡の卵塊を見たときは驚いたものだった。
汚水溜めのカメはひび割れて水は半分も溜められない。
それでも毎年のように彼らが産卵にやってくるのは、ここで育ったカエルの脳に、
汚水溜め座標が刷り込まれているからなんだろう。6-19-1

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 5/29−6/03 2019   10:13
ナーガラージャ
★ 5/29<理趣経とタントラのつづき> 
パワーストーン関連の話ではあまりセクシャリティを話題にしない。
なぜだろうということを理趣経に関連して考えている。
セックスと聞くだけで顔をそむける人もいるし、恋愛を美化するにとどめておいたほうが
小綺麗で無難ということがあるんだろう。
セックスそのものは人目をはばかった所で行われる動物的営みで、それ自体は良くも悪くもない。
問題はどのような思い込みをそこに加えるかであって、
たいがいの人がとほうもないほどにイメージの厚着をして、それぞれのセクシャリティを形成している。
このイメージに圧倒されて(つまり自家中毒して)日常生活に支障をきたしている人がたくさんいる。
情緒障害(怒りっぽさ、自信のなさ、自己評価の低さなど)、不定愁訴、心身症、頭痛、
肩凝り、腰痛、などなど、セクシャリティの困難さからくる諸症状は数えだせばきりがない。
セクシャリティの持ち用によって世間は明るくなったり暗くなったり、
好意的であったり意地悪であったり、希望がいっぱいだったり、悪意だらけだったりする、
みんな自分で描いたイメージなんだということに、なかなか気付けない。
パワーストーンのパワー効果によって意識を変えていくことで、
セクシャリティも人生に意義深い方向へと転換できていく。015-s003  017-2 082


日本ヒスイの本
★ 6/02<日本ヒスイの本> 
通販用の拙著『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、2016)が
品切れて注文しなくてはと思っていた。店頭で展示販売するわけではないし、
本だけを通販で買うならアマゾンなら送料無料、どうしたものかと思案していたら、
版元の青弓社から読者からのメールが転送されてきた。
滅多にないことなので、これは本を注文しろということなのかと、少部数を注文した。
何年かおきに一冊づつ精神世界がらみの天然石の本を書いてきて、それぞれに思い入れがある。
『日本ヒスイの本』では国産翡翠の歴史もさることながら、
呪術について簡略にまとめることができてよかったと思っている。
目下のところは精神世界ブームが低迷していて、うちのような石ヤ業界も低迷している。
現代社会の閉塞感を破っていく方法のひとつとして、
旧来の父系社会的感性を脱いでいくのが最重要のテーマであり、
翡翠や水晶への思い入れが新たな感性を磨く力になると思っている。


ヘキ
★ 6/03<読書記録> 
本箱の前に座り込んで本の片付けをした。古代中国関連の本がまとめて平積してある一角から、
『中国古代文明の形成』(張光直、小南一郎他訳、平凡社、2000)というのがでてきた。
目次をみたら殷(いん・商ともいう)の巫術に関しての論文があった。
古代中国の玉(ぎょく)文化について関心を抱くようになって長い年月が経つ。
玉器は呪術・宗教・権力構造と切り離せない。そのからみで殷の青銅器の隆盛を興味深く思ってきた。
青銅器の神聖視は中身の酒にあって、ドラッグシャーマニズムの潮流からみるなら、
呪術のために幻覚性植物を混ぜた薬草酒を飲用していた可能性が大きい。
本書を拾い読みすると、後漢時代の『神農本草経』には大麻の薬効についての記事があるとでていて、
殷の青銅器が断然興味深くなった次第だ。
漢字の使用は殷(商)に始まるが、神界との通信手段として発達した。
青銅器には神界へのメッセージが刻まれたが、これもまた呪術そのものだった。
彼らは狂気なまでに人身供犠(いけにえ)を好んだが、
マヤ・アステカと同様幻覚性植物による神懸かりの狂騒と無関係ではないかもしれない。016-2
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理趣経とタントリズムと現代社会のセクシャリティ  13:57
フラワーアメシスト
★ 5/26<読書記録>
『現代語訳理趣経』(正木晃、角川ソフィア文庫、2019)読了。
理趣経はセックスを肯定する経典と位置付けられてきた。
仏教も儒教もキリスト教もセックスを卑下する。
ああいう嫌らしく猥褻で下品なものと宗教の高尚さは全く違うと、宗教関係者は宣伝してきた。
それに対して理趣経は最初の1章をまるごと使って(1章だけだが)、
セックスは菩薩の尊格と同じように清浄だといいつのる。
ここでの清浄は清潔さという意味ではなく、宇宙の真理というような意味がある。
理趣経がセクシーであることの問題は、経典にあるわけではない。
あれはあの時代のタントリックな流行を取り入れただけのこと。
問題は、父系制社会のなかでなぜ性行為は貶められ、恥ずべきものとされてきたかにある。
いやらしがりつつも、なんとか理趣経に正当性を持たせようとする解説者たちの頭の中に問題がある。
性行為は行為者にとっては無防備で、周囲の他者にとっては刺激的で伝染しやすい行為なので、
隠蔽されるほうが好ましい。そういうことと卑下するのはべつもので、
タントリズムでは性の喜悦と宗教的法悦を同質とみて、その向こうに絶対的な歓喜「大楽」を置いてきた。
経典に登場する菩薩たちを我が身に引き寄せて「大楽(たいらく)」めざしてまっしぐら! 
というのが理趣経の姿勢なのだが、
たぶん日本の宗教関係者の多くは「大楽」がなんだかわかっていないんだろう。1-19-3


ピンクカルサイト
★ 5/29<読書記録>
『理趣経』(松長有慶、中公文庫、1992)を中断した。
前記『現代語訳理趣経』とは別に以前にもこの経典の解説書を読んだが、なにも覚えていない。
それで蔵書のなかからひっぱりだしてきたのが本書。
知恵がつくようなことがいろいろ書いてあるが、表現があまりに抹香臭い。
真言密教は興味深くあっても信仰していない。理趣経を開いても功徳があると思っているわけではない。
坊さんの説教は聞きたくない。
理趣経では、章を追うごとにめまぐるしく変化していく如来や菩薩の姿に、
役者が舞台で早変わりするような絢爛豪華な浄土絵図を見る思いがする。それがまばゆい。
けれどその解説のひとつひとつがうっとうしい。
ほかに読む本はたくさんあるんだからと思って閉じてしまった。
大乗仏教の教説は、大昔に寺院にこもって偉そうな態度をとりつづけた僧侶たちが編み出した、
理屈の重ね着のような気がする。タントリックなセクシャリティについては、
世俗の男女のレクリングみたいで忙しい方法とは別の技法があった。
その地点において菩薩の清浄さが現出する。そのことを思い出そうとしている。
(写真はピンクカルサイト)4-19-2


リンガヨニ
★ 6/02<理趣経とタントラ> 
ある出版社の編集者とタントリズムの本を作ろうとしていた。
ネパールの寺院の軒柱にはたくさんのタントリックな彫像がある。
先般の大地震でその多くは倒壊してしまっただろう。
制作予定の本にはそれら彫像を中心に、タントリズムとセックス関連の記事も入る予定だった。
石ヤの仕事が忙しくなって、この企画は流れてしまったけれど、
理趣経や唯識やサーンキヤ、ヨーガスートラ、シャーマニズムなど、いまもタントリズムへの憧憬がある。
タントリズムはインドの土着の宗教形態。母系社会で発達した女神信仰で、「生む」力を重視する。
宇宙生成・物質世界の展開を生殖の原理をアナロジーに説明しようとするところに特色がある。
わかりやすくいえばインドでは、広大な領土をもつ王国の登場を背景に、
原始仏教と土着の女神信仰(タントリズム)が習合して大乗仏教となり、
女神信仰とバラモン教が融合してヒンドゥー教になった。
現代社会では家父長制社会の規範が通用しなくなっている。
なのにそれに変わる社会規範をもてないでいる。
タントリズムが話題になるようになったのは、
ここに現代社会の窒息状況を打破できるカギがあるように見えるからだ。014-0411
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 5/30 2019 &ペンジュラム 10:48
水晶ペンジュラム
★ 5/30<過ぎてゆく日々のこと>
 毎日、なるべくたくさんの驚きがあるといい。ヘェーとか、マァ−とか、驚くと脳は活性化される。
驚くごとにごく微量であっても(驚くべきことだが)脳内麻薬ホルモン・エンドルフィンの類いが分泌されて、
ちょっとの間気持ちよくなる。人生や対人関係が平坦になってしまうのは、驚くことがなくなるからだ。
夫婦関係が氷河になってしまうのは、互いに相手を驚かせることができなくなるからだ。
関係性の新鮮さを保つのは男と女の両者に責任がある(男が女を幸せにするというのは父系社会の妄想。
そこにすがると不幸になる場合がある)。世の中には実用いってんばりで本気でおもしろくない男や女がいる。
そういうのと結婚してしまったら、不運とあきらめるか、自分が驚きのクリエイターになるかのどちらかだ。
なんでもいい、小さなことでいい、相手を驚かせることを考えると関係性は新鮮になる。
驚くような意見かもしれない。2-19-4(写真はエレスチャルになりかけの平行連晶)


水晶ペンジュラム
★ 5/30<過ぎてゆく日々のこと> 
老婆のシャーマンがいる。彼女は皮の袋から一掴みの獣の骨をだして、
地面にまくように投げて吉凶を占う。
ひとりの呪術師は村外れの空き地についたジャッカルの足跡に吉凶を読む。
供犠の鶏の特定の内蔵の形が占いに用いられることもある。
そうした占いのひとつペンジュラムは古代エジプトでは神官が神と交流するための手段で、
門外不出の知識だったという。
いまでは多くが失われ、神秘は粗雑なレベルで解釈されることが多いが、
占いに必要なのは、占いを神託とみて、啓示の発信者が誰であるかを理解しておくことだ。
解答をよせてくれる相手は神や祖霊や精霊だったりするが、相手を信頼して敬う。
自分勝手な都合のいい解釈をやめる。そうすれば占いを手段に神秘の世界にはいっていける。
タロットにしてもそのようにカードを配置する見えない存在がいるというふうに考える。
そこには向こう側からこちら側への開き出しが象徴されている。5-19-3


水晶ペンジュラム
★ 5/30<ペンジュラム> 
ひところ易を確率の科学だなどと吹聴する人がいた。とりたてて易に興味があるわけではないので、
当たるも八卦当たらぬも八卦でとくに問題はない。
加えていまでは易の向こうに神霊の息吹を読もうとする人はいないように思う。
神や天使、精霊など霊的世界が否定されるようになってからは、
ペンジュラムは心の内奥からのメッセージだとする意見がだされるようになった。
こうするとだいぶ現代風になる。それに心の核のようなものと神々はそれほど離れた存在ではない。
自分の心に向かって自分を開くつもりになる。自分で自分のすべてを受け入れるつもりになる。
そうやって瞑想すると、ペンジュラムは幼稚で迷信っぽいように思われているが、
その実、未来の心理学の先取りというような面があることがわかってくる。5-19-3

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 5/17-28 2019 12:14
クロアゲハ
★ 5/17<過ぎてゆく日々のこと>
川端のわずかの泥地になにやら黒い塊がある。
いつもと違う風景に目を凝らすと、10匹あまりのクロアゲハが群れていた。
彼らは交尾したり産卵しているわけではなく、集っているだけのように見えた。
ときおり場所を変えたり、新参者が身を寄せたりしていた。
土は乾いていた。土をなめてミネラル分を補うチョウチョの映像をテレビでみた記憶がある。
そうであるとして、この蝶たちはこの狭い場所をどうやって知り、みんなで集うことができるんだろう。
大地の歌が地表に漏れでる場所がある。そこではチョウたちが口吻をあてて音楽を聞く。
そんなふうに思った。2時間ほど後に同じ場所を訪ねた。もうクロアゲハの姿はなかった。
どうということのない川端があるばかりだった。4-19-5


焚火
★ 5/17<過ぎてゆく日々のこと> 
倉庫の整理に疲れて寝転びたかった。でも結局は焚き火して紙ゴミを燃やすことにした。
樅(もみ)の枯れ枝をくべるとバチバチと音をたてて燃えた。
コモドドラゴンの舌が朱の炎となって、ブロックのかまどの蓋を越えて突き出し空気を嘗めた。
そこにエイリアンがあらわれる。ナーガが尾をくねらせ、龍神が気息を吐く。ガネーシャが姿を見せる。
迷える霊の2つ3つがやってきて炎に焼かれて他界する。
どうせ退屈な奴らなんだからそこらの霊とはかかわりたくない。泣き言など聞きたくはない。
寺地遺跡の翡翠職人を思った。新潟県糸魚川市の海岸近く、
翡翠大珠(タイシュ)発祥の地といわれる縄文遺跡。
砂岩の砥石で翡翠を刷っていた人物が顔をあげる。すすけてはいたが女だった。
けっこうな美人だった。ほつれ髪が頬にかかって美しかった。4-19-5


エレスチャル
★ 5/28<過ぎてゆく日々のこと> 
エレスチャル、フローライト、カルサイトなどと、鉱物好きの偏愛ぶりはとどまることを知らない。
同時に複数の人を熱愛すると人間関係ではたくさんの面倒が起きる。
でも鉱物に関してなら、あっちもこっちも同時にどれほど好きになろうとだれも非難しないし、
揶揄されることもない。こんなに珍しいものをよくこれだけ集められたね、と褒められることすらある。
いろいろな生物のうちで人間が一番面倒臭いと思うけれど、ネコやタヌキに生まれたのであれば、
鉱物の美しさを知らないまま死んでいくんだから、いたもすべなしということにしておく。
それでもって圧倒的に凄いのがエレスチャル。
この石は可愛いとか美しいという賛辞を越えて魔術的に凄い。
見たことがないほど美しい女神を夢で見るとする。天女が百人束になってもかなわないほどに美しい。
そういう女神の内側にある呪術的パワーを象徴するのがエレスチャルだ。4-19-5

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多摩ニュータウンの「遺跡庭園・縄文の村」に遠足した  5/17 2019 15:10
縄文土偶
★ 5/13<過ぎてゆく日々のこと> 
住まいからバスで20分ほどのところに「遺跡庭園・縄文の村」というのがある。
多摩ニュータウン建設時に発見された遺跡の一部が保存してあって、復元した縄文家屋が3棟建っている。
付属の博物館には上記地域内の1000ヶ所あまりの遺跡からの発掘品を保存してあるという。
そういう施設があることを知ってはいたけれど、縄文時代の堀建小屋にはさほど興味がなくて無視していた。
天気もいいし、中央郵便局に小包を出しがてら行ってみようということになった。
そうやっててのひらほどに小さな土偶数点に出会った。
こういう小振りの土偶は、縄文土偶関連の本ではあまり見かけないように思う。
家庭での祭祀用土偶だったような雰囲気だった。
縄文時代の歴史の長さと人口の少なさを考えると、こうした出土品は多いのか少ないのか、
さっぱりわからなくて戸惑ってしまう。


細石刃
★ 5/14<過ぎてゆく日々のこと> 
東京都多摩市、多摩センター駅近くの遺跡庭園・縄文の村には、細石刃の模型が展示してあった。
細石刃は日本列島では旧石器時代の終りごろから縄文時代の始まりにかけて使用された。
そんなに古くからこの土地には人間がいたということだし、
たった1万年の間の景観の変わりようには人類として罪の意識を感じる。
細石刃は黒曜石などの塊から1〜2センチの小片を割り取って材料とする。
木や動物の骨でつくった柄に溝を掘って複数個を埋めこむ。
ノコギリ風で替え刃式のナイフや槍の穂先ができる。弓矢の登場によって消滅したという。
ちょっと資料を読むと、細石刃の研究によって、
縄文人は列島在住の旧石器時代人がそのまま移行していったのではないかもしれない、
と考えられているという。弥生時代の始まりと同じように、
縄文時代も海外からの移民の影響で始まったとする意見はけっこう刺激的だ。
これまでは遺跡から出土する細石刃は、槍の穂先などを作った残り屑みたいで、
興味の対象外だったが、考え方をあらためなくてはならない。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  5/11-13 2019   08:21
カルサイト
★ 5/11<過ぎてゆく日々のこと> 
母方の祖母の家にあったような、たぶん戦前に作られた幅一間の和家具のガラス戸の飾り棚めいっぱいに
カルサイトの結晶が並べてある。石ヤを始めて天然石の結晶の多彩さに眼を奪われた。
ペンダント類の販売が好調だったので、鉱物標本店を訪ねては、きれいな形の石たちを好きなだけ買った。
当時の標本店にとって、ぼくのような客はとてもありがたかったに違いない。
コレクションはみるまに膨らんで、書類ケースを3つ4つと買いこんだ。
なかでもお気に入りはカルサイトが咲かせた石の花だった。


新緑
★ 5/11<過ぎてゆく日々のこと> 
連休の間は山の家からの帰りのバスが込むのが嫌で住まいに蟄居していた。
桜も桃もミツバツツジも花が散ったあとの田舎道を、
倉庫に移管するための本や2日分の食料を入れたリュックを背負って歩く。
渓流の土手にシャガの花を見つけて、仏壇用に摘んで家に着く。
2階に上がって雨戸を開ける。裏山に燃えたつ緑の激しさに息を飲む、
気管支が驚いてむせてしまう。4-19-5


銀鮭
★ 5/13<過ぎてゆく日々のこと> 
昨日の夕方、ヤマト冷蔵便で氷漬けの鮮魚が届いた。
日本海側に住む気分は親戚みたいな知人が送ってくれた。
発泡スチロールのケースを開くと、氷の生簀に体長45cmを越すハマチのような生の魚が
丸ごと1尾とサザエが6個入っていた。
「凄い!」と驚嘆して、あわてふためきネットで魚の捌き方を調べた。
これまで丸ごとの魚の調理といえば、ニジマスの腹を開くとか、サンマを焚き火で焼く程度、
こんなに大きな魚の解体などやったことも見たこともない。
ステンレスの包丁を2度ほど研いで、スマートではないけれど、なんとか解体して、
人魚姫のように頭からかぶりつくということをしなくてすんだ。
刺身は捌きたてのものと、少し時間が経ったものとでは味が違うということを始めて知った。
ありがとう。(鮮魚の名前は正しくは境港サーモンというそうです。どうりで身が赤かった。
顔つきはマスに似ているような気もする。)
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  5/04-11 2019 11:26
ツツジ
★ 5/04<過ぎてゆく日々のこと> 
連休がはじまったとき、10日先は銀河系宇宙の彼方にあるようだった。
会社勤めじゃないので、連休といえども昨日と同じ今日があるばかりだが、
いまの季節、世間の人たちの休日は、山の家からの帰宅時のバスが観光客ですし詰めになるので、
山の家通いをあきらめている。
むこうで石笛の写真をとろうと思いつつ、日本翡翠石笛のバーゲンセール告知の記事を書いた。
そうやって神々を思った。稲荷の総元締めのような神社では、神の気配が本殿の奥にこもっていて怖かった。
植木職人風情で肩書きのないぼくが、女帝にまみえるような威厳が彼女の気配にあった。
かしこみかしこみ、おそるおそるに柏手をうって瞑目した。
「よく来た!」と闇の奥からの声が脳に直接ひびいた。ああ、怒っているわけではないのだと、安堵した。
 神々はいたるところにいる。感じようと気構えすると逃げてしまうが、
ちょっとした拍子に空気の裂け目から神々の気配が漏れでる。
(水晶や樹木の気配を感じるよう練習する。モノノケがわかるようになる。神々の気配もわかる。
霊とはかかわらないと決めておくといい)
(日本中の神主に神々の感じ方を教え、僧侶には仏を着る感触を教えたらどうだろう?)


カルサイト
★ 5/09<過ぎてゆく日々のこと> 写真は霊界TV(あまり本気じゃない、嘘でもない)。
四辺形のオプチカル・カルサイトの中に入っていくつもりになって眺めると、
自分や他人の前世を霊視できる場合がある。もちろん見る人の能力が問われる。
センスの良さも重要だ。知識も要る。
若かった時代、美人で有名だったある霊視者の取材にいった。話している最中に彼女は突然いいだした。
「幕末の頃、あなたは闇討ちにあい、背中を切られて死んだ。なんだか突然そういう景色が見えたのよ。
それにそのときの痛みがわかる」。
背中の傷には身に覚えがあった。その少し前、自分の背中に50円玉ほどの大きさの腫れ物ができて、
病院に行ったら、有無をいわさず、その場で切開された。両者はひとつながりの出来事のようだった。
霊界TVは水晶球で代用できる。森を見て樹影の暗いところと自分を結んだり、
脳裏に銀幕を呼び出して代用としてもいい。4-19-5


ツツジ
★ 5/10<過ぎてゆく日々のこと> 
ツツジは住まい近辺の街路樹に使われていて、むやみと花が咲く。あの凡庸さが好きではなかった。
山の家近くの土手にも植えられていて、慎むということを知らぬげに花を咲かせる。
まるで阿呆だ、と思っていた。
ところがツツジとサツキとどう違うのかと思いつつ庭の白いツツジを正面きって眺めたら、
自分が蜜蜂になったかのようで、花は紫外線オーラをギンギンに湧きたたせて、
彼岸に向けて咲きくるっていた。とんでもない奴らだと思って、すっかりと見とれてしまった。5-19-2


ツツジ
★ 5/11<過ぎてゆく日々のこと> 
ツツジの白い花に魅せられてから、花からチョウチョが羽化してくるようで、
そんなイメージが離れていかない。
写真をみるたびに千や万のチョウチョが頭の中の暗い灰色の空間を群れとぶ。
彼らは生と死の間(あわい)に舞う。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/25-30 2019  10:06
水晶クラスター
<山の姐さま異聞>(菊花水晶の記事中の山の姐さま)の補足) 
山の姐さまはロシアの作家パーヴェル・バジョーフの代表作『孔雀石の小箱(石の花)』に登場する
山の女神。山の女神は神話の系譜では最古層に属する。
獣を産んで人間に与える旧石器時代の洞窟の女神として出発した。
繁殖の女神なので、非儒教的・非父系社会的で男好きの女神として知られる。
大地の女神、鉱物の女神でもあって、辰砂を彼女の血に見立てることから超古代の密儀、
ひいては錬金・練丹術が発展していった。そんなふうなので、山の姐さまはひとり寝が寂しい。
男の胸に頬すりよせて眠りたいと思う。思うだけでくるおしい。
そんな日に山に水晶を堀りにきた人間の男を見初める。
きれいな水晶を少しづつ見せて男を洞窟の奥にいざなう。
男は急に眠くなり泉で身体を洗う女を盗み見る夢をみる。
ふたことみこと話をかわすだけで眼と眼がまぐわう。えもいえぬ陶酔が男を満たした。
百たび精を放っても喜びは尽きることがなかった。そうやって一日のうちに百夜が過ぎた。
里では行方不明になった男のことを、山の姐さまに召されたのだといいあった。
旅の僧がとおりかかった。男の家族が救いを求めた。僧は験力にすぐれていた。
事態を霊視してそういう人生もあるだろう、といった。4-19-3 
(姐さまの家の裏庭を見てはいけない)


バリ島
<過ぎてゆく日々のこと>  
貴族ぜんとした白い顔の男がつきまとう。
どこで見たのか誰だったのか記憶を絞ってバリ島の仮面ダンスにゆきついた。
始めてのバリ島はエカ・ダサ・ルドラという百年に一度の祭りの最中だった。
この祭りは10年だか20年前に開催されるはずだった。なのに神が怒った。
アグン山の突然の噴火で中止になり、占いなおしてこの年に再開されることになった。
偶然にしては運のよさこのうえなかった。
バリ・ヒンドウーの総本山ブサキ・テンプルは砂糖菓子にアリがたかったような人出だった。
ルドラはシヴァの別名のひとつで、バリ島にきて土着の神サンヒャン・ウィディというのと習合した。
人波に運ばれてたどりついた境内では、白いマスクの男が踊っていた。
彼は腰を低くして武術の足取りを繰り返し、手は見えない網をなげて、虚空に泳ぐ魚たちを捕った。
いまになってなぜ彼がつきまとうのかを考えて、
子天狗玄太の父のうちにあの踊り手がいることに思い至った。
彼は天狗界の異端で男手ひとつで玄太を育ててきた。


カムイコタン
<過ぎてゆく日々のこと> 
天狗と敵対する行者がどういう人物なのか、いまもってキャラが定まらない。
極悪非道のエロ親父にしようとしたら、おれは悪人ではないと彼が文句を言う。
修行熱心な修験の行者であり、相談者の悩みに真心こめて向き合う治療師だ。
不妊治療、男女産み分けに実績があり、全国から相談者がくる。
それでも神を縛ろうとするその1点において、百度地獄に生まれようと償えない罪を犯すことになった。
地獄の守衛に首を切られ、自分の首を抱いて針の山を流浪しても彼の罪は消えない。
彼は今年52歳になる、これまでどういう人生を送ってきたかを知るには、平成の年代記が必要になって、
それをこれから調べなくてはならない。
自分では真心込めて正しい道を歩んでいるつもりでいる。
しかし宇宙の法からみれば大間違いというような人生だってある。
それに人は自分で自分を欺いて終生気付けない場合もある。
自己耽溺の裏に自己憐憫があって、自己防衛は過剰の虚勢になりやすい。
(写真は神居古潭石・輝緑原石、気にしてはいるのだけれど、
なかなか神居古潭石の新作まで手も頭も回らない)014

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