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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 8/12−15 2019 10:31
四川省クリスタル
★ 8/12<過ぎてゆく日々のこと> 
写真を撮ってあるけれどHPに掲載しそびれている原石類が何点もたまっている。
現状をかんがみるとすぐには売れそうにない原石とか、昨今の状況では高額に見えてしまうものとか、
あるいはただの怠慢で掲載を先延ばしにしてきた製品など。昨日はそれらのうちの数点を更新した。
筆頭は四川省美姑産の水晶とエピドートが妖しくまざりあったクラスター。
精霊の住処のように見えるが、プロ好みの風貌が一般の水晶ファンにアピールするかどうか、こころもとない。
四川省美姑(びこ)という土地柄には歌垣の里ということで親近感を抱いている。
辞書をみると、「姑(しゅうとめ)」には「姑娘(クーニャン)」という単語もあって、
未婚の女性をも意味する。姑は女が古い(年取っている)だけではなく、古代からの女であり、
母系的な女性司祭であり、山の女神・姐様だったようである。
そうやって水晶は山の女神・洞窟の女神・大地の女神の宿りであることが見える。7-19-2


黒翡翠
★ 8/14<可愛い日本翡翠原石> 
「可愛い日本翡翠原石」の在庫が少なくなって、追加分を掲載しなくてはと思っている。
小さな原石はコロコロしていてみんな可愛い。
自分の好きなものをいっぱい集めて、きれいだ、美しいといって人生を過ごす人、
世の中への不平不満で頭をいっぱいにして文句タラタラの人生を送る人、
人間はいろんなふうに暮らしている。
学校では前者のような人たちを竹林の清談だの、世間からの逃避だと教えられた。
だからいまでも、楽しいことがたくさんある、と思うことを悪いことのように考えている人がいる。
こういう人の頭は儒教に染まっている。なにをどのように思い、どう考え、どう生きようと、
だれもがちょっとの間だけここにいて、死んでいく。それだけのこと。
美しいものをたくさん見ていると、美醜に敏感になれて、冷徹な目で世間を見られるようになる。

ササユリ
★ 8/15<過ぎてゆく日々のこと> 
台風の影響で晴れたり曇ったり、ときおりさらさらとした雨が地面を濡らして通り過ぎてゆく。
きまぐれに雲間から顔をだす陽射(ひざし)には、東南アジアの旅行先にいるような味わいがある。
サボテンの鉢に自生しているササユリが、今年もか細い茎を伸ばして白い花をふたつ咲かせた。
この花は人間に世話をやかれるのを嫌っているふしがある。たくさんの肥料も好まない。
わたしのことはほっておいて、好き勝手が一番いいんだから、といっているようだ。
そうしてけなげで清楚な純白の花を咲かせる。
綺麗だね、綺麗だね、綺麗だね、というと、ササユリもいくらか嬉しそうにする。
石たちも褒めてやればやるほど美しくなる。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 8/02−12 2019  21:52
圧砕翡翠
★ 8/02<過ぎてゆく日々のこと> 
テレビのニュースなど見ていると、暑ければ熱中症に気を付けろといい、
雨がつづけば崖崩れ、洪水に注意しろといい、
経済ニュースではことあるごとにネガティブな可能性を強調する。
コメンティターたちの存在意義は不安をあおることにある、そうでなければ彼らは無用の存在だ。
要は現代人は現状に満足してはいけないことになっている。
そんなことはない。暑いのもいいし寒いのもいい、雨降ふりつづきも悪くない。
うち得意の論理でいえば、現状に満足してはいけないという態度は、父系社会固有の論理だ。
キリスト教も仏教も儒教もここから出てきた。ここでは親子関係の構造上の理由から、
艱難辛苦一念発起して、よりよい明日のために頑張ることが美徳とされる。
今日に満足するのは怠け者だけだ。政治家たちはいまだにこの論理にしがみついていて見苦しい。
石たちを眺めて、自分と和解することを覚えたらだどうだろう。
いま、このときに満ち足りることを学べるだろう。


★ 8/05<過ぎてゆく日々のこと> 
フライパンでオリーブオイルが煮える香りが心地好い。
タマネギを切ろうと茶色の皮を剥く。白い翡翠の色をして艶やかな鱗茎がまな板の上に鎮座する。
美しくて可愛くて切るのをためらうほどだ。
アパートの5階の窓の外では青空と白い夏雲、緑の丘、赤や紫の朝顔、オレンジ色のマリーゴールド、
白やピンク、赤い日々草……。
こんなふうに書いているとニーナ・シモンが歌うメンフィス・ジューンという曲を思い出す。
メンフィスの6月はラベンダーの香り。風は甘く、時計はチクタクと時を刻む。
ばあさんが木陰で編み物をしている。
そうやって一日が始まる。
きょうは電車にバスを乗り継いで山の倉庫に行って注文品の翡翠原石の荷造りをする。 7-19-3 280


★ 8/12<石に学ぶ> 
翡翠と向きあっていると、彼らの年齢のとほうもない長さに驚き呆れはてる。
おのずと敬愛する気持ちがわいてくる。いとおしいものに思え、そのいとおしさゆえにか、
意識の宿りを感じられる。
草たちが周囲のできごとを感じているように、翡翠や水晶にも意識があることがわかる。
そういう翡翠体験から派生して、自然界にあるものすべてが敬意を抱くにあたいすることがわかってくる。
人間のなかには敬意など抱きようがなく、まとめて紐で縛ってチリ紙交換にだしてもかまわないのがいる。
そういう感想はぼくの人間ができていないからなんだろう。
そうして身辺にあるものひとつひとつを敬う気持ちになると、むさぼることの愚がわかってくる。
合理主義的な物質観は帝国主義が悪しき見本であったように、強欲さに拍車をかけて、
なんでもかんでもむさぼることをよしとしてきた。
この愚劣さから抜け出せるなら世界はもっとましになるだろう。
政治や経済も方向性を変えるにちがいない。7-19-2
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<子天狗玄太> 姫神と玄太はミズチに乗って旅立つ  08:40
テッポウユリ
<小天狗玄太> 
台所で朝のコーヒーをいれていた。庭に人の気配がして通用口のドアをあけた。
軽トラよりも大きなコモドオオトカゲが宙に浮かんでいた。
ありえない景色だった。ドアを閉めかけて気をとりなおした。
ドラゴンは姫神が操るミズチだった。ミズチ(蛟)は水棲の龍、五百歳にして龍に変じるという。
首輪から延ばした手綱を手に姫神はミズチの背の鞍にまがたっていた。背後に玄太が座っていた。
姫神はショートパンツに膝丈のブーツ。燃えるような朱のTシャツ。
ミズチの尾は二股に別れ、風に揺れるカキドウシの弦のように動いて静止することがなかった。
山越しの阿弥陀がゴジラに変身してもこんなには驚きはしなかっただろう。
ぼくの惚けぶりをおもしろがってか、「大丈夫、食いつきません」と姫神が笑った。
神々しいまでの美貌に邪心のない笑顔が重なると存在そのものが麻薬になる。
血液が蜂蜜に置き換えられたような甘美さだった。
庭に出てふたりと一頭のオオトカゲを見上げた。
彼女は金色のオーラに包まれていた。逆光を浴びたススキの穂のように全身が光り輝き脈打っていた。
梅か桜かそういう小さな花びらが季節外れの雪さながらに舞っていた。
「いってくるよ」げんたが大声でいった
「気を付けていくんだよ」われにかえってぼくも大声をだした。
「生水を飲んじゃだめだよ」といってから自分の間抜けぶりを笑った。
いつのまにか玄太の父が横に立っていた。もうひとり、トカゲの仙人もいっしょにいた。
目を丸くする出来事が矢継ぎ早におきて、ぼくはさらに眼を丸くする。
仙人は人間並みの背丈をして、藤弦の杖を手にしていた。寒山拾得なみのガウンのような一重を来て、
女ものの腰紐を結んでいた。玄太の父は細身のスラックスに淡い空色のシャツ姿、
淡い茶色のサングラスをしていた。ふたりには眼で挨拶した。
「何時帰ってくるんだ?」玄太に訊く。
「1ヶ月後くらいかな。お師匠がそれぐらいなら休んでもいいって」
「めでたい門出だ。花を贈ってしんぜよう」仙人が杖を四方に振った。
庭石を白百合の茎がとりまき、数百個の蕾がポンポンと音をたてて一斉に咲いた。
ツツジや紫陽花の植え込みの隙間や、荒れ放題の花壇もまたたくまに白百合の花でいっぱいになった。
ひとつの茎に3つ4つのラッパ状の純白の花が開く。それが百本、二百本と重なって白い潮が満ちた。
息苦しくなるほどに花が匂いたった。
女神の笑い声が谷にこだました。「わたしもいっしょに戻ってきます」と姫神が言った。
 玄太の父も仙人も見送りの言葉を口にすることはなかった。以心伝心ということがあるんだろう。
みづちは庭の上で向きを変え、電線や電話線の上まで昇ると、
弦を離れた矢のように一直線に向かいの山の彼方へ飛んでいった。
「いやいや、あれはたいしたものだよ。あの年で女神と恋仲になるんだからな」と仙人が言った。
「親離れですね」ぼくが玄太の父に言った。
「順の送りです。わたしもちょうどあの年で家をでました」
玄太の父は仙人に頭をさげた。「相方さんにはほんとうにお世話になりました。よろしくお伝えください」
「いやいや、玄太がいなくなると寂しくなるわい」と仙人。
玄太の父はコーヒーを飲んでいくのだろうか、仙人はお神酒を所望するんだろうか?
「お茶していかれますか?」ぼくはふたりに訊く。
ふたりは玄太の見送りに寄っただけだと言って庭から離れ、道路に出たところで消えた。
そのあと1時間ほど、庭は隅から隅まで、仙人が咲かせた鉄砲百合が地上の楽園そのままに咲きにおっていた。
仙人のことを覚えている人もいないだろうから、捕捉しておかなくてはと思っている。 6-18-4
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<歌垣>男女の恋の駆け引きが山の女神を欲情させた  08:31
美姑産水晶
<歌垣・4> 
歌垣を豊穣儀礼とする位置付けは、巫女から遊女が分岐し、
そこから傀儡女(くぐつめ)などの芸能者が生まれ、イタコなどの霊媒が登場し、
死者を弔う職能集団だった遊女(あそびめ)が、父系社会のなかで遊女(ゆうじょ)となり、
売春婦へと墜ちていく道筋につながっている。
インドや中近東の古代的考えでは、神妻となった巫女は神のパワーを孕み、
セックスを介して神のパワーを男に与えることができた。
インドの神殿売春にはかつてはそういった意味があった。
神殿巫女は聖性を剥奪されて性を売る遊女に落とされた。
死者の遺体を土葬する前に一定期間安置する「殯(もがり)」で死者の口寄せを職業とした遊女
(あそびめ)は民間レベルでは霊媒・霊能力者になった。
空海によってはじめられた日本の密教では、病人に憑依した怨霊の特定に霊媒が用いられた。
歌垣ではパワーは人間の側から神々へと捧げられる。
性欲が発酵するものぐるおしい熱情が神々を欲情させて、
稲の実りがより確実で豊作となるよう期待された。
インドのタントリズムにも相当に妖しい儀礼があり、天然痘の女神たちはそれによって鎮魂されたらしい。
歌垣、神殿売春、性供儀、遊行婦女、熊野巫女、チャクラとクンダリニー、ヨーガのアサナ、
翡翠が見せる向こう側の味わい、エレスチャルの魔力、
そうしたものが二十面体のそれぞれの面を構成してひとつに結びあっている。


<歌垣・5> 
『万葉集』には海柘榴市(つばきち)の歌垣の歌が収録されている。
★12-3101  紫は灰さすものぞ 海柘榴市(つばきち)の
       八十(やそ)のちまたに逢へる子やだれ
「紫は灰さすものぞ」は解釈が単純ではない。紫草で紫色を染めるには媒染剤として椿の灰を必要とする。
椿で海柘榴市を起こしているわけだが、男と女の出会いの実りという暗喩があるようでもある。
八十の巷は町の中心の大きな交差点。「海柘榴市(つばきち)の市場で見つけた可愛い人は、
どこのだれなんだろう。」
★ 返しの歌は、12-3102 たらちねの母が呼ぶ名を もうさめど
             道行く人を 誰と知りてか
この時代、親が名付けた本名を相手に教えるのは、自分を呪う力を相手に与えるのと同じで、
セックスするのよりも重大なことだった。
「ゆきずりの人に名前を尋ねられたって、どうお答えしていいのかわかりません」というような意味。
旅先で出会ったばかりの人から名前を尋ねられると、むかつくの似ているが、
ここでは相手への好意も感じられる。
想像するにこれらの歌は、個人がよんだものではなく、
海柘榴市(つばきち)の歌垣での導入となるテーマソングのひとつだったんだろう。
ここから歌の応酬は順次個人的色彩の濃い、男と女のかけひきになり、
雲南の例では、4時間も5時間もつづくものもあるという。
濃密な時が流れ、くるおしい思いが大地に染み込んでいく。
水晶にエピドートが随伴した特異な水晶クラスターの産地、四川省美姑は
歌垣の伝統があった少数民族の土地柄で、いまここに歌垣を話題にするのも、
見えない糸で地球のあちこちが結ばれているからのようでもある。


<歌垣・6> 
筑波山のような山での歌垣は日時を決めて開催されるインディアン・パウワウ(多部族集合の祭り)だった。
田植えの後の祭りや収穫祭みたいなものだった。
海柘榴市(つばきち)ような市での歌垣は、日常的な交易の場で、
随時出現するお祭りだったのではないだろうか。
市場のにぎわいを少し離れた空き地や河原にみんなが憩う場所ができる。
食事や酒盛し、談笑して、情報がゆきかう。
女が男を見初める。男が女を見初める。避暑地や海岸での男女のグループの出会いのようなものだ。
ひとりが「まあ、なんて素敵な男」とか「夢のように可愛い女の子がいる」と、定型化された歌をよむ。
そこから女と男の即興の掛け合いが始まる。
民謡と同じで、節回しとか息の継ぎ方、歌の盛り上げ方などに技術が必要で、それなりの作法もあり、
技はギターの演奏同様、切磋琢磨しなければならないものだった。
なかにはきっとセミプロ的な歌い手、歌垣を生きがいとする人たちがいただろう。
民謡や短歌はこういうところから育っていった。
現代社会と決定的に違うのは、ここは母系社会で、性の奥にある聖性をみんなが心のどこかで大事にしていた。
そのことを歌垣に集う観客たちも共有していた。
(エピドートを随伴する神秘的でパワフルな水晶の産地、四川省美姑は少数民族の土地柄、歌垣でも知られる)
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歌垣は歌で互いを見初めあう古代の風習  10:42
チベット
ポタラ
<歌垣・1> 
小さなマイブームが頭の中で短期間の展覧会を催しては去っていく。
心のうちのニヒルでペシミスティックな部分をなだめておくのに丁度いい。
目の前に新しいニンジンがぶらさがっていれば退屈しないですむ。
現代の奈良市の南のほう、桜井市近辺に初期ヤマト王朝の大王たちが王宮を構えていたころ、
大阪湾から大和まで船で来ることができたという。
大和側の拠点が石柘榴市(つばきち)で、大神(おおみわ)神社から1kmほど南東、
初瀬川(はせ、大和川)の岸辺にあった。
石柘榴市は交易の中心地で、民俗学的には「歌垣」があったことで知られている。
歌垣は世間的には男女の出会いの場として知られている。
アメリカインディアンやアボリジニの部族の集いのように遠方から男女が集って、
歌を交わすことで恋の出会いとした。
いろいろな資料にはそこがフリーセックスの場であったことがやたら強調されている。
儒教や仏教の影響がなくて、母系社会の雰囲気の強い社会では、キリスト教社会や武家社会と違って、
結婚前の女の純潔は重視されなかった。今の日本と同じように、
交合相手の最終的な選択権は女の掌中にあって親がそれを支配することは少なかったようだ。
古墳時代の日本にあったのと同様であろう歌垣が中国、雲南・四川の少数民族に残されてきたことが、
文化人類学的には関心の的となってきた。


<歌垣・2> 
水田稲作は昔の教科書では朝鮮半島から伝来したと教えられた。
稲作を日本に運んできたのが土着の朝鮮半島の人たちであったかどうかは疑問のあるところで、
いまは朝鮮半島に山東半島を加え、長江下流域からの経路も検討されている。
土着と移民の区分けもしがたいが、長江下流域に居住していた百越などとよばれる先住民は、
漢民族の南下によって居住地を追われて、雲南・四川に逃れていった。
同じ民族が山東半島や朝鮮半島にわたり、一部は日本列島にきて弥生人になった。
だから雲南・四川の少数民族の歌垣などの風習が日本にあっても不思議ではないわけで、
越後の翡翠の女神ヌナカワヒメを黒姫と呼ぶのも、
彼女らは雲南の女たちのような黒染めの衣服だったからではないかと思っている。
男と女がグループにわかれて歌の応酬をするのは古い時代には農耕呪術のひとつだった。
タントリズム風に解釈するなら、性欲にかられた男女のみだらな熱情が女神に感染して、
女神を発情させ、稲作の実りをより確実にするよう期待してのことだった。 
だから歌垣では 実際のフリーセックスよりも、恋歌をかけあうことで醸成されるくるおしい熱情が、
山野に満ちることが期待されたんだと思っている。


<歌垣・3> 
供物と同様に神々に捧げられる歌や踊りは神々をもてなし、いい気持ちにさせて、
人間の願いを聞いてくれるよう行われる。
そういう奉納の歌垣風のものをチベットの首都ラサのポタラ宮で見たことがある。
ポタラ宮はもとは歴代ダライラマの住居で、チベットの政治の中心地、漢字では補陀落と書き、
観音浄土を意味する。
ポタラ宮を見物している最中に下のほうから男女の合唱が聞こえてきた。
小さな窓から覗きみると、建物の壁際で、10数人ほどづつの若い男女がそれぞれに一列にならび、
日本でいえば花一匁(はないちもんめ)みたいな歌を、杖で音頭をとりながら唄い、
女たちが進み出ると男たちが下がり、男たちが進みでると女たちが下がりして歌を掛け合っていた。
地方から出てきたようなチベット人たちだった。
神々への供応の仕方は支配者へのもてなしをモデルに体裁を整えられていった。
酒肴を山盛りに、歌舞でもてなし、村で一番の美女に酌をさせ、賓客が望むなら一夜妻とした。
歌舞の供養は旧石器時代に遠来の客をもてなしたことに始まったんだろう。
やがてはここから詩歌と舞踏、演劇が形をなしていった。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 7/14−18 2019  10:19
トルマリン・ネックレス
★ 7/14<過ぎてゆく日々のこと> 
覚えている人がいるかどうか、
西荻の店でサムネールボックスや小型鉱物標本を収納してあった多段式の書類ケースは、
いまは倉庫のストックボックスになっている。そこから「揺れるペンダント」というのを持ってきた。
以前はたくさんあったのだけれど、もう4個しか残っていない。
ラピスラズリ、ブルートパーズ、ガーネット、アメシスト、シトリンなど、
さまざまな形をしたルースを14Kゴールドの枠に止めてあって
ルースのひとつふたつが揺れるようデザインされている。
色石をいろいろ並べると石たちが歌っているようにみえる。だから「歌うペンダント」でもある。
この製品は台北のアクセサリー工房から仕入れた。
兄がデザイン&制作を受け持ち、弟が営業担当の兄弟商会だった。
何年かして会社は解散してしまった。その後彼らがどうなったのか知らない。
気持ちのいい人たちだったので、違う業種を選んだにしろ、元気に暮らしていてくれればと願ってきた。
人には転機というのがあって、それぞれの人が思いもよらない人生を歩んでいく。 6-19-3


南インド
★ 7/15<過ぎてゆく日々のこと>
 若かったころの南のクニのホテル。しとしとと雨が降る一日。
こんな日に出かけることはない。きょうは一日寝ていようと思う。
あやしいクスリなどやっていないのに、町の音が遠ざかる。周囲の世界が沈んでいく。
意識が心の中の神名備にこもる。
尾骨のあたりから小さくて細い、ほこりのような快感がもれでて、背筋のほうへと広がってゆく。
そうやって大地にだかれてたゆたう。同年代のみんなは企業の研修とかで、
営業ノウハウや社会人としてのふるまいを学んでいる間、
ぼくは遠くの土地の精霊などに遊んでもらいながら、脱社会する生き方を学んだ。
あれはああいう時代だった。
いまでは2、3ケ月、アジアを流浪したところで「旅人」にはなれないだろう。
大地に抱かれて身体が鎮まる、そういう感覚を覚えるなら、
身体をなごませることで気持ちもなごむことに気付けるだろう。


三輪山
★ 7/18<過ぎてゆく日々のこと> 
パソコンの右下のほうに月日と時間が表示されている。
ふだんは今日が何日何曜日であるか覚えていた試しがない。
日付を確認するのにそれを見て、ああ、もう7月もなかばを過ぎたのかと思う。
これからは日が暮れるのが早くなっていくばかりだ。
パソコンではデスクトップにメモ帳を貼るというお勧めがあって、これは便利とやってみた。
撮影予定のアイテム名といっしょに、額田王の和歌が一首、書きこんである。
暗記能力が驚くほどに劣化していて、どうにも空覚えできない。
歌は「三輪山を しかも隠すか 雲だにも こころあらなも 隠そうべしや」という。
天智天皇の時代、白村江の戦いに惨敗した天皇は新羅の侵攻ノイローゼになって都を近江に移す。
一族郎党大和を離れるその日に詠んだ三輪山に別れをつげる歌だ。
こんな日に三輪山が雲に隠されている。天よ心があるなら隠さないでおくれ、とそんな意味。
彼女の生涯は濁流に流されていく木の葉のようだった。 6/2019
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ・大乗仏教の始まり 10:19
仏像
★ 7/10<大乗仏教の始まり>(仏教の歴史など思わぬ展開) 
タイに旅行して川船での寺院巡りなどすると、ネパールの寺院やインドの仏教遺跡にはない奇妙さに気付く。
パゴダ(仏塔、ストゥーパに同じ)は金ピカでたくさんの仏像が並んでいる。
境内は清潔で文句無しに美しいのだが、なんだが単一な感じがして気持ちが踊らない。
仏像のことごとくは、どれもがブッダで、観音や文殊などの菩薩像、阿弥陀や大日などの如来像がない。
ああ、これは部派仏教のせいなんだと知ったのは、
バンコクに親しむようになって、20年以上も経ってからのことだった。
基礎知識として述べると、仏教はブッダ入滅後、弟子たちが集って師の教えを経典にまとめたことに始まる。
当初の教えは、ブッダがこう語ったのを私は聞いた、という訓話がほとんどだった。
ブッダは神、仏ではなく人生の師匠だったし、ブッダその人も神、仏を崇拝しはしなかった。
私たちが信仰している観音や不動明王の活躍、阿弥陀の慈悲は、原始仏教にはないもので、
紀元前後に始まる大乗仏教に依っている。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
ブッダは紀元前5、6世紀頃(前566−486、前463-383などの説がある)の人で、ブッダの教えは、
彼の遺骨(仏舎利)を祭るストゥーパ(仏塔)の普及によって全インドにひろがっていった。
紀元前3世紀ごろのマガタ国のアショーカ王の仏教保護の政策によるところが大きい。
アショーカ王は仏教に帰依してインド各地に8万4千のストゥーパを建立したという。
いかに細分化しようと、そんなにたくさんブッダの遺骨があるわけがないので、
仏舎利は半透明白色の小粒メノウで代用されたようだ。
ストゥーパへの信仰の土台には、5万年以上の昔にさかのぼる旧石器時代の骨への信仰がある。
彼らはホラアナグマなど信仰の対象だった聖獣を仕留めると、肉と皮をいただいて、
骨は母なる洞窟の女神に返した。
ストゥーパへの祈りは、土着の信仰に重なり、シャーマンたちは仏教に帰依した神々や祖霊を
霊視するようになり、ストゥーパに現世利益を願うようになった、と想像している。
こうやって仏教に帰依した神々のパンティオンが構築され、大乗仏教が形を整えていった。
紀元1世紀ごろから仏像が作られるようになると、
崇拝の具体的対象を得たことで大乗仏教はより訴求力のあるものとなった。
きっとそういうふうだったんだろう。
(日本の五重塔、三重塔もストゥーパの一種で、中心には舎利が納めてある)。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
インドでの大乗仏教の成立過程はヒンドゥー教の熟成期に重なる。
統一国家が形成されたことで、地方ごとに独立していた信仰も統一されていった。
宗教は政治形態の投影として神々の世界を構築していく。
大王の投影が天空神となり、貴族たちは神々を祖先に選ぶ。
地方の神々は中央の有力神の変化・化身とされる。
そうやってヴェーダ以来のバラモン教は土着信仰(主役がタントリズム)を吸収合併して
ヒンドゥー教(インドの宗教という程度の意味)がうまれ、
仏教は土着信仰やバラモン教の神々を一方的に仏の傘下に組みこむことで、
ブッダの教えの範疇を大幅に超えていった。
日本では役行者(えんのぎょうじゃ)が不動明王の化身のような蔵王権現を顕現させ、
最澄が三面大黒を感得したように、大乗仏教の繁盛期と、その後につづいた密教の隆盛期には、
神々はさかんに人間に憑依して、てんでな主張をくりひろげ、たくさんの経典が作られることになった。
因みに三面大黒は前面が大黒天で、左右に弁財天と毘沙門天が合体した仏をいう。
近似では毘沙門天と吉祥天が背中合せに合体した妖しい仏像もある。
兜跋毘沙門天にはじまった大乗仏教を訪ねる旅は三面大黒で終わって非常にめでたい。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/09 2019    21:30
毘沙門天
★ 7/09<過ぎてゆく日々のこと> 
伊豆の方にうちの勾玉類をお守りとして参拝者に授与してくれている神社がある。
名前は「〇〇神社」だが、修験の色彩が濃くて、ご祈祷法のひとつに毘沙門天に祈る行法がある。
その毘沙門天の名前を最勝兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)という。
毘沙門天は密教では天部の仏で、四天王の多聞天にひとしい。
どういういきさつなのか七福神の一尊に数えられている。
けれど兜跋(とばつ)というのがなんなのか、ずーっと気になっていた。
あれこれ調べると、この仏はシルクロードからきた仏で、
兜跋は現新疆ウイグル自治区にあった古代国家トルファンのことだとか、
チベット最初の統一国家吐蕃のことという。
毘沙門天はバラモン教の光明神ミトラ、ゾロアスター教のミスラが大乗仏教にとりこまれたものともいう。
兜跋毘沙門天は大地の女神(地天女)に両足を支えられて立ち、2頭の鬼をしたがえ、
宝塔を持つ姿で描かれる。ミトラはまたマイトレーヤ(弥勒菩薩)や財宝神クーベラ(金毘羅)につながる。
毘沙門天が仏教化した経緯に思いををはせていると、大乗仏教がどのようにして発生してきたかがみえてくる。
1-18-4 写真の銅製七福神には鍾馗(しょうき)との混同がある。


★ 7/09<過ぎてゆく日々のこと> 
つっかい棒を立てておかないと崩れてきそうに空が重い。
今年の梅雨はとても律義で、曇り空の日々がつづいて晴れる気配がない。
Tシャツに半袖シャツの2枚重ねでは腕が寒い。長袖に着替え、薄手のジャンバーをはおって倉庫にいった。
作業に熱意がわかず、こういう日はアナグマにでもなって、巣穴のなかで背中をまるめて
時間が過ぎて往くに任せたい、と思ったことだった。旅行にでれば生産的活動を一切せず、
無為徒食のうちに遊行三昧して過ごすのだから、一日二日、やる気が失せてもどうということはない。
巣穴に籠ったアナグマは、異国のスイーツを山もりしたテーブルに着いて、品定めする夢をみる。
ぼくはといえば、家にいて机の前にこもり(籠るはカゴと同じ漢字)、ああ、そうだと思いたって、
ストゥーパ(仏塔、パゴダ)の起源について検索ゴッコをした。
兜跋毘沙門天のつづきでいえば、シルクロードの国、ローラン(桜蘭)の近くで石窟寺院にこもって、
毘沙門天を祈りだした僧がいた。ストゥーパの前に立てば彼と同じテーブルに着ける。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/06−07 2019  19:25
飛龍
★ 7/06<過ぎてゆく日々のこと> 
奈良の橿原市や桜井市に旅行して、日本の地方の町共通の現象、
シャッターを降ろしたままの商店をたくさん目にした。
看板やシャッター、雨戸の痛み具合からして、どの店も閉店して10年ほどは経っていそうだった。
シャッター商店街の復興目指して、あの町この町でこんな取り組みをしているという記事を
ときおり新聞で見る。どうせ使い道を見つけられない空き店舗であるなら、
お金はなくても労力と熱意と企画力がある若い人とか、経験豊富な老人たちに、
無償に近い値段で貸しだせばいいと思ったりする。
そういうところで実地訓練をすれば、地方の町に有用な若者が育っていくだろう。
ひきこもりは減るだろうし、老人たちは生きがいを再発見できるだろう、
と脱社会派の自分がときには社会的なことを考える。
こういうのは視点を変えればたくさんのアイデアがわいてくる。
競争から融和へ、利潤の追及から満足度の評価へ、
そういうふに変移していく社会モデルを考えなくてはいけない。
政治家たちには望むすべもないことがらだ。
写真はサマーセール・アイテムのひとつ、日本翡翠飛龍、マイデザイン。


獣型
★ 7/07<過ぎてゆく日々のこと> 
上の記事の脱社会と反社会は似ているけれど同じではない。
日常的な社会生活を唯一の真実と信じている人々には似たようなものであろうけれど、
それでも両者はまったく違う。
反社会は既存社会に反対・反抗する。既存社会の権威に対して反旗をひるがえす。
世の中を憎んでいる人たちの意見だ。
脱社会は既存社会の価値感は自分にそぐわないと考えてそこから離れる。
自分的にはちょっとばかり世の中から外れることを脱社会とよんでいる。適応・順応はときに疎ましい。
こうした生き方は企業論理に反するので、まったくもってサラリーマン的ではない。
サラリーマン的ではないということは良い子の態度ではないということだ。
世の中に理解されにくいことでもある。しかしながら、脱社会的な視座をえると、
高速度・高品位・超清潔でひたすら便利さを追及する社会が、相当にゆがんでいるということが見えてくる。
「ローテクでもいいんじゃないの」と思うと、
自我の呪縛・拘束から自分を解放することが大事に思えてくる。
脱社会ということを勧めているわけではないが。
写真はサマーセール・アイテムのひとつ、日本翡翠獣型勾玉。これもマイデザイン。


翡翠三日月
★ 7/07<過ぎてゆく日々のこと> 
自分が向き合っている社会は厳然たる現実としてそこにある、と誰もが思っている。
けれどその社会は、自分なりに脚色して思い込みした社会像からなっている。
どのようなスタンスを社会に対してとるかが問題で、つまづけばひきこもりになったり、
負け犬風の人生を送ったりすることになりかねない。
ほんとうはすぐれた能力・才能があるのに、うまく育てられず、枯れていく場合だってあるだろう。
自分にとって居心地のいい社会像をつくるには、
世間的視座をちょっと離れた脱社会的視点から自分をチェックしてみる。
自分にとっての父親母親イメージを世の中イメージと比較してみたりすると、
新たな気付きが得られる場合もある。ヒーリングということを考えるとき、
自分にとっての社会像がどんなふうかを問うのはとても大切だ。
石ヤ風にいうなら、石を介して向こう側に触れることで多くのことがみえてくる。
写真はサマーセールの人気商品、日本翡翠三日月。もちろんこれもマイデザイン。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/04−06 2019   08:49
日本翡翠飛龍
★ 7/06<過ぎてゆく日々のこと> 
小さなHPでささやかながらサマーセールを開催中。テンプレートの規制があって告知も静か。
パソコンからスマホの時代になって、ネットではヤフーにラクテン、アマゾンやその他もろもろ、
年中バーゲンセールやりっぱなしで、セールのありがたみがなくなってしまった。
うちはああいう大手の企業からああしろ、こうしろと指図されるのが嫌で(体育系じゃないんだから)、
ヤフーやラクテンなどには足を向けたままでいる。ネットがなかった時代、
バーゲンシーズンになると、ワープロとコピー機を駆使してカタログの版下を作り、
印刷したものをせっせとDMしたものだった。
いまのように水晶クラスターや鉱物標本を一点づつ紹介するなどは印刷物では無理なので、
相当にアバウトな商売でもなんとかやってゆけてた。
あまりに窮屈な世の中にならないようにと願っている。
(ミャンマー産翡翠原石はセール価格5割引!)


ジャンプドヴィーパ
★ 7/04<過ぎてゆく日々のこと>
灰色にひかる空から雨がさらさらと降っている。
緑の丘陵は濃かったり薄かったりするマラカイト色に鎮まっている。
モンスーンのカルカッタの下町の安ホテルの窓から冠水した路地を眺めたことがある。
放し飼いの牛が道路をふさいでいた。
アンバサダーとかいう名前だった、間抜け面したタクシーが立ち往生する。
その間を裸足で腰まきを太股までまくりあげたリキシャが何台もとおる。
サリーの女たちやうすぎたないシャツの男たちが川と化した道路を歩く。
クラクションや怒声がホテルの上のほうの階まであがってくる。
インドに着いたばかりの旅行者には、異国情緒あふれすぎの景色だった。
当時のカルカッタは生存競争の激しい町で、ぼーっと辻に立っていようものなら、
カメラや財布はかすめとられ、身ぐるみ剥がされてほうりだされる、
思いあまって路傍に座れば、通行人のだれかが1円5円相当のコインを投げてくれる、そういう町だった。
(写真は昔昔、インドが天国だったころのメール山とたくさんの飛行船。
この彫像はジャイプールの近くアジミールという町にある)


圧砕ヒスイ
★ 7/04<過ぎてゆく日々のこと> 
たくさんの日本翡翠原石がボール箱や木箱に入れて眠ったままになっている。
ホームページ掲載用を選んで水洗いした。日本翡翠の原石はたいがい表面がざらついている。
ガラスにやすりをかけて曇りガラスにしたのに似ている。
ざらつきは極微の凹凸からなり、光が乱反射し、拡散されて白っぽく見える。
水に濡らせばダイアモンドパワダーで磨いた勾玉やビーズ同様、つるつるになってピカピカ輝く。
原石を水道水の下に持っていくとこの変化が瞬時に起きる。
異国の観光地のホテルで迎える朝、遮光カーテンを押しわけ、ガラス窓を開けると、
外はまばゆいばかりの夏空、晴れやかさが心を一気に染める、そういう感慨に似ていて、
一個水洗いするごとに、オウオウと感嘆することしきりだった。
(写真の圧砕翡翠は水に濡らすと、黒っぽい角閃石部分が瞬時に濃緑色に変わる) 2-19-1

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