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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 11/20-24 2018  10:18
ターラー菩薩
管玉ネックレス
★11/20<過ぎてゆく日々のこと> 
日本のお寺では仏像ひとつ拝むのに山ほどの抹香臭い講釈があって偉そうだ。
愚劣な権威主義にうんざりしてしまう。権威を捨ててこその仏教なのに彼らは勘違いしている。
インドやネパールでは仏像神像はそこらじゅうにある。
博物館ではたとえ権威主義でも、現地語の解説を読めないから苦にならない。
そうやって仏像・神像を見る楽しみを覚えた。
彼らのまなざし、衣服、腕の形、乳房の丸み、そういうものを契機に向こう側の力を感じる感じ方を覚えた。
こちら側の彫像をきっかけに向こう側を敬う、
そういうことを学ぶと、木々や岩を敬うことができるようになった。
小さな水晶の結晶や道端の草に抱く愛情は尊敬に気持ちあってこそのものだ。
鉱物たちを敬うことを覚えると、世界が広がる。より美しいものへと変容していく。
新着製品にターラー菩薩などの仏像を入力しながら、そんなことを思った。


★11/22<過ぎてゆく日々のこと> 
江戸東京博物館で開催中の「玉TAMA・古代を彩る至宝展」。
2千年ほど前の弥生時代に作られた管玉の細いのに驚く。
直径2−3mmm、長さ10−15mm。円筒状にカットして縦長に穴が貫通している。
弥生の工人たちはいかなる理由でこういうものを作ったのかとひたすら驚く。
材質の多くは緑色凝灰岩。おもに日本海側の海底で火山が噴火、火山灰が海底に降り積もってできた。
大谷石もその一種だが、砥石ほどに粒子が細かくないと細い管玉は作れない。
なかには佐渡の赤色ジャスパーを使用したものもある。
記憶を頼りに間に合わせの素材で類似品を作ると、モダンなデザインに驚いた。
銅鐸が巨大化していったのとは逆に、管玉は極細化することに価値があったということであるらしい。
驚嘆することで神秘的パワーは顕わになる。11-18-3355


★11/24<過ぎてゆく日々のこと> 
友人と喫茶店に入って、近ごろのPC用語には付いていけないなどと老人トークしていた。
となりをひとつおいた向こうの席に20歳前のカップルが座っていた。
男の子が身振りをまじえて女の子に話しかけていた。彼女は楽しげに笑って相槌をうっていた。
見るともなしに見ていて、ふいに彼らが若かったころのぼくと彼女であることに気付いた。
彼女は手をむすびあった最初の女の子だった。
そのくせぼくは彼女の名前を知らない。住まいも知らなかった。
15、16歳のころだった。夢の中で神秘の世界について話してくれる老人がいた。
彼女はぼくを迎えにきて、祖父である老人のもとへ連れて行くのが役目だった。
涼しげな目をして笑顔が可愛くて、彼女を笑わせるためなら逆立ち歩きだってするつもりでいた。
老人は後になってドン・ファン・マトゥスとか無門慧海という名前になった。
現実世界の女の子を追うのに忙しくなって彼女と会うことはなくなった。
頑張れよ、若いの、いまのあんたには想像もできないほど大きくて豊かな世界がまっている、
と若かったころのぼくに言った。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 11/03-13 2018 09:45
イエロージェード
レッドアゲート
★11/03<過ぎてゆく日々のこと> 
山の倉庫にストックしてある原石の注文があったので、荷造り発送に行ってきた。
昭和レトロの過疎の村郵便局は午後2時あたりに1回本局からの集荷があるきり。
金曜日に出しそびれると、集荷は月曜になってしまう。
1時間に1本のバスに乗って倉庫に着いて大急ぎで荷造り、
荷物を自転車の前カゴに入れて、曲がりくねった田舎道を郵便局に運ぶ。
30年前の日本映画のようで、青春映画の主題歌が聞こえてきそうだった。
一泊しての土曜日も安穏としていられない。観光シーズンの週末の午後は、
最寄りの観光地から鉄道駅に向かうバスは観光客で満杯になる。
そんなのに乗りたくないと急ぎ足、午前中のバスで帰ってきた。
2泊3日で台湾に行くのと同じように慌ただしかった。


★11/07<過ぎてゆく日々のこと>  
近所の橋まで出掛けていって、欄干の根元や手摺の上に勾玉を置いて撮影した。
橋は渓流をまたぎ長さ5メートルほど、欄干は鉄製。朝露がおりて苔は生き生きとして雰囲気がいい。
欄干の錆具合とか水滴が散った感触が小気味いい。
勾玉は小さい。写真に写るのはスマホよりも小さな面積なので、
撮影してしまえばシチュエーションはわからなくなる。
軽トラックにのった近所の人が通りがかって、「何してるんだ?」と訊く。
「写真撮ってる」と応える。「そうか、これから寒くなるな」といって彼は過ぎていった。
デジカメのモニターのなかで赤や黄、青の勾玉が笑ったり歌ったりする。
彼らの美しさに見いると背中のカーブが完璧に見えてたまらなくいとおしくなる。


★11/13<過ぎてゆく日々のこと> 
自分が昆虫標本になっていた。そういう夢だった。
右脇腹を下に膝を折って胎児のような形で眠る姿そのままで、それがなぜか標本だった。
そばを猫ほどの大きさの2体のサンヨウチュウのような生き物が通りすぎていった。
片方は角張っていて、他は楕円の形から雌雄であることがわかった。
標本のぼくは足指の先までくつろいでいた。
午前中は勾玉の撮影で忙しかった。
午後になって、濡れ縁の下に溜めてあるオブシディアンなどの原石を出したら、
冬眠中の子供ヤモリが糸魚川で拾ってきたチャートといっしょに出てきた。
やせ衰えた病人のようで気の毒だった。原石類の間にたまった枯れ葉のなかに戻した。
ヤモリは幼い頃から親しくて自分のトーテムのような気がしている。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 10/25-28 2018 08:34
一葉観音
★10/25<過ぎてゆく日々のこと>
穏やかな陽射のしたで秋が深まっていく。
窓の外、丘陵の木々たちが紅葉するまでにはまだ時間がある。
見え隠れする枝ぶりを眺めていると自分が鎮まっていく。静けさの底へ降りていくようだ。
倉庫には天然石加工品、鉱物原石、水晶クラスターなどといっしょに、仏像コレクションも保管してある。
そのうち3体ほどを窓辺の自然光で撮影した。一体は蓮の葉を光背にした観音菩薩で、
一葉観音のバージョンのひとつのようだ。
中国で禅を学んだ道元が帰朝する折り海が荒れた。
道元の祈りに応えて蓮の葉に座す観音が現れたという。
以来一葉観音は人生の荒波から人を守る守護仏になった。
蓮の葉の光背はインドの石窟寺院の壁に見える。
悲しいときや寂しいとき、困惑したり辛いときには観音を思う。
みんなちょっとの間ここにいるだけだから、そんなに哀しんだり悔やんだりしなくててもいい、
と言ってくれるだろう。


二十面体
★10/27<過ぎてゆく日々のこと・啓示> 
「光をあげよう」とそれが言った。すると光がでてきた。
水色のトルマリンのように澄んでいて冷たい光だった。それがオレンジのサファイア色に変わった。
「形をあげよう」とそれが言った。すると影のなかで幾何学的な蓮の花が開いた。
水晶正二十面体は宇宙意識の結晶。


二十面体
★10/28<過ぎてゆく日々のこと・啓示> 
窓辺に飾ったセレスタイト(天晴石)と水晶正二十面体。自然光のみで撮影。
光はごく短い間あらわれて消えた。
そのあと、正二十面体を動かしたり、カメラ位置を変えたりしてみたけれど、再度現れなかった。
二十面体はオーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ。
それは天と地が交わるところ、胸のチャクラに宿る。
シヴァは上から降りシャクティは下から登る。両者はここで交合して、歓喜に溶ける。
精神原理と物質原理が合一する。
水晶正二十面体は仏教風には般若心経であり法華経でもある。
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岩船神社に乳白色の光の柱が立った  09:51
ミズチ
<子天狗玄太> 
子天狗の物語の龍蔵神社は岩船神社と名称を変更しました。
龍蔵神社の女神がショートパンツ姿だと迷惑に感じる人がいるかもしれないので。
彼女は髪を高い位置でポニーテールに結んであぐらを組み、玄太の隣に座っている。
あんなにキュートな女の子はこれまで見たことがなかった。
今から1000年ほどの昔、平安時代のはじめ、空海が高野山を訪ねて、
丹生津姫の出迎えを受けたのと同じころ、数十羽のオオサギを供に、あやなす電磁波のシールドに包まれて、
形を見定められない岩船が陣馬山のふもと、醍醐川のとある淵に着水した。
岩船は水中に没して、一頭のミズチが川をくだった。
ミズチは山裾の一角、農家が一棟建てられるほどの空き地に上がってとぐろを巻いた。
修験の行者がそれを霊視して、竜宮の女神の来訪といって神社を建てた。
雨乞いの神社としてあがめられ、雨乞いには黒雲を招くよう黒馬の絵馬が、
長雨の忌避には晴天の白雲を招来すべく白馬の絵馬が捧げられた。
神話では竜宮の女神は人間世界をたずねて、子孫がヤマト王朝の大王となる息子を産んだ。
それにあやかって岩船神社は子授け安産の女神として信仰されている。


<子天狗玄太> 
夜通し風が吹きあれて、山がびゅーびゅーと鳴いた。翌朝は昨夜の嵐が嘘だったように晴れた。
岩船神社の境内には枯れ枝や枯れ葉が散っていた。尋ねる人のいないだろう神社だから、
拝殿の回廊を覆う土埃にも枯れ葉が散っている。
参拝をすませて、境内のなかほどに立って神社を見た。
拝殿の真後ろ、本殿の上からひとかかえほどもある光りの柱が天空に伸びていた。
玄太が岩船の女神が目覚めたといっていた。その証しということなだろうか、
柱は乳白色半透明のオパールのように輝き、いたるところで微妙に色合いをかえながら、
大空を照らすサーチライトそのままに光をふきあげていた。
遊色効果のないオパールをコモンオパールという。メキシコ産のコモンオパールのなかには、
ミルキークォーツに似てわずかに白色の濁りをみせ、いくらかは青味のある
ウォーターオパールとよぶ種類のものがある。半月の月明りが遠浅の海底に降りて、
サクラ貝の貝殻を照らしているように美しい。
背骨をかけのぼるクンダリニーのようだと思って光りの柱にみとれた。
それはコンピュータグラフィックスでなければ描けえない、SF映画のなかの情景そのものだった。


<子天狗玄太> 
光りの柱に見惚れて時間を忘れた。人の話し声に驚いてふりかえると、階段をのぼってくる男女がいた。
男のほうは50代半ば、額から頭頂へとはげていて、デニムのジーンズに同じ色合いの作務衣を着ていた、
足下は雪駄だった。女は30歳くらい。蜘蛛の糸にからめとられて安寧をえる蝶のようなタイプだった。
「参拝にこさせていただきました」と男は言った。
ぼくは糸をはったタコの気分だった。あるいは天敵に合って四肢を広げるアリクイか。会釈を返した。
「パワーフィールドがなかなかの神社ですな」と男はいった。
自分は普通人とはちがって特別なんだということを、衣服や言葉使いで強調したがる男は信用できない。
それにぼくはニューエイジっぽい服装の男に好意を抱いたことがない。
ほんものは気負わない、そういうものだ。
「お近くにお住まいですか?」男は訊いてきた。「ええ、まあ」といって神社をあとにした。
光の柱は消えていたし、彼らにはそもそもそれが見えていなかったようだ。
神社の入り口の道路の道幅がひろがったところには駅からのタクシーが駐車していた。
「もうやってきたのか。うっとうしいことだ」と思った。
(写真はミズチ。姫神の乗り物)
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 10/22-24 2018 09:59
イエロージェード
水晶二十面体

<過ぎてゆく日々のこと>  
近所の神社にイエロージェードの勾玉を奉納したという話を友人にした。彼は同じ勾玉を持っている。
「それじゃあ、ぼくも神社とつながったというわけだ」彼は言った。
「うん、姫神ネットワーク、認証はイエロージェード勾玉」とぼく。
新潟県糸魚川市を中心に翡翠大珠が出土する列島各地の縄文遺跡を線で結ぶと、
放射状に広がるジェードロードがあらわになる。
同じように神社からの姫神ラインが、勾玉を所持している日本中の人々のあいだに広がる。
その話を夕食ついでに別の友人にした。「どうやって奉納するの?」彼が訊いた。
「紙に包んで奉納って書いて、賽銭箱に入れてくる。それだけだよ」ぼくは言った。
奉納してから数日後に神社に行ったら、神さまから『ありがとう』という言葉だか、波動だか、
そういうものが伝わってきた。そういうふうに応じたとたんに、
心のなかに稲穂が実った水田が広がって黄金色に輝いた。5-18-2


<過ぎてゆく日々のこと> 
日本翡翠情報センターのブログの管理者ページでは、読者のアクセス数など、
いろいろなデータを見られるようになっている、と以前に書いた。
ブログを始めた日は2009年01月09日。概算して10年昔。
28歳の読者であれば彼らが18歳のときにこれを始めた。
ここには過ぎていった日々のあれこれが記されていて、記事は1000本を超えている。
2010年以降の2冊の本『宮沢賢治と天然石』と『日本ヒスイの本』を思い浮かべると、
同じことをずーっといいつづけてきたようでもある。
「魂を育てる・心を大きくする・意識を広げる」そういうことをテーマにしてきて、
宗教家でもなく、教師でもなく、好き勝手な旅人のまま、
周囲からなにひとつ干渉されないで、生活できてきた。
やりたくないことばかりがたくさんあって、特別やりたいことがあったわけではないが、
石ヤになれたのは天の恵みみたいなものだった。17-2


<過ぎてゆく日々のこと> 
こちら側と向こう側、便宜的にそうよんでおく。こちら側はありふれた日々、
悩んだり喜んだり、我慢したりして過ぎてゆく日常。
向こう側は神々や精霊・祖霊・悪霊や死者たちが住む世界。古代の感性では真実は向こう側にあり、
こちら側は向こう側を映す鏡のようだった。
何かの拍子に、あるいは修行によって向こう側を感じるとき「神秘」な感じに打たれる。
仏教を信じる必要はないけれど、私たちの感性には仏教感覚がしみついてるので、
満月をみたり、山に入って霊的な何かを感じたり、世界が美しく調和している、と感じたりするとき、
その神秘的感覚に菩薩や如来の気配を読むことになる。それを増幅していくと、仏の慈悲に出会う。
それまでの神々は祟る(たたる)ことが得意な恐ろしい存在だったので、仏の慈愛に目覚めるまで、
人々は宇宙がとほうもなくやさしいと思ったことがなかった。水晶二十面体は宇宙意識の結晶。17/2
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オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ  10/12-14 2018 21:51
水晶20面体
★10/12<過ぎてゆく日々のこと> 
CTスキャンは幅3ミリで上から下へ順次、身体を輪切りにしていく。
大きさの比較でいうなら0.1ミリ幅くらいでイカ飯を輪切りするのと似ている。
できあがった切断画面をつなぐと、レントゲンよりも精緻な体内の透視画像になる。
けれど2ミリ程度の尿管結石ならCTスキャンから漏れてしまうことがある。
ここでの話題は尿管結石や肺炎の検査ということではなく、
身体が連続して輪切りされていく様相は音波の伝搬に似ているということにある。
布団に入って呼吸法をやって、ヒンドゥーの有名なマントラ、オーム・シャンテイを唱えてみた。
「オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ」とつづける。
オームは真理・究極の実在を象徴する音で、真理は平安のうちにあり、という意味になる。
自分と他者と両者をとりまく宇宙のすべてが平安に憩っている。
マントラを唱えると音波がCTスキャンみたいに、はたまた電動ノコギリみたいにして、
身体を輪切りにしつつヘソのほうに降りていった。
そうやって「気」が下っていく様子が面の連続であることに驚いた。
かつてあり、いまここにあり、これからあるものすべてが、平安のうちにありますように、
と思うだけでいい。少しだけ世界がよくなる。


★10/12<過ぎてゆく日々のこと>
オーム・シャンティのきっかけは、修行時代の良寛は座禅するに念仏を唱えていたという
記事を読んだことにある。一呼吸ごとに南無阿弥陀仏を唱える。
当時はそういうのが禅寺の流行であったという。
自分は山越の阿弥陀のファンであっても、救ってもらいたいと思っていないし、
西方浄土には行きたくない。妙法蓮華経もちょっと好みが違う。
知っているマントラやら真言をいろいろ試して、いちばんしっくりしたのがオーム・シャンティだった。
このマントラはその昔、あるヨーガのグルから習ったが、
彼ときたら稲の葉っぱに止まったイナゴのようなグルだった。でも、いまになって、
「オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ」を綺麗と思う。
温かさが身体を洗う感じがわかる。
このマントラを亡くなった人に送るなら、般若心経より温かい供養になるし、
それが向こうでこだまして自分へとかえってくる。
音が霊的な身体を撫でていくのがわかる。
石たちとともにあるヒーリングでは、自分を供養するという見方が大事だということもわかる。


★10/14<過ぎてゆく日々のこと> 
「オーム・シャンティ・シャンティ・シャンティ」と言ってみる。声にはださずに喉でいう。
「オーム」で長めにひと息。短く息をついで 「シャンティ・シャンティ・シャンティ」
(シャンティは平安)とつなげる。またはひとつの息で1マントラ。
「オーム」(オームは究極の実在を象徴する音)というとき、宇宙のすべてが自分とともにある。
大きな世界に包まれ、支えられている自分を思う。
真理は平安のうちにあり。平安はほほえむ身体。真理はほほえみのうちにあり。
そんなふうに思うと頬がゆるみ笑顔がうまれ、笑顔の波動が身体全体にひろがっていく。
さしておもしろくもない日常性に戻りたくはないと思っても
(何をおもしろいとするかは人によって異なる)、ここに生まれてきた自分にとっては
日常性がこちら側のフィールドだから、しゃあないな、と思いながら一日が始まる。
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冬虫夏草フィーバーで知恵熱がでそうな日々  10/07-09 2018 22:48
トウチュウカソウ
★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
『冬虫夏草を探しに行こう』(盛口満、日経サイエンス社、1996)という本を新たに買って、
半分読んで近所の土手にトウチュウカソウ探しに行った。
トウチュウカソウはトンボやセミ、カメムシやそれらの幼虫を宿主にするものなどいろいろあって、
世界中で400種、日本からは300種あまりが見つかっているという。
漢方で用いるのはシネンシスという種類で、コウモリガという蛾の幼虫にとりつくもので、
ネパールや四川省の高山地帯に産する。武蔵野の林や土手で採集できるものは、
オムレツにしたりショーチュウに漬けたりしないようだ。
トウチュウカソウを探すといったって、おいそれと見つかるものではなく、
翡翠海岸でヒスイ原石を探すようなものだろうと思って、近所の土手が林に連なっている場所を、
積もった枯れ葉を枯れ枝でかきわけたりしながら散策した。
粟や黍ほどに小さな蚊の集団に攻撃された。彼らは羽音も立てずにやってきて、
黙って人の皮膚に針を立てる。
30分ほどでめげて、近所のスーパーでアイスクリームを買って帰った。


★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
トウチュウカソウは昆虫の幼虫や成体に菌が寄生し、宿主を食いながら殻の内側に菌糸を張り巡らせ、
ついいは宿主を殺して、自分は子実体を育て、胞子を撒いて命を次世代に渡していく。
時間をかけて宿主の身体をのっとり、じわじわと食っていくところが怖い。
これと同じように怖いのにクロアナバチというのがいて、
地面に掘りあけた巣穴にイモムシやバッタをひきづりこんで、卵を産みつけ幼虫の餌とする。
餌となる虫は気絶状態に置かれて、幼虫がそれを食い尽くすまで死ぬことはない。
夏の日の乾いた地面の上を真っ黒で胴がくびれたハチが、
緑色のイモムシをくわえて巣穴に引きづり込む様子を、
子供のころ、ながく観察してすごした記憶がある。
そこでは死がなにかしらエロチックな感覚とともにあった。


★10/09<読書記録> 
『冬虫夏草を探しに行こう』(盛口満、日経サイエンス、1996)につづけて、
『冬虫夏草の謎』(盛口満、どうぶつ社、2006)を読んだ。
同じテーマを2冊つづけて読むと、理解が深まる気分になる。
イラストの出来がよくて芸は身を助ける標本のようだ。
最初の本では著者は埼玉県飯能市で教員をしている。
近所の里山でのトウチュウカソウ探しが話の骨格になっている。
ビーパル調語り口が読みやすい。
後者では著者は沖縄に住んでいて、屋久島でのトウチュウカソウ調査が中心になっている。
カラーページが16ページあって、トウチュウカソウのカラーイラスト図鑑みたいになっている。
イラストだから可愛く見えるが、本物は相当にグロいんだろうなあと思っている。
ネットを見ると、トウチュウカソウはガン治療に効くと噂の健康食品で、
人工培養もされているという。

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過ぎてゆく日々をいとおしむ  9/28-10/07 2018 10:11
みょうが
★9/28<過ぎてゆく日々のこと> 
ミネラルショーに行って、ネパール人のディーラーから冬虫夏草(とうちゅうかそう)を買ってきた。
法外な値段と思ったが、欲しいものは欲しいんだから仕方がない。
一昔前に中国四川省の成都という町に行って、道端でチベット人が冬虫夏草を売っているのをみた。
そのとき買いそびれた品をやっと手に入れた次第だ。
冬虫夏草は漢方で有名な強精剤だが、買ったからといってどうこうするわけではなく、
せいぜいのところガラスの小瓶に入れて、鉱物コレクションの一隅に飾る程度のことだが、
やっぱり欲しいものは欲しい。
冬虫夏草はキノコの一種。冬は虫で夏には草(茸)に化ける。
昆虫やその幼虫に寄生して菌糸を張り巡らせて宿主を殺し、自分を養うという
映画の「ボディスナッチャー」みたいで、ちょっと怖いキノコだ。
高尾山にも自生しているというから、うちの近所にもあるんだろうが、
探す機会を逸している。実物の写真は不気味がる人もいるだろうから掲載しない。


★10/06<過ぎてゆく日々のこと> 
夏が終わりかけていたころ、ベランダのプランターで朝顔が勝手に芽吹いた。
秋が迫っているし、この曇天つづきじゃあ、あんたの人生(?)花が咲かずにおわってしまう、
と思っていた。花開くことなく枯れてゆくのではあまりに可哀相だ。
虫けらのように蹴散らされ踏みつぶされる虫にだって、
その虫にとってはかけがえのない人生(?)がある。それとおんなじだ。
けれど今朝ベランダを見たら、4、5枚葉を付けた先端に大きな一輪の花が開いていた。
信号の赤色に似てもっと鮮やかな色をしていた。やっぱり、花を咲かせてこそ朝顔ってもんだ。


★10/07<過ぎてゆく日々のこと> 
庭の外れのヒバの木の根元の暗く湿った場所にミョウガが自生している。
蜘蛛の巣を払い、ムカデに会わないよう願って、地面に膝をついてミョウガの茎の間を探すと、
5つ6つのミョウガの花穂がとれる。けれどたいがいは花が咲いて美味の時期を逸している。
地面から突き出した花穂は鎧を着た化石魚に似てとげとげしい。
その先端にクリーム色してランの花にも似た花がある。
死者たちがあの世へと向かう隧道に設置された街路灯さながらの隠微な様子をみると、
むしょうに寂しく哀しくなって、花と自分との距離を忘れてしまう。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 9/23-28 2018 08:52
土偶
★9/23<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家のプレハブ倉庫の前には設置当初から、プラスチック製遮光器土偶を見張り役に置いてある。
頑丈な作りで、夏の日差しにも、冬の雪にも、秋の長雨にもへこたれない。
遮光器土偶は潜水服だか宇宙服姿のような顔をしているのに、男ではなく女を模したものであるという。
こういう猛々しい神像というのは、古代中国の良渚文明や紅山文明につながるように思う。
両者ともに神が魔物顔していて前者からは超凶暴なトウテツが発展していったとされている。
遮光器土偶が東北の民の雪目防止の遮光器に由来するというのは発想の間違いで、
いまは、トランス状態に入って眼を細めて霊視する女シャーマンに由来するのではないかと疑っている。
南インドの女神ミナクシは魚の眼をした女神といわれているが、
彼女の眼は向こう側にいってしまったことの表現だ。
うちの遮光器土偶にネックレスを捧げたいと思って、たまたまあったブレスレットを首にかけてみた。


★9/27<過ぎてゆく日々のこと> 
はじめて訪ねた頃のバリ島では、田舎道に入ると、太った中年女性が、腰巻き1枚で玄関先に座り、
大きな乳房をゆさゆささせながら米に混じったゴミだか虫だかをとりのけていた。
彼女たちの笑顔は、天界の住人アプサラスが地上に降りてきたのだと思えるほどで、
天真爛漫そのままに美しかった。
二度目にバリ島を訪ねたときには、そういう笑顔に再会することはなかった。
先日夕食後のテレビで四国や山奥の過疎の村に暮らす老人たちの生活ぶりをみた。
彼らもみんないい顔をしていた。
ぼくらはみんなあまりにも自分のことで忙しい、流行に遅れてはならじと必死になり、
心からのくつろぎを忘れている。満身の笑みは浮かべようがない。
政府と企業とメディアは三位一体で、便利さの追及こそが至上の課題といいつのる。
健康幻想を呑みこませようとする演出もある。そういうのはみんなウソなんだと、
四国の過疎の村の老人たちの笑顔をみて思った。
心を養うというテーマは自分を離れる時間を持つことからはじまるんだろう。


★9/28<過ぎてゆく日々のこと>
 靴下をはかないと足の甲が冷える季節になった。ネルシャツをだしてきてTシャツの上に着ている。
アサガオの花の数がめっきり減って、日々草の花も小さくなっている。
アパートからバス停に向かう道筋では、キンモクセイが南のクニの発酵した果物のような
匂いを漂わせているし、農家の庭の一角ではマンジュジャゲが真紅の花を咲かせている。
ついこの間まで夏の熱気を楽しんでいたのに、いまはすっかりと秋の気配に順応している。
テレビでは近年にない勢いの台風が沖縄に近付き、九州へと上陸する予測とかますざましい。
窓の外の丘陵は額に入れられた写真のように停止して、ひと枝たりとも風にそよいでいない。
そういう景色を眺めていると、なんだかとても長くこの星で暮らしてきたような気分になる。
南のクニの植民地で人生をおえていったデラシネたちも、
そんな気持ちで椰子の木を眺めたことだろう。
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弥生時代の呪術に勾玉文化の背景をよむ(7) 10:06
古代米
古代米
粟黍稗
<勾玉と弥生時代・16>
「(埴原和郎の仮説による)弥生時代初期から奈良時代初期までの千年間に150万人程度の渡来があり、
大きさ地方差はあるものの、奈良時代初期の人口は血統からみて、北アジア系渡来系が8割
あるいはそれ以上、もっと古い時代に日本列島にやってきて土着化していた縄文系(原日本人)が
2割またはそれ以下の比率で混血した可能性が高いという」p73。『人口から読む日本の歴史』
(鬼頭宏、講談社学術文庫、2000)から。ずーっと縄文時代の推定人口の少なさに戸惑っている。
縄文時代は1万〜1万5千年つづいたんだから、発掘される遺跡の数は多く、
遺跡関連の記事を読むと、縄文人はそこらじゅうにいたかに思ってしまう。
でも全然そうじゃなかった。同書には2900年前、縄文晩期の推定人口として
南関東(千葉・埼玉・東京・神奈川)に3800人、畿内(京都・大阪・奈良)に800人、
などの数字がある。縄文時代は東海から東北にかけての東日本で人口密度が高く、
西日本は極度に引くかった。原因は東日本ではコナラ、クリなど暖温帯落葉樹林の木の実に依存出来、
西日本は照葉常緑樹林に覆われて、カシやシイの実あたりしか食用にできなかったためとされている。


<勾玉と弥生時代・17> 
弥生時代の水田稲作の民は、勤勉に働いてたくさんの米を収穫して飢えることなく暮らした。
縄文人たちは彼らに学んで農耕民族へと転嫁していった。原初のヒッピーたちは定職を得た。
こういう図式には為政者たちが意図した差別意識があるし、演出された文明像がある。
実情はぜんぜんそうではなかったらしい。現代の私たちのように、
欲しいだけ米を手に入れられて、余ったら捨てても平気というふうではなかった。
水田稲作と平行して彼らは畑作もしており、狩猟採集にも頼っていた。
米はハレの食べ物、ご馳走で、ふだんは雑穀類や芋などが中心の食生活だった。
というようなことが『日本の古代4 縄文・弥生の生活』(森浩一編、中央公論社、昭和61)に書いてある。
その米も白米中心ではなく写真のような赤米黒米といわれるもので、粒揃いではなかったらしい。


<勾玉と弥生時代・18> 
たまたま知人から日本翡翠原石(糸魚川翡翠)を譲り受けて、他の天然石といっしょに勾玉を制作したら、
意外なほどの人気だった。それから日本の古代史について学びはじめた。
栽培植物がいつ始まったのか、水田稲作の前には焼き畑があったというが、
それがどの地域でどれほどの規模だったのか、いまだに詳しくを知らないままでいる。
石ヤには石ヤの仕事があって、神秘主義ファンには神秘主義の知識を深めたい欲求もある。
それでついつい古代史探求は後回しになる。
それでも文献のなかに粟(アワ)・稗(ひえ)・黍(きび)という単語がでてくるたびに、
それがどういうものか知りたいと思った。いずれも縄文と弥生の境界あたりで列島に持ち込まれた穀物だ。
現物を手に入れてみると、粒の小ささに泡を食った。
農耕生活は大変な大仕事で、狩猟採集民の気楽さをうらやんだ。
彼らとて決して気楽ではなかっただろうけれど。(写真は左からアワ・キビ・ヒエ)

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