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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 2/11-18 2018 ■翡翠類似石の写真 11:16
翡翠類似石

★ 2/11<気掛かりなこと> 
なにごとによらず注意深くあることは大切だ。
自分の思考や行動に注意を向けることなく暮らすと、
動物園の獣たちと同じような無為の日々を過ごすことになる。
本人は一所懸命生きているつもりでいるが、そう思っているだけのことで足は地に着いていない。
あるいはまた自分の想念のとりことなって、張り子の虎のような見せかけの自己に溺れている人もいる。
自分が何を考え、何をして、どう感じているのか、折にふれて点検できるなら、
そこから多くの気付きを得られる。
知人との会話でフェイスブックやブログが話題になると、
これをつづけるには文才が必要と思っている人が多いことに気付く。そうじゃない。
必要なのは自分の身辺で刻々と変化していく出来事や気持ちの動きに対して敏感でいることだ。
「気付き」を見逃さずに捕らえることができるなら視野が広がる。自己表現力も増していく。
精神世界を歩むことがどういうことかわかってくる。


★ 2/17<過ぎてゆく日々のこと> 
馬の視野を制限するための馬具をブリンカー(遮眼皮)というとか。
インターネットでは興味がある情報にしかアクセスしないので、
ブリンカーをつけて世の中をみることが習い性になってしまいやすい。
書店の新刊書コーナーに立ち寄ったり、雑誌を開くよさは、意外な情報に出会える楽しみにあったのだが、
PCやスマホが世の中への窓口になると、そうした機会は減ってしまう。
うちのfbは石のことだけ書いていればいいようなものだが、そうすると読む側は飽きてしまうだろう。
知り合いとお茶して話があちらこちらへ飛ぶように、視野をひろげておけば、
雑学の楽しみを次の世代へと伝えていけることになると思ったりもする。
昨日は最寄りの書店にいって、 「(担当編集者より)翻訳原稿を初めて読んだとき、
あまりの怖さにひとりで読むのが嫌になり、喫茶店に行ったほどでした」
と帯に書かれた文庫を買ってきた。手にしただけで怖かった。

(翡翠も類似石に興味を持つと世界がひろがる。
写真はミャンマー翡翠と同じ土地で採れた翡翠のそっくりさん。
クロムを含むアルバイト(曹長石)という意見がある)


★ 2/18<過ぎてゆく日々のこと>  
神居古潭原石を使用したコタン・アイテムの制作を考えなくては、とfbに書いたのが2月12日。
そうしたら14日にはひさしく交流が途絶えていた同業者から神居古潭ブレスレットなどの問合わせがあった。
このシンクロニシティをこいつは春から縁起の良いと喜んでいる。
天然石業界の目下のトレンドは国産のパワーストーン。
けれど国産だからといって海外産と同じ材質のものがやたら高額なのはビジネスになりにくい。
加えて「和」の和みを誘う石はあまりなくて、
日本翡翠と神居古潭石がダントツのパワーストーンとなっている。
翡翠は国の石になったんだから、
神居古潭原石が北海道の石になっても不思議ではないほどに両者は味わい深い。
ぼくの頭のなかにはあと2、3種類候補があるが、貯金したままにしてある。

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過ぎてゆく日々のこと・山の家の出来事まとめ 2/05-12 2018 10:29
翡翠サルダマ

2/05<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家は庭には雪が残っていてプレハブ倉庫の片付けもままならない。
勾玉などの撮影をしようと庭にでた。近くの道路をたまには車が通る。
けれどあたりは静まりかえっていて廃村にいるかのようだ。
アパート近辺もそれなり静かで閑散としている。
それでもそこには人が暮らす場所という気配がある。
山の家では近所に人がいることはわかっていても、人気(ひとけ)を感じられないという
その感覚に圧倒されてしまう。
サル玉や飛龍、天然石勾玉をフェイスブックやブログ用に数種類撮影した。
積雪の白バックは具合がよかった。
そうこうするうちに雨が降りはじめた。
日差しがあるなかで降る雨は光に染められた罫線のようだった。
ほどなくして雲が日を閉ざして雨は雪に変わった。
空から地表に向けて何本もの釣糸を下ろすかのような雪だった。


郵便局
2/08<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家から最寄り郵便局へ小包を発送しにいった。
自転車で5分の距離はゆるやかな下り坂で一度もペタルをこがないで到着できる。
帰り道を苦にしなければ田舎道ジェットコースターの一丁上がり。
郵便局は夕暮れにはトトロが立っていても不思議ではないほどに昭和レトロな一軒家。
ATMが付属しているのが場違いな感じがする。
割烹着姿のおばさんが窓口にいたわけでもなかった。
利用者があまりいないのだろう、ユーパック1個で台所用タワシのお土産をもらった。
今の季節、道路の山側の杉木立ちは焦げ茶色に変色して枯れたように見える。
杉の雄花が花粉の放出に向けて蕾を熟させているからで、花粉症の人には悩みの期間の先触れだ。
杉の花は目視で7、80センチ四方ほどの広さがシンクロしていっせいに花粉を散らす。
黄色い霞が湧きだしては散っていく。
受精の効率をあげる手段なんだろうけれど、松ぼっくりを縮小したかのような蕾が数千個、
歩調を合わせていっせいに花粉を撒く、そういう進化のあり方というのが不思議だ。


2/12<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家の前の家のじいさんが亡くなってだいぶ経つ。
じいさんは一人暮らしだった。
近所に娘と息子が住んでいて、食料の買いだし、部屋の掃除、病院への送り迎えなど、面倒を見ていた。
午後に山の家に着くと、半分ほど引き戸を開けた玄関脇に、
踏み台に座ったじいさんを見掛けることが多かった。
彼は軒先に餌を撒いてはよってくる鳩を眺めていた。
晩年にはだいぶボケがすすんで、顔をあわせると満面の笑みを浮かべて「初対面ですか?」と繰り返した。
そのじいさんが今日、玄関の引き戸を半分ほど開け、踏み台に座って外を眺めていた。
もちろんそれは霊ではなくて、記憶のファイルから漏れでた映像なんだけれど、
夢もうつつも同じようなものなんだろうと思ってみたりもする。

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続たわいのない話。こういう話っておもしろい? ■水晶製茶碗の写真 17:53
水晶製茶碗
<たわいのない話> 
草花や樹木とのコミニュケーションは難しくない。
『サボテンが話す』というような本を読まなくても、木や草と気持ちを通わせられる。
これまたインド、病み上がりの身体をひきずるようにして、ロータルというインダス文明の遺跡を訪ねた。
インド亜大陸の西の端の方、ユーラシア大陸と接合するあたりにある。
5、6日いたけれど、バンガローの管理人親子と、遺跡の清掃係のほかは、
訪ねてくる者は犬の子一匹いない、静かで素晴らしい遺跡だった。
この世の果てのような場所で、ブーゲンビリアの花を見ていた。
するとふいに花がぼくのおなかをくすぐてきた。
そういう感じがしたというのではなく、本当におなかをくすぐられて、たまらずに笑った。
よせよせ、ばかなことをするんじゃない、とそんな感じ。
花はますますおなかをくすぐり、ぼくはますますおもしろくなって、身体をよじって笑った。
そういうことがあって木から気をもらえるようになった。


<たわいのない話> 
いくら石ヤのフェイスブックだからといっても、年中翡翠の話では飽きてしまう。
アクセサリーの類いもみんな同じに見えてくる。
なにごとも繰りかえしているとマンネリになってしまう。新しい話題が必要だ。
それでもって雪の日には雪女を思う。線が細くていまにも消え入りそうに美しい。と書いてみた。
良寛が山の中腹の神社の社務所に住まいしていた頃、雪の日の夜更けに板戸を叩く音がした。
応対にでると雪に濡れた若い娘が立っていた。良寛には彼女が雪女であることがわかった。
見てのとおり老人の詫び屋住まいだ、遠慮はいらない、あがって暖まっていきなさい。と良寛はいった。
女は囲炉裏から遠くに座ったままだった。白湯をだすと水がいいといった。
それから彼女は問わず語りに思い出を語った。
都から親戚を訪ねて越後に来た。供の者とはぐれ、雪の野で道に迷った。
そこまで語って女は「ああ、わたしは死んだんだ」といった。
良寛はうなづいて、彼岸もさほど悪いものではないといった。


<たわいのない話> 
「人魚ってどうやってセックスするんだろう。だってセックスしなければ子供産めないじゃない?」
店に展示してあった人魚の彫刻をみて客のひとりがいった。20代後半で利発そうな人だった。
「たいがいの魚は性器接合というようなセックスをしない」理科の授業みたいにぼくはいった。
「へえっ」と彼女。
「たいがいの魚はメスが排卵するとその上からオスが射精して精液をまぶす。
まあ卵かけ御飯みたいなもんだね」
「それっておいしいことなの?」。
魚にもドーパミン分泌とかA10神経系というのがあるんだろうか、ぼくは考える。
「人魚は海人(かいじん)なんだからセックスしたくなったら人間に化身すればいい」とぼく。
「そうか、いいことをきいた」といって彼女はかえっていった。
その日のレジの精算時に、
1万円札にまじって五百円硬貨ほどに大きなウロコが1枚まじっているのをみつけた。
(写真は自社制作の水晶製茶碗。好みのあか楽を見本として香港に送って制作した。
以前ある展示会で似たような製品に 100万円の値札がついていて驚いたことがある)
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たわいのない話。おもしろがってくれるといいのだが 10:10
ガマ財神
<たわいのない話> 
獣型勾玉とツーショットできそうなアイテムを自宅で物色した。
目に付いたのがこのガマ財神。
何年も前にブログに書いたような気もしているからネタも使い回し。
そういうことは一生に一度、一回こっきりだった。
20数年前、香港のジェードマーケットでの出来事だった。
帰りしなに、「もしもし」とくっきりはっきりした日本語で呼びとめる声がした。
ふりかえると声の主は人間ではなくテーブルの上の10cm弱の石のガマだった。
「私を連れて行ってくださいな」と彼はいった。
そういうことなのかと思って連れ帰った。
以来ずーっと彼はぼくに机の上にいるけれど、それから一度も語りかけてきたことはない。
ひょっとして妖精とか精霊とか霊とかそういうものが、
日本に行きたいと思って石のガマ財神にのったのかもしれない。
いまとなっては調べようもない。


<たわいのない話> 
非生物に心が宿ってコミニュケーションするという体験は他にも2、3あった。
いま思うにそれは三昧のようなものなんだろう。
あるいは機関車やモグラが人間と同じように暮らしていた幼児がえりのようでもある。
記憶にのこる最初の体験は、高校生だったころ美術館のルネッサンス絵画展の会場で起きた。
美人の肖像画が突如としてにっこりと笑った。
思い切り驚いて彼女の前から立ち去りがたかった。
インドの石窟寺院で有名なエローラではひとりで1週間過ごした。
石の女神に恋してたくさんの時間を彼女とともにいた。
彼女はなんてたって女神というくらいだからほんとうに美しくて、
生味の人間のように生きづいていて、見れば見るほど心苦しかった。


<たわいのない話> 
ごくまれにだが、テレビのニュースでテロ事件などを見ると、あんな犯人は死んでしまえ、と思う。
それに関して思い出したことがある。
昔知り合いだった修験の行者は、「家に一人でいると、しばしばポルターガイストが騒ぐ」と言った。
「天井裏をドタドタと歩く音がしたり、柱がバキッと割れる音がする」。
興味深い話だ。「で、どうするのですか?」とぼく。
「中途半端な霊たちだからあの世に送っても、そのうちろくでなしとして転生してくる。
それではおもしろくない。だからそういうときは、
お前ら、死もならず、生きもならない狭間の世界に送ってやる。と天井に向かって言うんだ。
するとね、ぴたっと騒ぎが収まる」。
生きることも死ぬこともできない、自分を気にかけてくれる人はひとりもいない。
そういう所で未来永劫の時を過ごす。こんな怖いことはない。
こんな奴は死んでしまえ、と思う人間が現われたら対処できるように、
彼から狭間送りの技を習っておけばよかった。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/24-1/29 2018 10:37
獣型勾玉
1/24<過ぎてゆく日々のこと> 
日本翡翠製品の写真の色再現が難しい。
ことに明るい灰色をベースに青味や緑味をおびたものがうまく撮れない。
安価なデジタルカメラでネット用の画素数の小さな写真ということもあるのだろう。
色温度を調整しても、半絞り開いたり絞ったりするだけで色が変わってしまう。
設定時よりも光源と製品の距離が近付いたり遠のいたりすると、それだけで色温度が変わってしまい、
温かくなったり冷たくなったりする。
ノートパソコンのモニターと視線の角度を変えるだけで色が異なってみえる。
3台のパソコンでモニターすると、同じ写真なのに色が違ってみえる。
困ったことだと思っている。
こんなにも色味がデリケートな製品にこれまで会ったことがなかった。
何ごとにつけインド仕込みなので、撮影も自分の腕が悪いとは決して思わない(笑)。
そしてこれは小さな世界の大きな悩み(笑)。


1/25<過ぎてゆく日々のこと> 
何はともあれ小さな世界の大きな悩みは、それぞれの人の大問題であることにかわりない。
小さな出来事に大きく囚われて毎日がすぎていく。
それに呑まれてしまうのではなく、なかば仕方がないと思いながら、日々の出来事に対処していく。
それを「管理された愚かさ」というのだと遠い昔に教わった。
難しいことであるけれどだいじなことと思っている。
呼吸法に遊んでいると、呼吸に気持ちを集中するその思いを無視して、
つぎつぎと夢想をつむぐ自分に気付けるようになる。
同様に日常生活ではそのときそのときの思いに囚われて、ふりまわされていることもわかってくる。
心を調律していくのに「管理された愚かさ」は妙薬になる。


1/29<過ぎてゆく日々のこと> 
滅多にないことだが、昨夜は冷え込みがひときわ厳しかったらしくて、明け方寒さに目がさめた。
靴下をはいてセーターを着て再度布団にはいった。するとポカポカと温かくなって極楽気分だった。
それでふと思ったのだが、布団にくるまって極楽体験するのは、
映画『マトリックス』のカプセルに封じられ、栄養剤で生かされている人間たちと
変わらないんじゃなかろうか。世にいう極楽浄土は衣食住の心配一切なく、
労働を強制されず、苦悶もなく思索もない。
ひとりひとりが脳内麻薬にひたりきって、百年一日のごとく惚けて暮らす場所ではないんだろうか。
そんなような天国へ行ったら天人五衰どころか1週間で飽きてしまいそうだ。
極楽は棚上げしておいて、生涯かけて追究するに値する境地はほかにあると夢想した。
(紅梅の季節にはあとほんの一息)
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良寛が心のなかに住んでから数年経つ ■エクロジャイト丸玉の写真 09:58
エクロジャイト丸玉
<良寛のこと> 
年末から年始にかけて良寛がらみの写真集を3冊買った。
『良寛の道』(平沢一郎、東京書籍、1993)、『良寛巡礼(小林新一、恒文社、1992)、
『良寛へ歩く』(小林新一、二玄社、2002)。
届いた本をぱらぱらとめくると、寒々しい雪国の写真があり、
ページのあちこちから良寛の歌が春先のツクシのように顔をのぞかせる。
良寛の足跡を追うのをライフワークとして20年とか30年すごしてきた人たちがいることを思う。
同じ場所に何度もでかけて、はたから見ればあきれるほどにたくさん写真をとってきた人たち。
彼らの書庫にはぼくとは比較にならないほどたくさんの良寛関連の蔵書があって、
自分自身の人生よりも良寛の年代記に詳しい人たち。
同じ場所に何度も通うという習慣がないので、良寛に魅せられる気持ちには共感できるものの、
とても彼らの真似はできない。


<良寛のこと> 
良寛は20代から30にかけてのて10年間を倉敷の禅寺で修行にあけくれた。
いやというほどに座禅がつづく毎日はどのようなものだったのだろう。
彼は師匠の死去を機に寺をでて雲水となった。
雲がゆき水がながれるように、乞食(こつじき)しながら諸国を流浪する。
それはどういう生活だったのだろう。
若かったころ1週間の集中座禅会(接心という)に参加したことがある。
帰りには「気」の充実尋常ではないものがあって、新宿駅の地下通路では、
向ってくる人を睨むわけではないのに、人々が自分をよけて通った。
まるで上流に向かう鯉のようだった。
同じように若かったころ、2ヶ月とか3ヶ月の旅行にでかけて、
旅人の身体は定住者とはべつものであることを知った。
ひとつところに落ち着くことなく移動しつづけていると、
やがて意識が流れ、身体も流れていくようになる。非日常的時空へと意識が移っていく。
そういう毎日を重ねて、50代とか60代になった人の人生は
そうとうに常識離れしたものがあるんだろうと思っている。


<良寛のこと> 
良寛は宮沢賢治と同じで、著名人であるけれど、どういう人であったかを世間的に理解されていない。
彼らは教科書的な人物像とは全然違う。
宮沢賢治は、人類みんなの幸せを願った博愛主義者として教科書を飾る。
教師たちは少年少女に彼の偉大さをとく。
けれど『宮沢賢治と天然石』(北出幸男、青弓社、2010)を書くことで、ぼくが知った賢治は、
親の希望をかなえられないことに苦悩しつづける人だったし、
周囲に理解者がいないことの孤独をかかえたまま人生をおえた人だった。
こういうことを言ったからといって、賢治の作品の輝かしさが曇るわけではない。
彼は多分にアスペルガー的性向の人で、世間並みの人付き合いが苦手だった。
良寛は子供好きで、猫を紙袋にいれて蹴毬代わりにしたひょうきんな老僧だっただけではない。
彼もまた適応障害風の性向のゆえに庄屋の稼業を継げず、出家しても寺の住職になれなかった。
書家、歌人、詩人として生前から有名だったが、どれもにアスペルガー的熱意で切磋琢磨した。
江戸時代末期の葬式仏教をスーパーラジカルに批判した。


<良寛のこと> 
山の家ではふとしたはずみで水上勉の『良寛』のハードカバー版を開いた。
拾い読みするとおもしろくて、『良寛を歩く』の写真をながめ、
あちらこちらと移り気にしているうちに夜がふけていった。
良寛に惹かれて数年経っている。
アパートでは集めた資料を枕元に置ききれず、金属パイプの小型ラックを買って積み重ねてある。
良寛は江戸時代末期に新潟の枕崎近辺に居住した禅僧。
世の中的には子供好きで天真爛漫な姿が知られている。
書にひいで秀逸な和歌と漢詩を残したがそれだけではなかった。
70歳すぎて40歳ほど年下の超美人の弟子と親交を深めたことでも知られているが、
それだけでもなかった。
良寛のなかに入っていくと、この世に生まれてきたことへの深い哀しみがある。
人間であることの哀しみを彼は一身に背負っていた。
そのうちゆっくりと良寛に戻って、
美味しい料理に舌鼓をうつように良寛を味わいたいと思うことしきりだった。
(撮影中にエクロジャイト丸玉を道端に置いたら良寛が好きだった手毬に見えた)

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<読書記録>『女たちの王国』を楽しく読了■日本ヒスイ勾玉の写真 12:48
日本ヒスイ勾玉
<読書記録>
『女たちの王国』(曹惠虹、秋山勝訳、草思社、2017)を楽しく読んだ。
サブタイトルに「結婚のない母系社会・中国秘境のモソ人と暮らす」とある。
「結婚がない」は妻問婚(つまどいこん)、通い婚のことで、結婚式・婚姻届がない社会という意味。
シンガポール在住でビジネスエリートだった著者が若年でリタイアして、
雲南省と四川省が接する山奥のモソ族という少数民族の土地に半移住して親交を結ぶ。
モソ族は世界でもまれな母系制が残る土地柄だった。
おおまかに財産や土地の相続が父親から息子になされるのが父系社会、
母親から娘にゆだねられるのが母系社会。
ここでは家父長制のように夫婦関係が強調されることはない。
男女の愛の永続が期待されない。父と息子の権力闘争が生じない。息子は父をライバル視しない。
(つまりは夫婦という仕組みも文化的なもので絶対的真実ではない。純愛が美化されない)。


<読書記録>『女たちの王国』のつづき。
儒教的な家庭で育ち、男社会で成功者となるために苦労してきた著者は、
モソ族と出会ってフェミニズムへの信仰をいっきょに深めていく。
とても興味深い本だった。
日本の弥生・古墳時代も母系社会への理解なくしては全体が見えない。
万葉集の時代の男女関係がおおらかにみえるのも母系社会的風習のゆえだ。
母系社会のもとには女が主役の農耕呪術がある。
水田稲作が日本列島に到達するまでに、稲作文化は大陸で5千年経てきた。
母系社会はここで発展して、日本では弥生から古墳時代にかけて、
男たちの殺しあいに重きがおかれてきたので両系制社会になっていった。
『古事記』『日本書紀』『万葉集』はこうした文化が下敷きになっている。
記憶ではモソ族は長江下流域、「越」から漢民族に追われて雲南のほうに逃れた少数民族の一派で、
同様に日本列島に逃れてきた一派が弥生人になったという説がある。
私たちのご先祖も通い婚をしていて、恋人を呼び合った(よばう・夜這)時代があった。
それはそんなに遠い昔のことではない。
母系社会についてはもうひとつ重要なことがある。
母系文化の精神構造をヒントにすることで現代社会の閉塞感を打破していく道がみつかる。


(勾玉は母系社会で誕生し、両系制社会で発展し、父系社会のなかで消滅していった。
勾玉は母系社会の農耕呪術のなかで意味が与えられていった。
勾玉には狩猟採集時代から初期農耕時代の女の呪術の思いがこめられている)

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/19-22 2018 11:35
弁財天
布袋和尚

★1/19<過ぎてゆく日々のこと> 
目覚める直前、身体は起きる準備ができているのに、
意識は目覚めに気付いていないようなことがたまにある。
夢見心地のうちに、あっ、目が覚めているんだと知る。
そういう狭間の時間にどこぞの女神が現れて、満面の笑みがぼくの身体を撫でていった。
レーザー光線の真紅の焦点が体表を移動していくようだった。
そうして彼女の笑顔が身体に満ちた。
般若心経をよむ、坊さんたちのようなパターン化したふうではなく、漢詩をよむように。
すると気が丹田におりて、そこにたまるのがわかる。
こういうのにはいくらか修行が必要だ。わかるだろうか? 
(七福神のうちで弁天と鍾馗は笑っていない。鍾馗は内側で笑い、弁天は喜悦にたゆたっている)


★1/22<過ぎてゆく日々のこと> 
心機一転して、「日本翡翠情報センター」HPの手直しをして、
更新してくれるようHP制作会社に依頼した。二日がかりの仕事だった。
実店舗《ザ・ストーンズバザール》関連の記事の訂正だけではない、
ここ数年の間に糸魚川近辺のJR北陸線は消滅して第三セクターが運営するところとなっているし、
青海自然史博物館は閉館した。そういうのを削除ないし訂正しなくてはならなかった。
すぐに制作できるわけではないけれど、
日本翡翠のことがすぐわかる別冊付録についても考えている。
翡翠の古代史や鉱物学、色合いなどの性質、勾玉などの各種製品について、
1テーマ200文字くらいのコラム集を作るとビギナーには便利だろう。
それに別冊付きのホームページなどこれまで考えた人はいないだろうから、
「別冊日本翡翠早わかり」みたいなバナーがあるだけでおもしろかろう。


★1/22<過ぎてゆく日々のこと>
フェイスブックでは1月18日から20日にかけてうちに保管してある七福神の彫像を七点掲載しました。
高さは120mm前後、重量1100g前後の銅製品です。
フォルムがよくていかにも嬉しそうな笑顔。
もう何年も前に、そのうち水晶で同じような製品を作ろうと買い置いた品です。
たとえ7-8cmの彫像を作るにしても、日本翡翠ではクラックのない原石を集めるだけでも大変です。
七福神信仰は室町時代のおわりごろ、民間信仰のご利益神をまとめるようはじまったといいます。
大黒天、恵比須天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、布袋和尚、弁財天、と
仏教・神道・道教の仏や神が集合して、当時の神仏混淆のさまが見て取れます。
なにはともあれ2018年がおだやかに過ぎていきますように。
うちのお客さんたち、みんなが健康で、たくさんの幸運を享受できますように、
と七福神にお祈りしています。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/10-16 2018 10:11
黒曜石ナイフ

★1/10<過ぎてゆく日々のこと> 
今年初めての山の家は水道が凍結していた。
東北や北陸の人にとってはどうということのない話であろうけれど、
太平洋側で育った自分には特筆すべき出来事で、
汲みおきの水を沸かして蛇口にかけて水道管を暖めるのに2時間ほどかかった。
山の家にはパソコンが置いてあるのだが外部と接続していないのでネットが使えない。
ケータイもスマホも持っていない。
20年ほど前と同じ環境をなんとかしなくてはと思っているのだが、
量販店で店員とお話するのがおっくうで放置してある。
雨上がりの朝、空気はこの世のものとは思えないほど清々しくて、桃源郷散策の気持ちになる。
そうやって玄関先に積み上げた丸玉ストックを眺めて、これを何とかしなくてはと考えた。
かんらん岩、エクロジャイト、滑石・蝋石、など、商売にはつながりそうにないけれど、
このところ興味の対象のこれらの石たちを、すぐに見られる場所に保管するには、
どうしたらいいのか、などと苦慮しているうちに時間が経っていった。
桃源郷に暮らした人たちにもたくさんの悩みがあったことだろう。


★1/16<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家へ弥生時代の装飾品の資料をとりにいった。
天皇の譲位にともなって、今年は天皇ブームになるだろう。
三種の神器も話題になるだろうとの読みがあって、勾玉についての原稿依頼が雑誌社からあった。
確認したいことがあって、それがどの本のどこにあったのか資料が必要だった。
アパートの近くでは蝋梅(ロウバイ)がさき、紅梅も花をつけている。
手がかじかむほどの寒さでも、頬にあたる風には春の気配がある。
もうすぐ春なんだ。そうしたらひなたのぬくもりでお茶しよう。
ところが山の家は全然そうではなかった。
コーヒーを淹れた残りの紙パックを外に捨てると2時間後にはバリバリに凍っていた。
台所の水道は一泊二日の間氷結したままだった。
仏壇に線香と灯明をあげて、寒いねと本尊にいってみたが、
彼はいつもと同じようにすずやかな顔のままだった。


★1/12<読書記録>
『日本人はどこから来たのか?』(海部陽介、文芸春秋社、2016)を読了。
人類の起源とか、地球のでき方とか、生物進化の歴史とか、そういったことへの興味が尽きない。
好奇心の旺盛さは脳が成熟しきれていないからかもしれない。
横幅80cm、高さ180cmの本箱いっぱいほどにこうした本が詰めてある。
人類の歴史も、縄文・弥生の開始も年ごとに古くなる傾向があって、
いまでは現世人類の誕生は20万年ほど前、出アフリカは10万年ほど前ということになっていて、
彼らは約3万8千年前、北と南から日本列島に到着した。
出アフリカ後、ヒマラヤ山脈をはさんで、
ユーラシア大陸を北と南に別れて東進してきた現世人類は東アジアで再会して混血、
その子孫が日本に渡ってきて弥生人になった、というようなことが書いてある。
(写真は黒曜石ナイフ。石器の材料として人類が最初に交易に用いた石。
黒曜石との出会いが人類の知性化をうながした)
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■<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/04-07 2018 11:20
ミャンマーヒスイ勾玉

1/04<過ぎてゆく日々のこと> 
嘆きの壁からの連想で「憂さ晴らしの壁」という言葉ができた。
不平不満が積もって「憂さ」になる。
憂さは心に積る塵芥、放っておくと腐敗してやがては悪臭を放つ。
悪臭は心ばかりではなく身体を汚染する。
女性であればダイエットしたり、化粧品やサプリメントで肌の手入れをするように、
心も手入れしないと美人オーラはでてこない。
上手な憂さ晴らしは心身を健康に美しく保つために必須で、
これがうまくできないと人生をふいにしてしまう。
「憂さ晴らしの壁」は神社に作って、
他人には言えないあれこれの憂さをその場で書いてお焚き上げしてもらう。
基本的なアイデアとしては悪くない
。零落した神社再興の手立てのひとつになると思ったりした。
神社やお寺はかってはそれぞれの地域のアミューズメントパークだった。
いろいろ考えれば、再度人々が集う場所になるだろう。
そうしたらうちの製品で超魅力的、強力な効き目のお守りがいっぱいできる。


1/05<過ぎてゆく日々のこと> 
凝灰岩や滑石関連の見本や珪藻土、ワイヤーブラシとか懐中電灯とか、あれこれの本、
そのうち買おうとためてあったネットショッピングのものどもを、
お正月3日4日でまとめて注文した。
まもなくうちのアパートの郵便受けは満杯になって、
ピンポンピンポンと荷物の到着を告げる部屋の呼び出し音がつづくだろう。
憂さ晴らしということを考えていて、衝動買いもなかなかすぐれた憂さ晴らしと思った次第だ。
香港のジュエリーショーにでかけて、ついでに広州へいったり、現地の業者を訪ねていた時代には、
一日ごとに数十万円のお金が財布から出ていった。
自分のためのショッピングではないのだが、
どんどんお金を使うとカルマが軽くなっていく気がしたものだった。
憂さ晴らし&ストレス軽減&カルマの浄化&天然石コレクションについては、
もう少し考えてみることにしよう。


1/05<読書記録> 
『大嘗祭』(工藤隆、中公新書、2017)を興味津々のうちに読了。
見覚えのある著者名と思って書架をみると同じ中公新書で
『古事記誕生』『古事記の起源』というのが並んでいた。
新天皇がおこなう一世一代最大の祭祀が大嘗祭(だいじょうさい・おおんめさい)、
年ごとの収穫祭が新嘗祭(にいなめさい)、「嘗める」は食べるの意味、
ということがやっと頭の中に落ち着いた。
天皇を神官の頂点におくことでヤマト王朝は出発した。
それが天武・持統天皇あたりで、最高神をアマテラスに定め、
天皇を現人神(あらひとがみ)としたことで、日本神話は理解しずらくなった。
大嘗祭は最高神への新天皇の就任報告のようなものであるらしい。
そこでの神事には、水田稲作の初期に継承されていた「女の呪術」の色合いが強く残っている
という本書の説明に大きな感銘を受けた。
神道では酒をお神酒(おみき)といって神聖視してきた。
酔うことは酒精が宿ることであり、祖霊たちの世界へと人を開いてゆく。
大嘗祭にはそうした古代からの伝統が残っているようだ。
折口信夫説では天皇霊が新天皇につくことで天皇は天皇になるという。
(勾玉は皇位継承の品のひとつ。今年は勾玉ブームが再燃するよう願っている)


1/07<過ぎてゆく日々のこと> 
ほほ笑みが真珠の小粒のような滴となって落ちる途中で木の葉に変わった。
彼はその木の葉でテーブルの上の赤い宝石を包んだ。
訪ねる人の滅多にいない廃村の廃校の体育館に彼は住んでいた。
木の葉をシャツのポケットにしまって、彼は白いフクロウに変身した。
ガラスの割れた窓を抜けて夜の中へ飛んでいった。
月が溶けて7つ8つの星に変わった。
主のいなくなった部屋に獣型の精霊が姿をあらわした。
獣が首をあげると虚空に青いクレヨンが出現し、彼はそれを口に加えて、
幾何学模様が反復されるマンダラを机の上に描いた。
遠く離れた土地でそれを夢にみていた男がいた。
男がほほ笑むと笑みが真珠の小粒に変じてこぼれた。

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