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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 5/17−20 2020  10:18
クロヒスイ
★ 5/17<過ぎてゆく日々のこと> 
頭の中に「夏」が侵入してくる。頭の中を夏色に染めていく。
頭の中に大洋が広がり水平線を越えて、さらに遠くへと意識が運ばれていく。
今年もそういう季節になって、抱きしめたいほどにいとおしい気持ちで山の緑を見る。
知人がメールしてきて、朝はトラツグミの声で目覚める、とても気持ちがいい、と書いてあった。
トラツグミは神話時代には「ヌエ」とよんだらしい。
日本神話のオオクニヌシの求婚譚では、彼は越(こし)のヌナカワヒメによばいして、
板戸を開けてくれと夜通し乞い願う。
男が女のもとに通う母系社会的な通い婚で、当時は最初の夜を女が拒むのが風習であったらしい。
彼女は彼を部屋に通してやらない。
「もう夜が明けてしまうではないか、緑の山にはヌエがなき、野にはキジがないている。
いっそのこと鳥どもを殺して夜がつづけと願おうか」オオクニヌシ(=ヤチホコ・八千矛)はいう。
性行為が魂の交換・交歓を意味していた時代の話だ。


★ 5/20<過ぎてゆく日々のこと>(ヌエのつづき) 
『古事記』の時代の人たちがトラツグミをヌエと呼んだかどうか、ほんとうのところはよくわからない。
解説書にそう書いてあるから、そうかと思っているだけで、
「ヌエ」は平安時代になると妖怪変化してキメラ型の怪獣になる。
彼(彼女と思う)は『平家物語』などに登場し、猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇の四つ足の妖怪で、
トラツグミに似た声で鳴くという。
何代目かの天皇の御所で毎晩のように黒煙がたち、ヌエの不気味な鳴き声が響き渡った。
源頼政とかいう弓の達人が鳴き声の方向に弓を射ると、地を裂くような悲鳴がして、
以後ヌエの声は聞こえなくなったという。
鳥のヌエからモノノケのヌエが連想されたとしたら、鳥っぽくないのが不可解だが、
今とは違って、人口が少なく、都会の背景雑音がなかった時代だから、
夜の暗さはモノノケたちにとって活動しやすかったし、ちょっとの騒音がしじまを破るに十分だった。


★ 5/20<過ぎてゆく日々のこと> 
とても好きだった村や町がある。2つはインドでカジュラホとダージリン。
ウティやカンニャクマリ、マドウライという土地も思い浮かぶ。それにネパールのカトマンドゥ。
思い出すだけでいとおしさが胸にひろがる。
育った土地は、息苦しくて窮屈だったから出てきたわけで、いまもって微塵の愛着もない。
旅行の途中で滞在した町がぼくにとっての故郷のようなもので、
いま、疫病パニックのもとで、それらの土地がどうなっているかを想像すると、
地球の全部が病いに苦悩しているそのことが重い現実になる。
みんながマスクを外して、飛行機に乗って、遠くの土地へ旅行できた時代は、
遠くの惑星での出来事のようで、ふたたびそういうことができるようになるのかどうか、おぼつかない。
自分のことよりも息子たちの未来をおもんばかる。
彼らが過去の負担に苦しまないようにと願うばかりだ。(写真はミャンマー産黒翡翠勾玉57mm)
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<過ぎてゆく日々のこと> 決心をうながす石、エレスチャル木肌模様 10:48
エレスチャル
★ 5/14<決心をうながす石> 
いろいろ迷って決心したけれど、その決心もぐらついて、頭がグチャグチャになってしまうことは
さほど珍しくない。「決心をうながす石」は、これがそういう石なんだというふうに自分で決める。
自分意見ではてのひらに握れるくらいの水晶ポイントか、35mmほどの水晶球、
好みによってエレスチャルがいいと思っている。
個人での旅行は毎日が決断の連続になる。
何泊かして明日はホテルを出るという日、次の目的地はひとつしか選べない。
日々の決心もそういうのに似ている。
小さなことでは夕食のメニューとか、大きなことでは自分の進路とか、
選んだら振り返らない、反省しない、他者に賛同を求めないことが要点だ。
「決心をうながす石」を選んだら、石のイメージ、石の力が自分の内側に満ちてくる様子を
想像して観察する(観想という)。「自分に満ちる」ということがわかるようになる。
「自分に満ちる」感じでいる自分を信頼すると、決心もあまり難しいものではなくなる。
たいがいのことは、どちらを選んでもさほどの違いはないこともわかってくる。


★ 5/14<決心をうながす石のつづき> 
「決心をうながす石」について考えると、決断に迷う要因のひとつに、
みんなからよく思われたい自分と、自分の思い通りにしたい自分とのギャップがあるように思う。
発想はユング心理学風だ。みんなからよく思われたい自分でいるためには、
いい子にしていなくてならず、素直な欲求のままにふるまいたい自分が抑圧され、犠牲になっていく。
ほんとうは違うのだけれど、自分の欲望のままにしていたい自分を
「あるがままの自分」とか「ほんとうの自分」と錯覚しやすい。
社会的自我と内的自我との間の軋轢が深まり、不満がこうじて、悩みが深まる、憂鬱さもましていく。
受け入れてくれそうな人によりかかりたくなる。
受けいれてもらえなかったり、拒否されると傷つく。
自己愛が幼稚な段階にとどまり、精神的に成長できなくなったりする。
日本神話では高天が原でのスサノウの暴走が連想される。
八股大蛇を退治し、お姫さま(アニマ)を得ることで自我が自立していく。
石たちを愛(め)でることで、社会的自我に支配されず、
内的自我にも振り回されない生き方みたいなのが、わかってくる


★ 5/14<石の名前> 
木肌模様の大型エレスチャル、250x220mm 、6.6kg、¥350,000。エレスチャルは決心をうながす石。
自分の足で大地にたつことを教える石。
若かったころの旅行では、ネパールのカトマンドウやインドのカジュラホで、
旅疲れしているヒッピー風の人たちをたくさん見た。
個人での長期間旅行は、次の目的地を選ぶことに疲れてしまいやすい。
何ごとであれ決断するのがおっくうになる。そうやって旅に疲れると精気を失って亡霊になる。
クニに帰ればいいようなものだが、もともとクニに居いづらくて旅行にでたんだから、
帰っても居場所があるわけではない。旅に呑まれずに、時間・空間を身体が流れていくのが
わかるようになるには、それなりのパワーが必要なんだろう。
そういうパワーに感じが似たものがエレスチャルなどの鉱物にある。
自分意識に固まった自分というか、そいうのを時折脱ぐようにする力を学べる。
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<過ぎてゆく日々のこと>アーチスト・コロニー、特大エレスチャル  10:14
エレスチャル
★ 5/11<過ぎてゆく日々のこと> 
小さな町の小さな画廊を巡りながら、個展を開いては絵を売って、
生計をたてているという男性に会ったことがある。
キャビネ・サイズのガラス絵が得意で、自分でも買える値段だった。
中年男性だったが、そういう生き方を選んだことを立派だと思った。
個展をやって自分の絵を並べるのは石ヤが店に天然石を展示するのと変わらない。
画家の場合は画商や、一昔前であるなら雑誌の編集者と出会える機会がある。
画商が自分の絵を育ててくれれば、やがて絵の値段が上がる。超シンデレラするなら、
レストランの小テーブルほどの大きさの絵に100万円の値がつくようになる。
日本の世事にうといが、海外ではそうやって有名になっていく画家がいる。
エミリー・カーメ・ウングワレー(要検索)というアボリジニの女性画家の画集を買って、
そんなことを思った。彼女の絵にはクラクラするほどのパワーがこめられていた。
パワーはポリネシアでは「マナ」という。沖縄のほうでは「セジ」というらしい。
パワーが宿る(付着した)ものが人を魅了する。


エレスチャル
★ 5/12<過ぎてゆく日々のこと> 
あちこちを旅行しているうちに、ギャラリー(画廊)を招致して観光客を集めている
観光地があることを知った。なかには町がアーチストの育成に力を入れて、
アーチストコロニー(芸術家集落)を運営するところもあった。
絵や彫刻や工芸品を自宅に飾るための、ギャラリー巡り目的の観光客を招こうという魂胆だ。
もとからの観光地でも、アートの町として有名になれば、質のいい客を呼べる。
たとえばアメリカ南西部サンタフェ近郊のタオス、インドの避暑地ダージリン、バリ島ウブド、
ハワイのマウイ島なんかが知っている土地柄だ。
アーチストタウンのプロデュースはとても魅力的な仕事に思えたが、
人付きあいが面倒な自分にはもとより向いていなくて、アイデアだけで終わっている。
鳥取県米子市とか日本翡翠の原産地糸魚川市などで、そういうのが始まるとおもしろい、と思っている。
ここではシャッター通りがギャラリー街に変わっていく。個性的なレストランや劇場もできるだろう。
民芸品ではないのが自分好みだ。
(ちなみにタオスはその後ニューエイジのメッカに発展していった) 5-20-2


エレスチャル
★ 5/10<石の名前> 
これは特大エレスチャルご神体大亀(オオガメ)。精神世界的事象では、
物体や形象をなにものかに見立てることによって、見立てたモノのパワーがより濃密に、
見立てられた物体に宿ることになる。
シンボルの精神的作用によるもので、ジンボルはシンプルで根源的であればあるほど、
心の奥の方から、原初的パワーをまとって立ち上がってくる。
たとえば亀は宇宙の開闢の土台であり、大地を支える力という元型的意味を持つ。
浦島太郎の海亀は、竜宮が常世(とこよ)や観音浄土の補陀落(ふだらく)へと
意味を拡大していくにつれて、より根源的パワー世界からの使者となる。
この特大エレスチャルは19.9kg、高さ約40cm、¥750,000。大きくて重い。
たとえば新興宗教の教祖みたいな人で、これのパワーを読むことができるなら、
教団を支えるパワーの土台として惚れこんでしまうに違いない。5-2-2 0144
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/21−30 2020   09:52
四川省産水晶
★ 4/21<過ぎてゆく日々のこと> 
ひとつの思いに囚われてしまうと、なかなかそこから抜け出せない。
思いが恐怖心に染められるとパニックになる。牧神パンのような賢者ですら、
この病気にかかるとわれを忘れて暴走してしまう。だからパンの病い(パニック)。
インドでは大都市に出稼ぎしていた人たちが働き口を失い、
大挙して故郷に帰ろうとしている様子をテレビでみた。
交通網が麻痺しているので、何百キロもの距離を歩いて帰るのだという。
イタリアの病院の廊下にコロナウイルスの感染者がすし詰めになっている映像と同じほどの
ショックを受けた。 こういう状況では石ヤは天然石製品を買ってくださいと言えなくなってしまう。
本当はこういうときにこそマインドケアが必要なんだけれど、
精神世界的なことどもを書き並べてもむなしく響くだけだろう。計画していたセールをとりやめた。
世界が元気を回復できるよう願っている。パニックのもとでは自分は冷静なつもりでいても、
あとで振り返ると狂気だあったことがわかる。


★ 4/29<石を見る> 
水晶や翡翠を見る。石がただの石ではなくなる。
石がほほ笑んでいたり、こことは違う別の世界が誘っていることがわかる。
こうした体験は意識が日常的状態からずれることで起きる。そこでは自分の内側に満ちる。
自分自身にイエスと言える。意識の変性は呼吸法によって学ぶことができる。
深くゆっくりした呼吸は血液中の炭酸ガス濃度を高めるという。
身体はヘモグロビンの活動を高めようとする。そうやって脳も活動性を高める。
意識は日常性とは異なる状態に移行する。自分の内側が満ちる。
そういう体験を積むことで疫病パニックがおわったあとの、
社会と自分とのスタンスが決まると思っている。
(写真はストロベリークォーツ風水晶、四川省美姑産)4-20-4


★ 4/30<過ぎてゆく日々のこと> 
外出するなといわれても、狭い住まいに家族と角付き合わせて過ごすのは堪え難い。
自分のように対人距離が長い種族にはなおさらだ。
アパートにひとりで籠城しなくてはならない孤独にも癒しがたいものがある。
若かったころ、東京都郊外の過疎の村に古い農家を借りて、ひとり暮らししていたことがある。
お金がなくなると町にでて、アルバイトして日銭を稼ぐ。そんな日々だった。
3日間もひとりきりで過ごすと、知らず知らずに独り言していた。
人はひとりでは暮らせない。
長期の外出自粛もひとりひとりに、その人なりの対処法があるんだろう。
もしそういうことに思い至るのであれば、30分ほど時間を捨てる気持ちで、石たちを眺めて、
石たちの言葉に耳を傾けたり、石のなかにひろがる世界に目を向けていだけたらと思う。
手元の石たちは無駄ではない。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/13−19 2020 09:49
姫川白玉
★ 4/13<過ぎてゆく日々のこと> 
用水路伝いの遊歩道を20分あまり散歩して、駅前のスーパーでパンを選び、
輸入食品屋でお菓子をリュックにいっぱい買ってきた。
スタバもカメラ屋も百均も閉まっていた。百均のお菓子の在庫やユニクロの初夏物の衣料のストックは
どうなるんだろうと心配した。これからこういう状態が短くても3週間つづく。
みんなが自分のマインドケアを考えなくてはいけない。
家族のことがうとましく、腹立たしく、うるさく、許せなく感じられるようなら、
それは配偶者や子供のせいではなくてストレスのせい。
公園などに散歩にでかけて新緑をめでる。おいしそうなお菓子を買ってくる。
天然石コレクションを整理する。などストレスケアを考える。
ストレス管理は免疫力の強化にも役立つ。
日本翡翠30mm丸玉などを撮影した。近日中にホームページに掲載予定。4-20-1


★ 4/15<過ぎてゆく日々のこと>(昨日のつづき) 
古墳風味の丘陵は新緑でにぎわっている。きょうはもう山桜の木の見分けも付かない。
ストレスケアには大別して3つの分野がある。第一の分野は世俗な人たちの方法で、
ジョギング、ストレッチ、体操ヨーガ、ひとりタロット、ネットでのチャット、などなど。
書けといわれれば百と八つの記事を書けても、自分の分野ではない。
第二の分野は精神世界ファンのためのもので、筆頭が呼吸法と瞑想。
これにも百と八つか、それ以上の方法がある。成果は大きくても実行する人はあまりいない。
天然石にからめていえば、水晶は浄化、赤い石は情熱の培養というように、
天然石のパワー効果が意味するところを石を前に深く思いやるのも、
ストレスケアになる。百と八つの気付きをえられることだろう。
第三の分野を歩いて行きたいと願う人は、精神世界ファンのなかでもきわめて少ない。
瞑想などを手段にスピリチュアルな領域へ降りていく。
向こう側の旅人になることで、ここには自己の再生、再誕がある。
ここで得られるマインドケアは世俗な人たちには想像できないし、
近寄ることもできないほど凄くて美しい。人生の本当の実りはここにしかない。
(写真は姫川白玉・はくぎょくギョロメ勾玉) 4-20-1 462


★ 4/19<過ぎてゆく日々のこと> 
世の中が停滞すると、それにつられて意欲がなえてしまう。
凡庸で退屈な人間になってしまいやすい。
良寛や宮沢賢治に思いをはせる、
万葉集の歌人たちを心によびさまして、自分を調整するよう試みる。
良寛は胸の奥に瞑想空間をもっていて、そこへ降りていっては美しい歌をくみ出してきた。
宮沢賢治はアニミズムな人だった。野山にでて風にうたれたり、山並みを望遠するだけで、
目にするものすべてにパワー(霊)が宿っていることを見てとれた。
『宮沢賢治と天然石』(北出幸男、青弓社、2010)という本を作って以降、
彼には特別な思いいれがある。
良寛とは賢治以後に出会った。いまでは良寛は旧知の人のようで自分の内側に住んでいる。
昨日の雨とはうって変わって今日は雲ひとつない快晴。
丘陵の稜線は鋭く、新緑は盛りあがって、むこうとこちらで緑色の炎をあげている。
(凡庸さは表面的な生き方の問題ではない)4-20-2
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/06-13 2020 10:39
日本翡翠三日月
★ 4/06<過ぎてゆく日々のこと> 
ひとり暮らしは寂しい時には本気で寂しい。
そうでなければ、自分のことをひとつひとつ他人に説明しなくてもいい気軽さがある。
どこにモノを置こうと干渉されないし、掃除しようとしまいと問題が生じない。
独身生活か家庭を持つか、どちらを選ぶかはその人しだいだが、今回の疫病騒動で、
夫婦子供が毎日毎日、いっしょに閉じこもっていなければならない窮屈さが、
ストレスになっている人も多いと想像している。
同じ問題は夫が定年退職して、四六時中、在宅するようになった家庭にもある。
妻も子供も他人なんだから、たえず他人の気配がする場所にいることが苦痛になる。
そういう性向の人がいる。対人距離が長い人たち。
「他人といっしょにいることがストレスなんだ」と気付くことが大事で、
自分なりの解決法を作っていかなくちゃならない。
イライラするからといって家族を憎まないほうがいいに決まっている。


★ 4/08<過ぎてゆく日々のこと> 
新型コロナウイルスの感染パニックで、不要不急の外出をひかえろと、
テレビで繰り返し放映されている。
政治家たちの自己アピールが見え隠れしていやらしい側面もある。
こんなふうでは町中(まちなか)やショッピングセンターの石ヤに
天然石製品を買いに行く人はいないだろう。
気持ちが内側に沈んでしまうと、ネットでの不要不急のショッピング意欲も薄れてしまう。
仕方がないことだと思うより仕様がない。そんなふうでここ数日は、
サンダルをつっかけて倉庫にいって、「美人生霊アイス」の原稿書きをつづけている。
光ののどかな春の日には近くの公園や林に散歩に行って、
マスクを外して深呼吸するのも気晴らしになるだろうし、草が笑うのに気付けるだろう。
近くに人がいなければウイルスも空中浮遊していない。
人は長く生きているといろいろなことを経験せざるを得ないんだから、これもまた、仕方がない。
失った損失は取り戻すのが大変であっても、やっぱり仕方がない。
疫病は必ず沈静するから その日に備えて企画を蓄えるのが賢明かと思ったりする。
3-20-1 367(ハイパワーな美姑クリスタル) 


★ 4/13<過ぎてゆく日々のこと> 
マスクをしていないと犯罪を犯しているようでスーパーマーケットにも行きづらい。
自宅近所の倉庫帰りにスーパーマーケットに寄ろうとした。
バッグにマスクが入ってないことに気付いて寄らないで帰ってきた。
用水路沿いの遊歩道を歩いて、来店者のまばらな店に行くだけだからさほどの感染リスクはない。
それにスーパーマーケットといっても郊外型の大規模店とは桁違い、コンビニに毛が生えた程度で、
昼間のレジは2台しかない。それでも今となっては、マスクなしで行きづらい。
情報や概念の伝達力をマインドウイルスとよんで、伝達していく素子を「ミーム」という。
何をもって社会的に正しいとするかの価値判断は、言葉を媒介に伝染していき、
ある程度の合意に達すると、「真実」になってしまう。
いったん形成された「真実」は熱意をもって支持されて、真偽を問われなくなる。
「真実・事実」は相対的な評価があるだけで実体はない。
コロナウイルスも怖いけれどマインドウイルスも怖い。
テレビやネットのニュースは与えられる一方で、真偽を確かめようがない。
これらはみんな演出されたもので、マインドウイルス含みだということを忘れてはいけない。
(日本翡翠三日月ペンダント、明るく元気な毎日をおくれる)
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一年に一度花たちの宴に精霊が集う 09:58
桃の花
★ 4/10<みんな元気> 
桃の花の定点観測。山の家の近所、年中留守の家の桃の花が今年も満開。
桃の花の艶やかさは憂いを大掃除してくれる。
来年も桃の花が見られるのなら、この世はそんなに悪いところではないという気分になる。
無人の家の庭に龍の気配がたちのぼり、ひとしきり桃の枝をゆらしたあと天に昇っていった。


河津桜
★ 4/10<みんな元気> 
もうひとつの定点観測、うちの庭の河津桜。開花してから途中に雪の日があったせいなのか、
花が散るのが遅れ、若葉が育って、夢かと思うほどに美しい。
日差しを透かす花から花へ、3センチ弱の幼児が10体ほど、飛び跳ね、飛び回り、
キャッキャッ、キャッキャッと笑いさんざめいていた。 081


もくれん
★ 4/10<みんな元気> 
さらにもうひとつの定点観測、近所のモクレンが満開でこんなに嬉しいことはない。
2年前ほどの雪で幹が大幅に損傷した。それでもめげずに咲いてくれてほんとうにありがたい。
夜の間にひとつひとつ、またひとつ、
空からクロアゲハほどに大きな白いチョウが降りてきて枯れ枝にとまる。
一夜明けたらそれらがみんな純白のモクレンの花になっていた。あるうることだ。051 049 071


みつばつつじ
★ 4/10<みんな元気> 
さらにもうひとつの定点観測、
ミツバツツジもきれいだと言っておかないと片手落ちというものだ。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/01-04 2020 10:31
ヒマラヤスイショウ
★ 4/01<過ぎてゆく日々のこと> 
きょうは終日雨模様。コンクリートのアパートの5階の窓から見る丘陵は小雨にけむっている。
常緑樹の暗い葉影、新緑が萌えでたばかりの落葉樹、薄紅色の花の塊となっている山桜、
どれもこれもが掏りガラスの衝立ごしにに見るように、乳白色のもやにかすんでいる。
ずーっと机の前に座ってキーボートを叩いているのは気が滅入りそうだからと、
つい先程から写真ストックの水晶を見ている。
彼らが日差しの下でキランキランしていたことを思い出す。
それは氷の塊のようだが精気がまるで違う。
3万年過去に戻って人気のない河原で、水晶に遭遇したぼくらのご先祖も、
そんなふうに感嘆したことだろう。彼らはせつないほどに美しい。
雨の中を近所のスーパーマーケットまで散歩に行こうかと思い始めている。261 3-20-1 549


★ 4/02<過ぎてゆく日々のこと> 
山桜の花弁が風に吹かれて散ってゆく。シジミチョウの群れが舞っているように見える。
強い風がふくと花弁は紙礫さながらに直線に走る。新緑は日増しに色濃くなっていく。
今年の冬は区切りなく終わってしまったようなところがあって、
春への心構えもできないうちに梅の花が咲き、近所の公園へ桜の花見にでかけた。
そういう春の初めの行事も終わっていく。世の中はコロナパニックで毎日がすざましい。
東京都の人口は1400万、そのなかでコロナウイルスの罹患者は600名ほど。
重症になるのは2割ほどで、死亡率は2%(この数値の信頼度は定かではない)。
虎の穴に入るような真似をしなければ、ヒットされる確立は宝くじにあたるのより小さい。
それでも宝くじは当たるかもしれないと期待して買う。
同じことで急性悪性肺炎で死ぬかもしれないと思うと、心穏やかでいられなくなる。
おまけに感染してしまうと、とてもたくさんの医療関係者の負担になる。
石たちを眺めて気持ちをやわらげることにしよう。


★ 4/04<過ぎてゆく日々のこと> 
まるで禁煙を誓った煙草店の主人のように、あるいは断酒を決意した酒屋のおかみさんのように、
空前前後の決意を胸にリビングの掃除をした。
山の家では男ヤモメ同然なのをいいことに、居間などは鉱物標本や平積した本が散乱して、
瓦礫が行く手を阻み、石クズが舞いちる荒野となっていた。
不要の文庫をボール箱に詰め、原石標本のたぐいは倉庫に運び、ていねいに掃除機をかけた。
そうやって午後がまるごと過ぎていった。
床はホテルのスイートルームさながらに新品同様の気配に満ちた。
これで明日死んでしまうとしたら、大きな無駄と思ったことだった。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 3/26-27 2020 10:10
河津桜
★ 3/26<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家に着いたら庭の河津桜が満開だった。
「花見」って花たちが笑っているのを見て、自分の心も笑みで満たすってこと。
桜の花におぼれると、ピッカピカの1年生という言葉が浮かんできてこまった。


★ 3/26<過ぎてゆく日々のこと>  
ホギャアホギャアと赤子が泣くようにカラスが鳴いている。
5階の窓からだと電柱の上で鳴くカラスを見下ろせる。
カラスは両足を支点に力をたわめるように俯き、
それから上体をあげ、嘴を天に突き出して、赤子の泣き声をあげる。
ヨーガ行者のカラスか、と思ってみていると
魚雷のような黒い身体と漆黒の翼が色あせて銀色へと変身していった。
やがてそれは銀色の砲弾になり、銀色の翼を上下させて飛んでいった。


★ 3/26<過ぎてゆく日々のこと>(カラスのつづき) 
アメリカ南西部の旅行途中でタオスプエブロという先住民インディアンのお祭りにでくわした。
屋台のおばさんから、どこのトライブだい? って訊かれてすっかり気をよくして、
ぼくはトキョー・インディアンになった。
シルバー・クローって名前もつけた。あまりに昔のことですっかり忘れていた。


★ 3/27<過ぎてゆく日々のこと> 
新型コロナウイルス騒動ですっかり無視されているけれど、
今の季節、風邪をひいたり、インフルエンザを患っている人もいるだろう
。同じ環境にいて風邪をひく人とひかない人の違いはどこにあるのか、いつも不思議に思っている。
性別や年齢、体型、体調、健康度、病歴、免疫度などなどが同程度であっても、
風邪をひく人とひかない人がいて、ひかない人は来年もひかないというわけではない。
病気になる要因というのはウイルスや細菌のせいばかりでない、
どこに主要な原因があるのか、ちょっと首をつっこむと、
あまりのカオスにたじたじとなって、病気になってしまいそうな気分になる。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ。雪が降っている 3/29 2020 13:04
水晶クラスタ
★ 3/29<過ぎてゆく日々のこと>  
雪が降っている。清めの雪。足止めの雪。
どこかで坊さんが珊瑚のカンザシを胸に、出かけたいのに出かけられず、
草鞋(わらじ、草履かも)をはいたり脱いだりしている。
坊さんが見上げる空の下、杉の枝に止まったカラスの背にも雪が降る。とても静かだ。
江戸時代の珊瑚は中国からの輸入品で、原産地はイタリア、シルクロードを運ばれてきた。
中華な人たちは周囲をみくだして倭だの夷だのとよんだ。
西方の蛮人は胡だった。だから珊瑚は胡渡りという。
えらそぶって書くようなことではないけれど、胡座 (あぐら)・胡椒(こしょう)・
胡瓜(きゅうり)も胡渡りだった。(水晶クラスターは邪気を祓う)


水晶クラスタ
★ 3/29<過ぎてゆく日々のこと>  
雪が降っている。脳は類似の風景を記憶のなかに探る。
過去にひたったところでばかっぽいだけだからやめにする。
すると脳はもう少し古い記憶を持ちだす。
2つ3つあるいは10代ほど昔の前世。そこでも雪が降っている。
ぼくは罠で捕らえたウサギを手に雪原を歩いて彼女を訪ねる。
そうでなければどこかの星のドームシティにいて、ドームの外のブリザードを見やっている。 
(水晶クラスタは家を清める)
 

水晶クラスタ
★ 3/29<過ぎてゆく日々のこと>  
雪が降っている。3月も終わるというのに真冬の雪が降り積もっている。
近所に借りてある倉庫アパートまで5分とかからない距離だけれど、
外に出るのが嫌で、窓を手指の幅ほどあけて雪を見ている。
きれいな雪。まっしろな雪。
カルサイトやアラゴナイトに似た白い小さな塊が、際限なく、次から次へと降ってくる。
いろいろな記憶が頭をもたげる。それをひとつひとつ潰して雪を見ている。
自分が白い鉱物になったようだ。(水晶クラスタは心を癒す)


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