| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/11−15 2018 10:19
ヘキ
★4/11<過ぎてゆく日々のこと> 
山の家の裏山を見上げると、初夏のような陽気のもとで緑の熾火がバチバチと燃えていた。
息を呑んで見入って、こんなに美しい新緑は見たことがないと思った。
スカイラインが白く輝き雲のない空はいよいよ青かった。
空からパワーがにじみ出てくる気配に、完璧の「璧・ヘキ」は天空への通路だけではなく、
天のパワーが地へと降りてくる通路でもあることに気付いた。
シヴァ神はリンガヨニの図象に象徴される。
男性性と女性性・精神原理と物質原理の合一を表わしていて、
リンガヨニがあるところそれその位置が宇宙の中心になる。
璧もまたどこにあっても宇宙の中心の孔となり、パワーは璧を中継機に地に降り、人に宿る。
シヴァ神が三日月に蓄える神酒ソーマが霧となって大地を覆うように
孔から漏れでたパワーは極微の電磁波となって皮膚から内側に入ってくる。 3-18-2


光明のヤントラ
★4/13<気になる話> 
ヤントラついでにこれは光明のヤントラ。
パワーが燃える、パワーの位相があがって活動性を高めるとき光があらわれる。
禅は悟り体験がどのようなものであるかを明示しない。
弟子が師匠にこういう体験をしましたと報告する。
師匠が吟味して悟りと認めるなら認可されて、その師匠の系譜につながることになる。
けれど師匠が悟りを知らないと認可は形式的なものになっていく。
明治時代以降の風習のように父親が息子に寺院を継がせるようになると、
悟りよりも寺院経営のほうが重要になっていく場合もある。これはもうブッダの教えではない。
ヒンドゥー・タントリズムでは、身体が黄金の光で焼かれるような光明体験を悟りと結び付けてきた。
光明を見る練習をすれば、裏山で青竹が割れたり、深夜に水鳥が飛び立つなど、
予期せぬ衝撃に身体が打たれた瞬間、突然の光輝が身体を焼くというような体験が得られる。
そういうふうに語られてきた。


究極の実在のヤントラ
★4/15<過ぎてゆく日々のこと> 
ラブ・ディボーション・サレンダーと書いたって、古い話なのでうなづく人はひとりふたりしかいない。
サンタナやピンクフロイドが全盛だったころマハビシュヌオーケストラというロックグループがいて、
彼らの曲のひとつがこれだった。いまでも耳を澄ますと彼らの声が聞こえてくる。
「愛・献身・降伏」はインド人ならみんなが知っている、
神に対する気持ちの持ち方を象徴した言葉。
バクティヨーガといって神のもとで自己放棄して、なにもかもお任せする行法のスローガンでもある。
あれやこれやを理屈づけして自己を正当化したがる自我を捨てる、自分をとことん神にゆだねる。
そうすれば神と合一できる。
石たちを見るのに、わずかの片鱗でいいからラブ・ディボーション・サレンダーの気持ちになる。
見えない力の大きな意図が石にも宿っている。そういうのがそこはかとなくわかるようになると、
石たちは目覚め、生き生きと脈打つようになる。
ヨーガの思想では「愛・献身・降伏」の彼方に「サット・チット・アナンダ 
(純粋意識・究極の実在・歓喜)がある。
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kitade.stonesbazar.lolipop.jp/trackback/1233360
<< NEW | TOP | OLD>>