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小さいのや大きいのたくさんの神さまがいた時代 08:40
スモーキークォーツ
<読書記録> 
『ヴォイス 西のはての年代記供戞淵襦瓮哀Εン、谷垣暁美訳、河出書房新社、2007)を読了。
架空の大陸の西の果て地方の南のほうにアンサルという町があって、
そこにメマーという少女が住んでいる。
『西のはての年代記』第1巻から20年ほど経っていて、
第一巻の主人公だったオレックとダライがこの町を訪ねてメマーと出会う。
物語はのっけからおもしろく、ページを繰るごとにさらにおもしろくなっていった。
良寛の歌に好物のザクロを食べる歌がある。
もらいもののザクロを最初は指でほぐして一粒づつ食べる。
そのうちかぶりつき、あとは夢中で平らげる。そんなふうだった。
著者にはメマーが暮らす館や、館のあちこちにいる小さな神々、
日本風にいうなら竈や井戸や敷居の神々や、アンサルという町の繁華街などなど、
自分で思い描いた風景がみんな見えているらしい。驚きつつ本を置いた。


<過ぎてゆく日々のこと> 
子供だったころ家の中や近所には小さいのや大きいのや威張ったのや静かなのや、
たくさんの神様がいた。
井戸や竈には小さな神様がいてけがすようなことをしてはいけなかった。
敷居の神様は踏まれることが嫌いだった。
家の裏てには10畳ほどの境内を持った社(やしろ)があり、近くの辻にも地蔵を祀る祠があった。
社では年に1度か2度、夜通しかがり火を焚いて神事がおこなわれた。
お地蔵さん近くの家では老婆が集って御詠歌をうたった。
家から5分も歩けば大きな石の鳥居のあるお寺があって立派な鐘突き堂があった。
鳥居は寺院に併設された神社のものだったけれど、子供心には鳥居はお寺の門と思いこんでいた。
大人になって、たくさんの神様が町なかにいて人々と共存している風景にネパールで出会った。
夕暮れにはバターランプと線香がまざりあった匂いが路地をみたし、
祠の入り口の鐘が鳴らされつづけた。
同じような風景がル=グウィンの『ヴォイス・西のはての年代記供戮砲鷲舛れていて
心の故郷に戻ったような気持ちがした。


<読書記録> 
『パワー 西のはての年代記掘戞淵襦瓮哀Εン、谷垣暁美訳、河出書房新社、2008) 
一日のうちの長い時間を、病人のように布団にあお向けに寝て本書を読んですごした。
平均的な四六版2冊分ほどに厚い本だった。
架空の大陸の西のはずれ、南のほうで語り手は幼児のころ姉とともにさらわれて、
北と南の中間あたりの国に奴隷として売られて育つ。
姉が支配者の息子に殺されてしまい、自己喪失した語り手は意図せずに逃亡奴隷になる。
ここまでが物語の半分くらいで、ここから本書は手放しがたくなる。
昔からSFには定型化した褒め言葉がある。
本書を読めたのは大きな幸福であり、本書を読んでしまったのは大きな不幸だ。
とそういうシリーズだった。
ひとつの文化圏、大陸、惑星、あるいは星系などを想像して、
サファリパークで動物を放し飼いするように登場人物を置く。そうやって物語が進んでいく。
ル=グウィン(1929-2018)のような作家には特殊な映像記憶能力・ピクチャーメモリーがあるんだろう。
語られる世界はとてもリアルだ。
ファンタジーとミステリー、空想と現実、という分類法があるし、
小説は架空の話だから読まないという人もいる。
現実が自分の脳によって認知・再構成された世界である以上、
現実もまた夢想だということに気付くのは難しいかもしれない。
(エレスチャルやスモーキーに眼をむけると別の土地に入っていける)017/3
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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