| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ    7/13−21 2018 10:25
ヤマユリ
★7/13<過ぎてゆく日々のこと> 
いまは夕暮れ時、コンクリートのアパートの窓の向こうの丘陵が黒々とした碧玉色に変わり、
ヒグラシが鳴いている。昨日までの数日間は遠慮ぶかげだった。
なのにきょうはわが世の到来とばかりのセミ時雨れ。
幼かったころ、母の実家の墓参りにはヒグラシが四方八方ワンワンと鳴きちらす竹林を抜けていった。
だからヒグラシは弔いのセミと思いこんでいる。
夕方のわびしさのなかで鳴くということもあるんだろう。
誰であろうと人は必ず死ぬ。死に際がどうであろうと死ぬことに変わりはない。
死んでしまったならばくっきりと死にきって、どこか違う世界で新しい人生を始めるのがいい。
そんなふうに思ってきた。
考えてみると、子供のころから死ぬことの不思議さに魅せられてきたような気もする。
仕事をしたり遊んだり、そうした日常的な行為は生きている時間に属している。
それに対して本当に美しいものや、超絶的に甘美なものや、
神秘的なことどもは死の領域に属している。


アナグマ
★7/18<過ぎてゆく日々のこと> 
庭で日本翡翠の原石を撮影していた。強い日差しにあぶられたちまちにTシャツが汗に濡れる。
フライパンで焼かれるハッシュドポテトの心境だがやむを得ない。
直射日光のもとでは写真のコントラストが強くなりすぎる。
日陰(ひかげ)では青くかぶってしまいやすい。
ほどよい日陰を探し、重い原石をかかえて右往左往せざるをえない。
朝の時間が過ぎるにしたがって身体に疲労が蓄積されていく。
手にした原石を投げ出したい、もう休みたい、と思ったそのときだった。
庭の外れの獣道にタヌキほどの獣の背が動いた。急いでカメラを望遠にした。
待つ時間もなくストッカーの横から、狸にしては鼻の長い獣が顔をだした。
ハクビシンであるらしかった。
愛想のない奴で、二度目のシャッターを押す時間もないまま、素通りしていった。
コンニチワぐらい言えばオイルサーデンの缶を開けてやったものを。
(あとでアナグマだと教わった)


モリアオガエル
★7/21<過ぎてゆく日々のこと> 
岩を伝うつる草にモリアオガエルのフィギュアを置くと、まるで生きているかのように見える。
庭の水道の汚水溜まりに、梅雨の季節になるとモリアオガエルが卵を産みにやってくる。
なのに今年は淡雪に似た卵塊を見かけなかった。
汚水溜まりは土中に甕(かめ)が埋めてある。それが割れて、溜られる水量が半分ほどに減ってしまった。
それでカエルに見放されたらしい。
カエルファンではあるけれど、モリアオガエルもカジカも姿を見たことがない。
ズボラでなまけものの山のファンには、自然の営みがただただ不思議に見える。
夏の到来を告げるホトトギスはどこかへ行ってしまった。昨夜は遠くでフクロウが鳴いていた。

| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kitade.stonesbazar.lolipop.jp/trackback/1233413
<< NEW | TOP | OLD>>