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弥生時代の呪術に勾玉文化の背景をよむ(1) 10:36
勾玉ネックレス
<勾玉と弥生時代の呪術・1> 
修験道は弥生から古墳時代を通じての原始的神道に、道教や新来の仏教が混交して生まれた。
元祖に祭り上げられている役行者(えんのぎょうじゃ)は聖徳太子より少しあとの時代の人だが、
仙人のような衣装を着た姿で彫像されている。
仏教的な用語を全部外して修験道をみると、
難行苦行は世界各地のシャーマンの通過儀礼と同質のものであることがわかる。
人類は精神的な歴史のどこかで、祖霊たちが暮らす向こう側世界からの言葉による助言を
必要とするようになった。仲介者が必要になり、
シャーマン(呪術師)という特殊な能力者が養成されていった。
シャーマンとなって向こう側へ旅したり、祖霊たちと交わり、
託宣をえるためにはこちら側の日常的意識を遠離して、向こう側へと自分を開いていかなくてはならない。
そのために必要となったのが難行苦行だった。
修験の荒行は発端を弥生時代の呪術師たちの通過儀礼にさかのぼることができる。
勾玉を商っている自分としては、弥生時代のご先祖たち、勾玉を祖霊の宿りとみて、
最高の神具として愛玩した人たちの精神世界に近寄れたらと願っている。7-18-6(水晶勾玉ネックレス)


<勾玉と弥生時代の呪術・2> 
教科書的古代史では縄文・弥生時代を原始人のごとくに扱う。
出土品の写真を見せてあの野蛮人たちにこんな技術があったと驚き、
なんらかの宗教的儀式があったもようだなどと解説する。
無知蒙昧さは現代人の古代観にある。
水田稲作は紀元前500年頃九州に伝来したとされてきた。
最近の学説では紀元前1000年とさらに古くなっている。
紀元前1000年は中国大陸では「周」の時代、老子が政治の理想とした時代だ。
紀元前500年前は西周が滅びて、春秋戦国時代の真っ直中。
黄河中流域では漢字を使いこなせていたし鉄器も普及しはじめていた。
こういう時代に中国大陸沿岸部や朝鮮半島の住民の一部が稲籾をたずさえて、
一族とか村落単位で列島に移住してきた。
彼らは漁労や交易に重きをおく海洋民族(海人)だったようで、内陸の農耕民が主流だったわけではない。
日本への水田稲作の伝来は幼稚な原始農業だったわけでもない。
大陸で稲作が開始されてからそれまでに5千年間ほど経っている。
大陸由来のシャーマニズムもまた、稲作といっしょに渡ってきて、原初の神道へと育っていった。
これが修験道に温存されているようにみえる。


| 日本翡翠情報センター | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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