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弥生の呪術に勾玉文化の背景を読む(9) 22-24  12:26
水晶クラスター
<勾玉と弥生時代・22> 
日本最古の文献、『古事記』と『日本書紀』は成立過程がどのようであれ、
奈良時代の官僚たち(多くは帰化人と子孫だった)によって描かれた昔々の物語で、
たとえそのような出来事があったにしろ、奈良時代の感性で脚色されているし、
諸々の出来事も誠実に年代に合わせてあるとは限らない。
ここでは勾玉が何であったか忘れられている。銅鐸にいたっては一言の言及もない。
それでも弥生時代を想像するにはこれしか頼りに出来る文献はない。
鹿の肩甲骨を焼いて占う太占(ふとまに)は、アマテラスの岩戸隠れに登場するが、
何を占ったのか、どの神にお伺いをたてたのか記されていない。
卜骨は東北アジアから朝鮮半島を経由して伝わった。


<勾玉と弥生時代・23> 
弥生時代からつづく信仰で、いまも私たちの心の深層にどっしりと根を下ろしているものに
骨への信仰がある。宗教を信じないという人でも、身内が亡くなれば葬式をだす。
高温で焼却した遺骨に霊や魂など宿りようがないのに(重視すべきは骨髄だから)、
大切に扱って墓におさめる。墓参りしてあたかも死者がそこに眠っているかのように語りかける。
こうした感性は、旧石器時代に形成されたもので、
弥生人はそれを水田稲作とともに大陸から運んできた。
大陸では魂(たましい)を魂魄(こんぱく)の2種類にわけた。
死後には魂(こん)は昇天したり常世に去る。魄(はく)は骨に宿って地上にとどまる。
子孫の願いは魄を介して魂に届けられる、そんなふうに考えられるようになった。
弥生時代以降、墓に祭られたのは酋長や族長、首長や武人、呪術師など
パワーの強い人たちだけではなかっただろうか。
彼らは祖霊となって子孫を保護するよう期待されたし、
ちょっとしたことで怒って子孫にたたらないよう恐れられた。
骨に精が宿るという信仰は道教やヨーガの禁欲主義を助けた。
骨髄から精液が作られるという考えがあって、
射精を抑制するならパワーのもとである骨髄の浪費を防げるとしたし、
骨髄の純化は霊的身体の純化を意味した。


<勾玉と弥生時代・24> 
日本人はいつ「神」と遭遇したかを考えている。
キリスト教の創造主を明治の学者が「神」と訳して以来私たちの神概念は混乱したままだが、
一神教の創造主と多神教やシャーマニズムの神は似てもに似つかない。
シャーマニズム的な感性では人は死後に霊となる。
霊は3代4代と子孫が移ると純化されて祖霊になる。祖霊がさらに純化されると「神」になる。
神はシャーマニズムが整備され多神教になる途上で編みだされた。
『封神演義』という古代中国の殷・周を舞台にした超おもしろい物語を参考に考えると、
神になったのは祖霊だけではなかった。
現世で人並み外れた能力を発揮した為政者・英雄は死ぬとただちに神になった。
年を経た巌(巨岩)や樹木の精霊や、「気」が満ちた土地に暮らして老いもせずに
数百歳の年齢を経た狐・狸・猿・猪の類いも神になって、神界が形成されていった。
神々は人間思いで慈悲深い存在ではなかった。
仏教が母の愛を数万倍したよりも甘い「仏の慈愛」という概念を広める前までは、
神々はすぐに怒ったし祟りの鉄鎚をくだした。怒りをなだめるために多大の貢を要求した。
そういう神を弥生人は水田稲作とともに運んできた。
(水晶は弥生人にとっても霊石だった)
| 日本翡翠情報センター | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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