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■<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ・ 玄太の父との会話   08:32
フローライト
★ 4/06<玄太の父との会話>(ちょっと長いけれど大事なことだから)
あるとき玄太の父がぼくにいう。毎日をむなしく過ごしている人は少なくない、と。
このインタビューは高尾駅南口のモスバーガーでなされた。
昨日も今日も同じような日々がつづくと、生きていることに飽きてしまう。問題はそこにある。
飽食と倦怠、惰性ゆえの怠惰さが身体につきまとうようになる。
ぬけだすのは難しく、目先の新しさを追いかけてもすぐぶりかえしてくる。
心の奥のほうで諦めが育っていく。生命が浪費される。
やがてそうとは気付かぬままに静かな絶望を受け入れる。
日々の営みに流されてしまわないためには、知識を学ぶこと、経験を深める、技を磨く、
思索することが大事と教えられる。趣味に生きがいを見つける人も多い。
けれどそれだけでは不十分。精神世界的には大きな存在へと自分を開いていくことが肝要で、
それによって自我を深める、自分を超えていく、ということがわかる。
新しい自分をみることができる。生きていることのリアリティに触れられる。
たとえば木に向かう。木を感じる、木といっしょになる。
その感じがつかめれば、山といっしょになれる。大空といっしょになれる。
そうやってそこにある大きな力と出会える。 
人間たちの宗教はこの大きな力を人格化して名前をつけ、
もろもろの事象同様、自分と対立する存在としてきた。けれど対立すると相手は遠のいてしまう。
対立しないでひとつになることで、魂の充足とか、日々の営みに流されない術(すべ)がわかる。
この大きな力は感じることが難しいなら、想像することでそこに近付ける。
(高尾駅はJR中央線を新宿から40分あまり甲府方面へ向かったところにある)


★ 4/06<続・玄太の父との会話> 
大きな力、大きな存在と出会う。
この問題はたとえば心理学ではトランスパーソナルの重要テーマとなっている。
その幾らかを拙著『宮沢賢治と天然石』(北出幸男、青弓社、2010)では扱った。
石を見て見入って魅入ることで向こう側に触れられると。
大きな存在と出会うことで自分を超えていく方法があることを発見する。
あるいは人生を浪費してしまわない生き方、自分を閉じてしまわない日々の過ごしかたを見つける。
今日の社会では、僧侶や神職者たちからはこれらのことを学びようがない。
心身医療の従事者たちの多くは変性意識がいかなるものかを理解できていない。
いかに生きるかは、いかに死ぬかということでもあるので、
末期医療や老人介護においてトランスパーソナルな視点はとても重要だ。
個人的な願望としては、ヒーラーや占い師といった人たちが、神秘について学び、
精神世界の新しい指導者となるよう願っている。
たとえば易やタロットは向こう側とこちら側との関連性を解く技法だった。
4-19-2
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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