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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 4/01-08 18:37
フローライト
★ 4/08<続・玄太の父との会話> 
実りのない人生について、クリシュナムルティの言葉を探してきた。
たとえばガンジーは晩年には夜毎に美人の看護婦と添い寝したといわれている。
性交渉はなく禁欲主義を破ったわけではないという。
それに似たスキャンダルがクリシュナムルティについてもある。
ひとまずそれらを棚上げして、彼は人類の教師だった。彼の『最後の日記』には以下のようにある。
「年とった男や女を見るがよい。なんと老衰し、迷い、不幸で醜くみえることか。
それは生のことも死のことも実際には何も理解しなかったからではないのか? 
彼らは生を使いきり、自己、「わたし」、自我を育て、それに力を添えるだけの絶えまない葛藤によって、
自分たちの生を浪費しきるのである。時には歓びや楽しみもあるが、われわれは酒を飲んだり、
煙草をすったり、夜更かしをしたり、仕事、仕事、仕事で、さまざまな葛藤と不幸せの中に毎日を過ごす。
そして一生の終りに死と呼ばれるものに対面し、それを恐れるのである。
死は常に理解しうるし、深く感じ取れるものだと思う。」p-196
(中国産フローライト原石、88mm、563g)4-19-2 776



貝化石
★ 4/01<過ぎてゆく日々のこと> 
集合写真シリーズをはじめたらたくさんの話題が目白押し。
倉庫からサムネールボックス・サイズの鉱物標本を持ってきて、逆光ぎみの窓辺にザラザラとあける。
カメラを近付けるだけで、まあまあ様になる。ここでのテーマは石ヤの職業内容に興味がある人や、
これから天然石とかかわっていきたい人たちになにがしか役立てばいいと思っている。
石ヤの友人の弁によると、石ヤには天然石を商品としてしかみない人たちと、
石を愛して夢中になれる人との2種類いるという。
この友人は前者の人たちとはかかわらないといっていた。
けれど後者の人たちはそのままだとオタクの人生になってしまう。
オタクが悪いわけではないけれど、自分は自我の枠を超えた向こうをみたい。
どんな商売・職業だって、たぶんその奥には哲学がある。
石ヤも哲学風視座のない人は退屈で、あんまりお話することもない。
たまに話の合う人に出会う。同じメンタリティだ、と喜びあう。滅多にないことだ。写真は貝化石。 2-19-1



菊花水晶
★ 4/05<過ぎてゆく日々のこと> 
プレハブ倉庫からスーチョワン・クォーツ(四川省水晶のローマ字標記)を外に出すのはけっこう辛い。
翡翠やヒマラヤ水晶が入った箱をどかし、移動させなくてはならない。どれがもが重い。
濡れ縁まで運んでボール箱から出し、エアキャップや古新聞を脱がせて、やっと対面になる。
撮影してしまうときはこの逆の手順を踏む。
疲れしらずというわけにはいかなくて、ひだまりの椅子に座る。陽光を顔に受け腕に受ける。
ガヤトリーマントラのイメージ想起が不慣れであるなら、日光浴の感触を観察して、よく覚えておいて、
呼びだせばいい。と思って見る。
未経験のものを想像するのは難しい。見知ったものなら思いだして呼び出すのはさほど難しくない。
チャクラとクンダリニーも同様で、それらについて十分に学べば、やがてチャクラがわかるようになる。
自分の身体と意識を統合してゆくシステムであることがわかってくる。
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
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