<過ぎてゆく日々のこと> 三種神器・八尺瓊勾玉と新元号と万葉集のことなど | 09:52 |
★ 4/19<国の石・日本翡翠勾玉>
天皇の伊勢神宮参拝をテレビのニュースでみた。
三種神器の剣と勾玉に前後を守られて拝殿に入っていかれた。
剣は道を開く、勾玉は後方の守り、国を守り家族を守り自分を守る。
三種の神器の場合、剣は宝剣・草薙剣とよばれ、勾玉は神璽(しんじ)で
八尺瓊(やさかに)勾玉と命名されている。
この国では天皇について書こうとすると右翼的になってしまう。
戦前の皇国主義と戦後の反動とで、自分たちの神話を子供たちに教えられないままでいる。
ここでは右も左も道を誤っているようにみえる。
自分たちのクニの神話を、たとえそれが1500年ほど前に、権力者たちに都合のいいように
まとめられたものであっても、子供たちに教えることができる時代になればいいのにと思う。
神話のないクニではアイデンティティもいびつになる。
一家にひとつづつ国の石・日本翡翠の勾玉があって、自分を大切に思い、家族を大事に思い、
土地を愛する気持ちが、そこに凝集されているとみんなが思うようになるといい。016-2
★ 4/19<石ヤ風新元号>
3ヶ月もすれば新元号を忘れてしまう。日常的には西暦だけでも不便はない。
でもいまは新元号はできたての草餅みたいな湯気がたっている。
出典が万葉集からというのが気持ちいい。万葉集ファンだった良寛も溜飲をさげているだろう。
あらためて『万葉集』(伊藤博訳注、角川ソフィア文庫、2009)を開くと、
話題の文言は和歌ではなく、梅の花特集32首の序文であることがわかる。
ケチつける気は毛頭ないが「令和」は造語であることもわかる。
時に、初春の令月にして 気淑(よ)く風和(やはら)ぎ
梅は鏡前(きょうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香を薫(くゆ)らす
「珮(はい)」には石ヤ風解釈&蘊蓄が必要だ。辞書をみると、帯玉、腰につける飾り玉とある。
昔の中国では玉(ぎょく)製品に紐をつけて腰に飾るのが流行った。
江戸時代の印籠や煙草セットのように使用した。
いまでも中国から入ってくるガマやヒキュウなど小動物の彫像には、
何がなんでも紐を通す孔が開いているのはその名残だ。この風習は日本には伝わらなかった。
「珮後(はいご)の香を薫(くゆ)らす」というのは、貴人が通ったあとに匂袋やら着物にたきしめた
香の匂いが残るというようなことをいうんだろう。
時あたかも早春2月(いまの3月ごろの陽気)、「気」は清くして風やわらぐ。
梅は化粧の白粉をはたいたように咲き、蘭は貴人の残り香さながらの香りをただよわせている。
私鉄沿線の観光ポスターのキャッチのようではある。