| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ・大乗仏教の始まり 10:19
仏像
★ 7/10<大乗仏教の始まり>(仏教の歴史など思わぬ展開) 
タイに旅行して川船での寺院巡りなどすると、ネパールの寺院やインドの仏教遺跡にはない奇妙さに気付く。
パゴダ(仏塔、ストゥーパに同じ)は金ピカでたくさんの仏像が並んでいる。
境内は清潔で文句無しに美しいのだが、なんだが単一な感じがして気持ちが踊らない。
仏像のことごとくは、どれもがブッダで、観音や文殊などの菩薩像、阿弥陀や大日などの如来像がない。
ああ、これは部派仏教のせいなんだと知ったのは、
バンコクに親しむようになって、20年以上も経ってからのことだった。
基礎知識として述べると、仏教はブッダ入滅後、弟子たちが集って師の教えを経典にまとめたことに始まる。
当初の教えは、ブッダがこう語ったのを私は聞いた、という訓話がほとんどだった。
ブッダは神、仏ではなく人生の師匠だったし、ブッダその人も神、仏を崇拝しはしなかった。
私たちが信仰している観音や不動明王の活躍、阿弥陀の慈悲は、原始仏教にはないもので、
紀元前後に始まる大乗仏教に依っている。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
ブッダは紀元前5、6世紀頃(前566−486、前463-383などの説がある)の人で、ブッダの教えは、
彼の遺骨(仏舎利)を祭るストゥーパ(仏塔)の普及によって全インドにひろがっていった。
紀元前3世紀ごろのマガタ国のアショーカ王の仏教保護の政策によるところが大きい。
アショーカ王は仏教に帰依してインド各地に8万4千のストゥーパを建立したという。
いかに細分化しようと、そんなにたくさんブッダの遺骨があるわけがないので、
仏舎利は半透明白色の小粒メノウで代用されたようだ。
ストゥーパへの信仰の土台には、5万年以上の昔にさかのぼる旧石器時代の骨への信仰がある。
彼らはホラアナグマなど信仰の対象だった聖獣を仕留めると、肉と皮をいただいて、
骨は母なる洞窟の女神に返した。
ストゥーパへの祈りは、土着の信仰に重なり、シャーマンたちは仏教に帰依した神々や祖霊を
霊視するようになり、ストゥーパに現世利益を願うようになった、と想像している。
こうやって仏教に帰依した神々のパンティオンが構築され、大乗仏教が形を整えていった。
紀元1世紀ごろから仏像が作られるようになると、
崇拝の具体的対象を得たことで大乗仏教はより訴求力のあるものとなった。
きっとそういうふうだったんだろう。
(日本の五重塔、三重塔もストゥーパの一種で、中心には舎利が納めてある)。


★ 7/09<大乗仏教の始まり> 
インドでの大乗仏教の成立過程はヒンドゥー教の熟成期に重なる。
統一国家が形成されたことで、地方ごとに独立していた信仰も統一されていった。
宗教は政治形態の投影として神々の世界を構築していく。
大王の投影が天空神となり、貴族たちは神々を祖先に選ぶ。
地方の神々は中央の有力神の変化・化身とされる。
そうやってヴェーダ以来のバラモン教は土着信仰(主役がタントリズム)を吸収合併して
ヒンドゥー教(インドの宗教という程度の意味)がうまれ、
仏教は土着信仰やバラモン教の神々を一方的に仏の傘下に組みこむことで、
ブッダの教えの範疇を大幅に超えていった。
日本では役行者(えんのぎょうじゃ)が不動明王の化身のような蔵王権現を顕現させ、
最澄が三面大黒を感得したように、大乗仏教の繁盛期と、その後につづいた密教の隆盛期には、
神々はさかんに人間に憑依して、てんでな主張をくりひろげ、たくさんの経典が作られることになった。
因みに三面大黒は前面が大黒天で、左右に弁財天と毘沙門天が合体した仏をいう。
近似では毘沙門天と吉祥天が背中合せに合体した妖しい仏像もある。
兜跋毘沙門天にはじまった大乗仏教を訪ねる旅は三面大黒で終わって非常にめでたい。
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
Comment








Trackback
この記事のトラックバックURL: http://kitade.stonesbazar.lolipop.jp/trackback/1233610
<< NEW | TOP | OLD>>