| CALENDAR | RECOMMEND | ENTRY | COMMENT | TRACKBACK | CATEGORY | ARCHIVE | LINK | PROFILE |
<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  7/04−06 2019   08:49
日本翡翠飛龍
★ 7/06<過ぎてゆく日々のこと> 
小さなHPでささやかながらサマーセールを開催中。テンプレートの規制があって告知も静か。
パソコンからスマホの時代になって、ネットではヤフーにラクテン、アマゾンやその他もろもろ、
年中バーゲンセールやりっぱなしで、セールのありがたみがなくなってしまった。
うちはああいう大手の企業からああしろ、こうしろと指図されるのが嫌で(体育系じゃないんだから)、
ヤフーやラクテンなどには足を向けたままでいる。ネットがなかった時代、
バーゲンシーズンになると、ワープロとコピー機を駆使してカタログの版下を作り、
印刷したものをせっせとDMしたものだった。
いまのように水晶クラスターや鉱物標本を一点づつ紹介するなどは印刷物では無理なので、
相当にアバウトな商売でもなんとかやってゆけてた。
あまりに窮屈な世の中にならないようにと願っている。
(ミャンマー産翡翠原石はセール価格5割引!)


ジャンプドヴィーパ
★ 7/04<過ぎてゆく日々のこと>
灰色にひかる空から雨がさらさらと降っている。
緑の丘陵は濃かったり薄かったりするマラカイト色に鎮まっている。
モンスーンのカルカッタの下町の安ホテルの窓から冠水した路地を眺めたことがある。
放し飼いの牛が道路をふさいでいた。
アンバサダーとかいう名前だった、間抜け面したタクシーが立ち往生する。
その間を裸足で腰まきを太股までまくりあげたリキシャが何台もとおる。
サリーの女たちやうすぎたないシャツの男たちが川と化した道路を歩く。
クラクションや怒声がホテルの上のほうの階まであがってくる。
インドに着いたばかりの旅行者には、異国情緒あふれすぎの景色だった。
当時のカルカッタは生存競争の激しい町で、ぼーっと辻に立っていようものなら、
カメラや財布はかすめとられ、身ぐるみ剥がされてほうりだされる、
思いあまって路傍に座れば、通行人のだれかが1円5円相当のコインを投げてくれる、そういう町だった。
(写真は昔昔、インドが天国だったころのメール山とたくさんの飛行船。
この彫像はジャイプールの近くアジミールという町にある)


圧砕ヒスイ
★ 7/04<過ぎてゆく日々のこと> 
たくさんの日本翡翠原石がボール箱や木箱に入れて眠ったままになっている。
ホームページ掲載用を選んで水洗いした。日本翡翠の原石はたいがい表面がざらついている。
ガラスにやすりをかけて曇りガラスにしたのに似ている。
ざらつきは極微の凹凸からなり、光が乱反射し、拡散されて白っぽく見える。
水に濡らせばダイアモンドパワダーで磨いた勾玉やビーズ同様、つるつるになってピカピカ輝く。
原石を水道水の下に持っていくとこの変化が瞬時に起きる。
異国の観光地のホテルで迎える朝、遮光カーテンを押しわけ、ガラス窓を開けると、
外はまばゆいばかりの夏空、晴れやかさが心を一気に染める、そういう感慨に似ていて、
一個水洗いするごとに、オウオウと感嘆することしきりだった。
(写真の圧砕翡翠は水に濡らすと、黒っぽい角閃石部分が瞬時に濃緑色に変わる) 2-19-1

| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
続・意識は開きだされ畳み込まれて輪廻していく  11:32
五色玉
カルサイト
<物質世界の開き出し>つづき。 
神秘思想的にはふたつの世界がある。日常世界・物質世界・現象世界がこちら側。
精神世界風にいう真如の世界・究極の実在・精神宇宙が向こう側。此岸と彼岸はこの概念にやや近い。
霊界は話の都合で向こう側に属していたり、こちら側にあったりする。
こちら側は向こう側から開きだされてくる。こちら側は向こう側に畳みこまれていく。
古代の概念では、この世をあの世の映し鏡と見立てたり、
あるいは向こう側ではじまる気配がこちら側の現実となるというふうに想像してきた。
開き出しと畳み込みは物理学者のデビット・ボームが提案した概念の受け売りだが、
両者を比喩するのに都合がいい。
向こう側とこちら側の対比は、パワーという概念に興味をだく人々にとってはとても重要だ。
これを理解しておかないと迷子になる。精神世界の迷子は餓鬼草紙に描かれた餓鬼のようなもので、
迷っていることに気付かず、ひとつの橋の上で右往左往するだけの人生を送らなくてはならない。


<物質世界の開き出し>
こちら側の日常世界、世界はかくしかじかであると思い込んでいる観念の世界が崩壊、ないし終結すると、
世界は結束を解かれて、意味を失い形を失っていく。
「地・水・火・風・空」の5元素でいうなら、人間の側の意識(因縁にもとづく)が
5元素とからみあうことで、その人にとっての物質世界は実体化し、意味や価値をもつが、
意識が5元素から離れることで物質世界は崩壊して、向こう側へと畳みこまれていく。
この考え方は東洋の神秘主義者たちが「解脱」や「悟り」とよぶ神秘的体験が、
いかにして起きるか理論付ける基礎になった。
こちら側の出来事はこちら側に執着して暮らす人々にとってはハードでリアルな現実であっても、
神秘主義的観点からは、人間の側の思い込みによって形成された夢の劇場のようなもので、
こちら側の世界を畳み込むことに成功するなら、迷妄が解かれる、真如が忽然と明らかになる。
「悟り」が一気に開示されると、そういう按配だった。
ヨーガ的にはサーンキヤ思想が、大乗仏教では唯識が、この道筋のマップを作ってきた。
孫悟空を従えた玄奘三蔵はこの知識を求めてインドに度立った。
(花が蕾から開きだされるように世界は5元素から開きだされてくる)


<物質世界の開き出し> 
現実世界は自分の思い込みによって、かくあるように存在を整えているという考え方は
科学的思考にマッチしない。西欧起源の合理主義の世界観では、
個人の思惑とはかかわりなく現実世界は存在すると考えて、現実世界を理解するために科学は発達してきた。
人は四苦八苦しながらも現実世界に適応するよう努めなくてはならない。
そして自分が死んでもこの世はつつがなく存続していく。
けれどインド思想で問題になるのは、あくまで個人にとっての世界と自分との関係だ。
とくに求道者(ヨーギやヨーギニ)においては、自分にとって世界はどのようにあるかだけが重要だった。
世界がかくかくしかじかであるのは、自分がそのように思っているからであって、
自分の死と同時に、この世は崩壊して意味を失う。
駅前の交差点に立って駅に背を向けるとき、東洋思想では背を向けた途端に駅は霧散すると考える。
新たに開きだされてきた風景と引きかえに、駅周辺の風景は畳みこまれていく。
(小難しい話と思うけれど精神世界の基礎知識だから)    2017/1
| 日本翡翠情報センター | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
意識は開きだされ畳み込まれて輪廻していく  12:30
翡翠五輪塔
五色玉

<世界の開きだしと畳みこみ> 
カップのコーヒーにクリームをそっと流しこむように加える。
コーヒーの熱対流にひきずられてクリームは拡散し、混じりあっていく。
これをクリームがコーヒーのなかに畳みこまれいくというふうに観察する。観想を巻き戻すなら、
クリームが混ざったコーヒーからじょじょにクリームが分離してくる様子をながめられる。
これを開きだされてくるというふうに思い描く。
エネルギーの世界から素粒子が実体化してくる、これは物質の開きだし。
素粒子が核爆発のような過程をへてエネルギーへと還元されるなら、ここでは物質の畳みこみが起きる。
同様に古代の感性では現実的な物質世界の向こう側に、神々の世界・霊的世界・神秘的世界があって、
向こう側こそ真如の世界としてきた。こちら側は向こう側から開きだされてくる。
開きだしの過程に人間の意識が関与できるなら、昨日まで無一文だった自分も大金持ちになれる、
断頭台にいくしかなかった極悪人が君主になれる。呪術は向こう側に干渉する技術として発達した。
「祈り」も「願い」もこの考え方のゆえに価値あるものとなる。
こんなふうに頭に浮かぶままにメモして、とても長い間、同じような考えに囚われていることに気付いた。
向こう側は人智をこえているがゆえにカオスで、結晶はそこから開きだされてくる。


<物質世界の開きだし> 
開きだしによって5つのパワー要素があらわれる。
インド式には地・水・火・風・空(ちすいかふうくう)がそれで、
形での象徴は四角・丸・三角・半月・ビンドウ(点)。
この形を下から上に積むと五輪塔になる。密教ではこれを如来の身体に見立てる。
精神宇宙的には宇宙は人型をしている。
人間は小宇宙だから人体にも五輪塔があって下から上へと5つのチャクラに対応する。
密教には座禅した上半身を五輪塔に見立てて、大日如来との一体化をはかる瞑想法がある。017-12


<物質世界の開きだし> 
こちら側は向こう側から開きだされてくる話のつづき。5元素は色彩で象徴されることもある。
地=黄・水=白・火=赤・風=緑・空=黒(紫)で、緑は少しややこしい。
古代には緑色を示す語彙はなくて青に含められていた。
だから「風」は木々を養うから色彩象徴は緑色だが、言葉にするときは青といった。
5色は密教寺院の旗の色など密教のシンボルカラーになった。
チャクラの色彩象徴もインド的には5色が対応する。
西欧の神智学教会関連の人たちはチャクラの色彩に虹を対応させるが、
このアイデアだと身体=小宇宙という図式が壊れてしまう。
5つのパワー要素、5元素が適宜混ざりあい、粗大化することで見て触れることのできる物質世界が
形成されていく。5元素について学ぶと形と色に敏感になれる。
注意深く世界を眺められるようになる。
周囲の世界につつしみ深く触れられるようになる。 2017/02

| 日本翡翠情報センター | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ  6/29−30 2019 21:58
エレスチャル
水晶&アメシスト
6/29<過ぎてゆく日々のこと> 
自我を周囲へと広げていく。自分意識が水溜まりに浮かぶ油膜のように周囲に広がっていく。
ここでの周囲には人間を含まない。建造物も含まない。鉱物や木や草や風や丘や海や空をいう。
ひとつの鉱物と自分意識が出会う、1本の草と気持ちが通う、風のなかへ自分が広がっていく、
山を受けいれ山が自分を受け入れる。
そうやって、世界と自分とが美しく調和していると感じられる体験に出会える。
大きな力に支えられている、ないし大きな力とともに自分があると感じられる体験だ。
世俗の凡庸な日々に我慢できないのであればここから始める。他のことは重要ではない。
こうした体験がないのであれば、自分の全人生をここに置くつもりで、ひたすら想像する、渇望して乞い願う。
朝に昼に夜にそれだけを思う。鉱物や木や草に向かって自分を開く練習をしたり、呼吸法などを習う。
過ぎてゆく日々を無駄にしないで済む。大きな癒しを見つけられる。
写真はインド産エレスチャルなりかけ水晶。2-19-4 702


★ 6/30<過ぎてゆく日々のこと> 
ここ数日曇り空。雨が降ったりやんだりの天気がつづいている。自我を周囲に広げていく。
鉱物や草木、山や空と自分が見えない紐で結ばれる。世界が美しい調和のうちにあることがわかる。
しばしばこういう体験をすると、生命(いのち)の基底が安定する。
落ち込んでもすぐに回復できる。周囲のことがあまり気にならなくなる。
宇宙と共振することで寂しさが小さくなる。孤独に強くなれる。
日常的なことがらへのしがみつきがやわらぐ。自分の道が見えてくるし、古代が近くなる。
これはソフトな神秘的体験。
「草木国土悉皆成仏」(草や木やそこらにあるもの全部が如来にひとしい)とか、
山の形や谷川の響き、みんなみんな仏の顕現だ、ということがわかる。
これは偉そぶりして説くようなことではない。石たちからたくさんを学べる。
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
奈良大和の里で古い神社と古墳を巡る・3  20:55
唐古鍵遺跡
<神社古墳旅行> 
旅行の3日目は午前中に唐古鍵遺跡を見て帰途についた。遺跡公園は広々として気持ちよかった。
江戸時代の造りという貯水池があり、一角に軒がクルクルと螺旋を描いた物見櫓が建っている。
元図は土器片の線描画のみ。遠い昔のことだから本当はどうだったか想像するほかないので、
三内丸山や吉野ヶ里同様、こういう遺跡復元の建築物は建てたもの勝ちという感じもする。
可愛い建物なのでご当地キャラとしてもてはやされている。
唐古鍵遺跡は弥生時代の大環濠集落遺跡。
ヤマト王朝の征服者たちが遭遇した先住民集落だった可能性がある。
騎兵に守られた幌馬車隊がインディアン集落を蹴散らす、そういうことがあったのだろう。
ここでは巨木建造物の遺構があるのが興味深いし、日本翡翠ファンにとっては、
褐鉄鉱の容器に入って出土した翡翠勾玉が特筆にあたいする。 0255


唐古鍵遺跡
<神社古墳旅行>
唐古鍵遺跡では巨木建造物の遺構から直径83cmのケヤキの柱の残存物が発掘されている。
糸魚川、諏訪、出雲、能登半島の真脇遺跡など縄文から弥生にかけて、巨木に宇宙軸を見た人たちがいた。
彼らは巨木を切り出し、長い距離を運ぶ労苦を厭わずに集落に建てた。
柱は世界の中心を表し、天への梯子となった。
かつて同じような柱をアメリカ、ニューメキシコ州のインディアン居留地のひとつタオスプエブロでみた。
サンタフェ近くにあるその町は、いまではニューエイジの聖地となっているが、
以前はアーチスト・コロニーと、D・H・ロレンスの墓で知られていた。
この町で偶然インディアンのお祭りに遭遇した。
居留地広場の中央に高い木の柱が立てられ、先端に生け贄の羊が縛られていた。
仮面装束で精霊にふんした男たちが登場して、柱の周りを踊り巡った。
日本の巨木信仰もそれに近いものがあったのだろう。
巨木の神聖視は以来ずーっと私たちの心根に息づいている。 0234


褐鉄鉱容器
<神社古墳旅行>
唐古鍵遺跡の三大名物は復元された櫓、巨木遺構、残る一つが褐鉄鉱の容器に入った翡翠勾玉だ。
緑色凝灰岩(グリーンタフ)製の小振りの容器が古墳時代の遺跡から出土するが、
褐鉄鉱を宝物入れに仕立てたのは、ここだけの事例ではないだろうか。
褐鉄鉱は生物が鉱物を作るバイオミネラルの一種で、鉄バクテリアの遺骸が積もりに積もってできる。
たいがいは泥や木の根を核に成長するので、内部に泥が残される。
だから褐鉄鉱の多くは振るとカラカラと音がする。「鳴る石・鈴石」とよばれる。
内部の泥は古代中国の夏(か)の帝王にちなんで禹余糧(ウヨリョウ)といわれ、
漢方では万能薬扱いされている。
唐古鍵遺跡からは握りこぶし大の褐鉄鉱の一部を割って、
内部の空洞に2個の勾玉を納めた「容器」が出土している。
発掘当時これは岩石に分類されて重視されはしなかったという。
ところが洗浄したら、滅多に見られないほどに美しいロウカン質の勾玉が中から出てきた。
発見者はさぞや驚いたことだろう。
だれがどのようにしてこれを所持、保管していたのかとても気になる。
写真の勾玉は遺跡公園近くの道の駅に展示されていたレプリカ。
本物とおぼしいほうは博物館にあった。 0295

| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
奈良大和の里で古い神社と古墳を巡る・2 08:55
ササユリ
<神社古墳旅行> 
橿原市に着いた夜、テレビのニュースで三枝祭(さいくさのまつり)があったことを知った。
大神(おおみわ)神社の摂社・率川(いさかわ)神社に大神神社から酒を届ける祭りで、
酒はソンとホトギという容器に入れられ、ササユリの花で飾られる。
そのゆえに「ゆりまつり」ともいうのだという。
この地方のササユリは明るいピンク色をしていた。
率川神社にはヒメタタライズズヒメというオオモノヌシの娘神が祭られている。
彼女は神武天皇の皇后になった。現代的には嫁入りしたのだが、
母系社会の色彩が濃かった古代風には婿入りすることで、その土地の社会に受け入れられたといえる。
オオモノヌシは丹塗りの矢に化身してヒメタタライズズヒメの母、
セヤタタラヒメのもとを訪ねて妊娠させたと、神話にはある。
大神神社のゆり園のササユリは祭りのために切り取られておおかたはなくなっていたが、
久延彦神社近くではたくさんのきれいな花を咲かせていた。
一年に一度きりの季節に大神神社に参拝できてよかった。
母系社会のことがわからないと日本の古代史は見えてこない。 0113



翡翠
<神社古墳旅行> 箸墓古墳を右手にみる国道沿いに、
「ひみこの庭、絶景ビューポイント、カフェ」みたいな看板があった。
観光地を訪ねたら名所旧跡に向きあうよりもカフェ&レストランで憩う時間の方が長いというような
旅行をしてきた。訪ねると「ひみこの庭」というのは喫茶店であるのみならず、
日本翡翠勾玉の販売もしていて、勾玉磨き体験教室があった。
堀をはさんで正面には箸墓古墳が横たわっている。
この古墳を卑弥呼の墓と信じての店名なんだろう。
聞けばオーナーは80幾つかの大阪方面在住の実業家で、
子供たちに翡翠勾玉に触れさせたいとの願いから、ここに店を開いたのだという。
東京であれば家が3、4件建ちそうな芝生の庭に、
ホッサマグナ・ミュージアムに点在しているような大きな岩が幾つも置いてあった。
カビのはえた石灰岩だろうと思っていた。それらがみんな糸魚川産の日本翡翠だった。
30年の昔、はじめて糸魚川を訪ねたとき、コンビニほどに広い業者の倉庫に、
翡翠原石が山と積まれていたのを見たことがある。
寺院の庭石クラスの大きな翡翠原石をまとめて見るのはそれ以来のことだった。
インドの山奥で和食料理店を見つけるのよりももっとたくさん驚いた。 202


箸墓古墳
<神社古墳旅行> 
大和の古墳、神社を巡る旅行は、弥生と古墳時代の境界を歩むことであり、
初期ヤマト王朝の建国の土地にたつということだった。
大和(やまと)という地名は理解しにくい。
狭義では初期ヤマト王朝が支配した現在の天理市・桜井市・橿原市あたり一帯をさすらしい。
おおまかに奈良市と飛鳥の中間。王権が拡大するにつれ、近畿地方をよぶようになった。
弥生から古墳時代への移行期は日本翡翠の歴史においても重要な時期で、
『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、税込み1,728円)をつくるにあたって、
随分熱心にこの時代について学んだ。
自分は欧米文学と外国映画、シュールレアリズムの絵画で育った。
そのせいらしくいまもって日本に馴染めないでいる。
翡翠を商っているくせに原産地の糸魚川は他人の土地で、古代史ファンのくせに奈良は異国。
初期ヤマト王朝の征服者たちや、そのあとに連綿とつづいた渡来人たちにとっても、ここは異国だった。
よその人の土地を歩きながら大昔のことばかり考えていた。
額田王がここに暮らしていたなんて嘘のようだ。(写真は端墓古墳)0193
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
奈良大和の里で古い神社と古墳を巡る・1  09:03
大神神社
<神社古墳旅行> 
奈良県の橿原市・桜井市周辺は古い時代の大和の里で、古墳時代の中心地帯のひとつ。
ここでは神話と古代史がいまもって錯綜している。
近鉄大和八木駅近くのホテルの8階の部屋の窓から畝傍山と
その向こうに二上山に向かって低く連なる山並みを眺めた。
朝食前の時間で、朝もやが残る稜線の上から真っ直ぐに飛行機雲がでていた。
天駆ける雲は風に震えて天空に伸びた蛇の抜け殻に見えた。
三輪山に座す(います)大物主神に詣でる予定だったので、この雲は瑞兆のようだった。
大神(みわ)の神は蛇身で有名で、ヤマトトトヒモモソヒメという古墳時代初期の巫女の愛人として
知られている。彼はメキシコの翼ある蛇ケツアルコアトルと同じ翡翠色の蛇なんだろう。
吉兆とか瑞兆、そうでなければ不吉な知らせなどの縁起担ぎは、ただのこじつけであるかもしれない。
でも身辺の気配を注視し、そこに意味を読む「見立て」に遊べば人生にめりはりが生じる。
目覚めて窓や雨戸を開けたり、玄関を出て最初に目にする風景に「卦」を読む、
そこまでは出来なくても、日常性のちょっとした変化に敏感でいられるよう「気」を研(と)いでおくと、
それが契機となっていろいろなことが起きる。(大神神社)


橿原神宮
<神社古墳旅行> 
日本神話は天上界(高天が原)の主催者・アマテラスが芦原中津国とよばれた日本列島を
欲しがったことを発端に展開する。地上の神々は天孫族に覇権を禅譲する。
オオクニヌシの一家として葛城のコトシロヌシや諏訪のタケミナカタが配され、
大和のオオモノヌシは出雲のオオクニヌシと同体とされる。
国譲りが済んだあとに、天孫族は南九州に天下り、子孫の神武天皇が大和にやってきて、
初期ヤマト王朝を建てる。その土地が畝傍山(うねびやま)のふもと、いまの橿原神宮一帯とされる。
歴史的には神武天皇は実在せず、初期ヤマト王朝の建設者に崇神天皇をあてる意見がある。
纏向遺跡あたりが都の跡地で、箸墓古墳の建設を機に古墳時代と大和王朝がともに始まる。
ここには学問的に統一された見解がない。
日本翡翠の勾玉は初期ヤマト王朝のもとで、鉄との交易品としてさかんに朝鮮半島に運ばれたために、
国内で品薄になっていったようだ。
このあたりのことを、拙著『日本ヒスイの本・最高のパワーストーン』(北出幸男、青弓社、税込み1,728円)
にたくさん書いた。(橿原神宮)


畝傍山
<神社古墳旅行> 
ホテルの部屋の大きな窓から国見すると、大和はオオオニバスの葉の上に組んだジオラマのように見える。
ミニチュアの家やビルを根こぞぎ払いおとすと、雑木の森、芦原、水田が斑模様を描く
古代の風景が浮かび上がる。弥生時代の末期、この土地には大物主(オオモノヌシ)に代表される
大物豪族がいて出雲を中心に交易圏を形成していた。青銅器と翡翠が交易の目玉商品だった。
ここに西の方から征服者の一団がやってきて初期ヤマト王朝を開いた。
歴史上の人物として崇神天皇を想定すると、彼の治世は飢饉に疫病とご難つづきだったことに納得がいく。
侵略者に対する土地神の怒りのゆえの祟りで、崇神の孫のひとりは成人になっても口が聞けなかった。
近辺からの遺跡出土品は大神神社近くの桜井市立埋蔵文化センターというところに収蔵されている。
スーパーモダンな鶏の埴輪、ミニチュアのタコ焼き器のようなガラスビーズの鋳型、
蛇紋岩製大珠などが興味深かった。(畝傍山)
| 過ぎてゆく日々のこと | comments(0) | trackbacks(0) | posted by YK
<< | 2/165 | >>