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かさねの色目に目一杯豊穣な色彩世界が開いている  08:46
ブレスレット
<天然石ビーズ> 
天然石ビーズのブレスレットを作る。
頭の中でいろいろな色のビーズとビーズをつなぎ合わせてみる。
たとえば紺色と赤が出会うと雅(みやび)に見える。
赤と白の組み合わせはインドの花嫁衣装、豊穣への予祝の色。
そんなことをしているとさかんに「かさねの色目(いろめ)」が思い起こされた。
色彩の研究家はたくさんいる、シロウトの自分が偉そうなことをいうのは気がひけるが、
いちおうの前知識として、かさねの色目は平安時代の貴族の女たち(女たちだけではなかったが)
の着物の表生地と裏生地の色彩の配合をいった。百数十種類あるらしい、
その一つ一つに、たとえば表黄裏紅 (くれない)は「裏山吹」、
表しろ裏赤花(あかばな)は「桜」というように名前がついている。
季節ごとにかさねの色目は選ばれ、夏の色目を冬に着るのは狂気の沙汰だった。
木々の緑や紅葉、花の色など、自然界の色彩で自分を装うことは、
自然界のパワーと自分を同調させるということであり、
かさねの色目を選ぶことはカラーヒーリングになったと思っている。
自分が気持ちを惹かれる色彩のコンビネーションを選ぶ。
そうすればブレスレットもヒーリングツールになる。


<天然石ビーズとかさねの色目> 
十二単(ひとえ)は源氏物語絵巻などにみる女官の衣装で、
ついでには平安時代の絵巻は少女たちのままごと遊びから発展したという説をつい最近読んだ。
屋根を外して上から覗きこむ構図はままごとの少女の目線であり、人物たちは人形顔に固定されている。
着脹れしたスズメのような衣装が十二単だが、
これは十二枚の袷(あわせ)の着物と1枚の一重(ひとえ)を足した名称。
12は完全をあらわす象徴的な数字なので、かならずしも12でなくてはならないということではない。
重ね着は外側から唐衣(からぎ)・裳(腰の後方部分に巻きつける)・表着(うわぎ)・
打衣(うちぎぬ)・袿(うちぎ・5枚以上)・単(ひとえ)とつづく。
袷(あわせ)の衣装では表地と裏地に異なる配色をして、これを「重ねの色目」とよんだ。
袿(うちぎ)を5枚以上重ねると、裾・襟・袖口などに色見本帖のような色目があらわれる。
こちらのほうは同じ重ねでも「襲(かさね)の色目」という。襲にはかさねるという意味もある。 
かさねの色目は移り変わっていく四季の変化の先取り、
貴族たちが自然界のパワーの変化とともにあったことの証しのようにみえる。
昨夜から今日にかけて受験生なみの熱意で、「かさねの色目」の勉強をしている。


<天然石ビーズとかさねの色目> 
私説では貴族の存在理由は、高天が原のミニチュアとして人間界を支配することにあった。
貴族たちは天上人であり、彼らが優雅にかつ好色にふるまうことで天のパワーは地に降ろされ穀物は実り、
子孫は繁栄した。かさねの色目もそうした貴族たちのパワー的な自己表現のひとつにみえる。
色彩はパワーの表現のひとつであり、「空」から「有」が開きだされてくるとき、
色と形があらわれてパワー要素はそれぞれの形状をなしてゆく。
インドでは原初の物質原理から5元素が開きだされて、
これらが配合していく比率におうじて「色彩」が現れた。
古代中国では太乙(太極)の陰陽のバランスがこわれることで、
木・火・土・金・水の5つの「気」に分離し、
これらの混ざり具合によって自然界が構成されていった。
色彩に耽溺し、原初の色彩へとさかのぼることができるなら、
宇宙開闢の「時」へと戻っていける。そんなふうに色彩をとらえると、
色彩を取捨選択することで、心理的状況に変化を及ぼせることがわかる。
カラーヒーリングの基本的アイデアだが、天然石ビーズのブレスレットの場合、
自分が心地好く感じたり、気持ちが惹かれる配色を選ぶことで、自分を整えていける。
色彩に自分をゆだねることで起きる気持ちの変化に鋭敏になると、
より多くのことがみえるようになる。

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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/13-18 2019  11:33
スモーキークォーツ
★1/13<過ぎてゆく日々のこと> 
世界は美しい調和のうちにある。根底にはとほうもないほどの量の「存在への愛」がある。
クリシュナムルティは宇宙的な愛について熱意をこめて語る。
けれど彼の本の質疑応答を読むと、お門違いの人たちがいる。
ハレクリシュナでチャンティングしていた連中のほうがよほど宇宙的愛を理解できていた。
バクティヨーガでは「愛」はクリシュナそのものであり、
クリシュナを恋人のように熱愛することで 「愛」を味わえると説く。
『マハーバーラタ』の最後ではアルジュナ兄弟は飲まず食わず、炎天下を歩いて身体を捨てる
(捨身はこちら概念では自殺だが)。彼らは「愛」に溶けこみ、クリシュナ(ビシュヌ)へと帰っていく。
存在の基底にあるあふれんばかりの愛、観音の慈悲、クリシュナへの献愛は同じことで、
これを知ったあとでなら、「われはブラフマンなり」と言えるのだが、なかなかに難しい。
人はだれもが自分が読みたいように講演を聞き、
文を読み、知りたいと思った箇所にのみ意識をとめて知ったつもりになる。
(水晶の中へ入っていくと大きな愛に出会える)


★1/14<過ぎてゆく日々のこと> 
西欧ではダーウィンの進化論と合理主義とが造物主を格下げした。
「大きな愛」は見失われ、男と女の「小さな愛」で代用するしかなくなった。
小さな愛でも他者との融合感覚を味わえる、癒しがおきる。
それゆえになんだろう、小説・映画など娯楽分野では、昇華された恋愛が大成功をおさめている。
恋愛はとてもまばゆい行為になった。
背景には騎士道物語の騎士たちの領主の妃へのロマンチックな献愛があるように思う。
過程がよくわからないのだが、ヨーロッパではおもにフランスで、
男女の性愛の彼方にタントラ的な自我の開放を見た。
聖母信仰と重なって男女の愛が神の愛に置き換えられたようだ。
恋愛は熱情から覚めるとみじめな現実とむきあわざるをえなくなる。
でも存在の根底にあるあふれんばかりの愛は、いつでも、いま、ここにある。


★1/18<過ぎてゆく日々のこと> 
朝の目覚め、枕を高くして、四肢の緊張を抜き、ゆっくと息して、朝の気配を追う。
「今日はいい日だ」と思う。
現実は昨日と同じ今日があるだけで、特別いい日であるわけがない。
荷をほどいて在庫を確認したり、商品撮影したり、コメントを書いたりして、たいがいの日は過ぎてゆく。
それでも今日はいい日だと思ったほうがいい日になるだろうし、身体に元気が充填される。
家族や、知人たちや、うちの客や、fbに「いいね」してくれる人たちや、
そういうみんなにもいい日であるといいと願う。
布団からでてカーテンをあける。
結露した窓の向こうには、陽射をあびた景色がある。
いまのこの時期、北陸に暮らす人たちには気の毒なほどに関東では晴れの日がつづく。
今日は一日を暮らしていくのにいい日になるといい。


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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 1/11-12 2019   10:20
水晶ポイント
★1/11<過ぎてゆく日々のこと> 
ご神体水晶は木箱に入れてずーっと店に埋めてあった。
木箱にはフタをして、その上に原石を並べていたので気付いた人はいなかった。
あるときひとりの中年女性が木箱が埋めてあるテーブルの前を行ったりきたりして、
「ここに来ると膝の下のほうからスースーと風が吹いてくる」と言った。
彼女には水晶の「気」がわかったのだろう。
神秘術的な金鉱脈の探査法があると聞いたことがある。
満月のもとで山並みを見て霊気を読むというような話だった。
こういう女性を訓練すれば鉱脈を探したり、トレジャー・ハンティングに有用なんだろうと思ったが、
その女性はあまりにも平凡そうで、パワーの話などできそうになかった。
いまもどこかのお家にそういうことを記した巻き物が埋もれているんだろう。
その時代、神秘的探鉱法は高額で売買されていたそうな。
(水晶は極太も極小も同じ形状をしている。ご神体水晶は長さ50cmほど)


六字観音
★1/12<過ぎてゆく日々のこと> 
観自在菩薩(観音さま)の真言を陰刻したビーズを中央に入れたブレスレットを作った。
この真言はサンスクリット文字で書くと、オーム・マ・ニ・パ・ドメ・フームの6字になる。
(チベット文字ではオーム・マ・ニ・ペ・メ・フームの6字)。
「蓮の花のなかの宝石のごとき観音に帰依します」と表向きはそんなような意味
(神秘的には別の読み方がある)。
あまりに強いパワーを持つ真言なので神格化されて六字観音という。
いくらか瞑想になれると、この世のありとあらゆるものが美しく調和している
と感じられる意識の状態を体験できるようになる。そこをさらに降りてゆく。
とほうもなく大きな愛に出会える。
世界の美しい調和はその巨大な愛によって見守られている。それこそが 「慈悲」だ。
そこではなにもかもが愛に満ちている。
晴れた日の陽射が辺り一面を明るく照らすように、愛がゆきわたって甘美な芳香をはなっている。
大乗仏教はこの状態に魅了されて如来の慈悲という概念を特化させた。
それが、観音さまの慈愛ということで六字真言に象徴されている。


ポカラ
★1/12<過ぎてゆく日々のこと> 
ネパールの首都カトマンズを訪ねたついでにポカラに小旅行したことがある。
小型バスで7、8時間だったと思う。マニ車を持った婆さんの隣にすわった。
彼女の耳朶(みみたぶ)は長年のピアスの使用で穴が裂けて長く細く垂れ下がっていた。
後になって縄文時代のケツ状耳飾りを知ったとき、思いだしたのがこの婆さんの耳だった。
バスは断崖絶壁の中腹をうがった細い道を走った。谷を除くと落ちた車が何台も底のほうに寝ていた。
婆さんはずーっとずーっとマニ車をまわして観音の真言「オン・マニ・ペメ・フーム」を唱えていた。
ときおりぼくは横合いから真言の合いの手を入れた。婆さんは笑ってうん、うんとうなづき、
オン・マニ・ペメ・フーム、オン・マニ・ペメ・フームと唱えるのだった。
あれから何十年経っていることか、婆さんはとっくに鬼籍に入り、
観音壌土補陀落(フダラク・ポタラ)に生まれ変わっているか、
あるいはネパールに再誕して商店のおかみさんとかになっているのだろう。
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<新製品情報> 神居古潭ミニ勾玉とフローライト・ブレスレット 09:52
カムイコタン
<新製品情報> 
神居古潭ミニ勾玉「龍牙」7点を「日本産天然石/神居古潭」に掲載しました。
神居古潭石製品はあまりストックがなく、「龍牙」もまもなく品切れになります。
神居古潭石(カムイコタン)は北海道旭川市郊外の神居古潭渓谷で採集される変成岩の一種。
産地はアイヌ民族の聖地だったところで、神(カムイ)の村(コタン)の意味でカムイコタンとよばれていて、
黒色系で石肌の緻密な神居古潭石は神々のパワーが宿る霊石とされてきました。
落ち着きがあって品がよく、しっとりとした風味をしています。
石の力強さが心に染み込んできて、辛さや寂しさの隙間を埋めてくれます。


フローライト
<新製品情報> 
フローライトのビーズは1連のなかに、いろいろな色調の紫、緑、青がまざっている。
それをほどいて透明で白っぽくいくらか緑がかったものを選びだす。
『色の手帳』には近似の色に白緑(びゃくろく)の名がある。
萌葱色の染料を水で薄めて寒天でかためたような色合いだ。
この寒天のなかを泳ぐアリの視覚を楽しむ。
気持ちが南の島に飛んで波打ち際で水の色に遊ぶ。
岩場から海に潜って海水を通して大空を見上げる。
ここにも寒天の視覚があって、意識が向こう側へとすべりこんでいく思いに目が眩む。
フローライトの8mm玉を連ね、オーロラ加工したクラック水晶を挟んだブレスレットを組んでいると、
透明で寒天質な色彩の魔力に捕らえられてしまう。
離れたいと思えばすぐにも離れられるのだが、薄荷色の海につかまっているのもおつなものと思う。


フローライト
<新製品情報> 
フローライトの8mm玉とオーロラ加工したクラック水晶を組んでブレスレットを作った。
PCゲームの中へ入っていくようなトリップ感覚のある製品になった。
天然石の透明な色彩の中へ入っていく。それにはふたつの方法がある。
自分をミクロの虫のように小さくして石の中へ行っていく方法と、
天然石を鍾乳洞ほどに大きくする方法と。
どちらもDVDを見るのと同じほど気楽な気分でイメージがふくらんでいくのを待つ。
フローライトは意識を上方へとひっぱりあげる。
根から吸い上げた養分が巨木の導管のなかを枝先めざしてのぼっていく。
導管をながれる液体はフローライトの薄緑色。
導管のなかは光がにじんで明るく、炭酸ガスの泡が朝日をあびた結露のようにキラキラ光っている。
薄荷色した液体のなかをどこまでも上っていく。
導管は宇宙樹になる。
大地のパワーのクンダリニーが天空のシヴァに会いたさ一念で宇宙樹であるジュスムナーを駆けのぼる。
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<ヒーリング>自分を縛っているのは自分自身の思い込み 10:17
ヒマラヤ水晶
<ヒーリング・1> 
会社勤めだと営業成績が自分の価値のすべてと思い込みやすい。
年収1千万とか5百万というのは収入だけの問題で、それがその人の価値のすべてではない。
高額所得者であっても仕事に追い回されて心安らげない人たちがたくさんいるし、
家庭は崩壊寸前で氷河期の嵐ふきすさぶという人だっているだろう。
逆にわずかの収入で他人がうかがい知れないほど豊かな精神世界に暮らしている人もいる。
自己評価や善悪への思い込みがそれぞれの人が暮らすその人なりの社会像を描いていく。
本人はこれが確固たる真実だと思っても、自分が思い描いたイメージに溺れているだけだと、
般若心経などの経典は説いできた。
「自分がそのように思い描くからそのようにして世界がある」と言われればそうだと分かる。
けれど言われてわかったところで、すぐさま変えられるものでもない。
2、3分経たたないうちに思考は従来とおりのパターンに戻っていく。
東洋ではこれをカルマのせいにしてきた。
カルマの軛(くびき・頸木)を緩めることがヒーリングなんだと思っている。
自分自身から少しの間離れる時間をもつ。そういうところから最初の1歩が始まる。 11-18-2 104


<ヒーリング・2> 
カルマは前世の因果。平たくいえば行為の残存印象が魂に保存され、それが来世に持ち越される。
どこそこの土地にだれそれの子として生まれるのはカルマゆえであり、
ときに霊系が混線して、家系から外れた育ち方をするのもカルマゆえということになる。
輪廻転生を信じなくてもかまわない。
個人的な素質や遺伝的特徴、誕生から今日にいたる親兄弟を含めての他者との関わりによって
人格が形成されていくわけで、このカオス的状況を古代の思想家はカルマとよんできた。
この世に生まれてきたくなかったと思っても、生まれてきて、
いまある人格に育ってしまったんだから仕方がない。
いかにじたばたしようと、いかに嫌がろうと、いまここに、
いまのような状況で自分があるわけだから仕方がない。
だからひとまず、いまある自分を、良いも悪いもひっくるめて、丸ごと受けいれる気持ちになる。
きれいな水晶を前にそういうふうに自分で自分に語るといい。
ここから魂のヒーリングがどういうことかが見えてくる。
それは自己啓発や能力開発と同じではない。


<ヒーリング・3> 
精神世界的生き方などというと禅寺の門前に掲示された教訓や坊さんたちの説教を連想しやすい。
精神世界的アプローチは道徳、倫理と混同されやすく、
自己啓発や能力開発と同じと思われていたりする。
自己啓発をウイキでみると、 「自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。
<より高い能力><より大きい成功><より充実した生き方><より優れた人格>などの獲得を目指す」
とある。これらは全部日常的世界での価値観をベースにしている。
自己啓発関連の仕事をしている人たちは、精神世界の技法を借用しながらも神秘的世界を理解できない。
企業の研修で自己啓発がテーマになると、営業活動や生産性向上に不向きな気後れ、
引っ込み思案、内向性の克服が重視される、ときには人格操作・人格破壊ということもあるようだ。
精神世界はこういうこちら側重視のマインド操作をよしとしない。
こちら側を一時的に離れたところから大きな道が始まるといいつのってきた。
水晶のきれいなポイントを手にする。それを自分の気持ちを映す鏡と思って眺める。
自分を癒すとはどういうことかが少しづつ見えてくる。
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かんらん岩とペリドット、マントル由来の石を手にする喜び 10:14
橄欖岩
<かんらん岩・ペリドタイト> 
翡翠と仲良くすると地球のダイナミズムが身近になる。
地面の下のほう、地殻の底では地質学的時間と超高圧、高温のもとで岩石は流体となって対流し渦巻き、
ときにのたうつ。海洋プレートと大陸プレートの継ぎ目、付加体という地質で翡翠は誕生する。
翡翠は蛇紋岩の岩層に包まれて地殻の表層部に上ってくる。
蛇紋岩は海洋プレートが運びこむ大量の海水によってかんらん岩という
マントルの主要構成岩石が変成されてできる(ここまではいつもと同じ)。
北海道には有名なカンラン岩の産地がある。北海道は1億5千万年前ほど前に、
おおまかに縦半分、現在の日高山脈あたりでふたつの島が結合して誕生した。
そのとき接合面で海洋プレートがめくれあがって、かんらん岩が地表に露頭することになった。
マニアは普通の人が欲しがらないものを欲しがる。
1年ほど前から日高アポイ岳のかんらん岩を欲しいと思ってきた。
念願かなって入手できたのが写真のかんらん岩で海岸への漂着石という。
数十キロの距離を地底から押し上げられてきた岩石だ。
かんらん岩はかんらん石主成分の岩石で、かんらん石の英語名はオリビン。
宝石質のかんらん石をペリドットという。
(カンランという植物があって、明治の学者がオリーブをカンランの仲間と思い違いしたため、
オリビンの和名がかんらん石になったという)


ペリドット
<かんらん岩> 
かんらん石(オリビン)のつづきをしなくては。
かんらん石には.侫ルステライト(マグネシアかんらん石 Mg2SiO4)と、
▲侫.筌薀ぅ函陛瓦んらん石 Fe2SiO4)の2種類あって、
適宜混ざりあうことでペリドットが形成される(固溶体という)。
固溶体は言葉での説明が難しい。
たとえばフォルステライトはマグネシウムとケイ酸の二つの部屋からできていると想像する。
マグネシウムの部屋には大きさが似ている鉄が適宜入りこんで、マグネシウムと混ざりあう。
分子構造としてはマグネシウム・鉄+ケイ酸になる。
同じような仕組みでひすい輝石を含む輝石類や、ムーンストーンなどの長石類も
同類他者と固溶体の関係にある。
分類好きな学者のように自然界は厳密ではなく、融通をきかせあって、
なあなあの関係にあるのでこういうことが起きると思っている。
純粋なフォルステライトは無色透明だが、
適量のファヤライトがくわわると鉄分によって緑色に発色する。
白色のネフライト(トレモライト、白玉)に鉄分が加わって緑色ネフライト(アクチノライト)に
なるのに似ている。(写真の勾玉は22mm)


ペリドット
<かんらん岩> マントルで形成されたペリドットはマグマに捕獲されて地表へとあがってくる。
マグマが凝固して玄武岩になるので、ペリドットは玄武岩といっしょになっていることが多い。
マグマが上昇してくる速度は速く、ペリドットは環境の激変に耐えられず、ひびわれ微塵になりやすい。
玄武岩が風化してペリドットだけが残ると顆粒状・砂状のペリドット・サンドが誕生する。
ペリドットは超高圧高温のマントルで誕生する。なのになぜ柱状結晶があるのか不思議に思っていた。
資料を読んでいるうちに、ペリドットは蛇紋岩(かんらん岩が水和されてできる)の割れ目に
侵入した熱水から析出するものもあって、
このケースでは柱状の結晶を育てると書いてあったのを見つけた。
パキスタン産の標本に多く、添付した写真は滅多にみられない鶏卵大のもの。
宝飾品としてのペリドットは薄暗い夜会でもグリーンが鮮やかに見えるので
「イブニング・エメラルド」とよばれた。
肌の白さがいっそうきわだち、コルセットで盛り上げた胸で輝くと美人オーラも盛り上がった。
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<過ぎてゆく日々のこと>のまとめ 12/30-1/09 2019 09:42
水晶
★12/30<セルフヒーリング> 
12月も30日をすぎると世間の慌ただしさに感染して心穏やかでいられなくなる。
今年はいかように努力しようと商売が伸び悩んでしんどい1年だったと思う。
あるいは、家族みんなが大病を患うことなく健やかに暮らせてよかったと思う。
世界は分裂へと拍車がかかって互いが互いを憎み合っている。
国の内側での経済格差は広がるばかりで日本も例外ではない。
移民難民問題が先進国の深刻な悩みとなっていて解決の糸口がつかめないでいる。
自然災害は容赦がなく家族や家や仕事を失った人がたくさんいる。
そういうなかで明日の生活費を心配することなく暮らせたのはありがたいことだとも思う。
自己評価はどこでどういう視点にたって、なにをどう評価するかでよくもなれば悪くもなる。
それぞれの人のそれぞれの思い込みが人生を明るくもすれば暗くもする。
自己評価のネガティブ・スパイラルに落ちると、価値変換するのが難しくなる。
ヒーリングが必要なのはこういう点なのだと思っている。 11-18-2


★ 1/02<過ぎてゆく日々のこと> 
1月1日の夜に見る夢が初夢。12月31日の夜の夢は見納めの夢とでもいうんだろうか。
これが初夢だと書いておきたい夢はみなかった。
見納めの夢では、魂がどこかへ飛んでいって美しいものや気持ちのいい人たちと触れ合った。
そこでは海岸端のフォトジェニックな風景のなかを何時間も歩いた。
交差点で折れたり、よその家の庭先を通ったりするごとに風景が変わって、楽しげに働く人たちを見た。
小さな花柄の木綿のワンピースを着て頭にスカーフをまいたり、
チノパンにTシャツを着たような人たちだった。
海岸通りにはレストランや花屋、布きれや籠細工の専門店が軒を並べていた。
古い時代のカリフォルニアに似ていたが外国ではなかった。
パステルカラーに気持ち墨色を加えて、そこここに光をにじませた色合いは
ブローティガンの「西瓜糖の町」にいるようだった。
今度くるときにはカメラを持ってきて、この色合いを記録しておこうと思っていた。


★1/09<過ぎてゆく日々のこと> 
長く石ヤをやってきたので、鉱物の解説のようなこともしているが、精神世界こそ本領と思っている。
それもパワーストーンのパワー効果とか、ヒーリングノウハウといった、
こちら側の世界で徳をしたり役立つ知識ではなく、
向こう側へ飛翔して出会うリアイティの味わいへの関心が自分の土台をなしている。
このテーマは話し合える人がいないので、孤島に暮らすイヌイットのようだ。
鉱物学や地球物理学的知識や、ヒーリング関連のことがらは、
宇宙開発技術からフライパンのテフロン加工がうまれたのと同じスピンオフのようなものなので、
自分の記事をきっかけに鉱物学や地質学、色彩心理学などに関心を抱くようになるなら、
ここにとどまらず、これを踏み台にしてもらえればと願っている。
なにはともあれこんなにきれいなものといっしょにいられる機会はあまりない。
写真はうちのご神体。高さ50cmほど、重さ20数キロある。
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